塚本香央里(つかもとかおり)
 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
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2026/04/21
111「寄り道しながら毎日を 読書日記」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

ちょっと寄り道に逸れてみる。


今日は『破獄』(吉村昭 新潮文庫)を読み終わりました。久しぶりに手に取った吉村昭の作品は、やはり読み応えがあって面白かったです。最初の50ページくらいの速度が遅めになってしまうのですが、その後は一気読みに近いです。本に没頭できる時間があるのは贅沢なことですね。


 

『破獄』は、実際に起こった4回も脱獄を繰り返した囚人と、その周りの見張った人たちの闘い、または人間関係の話ともいえる。昭和20年前後という戦争によって変化していく時代背景も興味深かったし、その混乱の中でも【刑務所は機能していた】という当たり前だけれど、見張られる人と見張る人の異様な交錯に想いを巡らせることができた。秩序を守ることに必死すぎると、小さくて思わぬ気持ちの変化で隙ができてしまう。心理戦の妙味。史実を追って語られる淡々としたノンフィクションものではなく、登場人物に体温があって彼らの感情がこちらにしっかりと伝わるという手法は、読み手をグイグイと物語の深淵へと連れていく。それは資料を微細に読み取り、取材を丁寧に重ねたという吉村昭という作家の作風ともいえる。執念ともいえるような調査をしたと言われている。その裏付けに、読み手は安心して物語に沈むことができるのだ。

戦中・戦後の食糧事情には、一般市民と囚人たちに異様なアンバランスがあったことを初めて知った。今までの常識が徐々に崩れていくこと。早急な埋め合わせを考えなければならないこと。後々のことを考える余裕のない毎日。日本中の誰もが必死に生きていた時代。ふと、あの混乱を生き抜いた私の祖父母や両親たちも、理不尽でやるせない思いをもって生活をしていたのだろうか?と思いを馳せる。いつも穏やかに、ニコニコと笑っていた顔しか思い出せない祖父母たち。親の苦労を知り、共に生き延びるために不平不満を言わなかった自分の両親。先の家族の歴史を辿ることは、自分から次の世代へバトンを渡していく軸を考えることになる。そんなところまで思いを馳せることができたのは、本当に貴重な時間だった。



2026/04/14
104「積読・4月編」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今年の2月1日に積読解消を目指して挙げた16冊を、3月末で読了しました。

初めにリストされていたのは14冊なのに、4冊買い増しして自分のハードルを上げてしまいましたが・・・楽しく読み進むことができました。本に埋もれた私の冬眠生活。今年はたくさんの質の良い本のおかげで充実していました。


そして新たに4月1日。12冊がエントリーされています。そのうち3冊読了して、今は2冊を同時並行で読んでいます。

三宅香帆さんに大いに影響されて新書の棚を覗くことが多くなったのですが、本当に面白いラインナップが揃っています。じっくりと背表紙を眺めながら、パラパラとめくるページから躍り出てくる文字の大きさも見やすくて楽しい・・・でも、私にとって難しすぎたり、思っていたものと違ったり・・・といった私の当たりはずれもあるので、これからはもっと吟味して購入しないと、と思っています。

そういえば、父の本棚には新書がたくさん並べられていました。やはり、自分の専門に関することだったり、興味のある分野の書籍が多かったような気がします。家の書棚を改造した時に、新書と文庫がたくさん入るように設計して、父はとても嬉しそうでした。晩年も、孫娘から推薦された文庫を一生懸命読んでいた姿を思い出します。長女は「じさま、すごいのよ。もうあの本読んじゃってて、面白かったよ~って言ってくれたの!」と若者との会話にも貪欲でした。

母も読書家でしたが、どちらかというと単行本派。「老眼で文庫が読みにくいのよね」という理由だったような気がします。単行本は装丁が美しいものが多く、それを楽しみにしていた部分もあるかもしれません。

視覚障碍者の姉は、音声図書や対面朗読などで読書を楽しんでいる様子です。大抵、話題になっている本はすでに知っていてチェック済みです。ただ、朗読者の声が途中で変更になっていたりすると、情景を想像することが難しく感じたり、登場人物の脳内設定を変更する作業に苛立ちを覚えたりするそうです。なるほど…と思いました。目が見えない世界には、そういった難しさもあるのか、と。


本好きとの話は自分の世界が果てしなく広がっていくような感覚があって、とても楽しく刺激的です。

本が読めるって素晴らしいこと。

たくさんの本に触れていると、本同士のつながりも感じることができます。書かれた時代が違っていても、著者が違っていても、私たちの伝えたいことが同じだったり、書かれている内容に重複する部分を見出すことができたりすると、自分なりの発見や解釈を見つけることができてワクワクします。
本の楽しさを教えてくれたのは、まぎれもなく両親であり姉の存在だと思います。
その流れは自然に、娘たちへと受け継がれています。


 


2026/03/30
89「映画の原作を読む楽しさ」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。


「国宝」(吉田修一)

映画「国宝」を見たのは去年の6月。ぼんやりと電車に乗っていた時に、予告編が流れていた画面にくぎ付けになり「これは見に行かなければ」とすぐに映画館へ行きました。あの時の興奮は未だに忘れられません。

映画を見に行った時の感想ブログ(2025年6月25日)

その時の感原作があることは知っていたのですが、映画を見てからすぐに読む気になれず、夏の終わりに買ったまま積読していました。

そしてこの冬の冬眠時期に読了しました。

映画とは全く違う物語でした。

歌舞伎という芸術世界を生きる者が、俗世をどう生きるのか、生きていかなければならないのか。

そのまばゆいばかりの光と闇よりも濃い影を併せ持つ役者が人間としてどうやってバランスをとるのか。

「虚」と「実」のはざまの「狂気」の中で生きていることを、私自身も50代後半になって理解することができるようになりました。

そして、登場人物それぞれが「狂気」との狭間でもがく様子にほんの少し共感をもつことができたのは、自分も舞台を知っているからかもしれません。

舞台の華やかさに隠された、泥臭い人間ドラマは音楽の幅と深さを限りなく増大させます。
ある程度年齢を重ねた音楽家には、誰にも真似ることのできない「スタイル」があると思っています。

語り口も独特で、大河ドラマの語りを聞いているような流れでした。

文章というものは、七変化できてバリエーション豊かで、こんなにも期待させることができる者なのかと思わずページをめくる手が早くなりました。

キーポイントとなるセリフが「あぁ、ここで言っているのか」と腑に落ちる瞬間もあって、それは映画を見たゆえの楽しい答え合わせの瞬間でもありました。

そういうことができるのは、映画から原作を読む楽しさでもありますね。


心に残った美しい文章

『悲しみを湛えた色。愛する人を失った悲しみがにじんだ湖面。失ったものが増えれば増えるほど湖面はその色を増し、まるで黒真珠のように鈍く輝き出す』

そんな人になりたいと思いました。





2026/03/10
69「読書ノートというメモ」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

この2年くらいに読んだ本は

この先読み返すことがありそうなので

著者とタイトルくらいは覚えておこうと思うのに・・・

覚えていられません。


去年の春、書棚を整えた時に

「これからも読み続けたい本」

「記憶に残すだけで良い本」を仕分けてノートにまとめました。

なかなか面白い作業で没頭しました。

自分の中にあるちょっとした【こだわり】に気づくことができました。

「エッセイが好きでビジネス書は無限に読むけれど小説の内容は吟味して読むので読み始めるまでに時間がかかる。なぜなら買ったときのテンションからズレてしまうと読めないから」

 

基本的にはビジネス書は読んでそのまま本棚の隅ですが、メモを読み返すと自分のアンテナにひっかかったことが蘇るので便利です。

小説などは、その時の主観しか書いていないのでものすごくメモが少ない傾向があります。

エッセイはエピソード内に出てきた事柄を改めてリサーチし、自分の生活に取り入れて知識を吸収し勉強することが楽しいです。

私の「広く浅く知識を得る」という欲求に、本はとても役に立っています。

しかし私には役にたてられないたくさんの知識が脳内に蓄積されているような・・・

それにしても、最近記憶力の低下がひどすぎる。

さっき書いたメモが見つからない・・・

どこかで見た文章がどの本だったのか覚えていない・・・

人の名前を覚えられない・・・


数えればきりがないので数えないことにしています。


零れ落ちる記憶をメモですくいながら、何回でも何度でも、そのメモを探して見つけて読み返す。

延々と終わらぬ作業を続けていくことで、ようやく腹落ちするのでしょうか。


・・・同じ本を買う過ちをしたくない・・・と肝に銘じる日々です。(そうなったらヤバいような気がする)




2026/03/04
63「自分をサポートする五感」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

発売前から予約していた本。

でも、ずっと読めなかった本。


『真夜中のパリから夜明けの東京へ』 猫沢エミ・小林孝延

心の(精神的な)支えである猫・イオちゃん、最愛の妻・薫さんを亡くした二人の、死とは何か、喪失、再生についての往復書簡。

なかなか読み進められませんでした。

昨年10月末から読み始めて、やっと年が明けた1月末に読了。

ようやくアウトプットできるようになるまで1か月。

涙を流しながら、心を疲弊させながら、時に嫉妬しながら読みました。


きっと彼らは心の中で絶叫・号泣しつつも「往復書簡」というある意味一つのフィルターを通して語られていたので、自分よがりではなく、相手の見方も含みながら大きく「死」を見つめていたような感じがしました。私自身が「そのとおり!」と思うことが書かれていることに嫉妬もしました。

語り始めのぎこちなさや遠慮の空気をズバリと切り込んでいく猫沢さんの繊細な大胆さ。

ユラユラした語り口ではあるものの、根底に流れる揺るぎない強さを感じる小林さんの佇まい。

 

【人生はある日突然風が吹いて、それまでの景色を一変させてしまうもの】

【食べ物を食べておいしいと感じるのは罪悪感なのか】

【心の傷は時間とともに癒えるとか薄らいでいくわけじゃない】

 

どれも自分に思い当たることばかりで、未だに「あぁ、これを見せてあげたかったな」「きっと喜んだだろうな」と喪失を呼び覚ますことがあるのは確かです。それでも、【ただ今を生きることだけに集中して使いたい】と思うことに共感します。

 

【本が読めなくなった時期がある】

【家の片付けに集中した時期がある】

私も同じように、1年以上は文字を追っているだけの読でした。何もしないで電車に乗っているとふいに涙が出てくるので、それをカムフラージュするためにエッセイ本を持ち歩いていました。

「何かを変えるには今しかない・・・自分を守るために、これから私が生きていくためには替えなくちゃ」「いっしょに考えるはずだったことを、とにかく私が粛々と遂行しなければ」と突き動かされるようにバス・洗面所の改修工事をしたり、エクステリアの整備をしました。

 

喪失から再生へと向かうのは、そんなに簡単ではありません。

私はまだまだ弱い心で生きています。

それでも、自分自身を信じようと思います。


サポート方法は一つだけではありません。

その時、その状況によって変化していくものです。

そのことを、私は身をもって学びました。

五感を全部使って自分をサポートしよう。

自分自身をその方向へ向かわせよう。

いまもなお、生きることに必死な私がいます。

 

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