塚本香央里(つかもとかおり)
 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
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2025/04/03
93「曲目解説・マタイ受難曲から」  

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。


今月は札幌北一条教会での昼休みコンサートに出演します。


今回はヴァイオリン無伴奏曲が中心のプログラムですが、

バッハの『憐れみたまえ、わが主よ』はオルガンと演奏します。

この曲はバッハの有名な【マタイ受難曲】のなかの1曲です。

【受難曲】とは、イエス・キリストが、

自分が十字架にかけられるであろうことを予言するところから、

捕縛、裁判、十字架への磔、死、墓の封印までの物語を、

聖書に基づいて福音史家(この場合はマタイ)の語り、

登場人物の役を歌手が、

群衆役を合唱が受け持ち、

背景やその場の効果音をオーケストラが担当するという壮大な音楽劇です。

イエス・キリストの最後の1週間の出来事を3時間で追体験するというもの。

ドイツなどでは、受難節(復活日前の40日間)に教会等でこの
受難曲を演奏する場合があります。かなり大掛かりな規模になるので
歌手や合唱、オーケストラの人員を集めることが大変です。


イエス・キリストが次々と、

弟子たちの裏切りや弟子としてのあるまじき行いを予言し、

うろたえる彼らを深い慈しみの目で見つめている。

その中の一つの出来事がこの「憐れみたまえ、わが主よ」。

逮捕されたイエス・キリストのことを、

一番弟子であるペトロが三度もイエスを知らないと言う。

言った直後に鶏が鳴き

「あなたは鶏が鳴く前に私を三度知らないというだろう」という予言に対して

「そんなことはない」と言い切った自分の行いに気づいて深い後悔と悲しみに打ちひしがれる場面。

原曲ではアルト歌手のアリアとして歌われます。

オーケストラの悲しみに満ちた音色がペテロを包む後悔の念を表現し、

ヴァイオリンソロが歌に寄り添うように、相槌を打ちながら慰めている様子が表現されます。


この曲のヴァイオリンソロパートは、

コンサートマスターのオーディションで審査されることも多く、

私もよく勉強しました。

歌手の息遣いに合わせて演奏することや、

その場面のイメージをより明確に伝える役割は難しいですね。

今回はオルガンがアルト歌手のパートを演奏するので、音作りも楽しみです。

(オルガンという楽器は、奏者によって音色を変化させることができるので
そのオルガンの特性と奏者の解釈が胆になります。
音作りの現場に立ち会うことができるのも、私の楽しみの一つです。)

教会でのコンサートは、コンサートホールとは違った魅力満載です。

とはいえ、教会に入るのはちょっと勇気がいりますよね。
でも大丈夫。
コンサートは無料ですし
勧誘もありません。
オフィスのお昼休みのひと時を
聴きにいらっしゃる方もいるとのこと。
(そのため、演奏時間厳守なんです)

今回のように聖書に基づいた曲がある場合は、

事前の予備知識がほんのちょっとでもあると、

より楽しく聞けるのではないかと思います。


今年の復活日は4月20日。その前の1週間が受難週です。

(復活日は移動祝日です。春分後の最初の満月の日の次の日曜日。)


【マタイ受難曲】より「憐れみたまえ、わが神よ」日本語歌詞

憐れみたまえ、わが主よ

私の涙のゆえに

心も目も

あなたの前で激しく泣いています



2025/04/02
92「海外音楽修行⑤これから」  

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。


娘たちは二人ともいま、海外生活1年半を過ぎたところです。


長女は短期ではありますが、

プロオーケストラのインターンとして働いています。

拠点としている場所から列車で3時間のところにあるオーケストラのため、

仕事のプロジェクトごとにウィークリーマンションを借りているので、

お給料のほとんどを使ってしまいますが、

経験と勉強のためと割り切っています。

現地のオーケストラ働けることは貴重です。

まだまだ偏見や差別が漂い

外国人という危うい立場も含めて

現地で働けるというのは覚悟も必要です。

たとえ補給人員だとしても

正当な権利を主張するときも必要です。

あらかじめ、契約やお給料の振り込みについては
確認を怠らないように私から伝えていましたが
本人も書類関係の文言等は
細心の注意を重ねているようです。

そんな経験が次の経歴へとつながっていくことは確実です。


長女は現代音楽が得意なので、そちらの方面も模索中です。

幸いなことに演奏機会が巡ってくることも多く、

任される曲や役職も増えてきている様子です。

これも地道に愚直に、

目の前のコンサートに手を抜くことなく

最高の本番へと導いていく努力を重ねたからだと思います。

長女の考えで、この先どんな決断をしていくのかを楽しみにしています。



↑長女の読み応えたっぷりのnote
お時間あれば読んでみてください


次女は未知数のことが多くて、私自身も次女と一緒に学んでいる最中です。

まずは大学課程を卒業することを目標に進んでいることだけが確実なことです。

この先、修士課程に進むのか、

住む場所を変えて別の道に進むのか、

本人自身もまだわかっていません。

大学2年目は思ったよりも時間がタイトで、

自分の練習時間を削ってオーケストラや室内楽のプロジェクトに参加しなければならず、

しかも自分の居住地から離れた場所へ通うという移動のストレスも相当だったようです。

買い出し・料理・洗濯・掃除などの生活維持もしなければならず、

そんな話は夫が相談にのることができたのに、と思うと切ない気持ちにもなります。

でも、状況は違えども長女の時も様々な可能性を秘めて道を進んでいたわけですから、

次女もしっかり考えて自分の道を見つけていくに違いないです。

これからのことを安易に語ることは控えた方が良いでしょうね。

ついつい、先を急いで余計な心配をする親心。

改めないといけないなぁ、と思います。


https://ameblo.jp/fran-violin/


↑こちらは次女の生活日記


娘二人の悲喜こもごも

生活や成長については、

今後も(気が向けば)

お伝えしていきたいと思います。




2025/04/01
91「海外音楽修行④・独語仏語」  

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。


長女はドイツ語圏の大学院、次女はフランス語圏の大学に通っています。

二人とも英語が第1外国語、独語・仏語は第2外国語です。

母国語からかなり離れた言語なので、とても苦労しています。


特に長女はかなりの時間を英語に費やしたので、

しっかりと英語脳ができあがってしまっているので、

ドイツ語の言語構成を操るのが難しいようです。

それでも、大学の入学規定として

ドイツ語能力B1のレベルを取らなければならず、

苦労して勉強していました。

ドイツの音楽大学は言語に関しての規定がとても厳しくなって、

B1もしくはB2相当の能力が必要不可欠です。

(B1レベル・自分の感情や意見を言語化できる。基本的な会話や特定のテーマについてスムースに自然にできる
B2レベル・幅広いテーマ・状況に応じて対応できる)

入学してから外国人のためのドイツ語クラスを受講し、

資格試験のサポートするシステムがあり、

長女はここでも上手にコミュニケーションをとりながら勉強をしていました。

ただ、英語ができれば生活そのものに大きな支障はないので、

長女の場合は英語を主軸にして

ドイツ語でも一般会話ができるくらいのレベルアップを目標にしています。

(契約関係や役所関係は英語で交渉といった感じ。双方が外国語になるのでお互い慎重に話すことになるので、誤解を避けられる)


次女は仏語で大学の講義を受けなければならないので、

仏語の言語能力強化が必須です。

英語よりも仏語に力を入れて暮らしているので、かなり上達したと思います。

こちらも大学入学までに取得しなければならないレベルがありましたが、

日本の学校の授業だけでは追いつかず、

語学学校のプライベートレッスンなどで補っていました。

次女は一度も仏語が難しいといったことはありませんが、

フランス人との会話は難しい・・・と言っています。

もしかしたら相手によってなのかもしれませんが、

会話内に哲学や思想、神話の話が多くて、

日本の古事記や歴史、雅楽などの知識を尋ねられると途端に話が途切れてしまうのが悔しいと言っていました。

なるほど。

海外に住むには日本のことを知っていなければならないのは当たり前です。

当然のように、住んでいる都市の人口は尋ねられますし、

文化や歴史についての見解はよく聞かれる話題です。

1年目は次女のために哲学の本(初心者用)や、

フランス語会話(中級くらい)の本をせっせと送付しました。

音楽教育も日本との違いは歴然としていて、

次女はそれゆえの苦労をしています。

(日本の音楽教育は固定ド音。フランスは移動ド音。

絶対音感の音楽家に相対音感でソルフェージュの授業を受けるのは辛い・・・)


思想の違い、

文化の違いを実感しながら、

まだまだやわらかい自分の音楽を、

異文化の中で模索していく作業は、

思っている以上に難しいと思います。


次女の楽しみは料理。
食べたいメニューを
材料を仕入れてきて作る。
次女とのLINEのやりとりは
「今日、何を食べたか」の
写真や動画の応酬が多めです。


2025/03/31
90「海外音楽修行③・言語」  

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。


娘たちに英語の大切さを教えたのは夫でした。

夫は中学時代の恩師が英語教師で、英語の楽しさと大切さをしっかりと学びました。

高校時代にはラジオの英語放送を聞いたり、在日米軍軍人から英語を習ったりしていたようです。

大学時代には単位外の英語の授業を聴講していたらしく、教授に驚かれたとか。

そんな真面目で熱心な気質は長女が受け継いでいるように思います。

大学を卒業してから務めた保険会社でも海外案件を担当することも多く、

社内では異例の研修制度でアメリカ・ロサンジェルスに住んでいたこともあったようです。

転職した外資系保険マネジメント会社では、英語漬けの毎日。

(米語のアクセントがきつすぎて、私にはちょっと理解不能だった・・・)

このころから娘たちには「英語が話せるようにならなければ世界で勝負できないぞ」と話していました。

この刷り込みは強烈でした。


長女は4歳くらいからヤマハの英語教室に通っていました。
お遊び程度のものでしたが
その頃に身に着けたフォニックと英語耳は
その後の英語学習に役に立ったように思います。

「中学の英語教育は良いと思う。とにかく文法さえ身についていればなんとかなる」

と娘たちの中学時代は文法の大切さを話していました。

(私は文法が全く頭に入らないタイプで、そこで苦労したので娘たちには頭が上がらない・・・)


長女が小学校高学年になると
早朝に英語の勉強を見ていましたが
仲が悪すぎて険悪なムードでヒヤヒヤしました。
中学3年生で飛躍的に勉強ができるようになると
英語で世界を相手にできることを実感して
高校時代は自分で探してきた英会話教室に通っていました。

次女はゆるりと遊びながら英語に親しむくらいの勉強でしたが
小学校3年生で試しに受験した英検5級に合格。
勉強方法に無駄がない次女は、
しっかりとステップアップしていった感じです。
英語の大切さは刷り込み済みなので
その力を大いに利用して自信に繋げていきました。

娘たちも徐々に渡航回数が増えてくると、

生活でのコミュニケーションからトラブル対応、

更にはホテルのブッキングからフライト予約、

講習会の申し込みや問い合わせなどを

すべて自分でできるようになっていきました。


ただ、自分の意見を言う場面では、経験と、ある程度の日本語能力も関係してくるので、

私が時々アドバイスをするようにしています。

日本語での思考だと

現地人には通じないかもしれないことや

海外での主張のしかたや契約等の注意事項などは

私の経験から伝えることもあります。


長女は日本企業でのインターン経験もあるので

私のアドバイスはほぼ必要ないと言えます。


次女に関してはまだまだ発展途中かもしれません。

私自身の経験で言えば、

日本語の表現力が増すと、

外国語も上達するという相乗効果があると思っています。


流行り言葉をベラベラ話す外人よりも、

きちんと文法のしっかりした言葉を使う人の方が、私は好感を持ちます。

それと同じで私も娘たちには、その国の言語を学ぶと同時に

日本語もきれいに話して(書いて)ほしいと思っています。



2025/03/30
89「海外音楽修行②・次女」  

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。


今日は次女の話をしましょう。

次女は高校生活を日本で終えて、大学生からスイスへと勉強の場所を移しました。

音楽高校時代はコロナ禍全盛期。

音楽家として若い時に研鑽を積まなければならないオーケストラの授業や室内楽、

演奏会などが軒並み中止や延期になる厳しい時間でした。

長女と部屋も寝室も一緒だったため、姉妹での話は頻繁だったようで

大学を海外で過ごそうという目標はわりと早く訪れたように思います。

私自身は大学からの海外生活には反対でした。
せめて20歳までしっかりと日本で勉強し
生活基盤を学んでからでも遅くないと思っていました。
それに、大学講義を日本語以外で学ぶのは
相当厳しいものだということは
実姉の経験談からもわかっていたつもりです。
それでも次女はあきらめず、

コロナ禍でも、自分の技術不足を補うためにコンクールへ参加してみたり、

オンライン講習会に参加してみたり、

規制が緩んだタイミングで渡欧する経験を重ねていました。


こちらもすべて自力。


正直に言えば、私自身が演奏活動や地域活動に忙しく、

更に父の介護も始まっていたので十分なサポートができませんでした。

フライトチケットやホテルの相談はもっぱら夫の役目。

夕食後の時間は夫と娘たちがそれぞれのパソコンを持ち寄って、

ヨーロッパの状況やレート計算、ホテルや移動手段の相談でした。

高校生だった次女にはハードルが高いことが多かったのですが、

高3の夏には3週間の一人旅。

講習会を渡り歩き、移動も一人でスーツケースと楽器を背負って汗だく。

「なんだか黒いTシャツが白く塩が吹いてるのよ」

と笑いながら写真を送ってくる姿を頼もしく感じたりして。

秋になってようやく巡り合えた教授に決めてから、フランス語の勉強が本格化しました。

大学課程は座学があるので講義はすべてフランス語。

我が家には仏語のわかる人がいないので、次女は孤軍奮闘。

話題に哲学や政治経済の話が一般的なフランス人の先生との会話に

「クジラの乱獲について考えを述べるなんて、日本語でもしたことないんだけど・・・」

と言いながらレッスンに通っていました。

高校を卒業して一旦、単位履修生としてそのまま音大に通い始めた4月に父親が突然亡くなるという気が遠くなるような途方もない経験。

スイスの音大入学試験直前のことでした。

ほぼ同時に私の父も余命1ヶ月を宣言されていた時期でした。

すべてが崩壊しそうなとき、とにかく入学試験へ行くと決めたのは次女自身でした。

父親の葬儀の5日後でした。

「私はじさまの葬式には間に合わない。だから全部をお願いする」

と言いおいてやせ細った次女を見送るのは苦しかったです。

本来であれば入学試験を受けながら、街の様子を見学して住む場所の目星をつけて、秋学期の始まる直前に父親と一緒に契約するという予定を組んでいたのですが、予定を変更して教授の知り合いのお宅の一室を間借りするということになりました。

スイスで部屋を借りるというのはなかなか難しいです。

そもそも18歳の娘が部屋を借りることが難しい。

スイス人の保証人が必要と言われることが多いです。

しかし、スイスは小国であり、生粋のスイス人を見つけることが難しい!

間借りしていたお宅から移るときも、良い部屋に恵まれず、

保証人問題、親の収入問題(父親の死去と私の収入がないこと)などで学生寮も断られる始末で途方に暮れました。

結局、ひょんなことから知り合った音楽家のご夫婦のB&B用のスペースを借りることになり、私自身は心底ホッとしました。

スイスに移住してから、食べ物やストレスから蕁麻疹や体調不良が続いて心配でしたが、

私も自分の状況が厳しかったためfacetimeでのサポートしかできず、寝不足の日が続きました。

住まいが安心安全であれば、学校生活もほんの少し軽減されます。

本当は誰にも煩わされることのない一人暮らしが良かった次女の心中は複雑だったようですが、次の機会に期待してもらいましょう。

学校までの距離も列車で1時間強ということですから、近いわけでないので移動のストレスもあるようですが、何とか若さで乗り切ってもらいたいものです。

1年目は、一人で頑張らなきゃ、と背伸びをしてかなり危ない橋を渡ったこともあったようですが、覚悟をしたうえでの軌道修正はいつでも可能だと伝えています。

「○○せねば、○○すべき」という気持ちだけでは、気持ちが辛くなるだけになってしまう危険があります。

次女に関しては、辛い気持ちになったら日本に短期間の一時帰国を選択肢に入れても良いし、あまり切り詰めた生活にならないように伝えています。

とはいえ、自分で学校に奨学金の申請をして授与してもらう手続きをし、しっかり私を支えてくれている逞しさもあります。

自分の家庭環境について、二人ともそれを言い訳にしない強さを持っています。


なぜ、自分が海外で勉強しているのか?

なぜ、私はここにいるのか?


覚悟と決断を重ねたからこそ、

二人とも小さなステップを重ねながら

着実に歩いている姿を見せてくれているのだと思います。



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