ホームページ作成・システム管理会社「リウムスマイル」代表、穂口さんのセミナーに参加しました。
今回のテーマは―「人類と情報と幻想の物語。AI時代に向けて」
正直、タイトルを見た瞬間
「難しそう・・・無理かも・・・」
とあきらめようと思ったのですが、それでも参加した理由は、とてもシンプル。
たまたまその時間が空いていて、家にこもりがちで、誰とも話していなかったから・・・(穂口さん、スミマセン)
聴いていればなんとかなるかな・・・と軽い気持ちで申し込みをしました。
(リウムスマイルユーザーだったら、こういう軽い気持ちで参加を決められるところが嬉しい)
内容は「へえええ~」と「あ~そうなのか~」と思うことばかりでした。
私が改めて「そうか」と納得したこと。
①全校集会ができるのは人間だけ
たくさんの人が同じ場所に集まり、互いを完全には知らなくても、
「ここにいていい」という暗黙の信頼関係の上に立っていられる。
他の動物にはできないこと、と言われて「そういえばそうだ・・・」と
すでにセミナーの最初で引き込まれてしまいました。
②魔女狩りは、ある種の「物語の集団暴走」だった。
人は物語が好きだ。
事実そのものよりも、意味づけされた物語に強く引き寄せられる。
そしてその物語は、ときに暴走する。
説明のつかない恐れや不安が共有され
それが「正義」や「常識」の顔をして広がっていく。
魔女狩りは、嘘を書いた物語が、多くの人に「本当らしく」共有されてしまった結果だった。
そして人間はそんな話を好む。
人は物語を信じる。
そして、みんなで信じると、それは「現実」になる。
怖い…
③AIは肉体を持たない
だから、AIが生み出した言葉や判断を
現実の世界で実行するのは、いつも人間だ。
AIには手も足もない。
それでも何かが起こるとしたら、
人間がその「手足」になったときだけ。
命令するのがAIでも、
動くのは人間。
責任を負うのも、人間。
そうか、そうだなぁ・・・
そこでハタと私は自分の職業のことを考える。
音楽家は、まだまだAIに勝てるのかもしれない。
AIは譜面を整えることはできても、
息を吸い、迷い、震えながら音を出す身体は持たない。
物語を「実行する」のは、いつも人間だ。
そう思うだけで、胸の奥から少し力が湧いてくる。
歴史は繰り返す。
けれどそれは、同じ円をぐるぐる回るのではなく、
螺旋のように、少しずつ形を変えながら進んでいく。
私たちは、また新しい時代の入り口に立っている。
自分の身体で、次の一音を選びながら演奏すること
日曜日。
週末のヴァイオリン練習で一番難しい日。
外はだんだん暗くなって、週末の終わりが見えてくる時間。
気持ちも、少し内側に向かうように促していく。
この1週間の出来事を思い返しながら
音を出すだけで、気持ちが少し整うことがある。
音楽は、元気なときだけのものじゃない。
こうして静かにそばにいる瞬間があるから、
私は弾き続けてきたのかもしれない。
また来週、日々が始まっても、
音と一緒に一歩ずつ歩いていけたらいい
土曜日。
個人的には少しナーバスになることも多い曜日。
もう少し規則正しい生活をしなければ、と思いつつ
いつも私はどんな気持ちでヴァイオリンの練習をしているかな?と
改めて見直しています。
最近は意識的に
週末は練習の質を少し変えるようにしています。
私の今の状態は
イレギュラーな予定も多く
時間がまとまって取れない日があったり
集中できなくてかえって雑になったりするのです。
プロとして大事なのは、
毎回の練習を完璧に仕上げることよりも、
音や体の状態を把握し続けるほうが大切だと思います。
短い時間でも、
今日の弓の重さはどうか、
左手は無理をしていないか。
それを確認できれば、十分な日もあります。
指導をしていて感じるのは、
「たくさん(無駄に)練習している人」よりも、
「今日はここまで、と(自分で決めた範囲で)止まれる人」の方が、
安定して伸びていくように思います。
うまくいかないところを無理に押し切らず、
気になる部分だけを切り取って、静かに向き合うこと。
そうした積み重ねが、次の日の音をつくっていく。
週末の練習は、がむしゃらに弾くだけでなく
流れを整えるためのもの。
『1月も終わりに近づいてきました』
寒い毎日は頭も体も縮こまって冬眠気味の私には、
焦らずにのんびり生きていこう!という気持ちになります。
全力疾走した日々を思い返すと、怠惰に見える今の自分。
立ち止まっているように思える今の時間。
でも、生きているだけで毎日は螺旋状に変化しているものです。
大丈夫、自分と相談しながら過ごす日々にしていこうよ!
と意識を変化させています。
週末になると、音楽との距離が少し変わります。
平日は
「ちゃんと弾こう」
「ここを整えよう」と
自分の練習にもダメ出しが多くて
「弾けない~」と言いながら
あれこれ考えて
頭が先に行くのですが
週末は音そのものを楽しむ時間が増える気がします。
完璧じゃなくてもいい音。
途中で止まってもいいフレーズ。
いつか弾いてみたいなぁ、と思っている曲。
時間を気にせずに、
短時間でもよいから楽器のケースを開けて一音だけでも弾いてみる。
窓からの光や空の色、風の音と一緒に音を出すと、
ああ、本当に音楽って生活の一部なんだな、と思います。
金曜日は週末モード。
今週もお疲れさま。
みなさまの週末に、心地よい音が流れますように。
電車の中でイヤホンをしている人を、ちょっとうらやましく思うことがあります。
音楽を聴いていたり、勉強をしていたり、本の内容を聴いていたりするのでしょうか。
時間を上手に使っているように見えて、格好良かったりします。
そして、人がたくさんいる場所でも、ふと自分のパーソナルスペースを作れるのは良いなぁと思います。
私はどちらかといえばイヤホンが苦手で、特に音楽はスピーカーで聞きたいと思っています。
音楽は、その音に集中することも大切ですが、その周りにある音も一緒に聞いてこそだと思っています。
たとえば、コンサートに行って、会場にあふれる雰囲気や話し声、客席や天井を見上げて感じる空気もその音楽の一部です。
スピーカーから聞こえる音楽も、その日のお天気や気分によって聞こえ方が違います。
それらをしっかり味わうためには、私は断然スピーカーが一番だと思っています。
ただ、私は自分が『耳の閉所恐怖症』なのかもと思っています…
(閉所恐怖症の方がイヤホンをするとパニックになるという事例がありますが、それとはちょっと違う)
イヤホンはその音だけしか聞こえないので、他の音が遮断されてしまいます。
視覚的には普段の生活なのに、耳からの情報は音だけ。
私にとっては聞こえる音と視界のギャップに混乱している状態。
そんなに深刻ではありませんが、イヤホンを遠ざけるひとつの理由です。
そうはいっても、人知れず自分だけ聞けるという便利なイヤホン。
私も好んでイヤホンを選ぶときもあります。
私の利用法は、ネガティブマインドに陥ったとき。
ちょっとアップテンポの曲を選んで、ひたすら掃除をする・・・
トイレ掃除、排水口掃除、鍋みがき、模様替え。家の中でできることが条件。
(庭の掃除などは、近所の人にあいさつされることが多いので、イヤホンは不向き…)
1時間もすれば、ホッと一息ついて何かしらの方向性が見えていることが多いです。
どちらにせよ、常に音楽は私の身近にあるわけなので
切っても切れないご縁、なんですよね。
イヤホンの発達があったために、オンラインが身近になり、遠くの人と繋がれるようになりました。
イヤホンのおかげで、手軽に一人の時間が得られるようになって、人との距離感が多様になりました。
でも、ちょっとまって。
それだけで安心しないで。
時にはスピーカーの存在を思い出してほしいです。
忘れかけていた、「リアルな音=生きている音すべて」を思い出す必要もありますから!
【イヤホンの遍歴】
1979年:ウォークマンが登場して音楽が持ち運びできるようになる
2000年代:「カナル型」が主流
2017年頃から:ワイヤレスの台頭
近年:ノイズキャンセリング機能の充実