塚本香央里(つかもとかおり)
 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
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2025/04/13
103「家族で海外へ③」  

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。




旅の続き。

娘たちはこの旅で、自ら積極的に異国の空気を楽しむことを覚えました。

私たちも手取り足取り教えるのではなく、

お店などでケーキやおかずを自分で選ぶように声をかけたり、

スーパーでも自分がおいしそうだと思うものを試してみるように言いました。

特に長女には中学校で習った英語でも通じるかどうかトライしてみるように背中を押しました。

わからないなりにも得るところはあったようで、コミュニケーションの大切さを感じる一歩になったと思います。

お気に入りの漫画の主人公が食べていた【カヌレ】が食べたくて、

ショーウィンドウをのぞいていたところを、お店のおじさんにフランス語で延々と話を聞かされている長女。

その横で目を丸くしている次女。

本場の【カヌレ】の味は忘れられない味となったようです。


家族それぞれが、それぞれの楽しさを享受した思い出。

一日中歩きまわって疲れてアパルトマンに戻ってくれば、サラダとワインを飲んでベッドに倒れ込む。

健康的でした。


ただし、娘たちに一番厳しく伝えたことがあります。

危険を察知する能力を養うことでした。

海外は日本ほど安全ではありません。

旅行者となると、危ない場所に気がつかずにトラブルに巻き込まれることもあります。

  • 目立つ格好をしない
  • 地下鉄に乗るときの気の配り方
  • 歩く時の視線の動かし方


夫と私のすべての行動を娘たちはちゃんと見ていたような気がします。

一度RER(近郊線)の列車に乗って移動したことがありましたが、

とにかく駅のホームが暗くて不安になりました。

どうしてもその列車に乗らないと帰れないものだったので仕方がありませんでした。

その時にも

「こういう列車は気をつけた方がいいからね」

と一言いうだけで娘たちにはそれが何を意味するのか分かったはずです。


10年後の今、娘たちには危機察知能力がきちんと備わっていると思います。

娘たちは

「あのときは、何となくしかわからなかったけれど、あの経験がすべての源になっているような気がする」

と言っています。




2025/04/12
102「家族で海外へ②」  

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。


https://ototabi-kaori.com/contents_181.html


旅の続き。

ドイツでの目的はドイツ人の教授からヴァイオリンのレッスンを受けることが目的。

二人とも言葉が全部わからないまでも、とにかく必死に真似をする様子を見て、連れてくることができてよかったな、と思いました。

長女はこのとき、外国語でのコミュニケーションの楽しさを知り、
話せないジレンマにヤキモキして
「次に来るときは絶対に自分で話す!」という目標ができたそうです。
次女はその当時はまだ競泳選手の生活のだったので、
ヴァイオリンに関してはヨロヨロの状態。
でも、元々の感性の鋭さゆえに、吸収能力と集中力は抜群でした。
私の教授も目を細めながら
「親子そろってレッスンするの楽しい!」
「お父さんは大変だね!」
と夫の肩をたたいて労ってもらい
夫は嬉しそうにニコニコと笑っている…
お互い良い思い出となりました。

またこの街にみんなで来たいね、という期待を残して次の地フランス・パリへ移動。

パリのホテルは本当に高いので、

夫が苦労してウィークリーマンションのようなアパルトマンを予約してくれました。

オフィスで鍵を受け取って地図を頼りに行ってみるも、なぜか語学学校にたどり着いてしまい途方に暮れました。

親切な語学学校の受付の人がネットで検索してくれてプリントアウトしてくれて助かりました。

さすが語学学校。

よくよく見れば3ブロックくらい歩かなければならないらしい。

シャンゼリゼ大通りをスーツケースを引っ張りながら

「ねぇ、この道って凱旋門にむかって上り坂なんだね~知らなかったわ」

と夫と息を切らしながらゼイゼイ言って笑いました。

この時、日本出国時から壊れかけていたスーツケースのタイヤは、すっかりダメになってしまいました。

夫はほぼスーツケースを抱えて汗だく。

春によくある夏のようなお天気の日でした。

宿泊場所は本当にパリのアパルトマン。

道路に面した外玄関の大きな扉を「よいしょ」と開けると中庭へ。

先に見えているガラス張りの入り口のドアを開けると小さなエレベーター。

映画でよく見る「鳥かご」のようなエレベーター。

人が一人とスーツケースでいっぱいになってしまうので、あとの人は階段。

らせん状のステップが小さい階段なので、気をつけないと滑って転がり落ちてしまいそう。


アパルトマンの部屋は清潔で家族4人には大きすぎるくらい。

生活用品がちゃんとそろっているので、食べ物を買いに行けば快適に暮らせます。

窓を開けると中庭が見渡せて、ご近所さんの普通の生活を覗き見ることができました。

夕方になるとロウソクの灯る家。

朝になれば早くから電気をつけて身支度している様子。

娘たちはロフト付きの寝室に大喜び。

朝から近所のパン屋さんに行って、焼き立てのクロワッサンやパン・オ・ショコラを買ってきて食べる毎日。


お昼に少し奮発して食事をすれば、夜はカルフールスーパーやモノプリで野菜とハムとチーズを食べれば十分。

本当にパリに暮らしているような毎日でした。

移動は地下鉄と徒歩。

スリやひったくりに注意するべく、地下鉄に乗ることは極力避けました。

ただひたすら地図を握りしめて歩く。

2015年のあの頃、パリはテロに揺れた日々でした。

どの観光施設も入場するときのセキュリティチェックが厳しくて長蛇の列。

エッフェル塔もルーブル美術館も、どこもかしこも2時間から3時間並びました。

それでも、私たち家族はあきらめることなく、たくさんの観光地を巡りました。


とにかく一度は見ておけばいい。

次に来るときの、何かの足掛かりになればいいから、という理由でした。


極めつけはキリスト教最大の行事「受難の金曜日」。

私が好きなサクレクール寺院に行った日は受難の金曜日でした。

地下鉄の駅を降りると、とにかく人が多くて何事かと思えば、十字架の道行きを祈りながら教会へ向かっている各国の巡礼者。

そんな光景も娘たちの記憶に残っているようです。


駆け足だったけれど、全ての記憶がちゃんと刻まれた旅。

その後、何度も家族の中で話題に上りますが、どれも良い思い出であり、共有する気持ちに絆を感じています。



2025/04/11
101「家族で海外へ①」  

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。


今から10年前の2015年。

ちょうど今のような春の時期に家族でヨーロッパへ1週間の旅をしました。

目的はいくつかありました。

一番の目的は楽器鑑定書の名前を私自身の名前に変更することでした。

結局この目的は事情があって果たせなかったのですが、

そのほかに

  • 娘たちに海外を経験させたい
  • 私たち夫婦が出会った街を見せたい
  • ドイツ人の師匠に娘たちを合わせてレッスンをしてもらいたい
  • 暮らすようにパリをたのしみたい
というあれもこれも詰め込んだ旅。

娘たちも小学生と中学生。

ちゃんと記憶に残る旅にしたかったので、年齢的にも十分な時期でした。


4人家族中3人がヴァイオリンを背負って、羽田空港を深夜に飛び立つ飛行機でパリを経由してドイツのデュッセルドルフ空港へ。

飛行機酔いをした長女に気を遣いながらも、到着早々にレンタカーをして、ケルンまでアウトバーンを走る。

有名なケルン大聖堂にある500段の階段を登って先頭からケルンの街並みを見下ろすという暴挙から始まり、

私の師匠のヴァイオリンレッスンを受けたり、

デュッセルドルフの街並みを懐かしく思う時間。


あれもこれも見せたい。

欲張りすぎるとわかっていても伝えたい。


娘たちは文化の違いに目を白黒させながら後をついてきました。

ドイツ語や英語の飛び交う生活。

教授の自宅に招かれて、初めて見る海外のおうち。

体格の大きなドイツ人。

食べるものも量も、日本と全く違うメニュー。

歩きにくい旧市街の石畳の道。

ザブザブと激しい音をたてて流れるライン河のたっぷりな水。

教会の鐘の音。

建物の大きさや色彩、サイレンの音。


すべての五感をフル稼働させたような時間。

娘たちがガッツでついてくるバイタリティに感心しながら、自ずと私も夫も声が弾んできました。


春先のお天気の安定しない雲のながれ。

風が冷たくて、その時撮った写真を見返すと常に髪の毛がボサボサ。


でもみんな笑っていました。




2025/04/06
96「レコードの思い出」  

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。


我が家にはレコードのLP版が50枚くらいあるでしょうか。

ターンテーブルもあります。

どれもちょっと埃をかぶっているし、

ターンテーブルを動かすには手順があるので、

その説明書を読むことから始めなければなりません。


私はレコードを聴いて育ちました。

LP版もドーナツ版も聴きました。

ドーナツ版は幼稚園の私でも操作させてもらえて、

ドキドキしながらレコードを聞いていた記憶があります。

「アタックNO.1」や「アテンションプリーズ」の主題歌をエンドレス聞いていました。

聞くだけでなく大声で一緒に歌っていました。


ドーナツ版用の穴に合わせたアダプターをカチリとセットし、回転数45のスイッチを入れます。

その操作を間違えると回転数が違うためにヘンテコな音楽が聞こえてきます。

たまにわざと間違えて、クスクス笑いながら聞いていました。

(家族は見て見ぬふりをしてくれていました・・・)

ボール紙で作られたケースの中に入っている薄いビニールから

そっとレコードを取り出して、

ターンテーブルに置いてスイッチを入れて、

そーっと針をレコードに置く瞬間。

時々手が震えて針を落としたりして・・・

一人で焦っていた記憶がよみがえりました。


そうそう、ペラペラのソノシートもありましたね。

赤や青のキッチュな色が印象的でした。

雑誌などの付録についていて、お話の一部を聞くことができました。

音楽というよりラジオに近い感じで聴いていました。

何度も繰り返し聞いて、内容も丸暗記していたような気がします。


一回目に実家の家じまいをしたときに、思い入れのあるレコードだけ物置から掘り出して新しい家に運び込みました。

いつかゆっくり聞こうとクローゼットに置いてありましたが、

父が亡くなって行き場を失ったレコードたちを、今度は私が引き取ることになりました。

100枚近くあったのですが、その中から選びぬいて50枚ほどにまとめました。

どれも思い入れのあるものばかり。

たとえば

父と母が好んで聞いていた4枚組のムードミュージック曲集。

母が感激したワーグナーのオペラ「ローエングリン」の全曲集。

巨匠カラヤン指揮のベートーヴェン交響曲全曲集。

私が中学生くらいの時に勉強のために買ったハイフェッツやシェリングのヴァイオリン協奏曲の数々。

姉が大事にしていたリムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」やウェルディの「レクイエム」。

父がモスクワの空港で買ってきたチャイコフスキー交響曲第5番の素晴らしい演奏。

などなど・・・

どれもエピソードを語れるくらいお気に入りの物たちです。

私のお気に入りは、ムソルグスキー作曲の「展覧会の絵」。

A面がオーケストラ版で、B面がピアノ独奏というとても贅沢なレコードでした。

「今日はどちらを聞こうかなぁ」

と選ぶ楽しみがありました。


今の世の中は、手軽に音楽を聴くことができて、操作をしなくてもエンドレスに聞いていることが可能です。

レコードは全曲聴くためにひっくり返さなければならないし、

レコードに傷がつかないように慎重に針を落とさなければならなかったり。

とにかく手間がかかります。

あの時代、みんなそれを当たり前のように、手間暇をかけて音楽を聴いていました。

ちょっと懐かしい思いに駆られますが、私は今の時代の音楽の聴き方も好きです。

この原稿を書きながらYouTubeで延々とカフェミュージックを流しているのは、

これもまた本当に贅沢だなぁとも思うのです。


そういえば、

長女が大学生の時に、学校近くにレコード店をみつけて興味津々で眺めに行ったそうです。

何を買うわけでもなく、

探すでもなく、

レコードというものをただ見たかったそうです。

今の若者のなかにもレコードに関心を寄せる人がいるらしく、名盤はかなりの高値で売買されているとか。


次の休日には、

両親の好きだったレコードをかけてみるために、まずは説明書を読んでみようかしら。


「アルプスの少女ハイジ」はドイツに住んでいた時に見ていました。



2025/03/12
71「雨の日に思い出す曲」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。



雨の日に思い出す曲

ブラームス
ヴァイオリンソナタ第1番
「雨の歌」作品78



外を駆け回るのが好きだった幼少時代。
雨の日が苦手でした。
アイロンかけをする母の横で
庭の水たまりを眺めながら
「雨はいつ止むの?」と
しつこく聞いていたことを思い出します。

実家の庭は私が駆け回ることによって
芝生が剥げて土がむき出しのところがたくさんありました。
雨が降ると、くぼみに水たまりができます。
その水たまりに、雨しずくの模様ができます。
雨足によって
水たまりが静かだったり
賑やかだったり。
飽きもせず、ずっと眺めていました。
そしてその先に見えてくる
お友だちがリカちゃん人形で遊んでいる姿を
羨ましく思ったものです。
リカちゃん人形を持っていない私は
雨の日はいつも仲間外れ。
それでもふてくされることなく
雨の庭を見ていたのはどうしてなのか?

私の母は、私が欲しいと思っているオモチャを
買ってくれることはなく
家にあるもので代用する知恵を教えてくれました。
ミルクのみ人形がほしいけれど、いつものぬいぐるみで代用。
お人形にかけてあげるお布団は手縫いで作ってくれる。
お世話してあげる哺乳瓶がほしいけれど、ソースの空き容器で代用。
(この思い出は強烈で、未だにソースの容器を見ると
反射的に匂いをかいであの頃のことを思い出してしまう。
良い思い出なのか複雑だけど、嫌な思い出ではない)
その当時の母は、子育てをちゃんとしなきゃ、と思っていたらしく
子どもを甘やかしてはいけないと頑張っていた、ということを
後になって知ったけれど、
私にとっては悪いことではなくて
どうかすれば、自分の娘たちにも同じことをしていました。

私が初めてブラームスの「雨の歌」を弾いたとき
あの、小さい私が見ていた庭の水たまりと
友だちに会えなくて寂しい気持ちと
母と二人だけで過ごす
静かな時間が
ザザッとよみがえりました。
私の来ている洋服、窓辺、視線、色彩。
母がアイロンをかけている様子、部屋の空気。
空の色、軒からおちる雨だれ、水たまりの様子。
細かいディテールまで想像することができました。
その時初めて
「あぁ、私の音楽ってここに在ったんだ」と
ホッとした思いに包まれました。
それまで練習していた曲たちが
ずっと繋がってここまで連れてきてくれたこと。
音楽を表現するということを
しっかり教えてくれた曲が
この「雨の歌」でした。

私が見ていた雨は
きっと今日のような雨だったに違いないです。


今はなくなってしまった実家の庭。
記憶の中に残っているから
演奏することによって
それらが蘇る。
私は、それらを伝えたいと思います。




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