この2年くらいに読んだ本は
この先読み返すことがありそうなので
著者とタイトルくらいは覚えておこうと思うのに・・・
覚えていられません。
去年の春、書棚を整えた時に
「これからも読み続けたい本」
「記憶に残すだけで良い本」を仕分けてノートにまとめました。
なかなか面白い作業で没頭しました。
自分の中にあるちょっとした【こだわり】に気づくことができました。
「エッセイが好きでビジネス書は無限に読むけれど小説の内容は吟味して読むので読み始めるまでに時間がかかる。なぜなら買ったときのテンションからズレてしまうと読めないから」
基本的にはビジネス書は読んでそのまま本棚の隅ですが、メモを読み返すと自分のアンテナにひっかかったことが蘇るので便利です。
小説などは、その時の主観しか書いていないのでものすごくメモが少ない傾向があります。
エッセイはエピソード内に出てきた事柄を改めてリサーチし、自分の生活に取り入れて知識を吸収し勉強することが楽しいです。
私の「広く浅く知識を得る」という欲求に、本はとても役に立っています。
それにしても、最近記憶力の低下がひどすぎる。
さっき書いたメモが見つからない・・・
どこかで見た文章がどの本だったのか覚えていない・・・
人の名前を覚えられない・・・
数えればきりがないので数えないことにしています。
零れ落ちる記憶をメモですくいながら、何回でも何度でも、そのメモを探して見つけて読み返す。
延々と終わらぬ作業を続けていくことで、ようやく腹落ちするのでしょうか。
・・・同じ本を買う過ちをしたくない・・・と肝に銘じる日々です。(そうなったらヤバいような気がする)
発売前から予約していた本。
でも、ずっと読めなかった本。

『真夜中のパリから夜明けの東京へ』 猫沢エミ・小林孝延
なかなか読み進められませんでした。
昨年10月末から読み始めて、やっと年が明けた1月末に読了。
ようやくアウトプットできるようになるまで1か月。
涙を流しながら、心を疲弊させながら、時に嫉妬しながら読みました。
きっと彼らは心の中で絶叫・号泣しつつも「往復書簡」というある意味一つのフィルターを通して語られていたので、自分よがりではなく、相手の見方も含みながら大きく「死」を見つめていたような感じがしました。私自身が「そのとおり!」と思うことが書かれていることに嫉妬もしました。
語り始めのぎこちなさや遠慮の空気をズバリと切り込んでいく猫沢さんの繊細な大胆さ。
ユラユラした語り口ではあるものの、根底に流れる揺るぎない強さを感じる小林さんの佇まい。
【人生はある日突然風が吹いて、それまでの景色を一変させてしまうもの】
【食べ物を食べておいしいと感じるのは罪悪感なのか】
【心の傷は時間とともに癒えるとか薄らいでいくわけじゃない】
どれも自分に思い当たることばかりで、未だに「あぁ、これを見せてあげたかったな」「きっと喜んだだろうな」と喪失を呼び覚ますことがあるのは確かです。それでも、【ただ今を生きることだけに集中して使いたい】と思うことに共感します。
【本が読めなくなった時期がある】
【家の片付けに集中した時期がある】
私も同じように、1年以上は文字を追っているだけの読でした。何もしないで電車に乗っているとふいに涙が出てくるので、それをカムフラージュするためにエッセイ本を持ち歩いていました。
「何かを変えるには今しかない・・・自分を守るために、これから私が生きていくためには替えなくちゃ」「いっしょに考えるはずだったことを、とにかく私が粛々と遂行しなければ」と突き動かされるようにバス・洗面所の改修工事をしたり、エクステリアの整備をしました。
喪失から再生へと向かうのは、そんなに簡単ではありません。
私はまだまだ弱い心で生きています。
それでも、自分自身を信じようと思います。
サポート方法は一つだけではありません。
その時、その状況によって変化していくものです。
五感を全部使って自分をサポートしよう。
自分自身をその方向へ向かわせよう。
2月はかなり真剣に本を読みました。
おかげで積読がずいぶん減りました。
エッセイやビジネス書が中心だったこの2年くらいの読書生活も、ようやく短編や小説が読めるようになってきました。
今月11冊読んだ中で小説は3冊。
『月とコーヒー デミタス』(吉田篤弘)
『ラブカは静かに弓を持つ』(安壇美緒)
『BUTTER』 (柚木麻子)
とても印象に残る本たちでした。
それぞれの世界に浸る贅沢な時間。
ただ、小説は感情が剝き出しにさらされるので、時にその世界から抜け出せなくなることも多々あるのですが、冬眠生活の私にはそういった心配なく過ごすことができました。
「感情が剥き出しにさらされる」・・・こんな状態に自分を投げ出すことができるようになるのに・・・2年という時間がかかりました。
上記3冊には、それぞれ私の心の繊細な部分を刺激する場所がありました。
その細い弦をはじく瞬間が怖かった過去から、ほんの少し抜け出すことができた自分を発見することができてホッとしました。
大丈夫。まだ、どうにか生きていけそう。
小説に出てくる人たちは、不器用だったり変人だったりするけれど、どの人も堂々と自分のことを生きています。
それは、カッコいいとか、自信満々ではなくて、誤解がおこったり意思の疎通がうまくいかないような、私たちの生活でも隣の人にも起こっているような出来事で、特別なことではありません。でも、作者の言葉にのると、あぁ、こういうことなのか・・・と改めて自分の身近にある出来事を違う視点で見ることができます。
本を読みながら、グスグスと鼻水をすすった2月の日々。
自分の演奏を、今まで以上150%お客様に届けていこう、と心に決めた日々。
自分という枠をもうちょっと明確にみつめつつ
どうしたら生きやすくなるのかな、どうしたらラクになるのかな、と深掘りする毎日はまだまだ続きそうです。
3月は、本だけの世界に引きこもりすぎないように毎日を過ごします。
近頃は電車に乗るとスマホの画面を覗いている人が多いですね。
私は電車内では外を見たり、人を観察をしているようにして、「スマホを見ない運動」を自発的に行っています。
最近は、『積読解消推進強化期間』(長い!)なので、移動中も本を読んでいることが多いです。
そのため、せっかく外出しても本の内容で頭がいっぱいなので、寄り道をしながら新しい情報を仕入れることができなくなりました。
電車内ではInstagramを流し見している人が大半で、通勤時間には動画を見ている人も多いように思います。
(私は動画だけは見ることができません・・・動画はすごくプライベートな感覚がするのでリビングにいる自分の姿になってしまう。)
新聞記事を読んでいる人もちらほらいますね。(昔は新聞を器用に折りたたみながら読んでいた会社員のオジサンがいて、いつも感心していました)
その中で、スマホではなく本を読んでいる人がいると
「あ、何を読んでいるのかな」
と、ものすごく気になります。
本の大きさや形から、文庫・新書・単行本の判別ができます。
そして、購入した本なのか、図書館から借りた本なのか・・・
そんなところもついつい見てしまいます。
きれいなカバーをつけて文庫を読んでいる女性をみると、素敵だなぁと思います。
私の読書スタイルは、かなりワイルド。
気になるページを折ったり、時に傍線を引いたり、ポストイットを貼りつけたり。
出かけるカバンに、ポンと放り込むスタイルなので、カバーを外した表紙がたいてい汚れています。
それでも、初めはキレイだった本の表情が自分に馴染んできて
内容が染み込むころになると、私自身は豊かな気分になります。
本屋さんに行くと、本当にときめきます。
たくさんの作家さんや執筆者の方が、私に向けてアピールしてくるその熱気に大いに巻き込まれて、気がつくとお会計に向かっている自分がいます。
季節が変化してきていますね。
心と身体のバランスを保ちながら、足元をしっかり見つめながら歩いていきたいと思っています。
家にばかりこもっていたら、口角が下がってしまって滑舌が悪くなってしまいました。
久しぶりに『安否確認会』(私がそう思っているご近所の集まり)に参加して大いに笑ったら、とても気分が晴れました。
私って単純です。
今日の話題は本の話。
本を読んで、久しぶりに笑った日々。
思い出し笑いなんて、本当に久々で楽しかった。
『吾も老の花』(阿川佐和子)
もともと次女がエッセイ好きで、何冊も買わされた経験がある。
私は阿川佐和子さんといえば、檀ふみさんの往復書簡的な『ああ言えばこう食う』が好きで読んでいた。
時を経て、彼女も年を重ねてエッセイの内容も初老に関してのことが多くなり、私にとってはこれから出会うであろう諸々の出来事が興味深くて、違う視点で読む機会が多くなった。
今回は表紙の色と「古希」の言葉に驚いて購入。
阿川さんも古希なのか!と。
いや、そうだよ、私だって50代後半なんだもの・・・
この人のエッセイは、なぜこうも笑えるのか?
その笑いに嫌味がなく、品があってとても清々しい。
父(阿川弘之)との軋轢も、よくよく考えれば理不尽でもあるし許せないこともあるけれど、さらりとかわしてしまうところに、父への深い尊敬のまなざしが感じられる。
身体の変化の記述は本当にそのとおりで、読んでいるだけで「わかる・・・」と静かにうなずいてしまう。
立ったままズボンを片足に入れて「オットット・・・」と前のめりにつんのめってしまう・・・なんていうコントのような姿を、私自身も「自分、危ないぜ」と思いながらやっているが、その先に「ケガ」なんていうことを想像してしまうともう少しおとなしくしなければ、と思ってしまう。
ご本人は「自分は昭和の人間」といっているけれど、私もその気持ちは身に染みて理解できる。
なんだかんだ、昭和という時代は存在が大きくて重い。
私だって昭和を大いにひきずっている。
もう、2世代も前の時代なのに・・・
「昭和って良かったよ、勢いがあってね」
「昭和世代なんで・・・よくわかりません」
と良くも悪くも使い分ける「ズルさ」が昭和後半の私にはあると思っている。
「老い」を知るために読んでいたと思っていたこの本は、自分がどういうときに「昭和」という言葉を思いうかべ、どういう風にズルく使っているのかということを、よくよく考えるチャンスを得たような気がした。