塚本香央里(つかもとかおり)
 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
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2025/04/06
96「レコードの思い出」  

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。


我が家にはレコードのLP版が50枚くらいあるでしょうか。

ターンテーブルもあります。

どれもちょっと埃をかぶっているし、

ターンテーブルを動かすには手順があるので、

その説明書を読むことから始めなければなりません。


私はレコードを聴いて育ちました。

LP版もドーナツ版も聴きました。

ドーナツ版は幼稚園の私でも操作させてもらえて、

ドキドキしながらレコードを聞いていた記憶があります。

「アタックNO.1」や「アテンションプリーズ」の主題歌をエンドレス聞いていました。

聞くだけでなく大声で一緒に歌っていました。


ドーナツ版用の穴に合わせたアダプターをカチリとセットし、回転数45のスイッチを入れます。

その操作を間違えると回転数が違うためにヘンテコな音楽が聞こえてきます。

たまにわざと間違えて、クスクス笑いながら聞いていました。

(家族は見て見ぬふりをしてくれていました・・・)

ボール紙で作られたケースの中に入っている薄いビニールから

そっとレコードを取り出して、

ターンテーブルに置いてスイッチを入れて、

そーっと針をレコードに置く瞬間。

時々手が震えて針を落としたりして・・・

一人で焦っていた記憶がよみがえりました。


そうそう、ペラペラのソノシートもありましたね。

赤や青のキッチュな色が印象的でした。

雑誌などの付録についていて、お話の一部を聞くことができました。

音楽というよりラジオに近い感じで聴いていました。

何度も繰り返し聞いて、内容も丸暗記していたような気がします。


一回目に実家の家じまいをしたときに、思い入れのあるレコードだけ物置から掘り出して新しい家に運び込みました。

いつかゆっくり聞こうとクローゼットに置いてありましたが、

父が亡くなって行き場を失ったレコードたちを、今度は私が引き取ることになりました。

100枚近くあったのですが、その中から選びぬいて50枚ほどにまとめました。

どれも思い入れのあるものばかり。

たとえば

父と母が好んで聞いていた4枚組のムードミュージック曲集。

母が感激したワーグナーのオペラ「ローエングリン」の全曲集。

巨匠カラヤン指揮のベートーヴェン交響曲全曲集。

私が中学生くらいの時に勉強のために買ったハイフェッツやシェリングのヴァイオリン協奏曲の数々。

姉が大事にしていたリムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」やウェルディの「レクイエム」。

父がモスクワの空港で買ってきたチャイコフスキー交響曲第5番の素晴らしい演奏。

などなど・・・

どれもエピソードを語れるくらいお気に入りの物たちです。

私のお気に入りは、ムソルグスキー作曲の「展覧会の絵」。

A面がオーケストラ版で、B面がピアノ独奏というとても贅沢なレコードでした。

「今日はどちらを聞こうかなぁ」

と選ぶ楽しみがありました。


今の世の中は、手軽に音楽を聴くことができて、操作をしなくてもエンドレスに聞いていることが可能です。

レコードは全曲聴くためにひっくり返さなければならないし、

レコードに傷がつかないように慎重に針を落とさなければならなかったり。

とにかく手間がかかります。

あの時代、みんなそれを当たり前のように、手間暇をかけて音楽を聴いていました。

ちょっと懐かしい思いに駆られますが、私は今の時代の音楽の聴き方も好きです。

この原稿を書きながらYouTubeで延々とカフェミュージックを流しているのは、

これもまた本当に贅沢だなぁとも思うのです。


そういえば、

長女が大学生の時に、学校近くにレコード店をみつけて興味津々で眺めに行ったそうです。

何を買うわけでもなく、

探すでもなく、

レコードというものをただ見たかったそうです。

今の若者のなかにもレコードに関心を寄せる人がいるらしく、名盤はかなりの高値で売買されているとか。


次の休日には、

両親の好きだったレコードをかけてみるために、まずは説明書を読んでみようかしら。


「アルプスの少女ハイジ」はドイツに住んでいた時に見ていました。



2025/03/12
71「雨の日に思い出す曲」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。



雨の日に思い出す曲

ブラームス
ヴァイオリンソナタ第1番
「雨の歌」作品78



外を駆け回るのが好きだった幼少時代。
雨の日が苦手でした。
アイロンかけをする母の横で
庭の水たまりを眺めながら
「雨はいつ止むの?」と
しつこく聞いていたことを思い出します。

実家の庭は私が駆け回ることによって
芝生が剥げて土がむき出しのところがたくさんありました。
雨が降ると、くぼみに水たまりができます。
その水たまりに、雨しずくの模様ができます。
雨足によって
水たまりが静かだったり
賑やかだったり。
飽きもせず、ずっと眺めていました。
そしてその先に見えてくる
お友だちがリカちゃん人形で遊んでいる姿を
羨ましく思ったものです。
リカちゃん人形を持っていない私は
雨の日はいつも仲間外れ。
それでもふてくされることなく
雨の庭を見ていたのはどうしてなのか?

私の母は、私が欲しいと思っているオモチャを
買ってくれることはなく
家にあるもので代用する知恵を教えてくれました。
ミルクのみ人形がほしいけれど、いつものぬいぐるみで代用。
お人形にかけてあげるお布団は手縫いで作ってくれる。
お世話してあげる哺乳瓶がほしいけれど、ソースの空き容器で代用。
(この思い出は強烈で、未だにソースの容器を見ると
反射的に匂いをかいであの頃のことを思い出してしまう。
良い思い出なのか複雑だけど、嫌な思い出ではない)
その当時の母は、子育てをちゃんとしなきゃ、と思っていたらしく
子どもを甘やかしてはいけないと頑張っていた、ということを
後になって知ったけれど、
私にとっては悪いことではなくて
どうかすれば、自分の娘たちにも同じことをしていました。

私が初めてブラームスの「雨の歌」を弾いたとき
あの、小さい私が見ていた庭の水たまりと
友だちに会えなくて寂しい気持ちと
母と二人だけで過ごす
静かな時間が
ザザッとよみがえりました。
私の来ている洋服、窓辺、視線、色彩。
母がアイロンをかけている様子、部屋の空気。
空の色、軒からおちる雨だれ、水たまりの様子。
細かいディテールまで想像することができました。
その時初めて
「あぁ、私の音楽ってここに在ったんだ」と
ホッとした思いに包まれました。
それまで練習していた曲たちが
ずっと繋がってここまで連れてきてくれたこと。
音楽を表現するということを
しっかり教えてくれた曲が
この「雨の歌」でした。

私が見ていた雨は
きっと今日のような雨だったに違いないです。


今はなくなってしまった実家の庭。
記憶の中に残っているから
演奏することによって
それらが蘇る。
私は、それらを伝えたいと思います。





2025/03/11
70「3.11記憶」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

14年前の今日。
まだまだ子育てに忙しい時期で
それでもヴァイオリンを弾くことを
必死に続けていた頃でした。
その頃は月一回、聖路加国際病院のトイスラーホールで開かれる
ボランティア演奏者によるお昼のコンサートに参加していました。
演奏する機会が多くなかったので
このコンサートに参加させてもらえることは
とても貴重な時間でした。
月一回のおでかけは、
長女は学校の放課後キッズで遊べるし
次女は延長保育でお友だちや先生と遊べるから
私も少し羽を伸ばしてお茶を飲んだり
買い物を楽しんだりしていました。

あの日も自分の出番を終えて、
少し早くコンサートを抜け出しました。
いつも、自分の時間を少しでも満喫するために
銀座に寄って、娘の洋服を買ったり
本を買ったりするのですが
その日はなんとなく「早く帰らなきゃ」と焦る気持ちがあり
いつもより早い時間に帰路につきました。
電車の中からふと空を見ると
不安になるような見たことのない雲の色で
心がざわざわしたことを鮮明に覚えています。

帰宅して手を洗い
洗面所のある2階から階段を降りるときに
ガタガタと
尋常ではない揺れがはじまり
あわててダイニングテーブルの下に入ったところで
夫からの連絡が携帯にかかってきました。
「今切ったらもう繋がらなくなるから」と言われ
テレビをつけてニュースを見ながら
お互いの状況を伝えあいました。

その後、私は娘たちのことが気になるので
「これから娘たちを迎えに行ってくる」と
電話を切ったとたんに幼稚園から連絡が入りました。
「あぁ、よかった。お迎えに来られますか?」

その後
バタバタと準備をしていると
近所のママさんが
「大丈夫?」と言いながら
外を走りながらご近所さんの安否確認をしていました。

私はとにかく娘たちを迎えに行かなければ、と
小学校と幼稚園へ向かい
無事に合流して自宅へ帰りました。

あの日からの混乱は
それまで経験したことのないものでいっぱいでした。
さまざまな情報が錯綜して
どんな風に状況を咀嚼すればよいかもわからない。
不安しか感じられない時間でした。




あれから14年。

あの時のことを
忘れないことが
私にできることです。

音楽家として私にできること。
静かに
祈りとともに
音を紡いでいきたいと思っています。







2025/02/22
53「土曜日の思い出」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今日は土曜日の思い出のことをお話ししましょう。

私が小学校5年生の冬から卒業まで
栃木県大田原市に住んでいました。
台所の窓を開けると、那須連山が遠くに見える
穏やかな土地でした。
父の仕事の都合で、ドイツからビュッと・・・
今まで全くご縁の無かった土地での生活は
なかなか難しいものがありました。

この時一番困ったことがヴァイオリンのレッスン。
帰国してからすぐに以前の先生の所へあいさつに行くと
「東京まで通うのは遠いのでは?
仙台と東京とどちらが良いかしら?」と聞かれて
私の母は即座に「東京まで通います」と答えました。
「とにかく東京に通わないと忘れられてしまうわよ」とのこと。
たしかに、東京へのレッスンをあきらめてしまうと
先生の手から離れることになってしまう。
たとえ、父の仕事がまた東京に戻ったとしても
レッスンの先生から一度手を離れてしまったら
戻るのは大変かもしれない。
音楽高校を目指すのであれば、なおのこと・・・
その時の母の英断は、その後も我が家で語り継がれる武勇伝でしたが
当時の私にはぼんやりして理解していたかどうか。

と言いつつも、なにしろ東京は遠い・・・
当時、東北新幹線が開通していなかったので
「特急はつかり」に乗って上野へ行き
帰りは上野発の各駅停車で帰ってきた記憶があります。
(当時は東北本線が上野止まりだった)
往復5時間近くでしょうか。
20時13分上野発の列車を逃すと、その日のうちに家に帰れない・・・
もちろん、平日にレッスンに行く時間はないので
必然的に週末になります。
私のレッスンは毎週土曜日の夕方に設定されました。

当時の小学校は土曜日も半日授業がありました。
午前授業を終えて帰宅すると
母が「さ、早く食べて」とお昼ご飯を手早く済ませると
着替えて靴下を取り換えて
ヴァイオリンと楽譜カバンをもって家を出ると
父が車でスタンバイしています。
父が西那須野駅まで送ってくれて電車に乗り込み
乗り換えながら上野まで。
先生のお宅は目黒でした。
レッスンは16時か17時から。
きっかり1時間のレッスンを終えて、
時間のある時は目黒駅の喫茶店で
ケーキを食べさせてもらって
(母はいつもレモンスカッシュだった)
上野まで急ぎます。
夕食はキオスクで買った駅弁。
牛丼弁当が好きでした。
通勤電車のようなぎゅうぎゅうの列車内で
駅弁を食べると
ちょっと恥ずかしかったです。
食べるとウトウト眠くなってきて
23時頃に駅に到着すると、父が迎えてくれます。
ほとんど(疲れて)無言のまま帰宅して
布団に潜り込む・・・

そんな生活が1年続いたところで
父を置いて母と二人で横浜へ帰ってきました。
「音楽高校に行くなら、ピアノとソルフェージュを始めなきゃ」
という先生の鶴の一声で母が決断し
地元の中学で着るはずだった制服を
翌日にはキャンセルしていました。


あの栃木から東京へのレッスン通いは
私の中でも今なお、印象的に残っています。
母と二人で列車に乗って出かけるウキウキした感覚。
1時間のレッスンで詰め込まれた刺激と、
他の生徒のレベルの高さに打ちのめされる日々。
ご褒美のケーキの味。
帰りの列車で話しかけられる東北の言葉。
大変だったはずなのに
楽しかったな、という記憶にすり替わっています。

あの頃、小学生も夕方5時くらいまでクラブ活動があったり
(バレーボール部にスカウトされて入部したり
合唱部でNHK合唱コンクールの群大会に出場したことがありましたね。
そのほか、ブラスバンド部でコントラバスをあてがわれたけれど
さすがに弾けなくてアコーディオンを担当していた時もあったなぁ。
夏休みに水泳部に入ることになって大会も決まっていたのに
ヴァイオリンの講習会が重なってあきらめたり・・・)
アレコレ引っ張り出されて、色々なことをしていました。
練習時間がないのに、夕方遅くまで活動をして
帰宅してからカップラーメンをおやつに
ヴァイオリンの練習をコソコソとこなして
夕食の後はちょこっと宿題をこなして寝る。
全然練習時間は足りてなかった・・・

でも、
ヴァイオリンだけを弾いていたわけではないからこそ
私の軸になっている芯の部分は
彩り豊かだと自信を持って言えます。

そしてあの時
いつも父に従順で
それほど意見を押し出すことのなかった母の
大きな決断の連続に
母の底力をひしひしと感じたものでした。





2025/01/26
26「日曜日と鐘の音」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今日は日曜日。
ドイツに住んでいたころは、朝の時間に教会の鐘が鳴りだすと日曜日を感じました。
礼拝の時間を知らせる鐘。
礼拝中に鐘を鳴らすタイミングがある場合にはコーンとひとつだけ。
礼拝が終わると高らかに鳴り響く何重もの鐘の音。
礼拝時間はそれぞれの教会によって少しずつ違うので
日曜日の午前中は町中のどこかで教会の鐘が鳴っています。
(礼拝というのはプロテスタント、ミサというのはカトリックですが、内容に大きな違いはなく
聖書朗読、賛美歌、祈り、牧師または神父のお話といった構成になります)

遅くまで寝ていたいのに、ガランゴロンとあちこちの教会の鳴る鐘に

ちょっと不満を覚えた時もありました。
今もそうなのかしら?
近頃はキリスト教徒が減少して、牧師や神父の担い手が減り
献金で成り立っている教会運営がうまくいかずに閉鎖に追い込まれる教会もあるらしいです。

私は小学生の頃に父の仕事の関係でドイツに住んでいました。
その頃、自分の部屋から教会が見えました。
窓から外を見れば遮るものもなく正面に見えます。
教会の尖塔が丸くて、黒っぽいレンガ造りで、飾り気の少ない外観。
夜になると、一室だけにポツンと明かりが灯り
私が寝る時間になっても消灯することはありませんでした。
きっと、牧師が一人で、または何人かで勉強をしていたのでしょうね。
何となく心細くなった時にその明かりを見ると、ほっとした気分になりました。
結局、その教会に足を踏み入れたことはなかったのですが
今でもその教会の様子の記憶は鮮明に残っています。
それと同時にどんな鐘の音だったのかも。

カーン カーン
カラン カラン
カララン カララン
カララン(ゴロン)カララン(ゴロン)・・・

だんだん音が増えていって音が重なりあい
異なるリズムが増えて大音響がひとしきりあった後
さぁーっと音が引いて
コーンと一つ音が響いて静寂になる。

日曜日の朝はその音をずっと聞いていたものです。
音の記憶というのは、私にとって鮮明で
未だに鐘の音には特別な思いがこみ上げます。
そして、音楽家となった今は
音楽の中には常に鐘の音が隠れていて
その音を探し当てると
その曲への理解が深まっていくような気がします。

ドイツで一人暮らしをしていたころも、
近くに教会がありました。
自分の生活リズムを刻んでもらっているようで安心感がありました。
日曜日の午前中はぼんやりと窓を開けて鐘の音を聞いていたものです。

私の娘たちは時々、教会と鐘の音の入った動画を送ってくれます。
自分たちの住む町だったり旅行先の町だったり、様々な場所で。
あぁ、なつかしい。

私がどんなに心を揺さぶられて
懐かしい思いに駆られて
あたたかい気持ちになるのか・・・
彼女たちはよく知っているのです。

日曜日に鐘の音を聞かなくなってから
どのくらいになるでしょうか。
でも、記憶の中にある鐘の音は色あせず
今も耳の中で鳴っています。


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