塚本香央里 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
  1. プロフィール
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塚本香央里(つかもとかおり)

ヴァイオリニスト

塚本香央里(つかもとかおり)

”音の旅人”を1998年より主宰。

桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学音楽学部卒業。

ドイツ・シューマン音楽大学を最優等で卒業。

在学中よりデュッセルドルフ交響楽団(ライン・ドイツ歌劇場管弦楽団)

第1ヴァイオリンに在籍。

ドイツ演奏家国家資格授与。

お話や曲目解説を織り交ぜた、

レクチャーコンサート「音の旅人」を企画運営。

室内楽演奏会、オーケストラとの共演やコンサートミストレス等、

様々な活動の他、演奏ボランティアや、東日本大震災チャリティーコンサートへの参加、

日本対がん協会主催の『リレー・フォー・ライフ』への演奏、

小中学校へ招かれての演奏など、多彩な活動を行っている。

趣向を凝らしたコンサートの内容と、軽快なお話、

豊富な経験から紡ぎだされる音楽のファンは多く、さらなる活動を期待されている。



出身地東京(思春期は横浜市・海外生活通算10年以上を経て横浜に戻る)
出身校三保幼稚園 横浜市立三保小学校→デュッセルドルフ日本人学校→大田原市立紫塚小学校 横浜市立十日市場中学校 桐朋女子高等学校音楽科(共学)桐朋学園大学音楽学部ヴァイオリン専攻 ドイツ・ロベルト・シューマン音楽大学修士課程
誕生日1968年6月3日
血液型O型
資格

芸術学士・ドイツ演奏家国家資格・ライフオーガナイザー1級・メンタルオーガナイザー・クローゼットオーガナイザー・TCカラーセラピスト

趣味

読書・テニス・スキー・映画鑑賞(アクション・コメディ)

これは自慢だ

自分のコンサートを開催するときはいつも晴れ!

休日の過ごし方空を見る・海を見る・テラスでアペリティーヴォ

帰国後

帰国後結婚して二人の娘を育てながら、音楽活動を続ける。

娘の幼稚園で保護者会の代表を務めたり、PTA会長を務めるなどして、ママ友たちの隠れた才能を見つけ出して輝かせることに喜びを見出す。もともと好きだった絵本を読むことから、読み聞かせボランティアを7年経験。娘たちが地元中学を卒業後は、地域の民生児童委員・主任児童委員。こんにちは赤ちゃん訪問員。民児協主催の育児ひろば代表。地元社会福祉協議会理事。

本来の自分

運動神経抜群のため、3歳の時にトランポリンで遊んでいて体操選手のスカウト、小学生でドイツのテニススクールでテニス選手にスカウト。中学時代は音楽の道へ進むか体育大学を目指そうかと真剣に悩む。29歳で始めたスキーも今では上級コースを滑れるようになる。


結婚して「一般常識がない」と言われてへこむ

結婚して1年後に実母を肺がんで亡くし、結婚生活も育児も手探り状態。

子育て時代

自分のキャリア(ヴァイオリニスト)もあきらめない工夫をしながら、一般常識とは何か?を模索しつつ、子どもたちの保護者会の役員などを引き受けて経験を積む。
長女がヨットクラブに所属して、週末は海へ通う。(海は怖いので陸待ち専門)
そのうち次女が水泳選手になって週5の練習と週末の大会付き添い。毎日の送り迎えで車の走行距離は週100㌔以上。
娘たちへの助言は「やりたいことはやってみること」
そのため、時間を駆使して乗馬やスキー、テニスにも挑戦。英検にもチャレンジ。塾には行かないでヴァイオリンの練習に充てる。
それぞれ自分で勉強方法をみつけだすことができるようになる。

私が50代に突入した時

「平成から令和へ」「人生100年時代」「土の時代から風の時代へ」大きな流れを感じる。
「子育ては18歳で終了」をめざして、娘たちと切磋琢磨する。
50歳を過ぎたころに、ライフオーガナイズに出会い、自分のこれからの使命を考える。
これからは「自分自身」の時代。依存しないで働く。自分自身を自分でケアする←これはコロナ禍で学んだこと。
次の世代へつなげるという使命。
オーガナイズの手法を知ることで、娘たちを客観的にみることができ、娘たちも母親を「ライフオーガナイザー」というプロとして相談することができるようになった。「俯瞰」の大切さを感じる。

人生は変容していく

55歳で突然夫を亡くし、12日後に実父を看取るという壮絶な体験から、
相続手続き、事務手続きをコツコツと自分でこなしながら
2人の娘を海外留学へと送り出す。
メンタルオーガナイズの手法をたどりながら
バラバラになった自分の人生を再構築中。




音楽家は華やかな存在ではありません。

地味な練習と生活の反復。

私は一人の生活者でもあります。

私は母親であり、娘であり、妻であり、音楽家でもある。

時にPTA会長だったり、民生委員であったり、赤ちゃん訪問員であったり。

母を亡くして子育ては手探りでした。

7年前に実家じまいをして、大量のモノと思い出と決別しました。

父の所有していた3件の不動産を売却しながら

父の生活をより良く変化させていく手伝いをしました。

父の介護をして看取りました。

夫を突然亡くしました。

相続関連の事務手続きもほぼ自分でこなしました。

二人の娘たちをドイツ・スイスに海外留学させています。

娘たちへの接し方は、それぞれ違うように努力しています。

娘たちは長女・次女という特性と、それぞれの持つ性格や今までの経験が違います。

音楽にひたむきな長女、競泳選手を経験した次女。それぞれのプライドと経験を知っているのは私です。

それぞれに向き合いながら、トライ&エラーを繰り返しながら、親離れを促していくものだと思っています。