塚本香央里(つかもとかおり)
 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
  1. ブログ 日常風景
 

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2026/04/10
100「これからも続けていく」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

毎日ブログを書くのはなかなか大変です。

近頃はchat GPTに壁打ちしたり、過去の記事をもう一度今の気持ちに照らし合わせて書いてみたり、様々な工夫を凝らしてみました。特にchatGPTは面白くて、どんなことを言ってくるのかな?と楽しく会話していました。でも、やはり生身の人間と話をするのが好きな私にはどうしても疎遠になりがちで・・・なかなかうまく記事を書くまでの関係になり切れていないのが本音です。AIの分野は進歩が速くてついていくのに必死ですが、最初からあきらめずにちょっとずつでも使っていきたいと思っています。何事も挑戦して。

結論は、自分のアタマで、言葉と格闘しながら、最初から書くことが一番自分らしいのかも・・・ということになっています。今のところ・・・


今年はその時の気分で書くことが多く、一貫したシリーズになっていなかったかもしれません。
それも自分。そして今の自分。

毎日書いていると、体調や気分、季節の移り変わりやお天気に左右される自分が、なんだか愛おしく感じます。

頑張っているよね

ちゃんと生きてるよね

大丈夫

そんなことを確認しながら書き終わると、私の1日がちゃんと幕が下りる気がします。


2026年元旦から始まったブログ100チャレンジ。

同じく毎日奮闘しながら書き続けていた仲間たちのホームページをちゃんとピン止めして、明日からも黙々と描き続けていこうと思っています。


AIに作成してもらった自分
結構気に入っています・・・



2026/04/07
97「ブログ100チャレンジ2026年もあとわずか」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

ブログチャレンジ100もゴール間近です。

今年も書き続けています。

去年(2025年)は初参加で、無我夢中で100日を書き続けました。

【お布施ブログ】というコンセプトなので音楽についての深掘りした記事にしていこうと思いましたが、うまくまとめられず数日でギブアップ気味でした。どうにかしなければ・・・と焦り、自分の続けてきた音楽の道を表現することの方が得意なのかもしれない・・・と路線を変更しつつ、短いエッセイ風に「自分を知ってもらう」という方向にシフトしました。

言葉を紡ぐのは難しくて、事実と感情の乖離に奮闘しながら100日をなんとか走り抜けました。その後も、様々な切り口から自分や自分の人生を見つめながら書き続けました。私を取り巻く家族、音楽へつながる思い出、自分の選んだ道、様々な年代での選択、ドイツでの生活、娘たちのことなど。色とりどりの散文的な感じになりました。とにかく、自分の中に溜めてあることをひたすらに排出してみよう、という試みでした。執筆することは仕事の一部、と決めて毎日書くことが支えにもなりました。バラバラになった自分の人生を取り戻すという意味でも私には必要な時間だったのです。そして、12月31日まで辿り着きました。12月はとにかく最後まで続けなくては~と、とにかく時間があれば書き溜めて予約投稿を駆使する日々でした。それも、リサイタルがあったために話題は事欠かなかったからでした。書き切ったという感慨はほとんどありませんでしたね。


そして間髪入れずに始まった2026年のブログチャレンジ。

今年は少し書き方を変えようとも思ったのですが、自分自身の変化に翻弄されてうまくまとめられなかったです。変化というのでしょうか?何かフラフラと、漂いながらあちこちを彷徨っていたような感じがします。心の中に澱のようにたまっている感情を、言葉として紡ぎ出すのは難しいです。そう、同じ表現するということでも音楽を演奏することとは少し違います。演奏することの方が私には簡単でした。音で表現することは、今までずっと続けてきたことですから悩むことなく色々な引き出しがある。でも、文字で表現することは慣れていることではありません。引き出しが少ないからこそ、考える時間も長く、紡ぎ出す選択肢も少ない。でも、それならば、これから慣れていけばよい。あきらめたくない思いがしぶとく書くことへの執念として残っているのかもしれません。この執筆作業。これからも自分の糧として書き続けていこうと思っています。目標は毎日1000字以上。月4回は3000字以上を目指します。かなりハードルが高めですが、自分の時間を有意義に使って書くことに集中したいと思っています。

私の人生に眠っているたくさんの知識や経験を、こうやって表現できる場所があることにも感謝して。




2026/04/06
96「春本番」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

昨日は二十四節気の「清明」でした。

【清明】せいめい

草木が芽吹いて生き生きと清らかに動き出す季節。「清浄明潔(しょうじょうめいけつ)」の略とのこと。

「清明」という字をみるだけで、なんだか風や水が粛々と流れていくような様子が目に浮かびます。大地がやわらかくなって水が流れ出して、風が動き出すような。今年は4月になってから特に変化が大きいような気がします。

今日は特に汗ばむような陽気。

七十二候では「玄鳥至」(つばめきたる)
ツバメが南の国から渡ってくる頃。「玄鳥(げんちょう)」は黒い鳥のこと。

キリスト教では、昨日は復活日でした。(移動祝日のため、毎年日にちが違います)イエス・キリストが十字架にかけられ3日後によみがえったという奇跡の話を語り継ぐために、信徒にとっては重要な行事です。ヨーロッパでは金曜日(キリスト磔刑の日)から月曜日(復活月曜日)までお休みのところが多く、家族や親せきが集まって過ごす人たちも多いようです。夏時間が始まり、夜も遅くまで過ごしやすくなってくるので、外で食事をする家庭も多くなってきます。バルコニーで楽しそうに話をする人たちや、カチャカチャと静かなカトラリーの音が聞こえてくると、夏を心待ちにする気持ちが伝染します。そんな時に、建物のはじっこに黒い鳥(アムゼル)が歌の練習を始めます。リズムも音程も、フレーズもまだまだ未熟。毎日練習を重ねて、5月末頃の夕方には完璧に美しい歌声を響かせます。
長い冬を越え、陽の光が豊かに降り注ぐ春を迎えて、人々の表情も柔らかくなってきます。

劇場ではこの季節らしい演目【パルジファル】(ワーグナー)が登場して、楽団員も気合が入ります。
【パルジファル】はワーグナー最晩年の作品で、私自身とても好きな演目でした。相変わらず長時間の演目なのですが、音楽が美しくて演奏するのが本当に楽しかったです。懐かしい。



 


2026/04/05
95「献立に春の味覚を1品添えて」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

4月になって空気が変わりましたね。

春の香りがして、冬とは違った濃い空気を感じます。


季節の変わり目は身体の巡りが少し滞るので、負担のかからないように過ごすことを目標にしています。私の場合は、食べ物が自分にとって重要なことに気がついてから、体調を整えるときは自分の味付けを信じることにしています。3月末に体調を崩してから食べ物を少し見直して、ほんの少しだけ食材に敏感になろうとしています。4月になったので、スーパーに並ぶ食材も少しずつ変化していますね。季節が完全に春に変わったことを感じます。旬のものを食べるのが一番ですが、春の季節は食べ物の勢いが強いので、少しずついただくようにするのも良いかもしれません。私がこの時期から好んで手に取るものが「新たまねぎ」。乾燥せずにそのまま出荷されるため、皮が薄くて水分が多いのが特徴。甘みがあるので水でさらさなくてもすぐに食べることができます。私のお気に入りは、①玉ねぎ1個分を半分に切ってから薄くスライスして②ごま油(大1)+お酢(大2)+醤油(ほんの少し)で味付けして完了のサラダ。それぞれの分量は加減してみてください。私はお酢多めが好み。5月中旬くらいまで、ほぼ毎日のように食卓に上がります。玉ねぎは滞っている気を巡らす役目もあるので、春の息吹に乗り切れず、内にこもっているようなモヤモヤを巡らせるにも役立つのではないかと思います。

スーパーで食材を眺めながら、季節の移り変わりを目で感じて、今夜の献立を考えてみませんか?

 


2026/04/02
92「決断の時に」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

大きな決断をしなければならないとき、何を元に考えたら良いのだろうか。

先日の午前中に庭の雑草取りをしながら考えたその時は、すでに『でも、決まっているんだよなぁ』という思いだった。どんなに考えても、草むしりをしながら考えることなんて、それまで、髪の毛をかきむしりながら出した答えが正解なんだ・・ということを自分で知っている。


私は考えて決断するのが早い時と遅い時がある。

実家を売却すると決めたのは、父が亡くなってすぐだった。

ある人は「賃貸にしたら?」とか「まだ早いのでは?」という意見を言ってくれたけれど、私の中にある答えが揺るがなかった。

相続手続きのために実際に動き出したのは9か月後だったけれど、決心は硬かった。

庭のリフォームを決めた時は、計画の投資にどれくらいかけるかに悩んで結局2年くらいかかったけれど、細かい決断は案外早い方で、施工会社の営業の方にも「もっと悩む方の方が多いです」とも言われた。


大きな決断というのは最後の一歩で、それが一番ハードルが高い。

エイっと乗り越えられるか、やめておこう、と逡巡する時間が私にとって「無心になる作業をする」ことかもしれない。

全部考え尽くした後に、スイとよぎる思いに全神経を傾ける。そのときに「よし」と思うか「やめよう」と思うか。その判断時間をあまり長引かせないようにすることを心がけている。


その感覚は、私が舞台でヴァイオリンを弾きだす瞬間に似ている。

「今だ」と思う「一瞬」。

それは感覚的に、もしくは動物的な勘で私の中に宿っているものだと思う。

だから弾き始めた時に「さぁ、もう引き返せない。ゴールへ向かおう」という闘志がみなぎってくる。

生きることも同じ。

命が続く限り、決断をしない日なんてないわけだから、その判断を正解にするべく必死になって生きなければならない。

怠惰な時間を過ごしていても、全力で怠惰を経験していれば良いわけで、それを誰も咎めることはできない。もちろん自分自身でさえも。


決断は小さくても大きくても同じ。

ハードルが少し高くなったり低くなったりするだけなんだな、と思うけれどなかなか思うようにいかないのが自分なのかもしれない。


巡る思いは春のお天気のように気まぐれだ。

 

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