塚本香央里(つかもとかおり)
 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
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2026/03/11
70「いつまでも、何度でも思い出す」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

15年。

その年月に思いを馳せます。

あの日、朝は晴れていました。

毎月参加させていただいていたボランティア演奏を終えて、一足先に会場を出て、いつものようにホッと一息つこうと思いながらも帰宅を急ぎました。

その日に限って。

月に一度のボランティア演奏は、私にとって息抜きの時間でもありました。

当時小学校4年と幼稚園年長の娘たちから、少しだけ離れられる時間は貴重でした。

演奏するために早く家を出てモーニングを食べて、演奏を終えたら一人で銀座にふらりと立ち寄ってお茶をして帰ることが楽しみでした。

その日は午後から雲が多くなってきたので、家に帰ることにしました。

なぜかちょっと焦るような気持で。

電車に乗りながら、最寄り駅について一目散に自宅へ向かいました。

「娘たちが帰るまでに掃除機をかけてしまおう」と思いながら家について手を洗っていた時に揺れ始めました。

ただ事ではない揺れを感じて・・・

そのあとは混乱状態でした。


いつまでも、何度でも思い出す。

思い出すと気持ちの揺れが大きくなってざわめくけれど、私自身には必要なことだったりします。

(無理して思い出す必要はないですよ)
思い出して怒っても
思い出して泣いても
思い出して愚痴っても

どんなに波立たせることがあっても、収めることができれば良いと思っています。

自分自身をしっかり、自分自身でなだめることができれば・・・

 

あの年に生まれた子どもたちが、今、中学を卒業する年齢になっています。

近隣中学校の卒業式に来賓として参列しながら、様々な思いに駆られました。

中学生の若い声で歌われる合唱を聞きながら静かに流れる時間。
若者たちに幸多かれと願う1日となりました。





2026/03/07
66「また一緒に霊園ツアーを」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

幼馴染の友人と一緒に、お互いの大事な人が眠る霊園をめぐるツアーをしました。


実家が近くて3歳くらいからずっと一緒に、外を飛び回って遊ぶ友達でした。

私の幼少期は、彼女を抜きに語ることができません。

高校・大学はお互い全く違う道へ進み、一足早く社会人としてしっかりと働く友人に羨望のまなざしを送りながら、私もドイツへ留学して頑張る姿を見せました。

その後はつかず離れず。

結婚して家庭をしっかり守りながら、友人が転勤族のためになかなか会えない日々でしたが、ふと気がつけば、車で20分くらいのところに住むようになっていました。

彼女のご両親が、実家の近くの霊園に眠っていると聞いて

「あら、その道を通っていけば、私の家族の霊園にも行くことができるよ。霊園ツアーしよう!」

と誘うと

「いいわね!」

との返事だったので、昨年の2月に初めて一緒に行きました。


彼女のご両親には、本当にかわいがってもらいました。

大人になってからも、あいさつに伺うと

「あら~かおちゃん~元気にしてるの~?」

とニコニコと話してくださった笑顔は今も私の大切な記憶です。


彼女のご両親のお墓は樹木葬。

滝に囲まれた大仏さまの横に、名前を刻んだプレートが設置されています。

名前を確認しながら、手が届けばその銘板に手を触れながら偲ぶことができます。

きれいに手入れされた園内は風通りも良く、友人はふらりと立ち寄って気持ちを落ち着ける時間を取っているそうです。

「家が好きだった母が、ここだったら近くて大丈夫かなって思ったの。迷子にならないから。私もここで良かったなって思っているわ」

穏やかに話す友人は本当に優しい人です。


私の大事な人たちが眠る霊園は我が家から少し遠いのですが、所属する教会墓所なのでいずれ私もそこに一緒に入るつもりでいます。

娘たちには伝達済みです。

今後どのように変化していくのかわからないので(教会の体制も変わるかもしれない)注視していくことになります。

遠くに海がちらりと見え、静かな山を見上げる静かなところです。

娘たちが一時帰国した時は必ず立ち寄りますし、私一人でもふらりと行くこともあります。

この3年くらいは元旦にお参りしています。同じような思いをもって訪れる人も多い様子なので、寂しい思いが少し薄れます。

 

今回は友人と二人で、思い出話をしながら、辛いことをポロポロと話す時間がとても貴重でした。

普段は忙しさに紛れてしまうこと、言っても仕方のないこと、どうしようもないこと・・・

そんなことも、友人だったら話すことができます。

お互い厳しい時期を通りながら生きていることは、経験を積んだこの年齢だからこそ共有できるのではないかと思います。

笑ったり、泣いたり。私たちだけにしかわからない、思い出話の数々が本当に愛しい時間でした。


余談:ちょっと老眼気味の友人が

「連絡もらった文章の【霊園ツアー】が【雪国ツアー】にみえちゃって、何言ってんのかしら~って思っちゃったのよ」

書いている今も、判別しにくいな…と思ってしまいました・・・


私たちもいつまで同じようにツアーができるかわからないので、今この時間を大切にしようと決めました。




2026/01/27
27「お花のサブスクが運ぶ思い出」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

先日、毎月届くお花の定期便に
フリージアが入っていました。
箱を開けて
ふわりと香ったフリージアの
黄色い花の姿に
春が来たことを教えてもらいました。

大切に育てられたお花たちを迎えるのが
私の毎月の楽しみです。

3年前の春
私は夫と実父を12日の差で亡くしました。
夫は突然帰らぬ人に。
実父は1年かけて徐々に弱っていき
最期は命を燃やし尽くして逝きました。

葬儀でいただいたお花の数は大量で
それらをどれだけ永く活けておくか・・・
その時の私は
そればかり考えていました。
お花を絶やすことが怖かったのだと思います。

あるとき、実父の隣に住んでいた方が
庭に咲いた花を、小さな花束にして訪ねてくださったことがありました。

「私は母のために花を絶やしたくなくて

いつもなにか、生花を飾っていました。自分のためでもありました。」
あぁ、素敵な考えだなぁ、と心に残りました。

月に2回巡ってくる月命日。
それぞれにお花を買ってあげたいけれど
気持ちに余裕がなくて
忘れてしまったり
時間がなくて困っていた時
SNSでお花のサブスクを見つけました。

最初のうちは
それぞれの月命日に合わせて配達してもらいました。
色の指定は白を基調にして。

お花が届くと
バケツに水を張って休ませてから
好きなようにアレンジして飾ります。
お花の様子を見ながら
小分けにしたり
1本だけ活けたりして
2週間は余裕で保てるように。

夏の暑い時期は
届いたお花も、すでに息も絶え絶え。
飾っていても
早くに弱ってしまって可哀そうですが
一生懸命に命を燃やして咲いている姿は
私にとって生きる力を与えてくれる存在です。


そのうち
絵の具が混ざりあうように
気持ちの中で輪郭が緩やかになったころ
サブスクを月に1回の頻度に変更しました。
そして、色の指定を「おまかせ」にしました。

実父は実母と一緒に過ごしている、という
根拠のない自信と
夫は自分から離れることはないと思うことができたから
自分のためにお花を贈ろうと決めました。

全て自分で決める。
どんなに時間がかかっても
どんなに他人からの言葉に慰められたとしても
本当の自分の心は
自分しかわからない。

その姿をサブスクの花たちは
静かに見つめ続けてくれています。

ふわりと漂った
フリージアの香りは
一瞬で春の思い出を運んできました。







2026/01/22
22「似た者同士?」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

デジタル機器に疎い私は
何か不具合があると焦ります。
それでも最近は、調べれば対策法が出てくるので
途方もなく時間をかけながら
「あーでもない、こーでもない」と
七転八倒しながら修正するのみです。
大抵2~3日はかかるので
その間は憂鬱な気分になります・・・

今回はOutlookの不具合で
直近でインストールされたプログラムを
アンインストールすればよい・・・と。

カンタンなんだけれど
ちょっとしたところで躓いてしまい
不具合に気がついて
解決するまで3日かかりました・・・


そういえば実父が一人暮らしをしていた時に
Wi-Fiに不具合があって
一人で解決できずに困り果てて
ゲッソリしていたことがありました。
お届け物があって家を訪ねた時に
「Wi-Fiの調子が悪くてパソコンが使えないんだよ」と
困り果てた顔で訴える父を
邪険にするわけにもいかず
(かといって親身に話を聞く余裕もなく)
しぶしぶ様子を見るも
私には原因も何も全くわからず
「家族の誰かに見てもらうように伝えるわ」としか言えず
放ってしまいました。

当時80代後半の実父は
一般的な高齢者よりもパソコンやスマホを使いこなし
孫娘たちとのLINEも得意でした。
時間はかかるのですが
ちゃんと使うことはできていました。
ただ、パソコンの機種が変わって
プログラムや設定が変更になったりすると
途端にわからなくなって
お手上げのことも多く
どこを、どう触ればよいのか
わからなかったようです。

その時も理系の父は、何とか自分で解決しようと
悪戦苦闘したらしいのですが
上手くいかず・・・
呑まず食わずで作業をしていた様子。
一人で作業していると
そのトラブルだけに集中してしまって
他のことが考えられなくなる状態は
私も同じなのでよくわかります。

結局3日後くらいに
面倒見の良い長女が出かけて行って
軽々と復旧した記憶があります。

「いやぁ、良かったよ。助かった。
寝ていても気になってね。
夜中に飛び起きて、心臓がバクバクしちゃって大変だったんだよ」

大喜びの実父の様子が

おかしいやら、気の毒やら・・・


まさに自分も同じような状況になっていることに気がついて
「いや、私は自分で解決できたから、まだマシかな・・・」と
つぶやきつつ
夜中も気になって眠りが浅かったり
ゲッソリしてしまう自分などを思いかえしながら
「やっぱり親子かも」。

実父の晴れ晴れとした顔を
ふと思い出した1日でした。






2026/01/16
16「時計の思い出」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

時計をいくつ持っていますか?
その時計に思い出はありますか?

昨日のブログの続きです。

私の夫は、時計が趣味でした。
一緒に出掛けて時計店があると
必ずショーウィンドウを覗いて
いろんな説明をしてくれました。
私には知識があまりなく
自動式と手巻き式の違いも分からず
それでも美しい時計を「見る」のは好きでした。

結婚してすぐのころ
「ペアウォッチ」を買いました。
黒い革バンドで、ベゼルがスクエア。
その頃のファッションに合わせて
色はゴールド、文字盤をローマ数字にしました。
ちょっとエレガントで
二人で食事に行くときに好んで身に着けました。

”時計もファッションと一緒で
その日の気分や装いに合わせることができる
自分の表現方法の一つだよ”

私は時計に対してあまり思い入れが無かったので
その言葉には驚きました。

そうか、どのように自分を魅せたいのか
もしくはその時計にふさわしいように振舞うことの大事さ・・・

時計が持っている役割を、改めて学びました。

夫は20代後半で
Rolex Sea-Dwellerを清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入したそうです。
自分のお給料と相談し
お店に3日通い
店主に「来月から値上げするんだよ」と言われて
購入を決めたそうです。

”その時計に見合う自分になる”

そして

”ここぞ、という勝負の時に気合を入れる”という意味で
ビジネスの重要な場面があるときは
丁寧に時刻合わせをしていました。
朝の身支度の中で
時計を合わせるという時間は
夫にとって
とても重要で
気持ちの切り替わる時間だったのかもしれません。


私の節目になる年には
必ず時計をプレゼントしてくれました。
「ジュエリーの方がいいんだけどなぁ・・」と思っていた私ですが
節目ごとにレベルアップしていく時計を見ると
「この時計に見合うような女性になるのは、かなり大変💦」と
気が引き締まる思いがしたものです。

いつか二人で
PATEK PHILIPPEを
ジュネーブで買おう!

途方もない夢を
ウインドーを覗きながら
カタログをめくりながら
二人で笑った時間は戻ってきません。

夢のある時計という存在に
「時間」という容赦ない魔物が棲んでいることを
思い知った月日でした。


夫が最後に身に着けていた時計は
海に行くときに
水に濡れてもよくて
傷がついても良い
デジタルのそう高くないものでした。

夫は知っているはずです。
長女があこがれのまなざしであなたの「時計」を
みつめていることを。

だから私は「時計」を
あれこれ身につけながら・・・
夫の「時計」も身に着けて
娘たちと一緒に思い出を辿ろうと思います。







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