塚本香央里(つかもとかおり)
 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
 

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2026/05/07
127「耳が開いていく」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

無伴奏曲を弾き続けていくと、お客様の反応にも変化が見られました。

「無伴奏を聴いていると引き込まれていく」

「ヴァイオリンだけではない音まで聞こえてくる」

といった感想が寄せられるようになってきました。耳が開いてきているんだな・・・という感じがしました。聴き慣れている音だけを拾う耳ではなく、聴き慣れない音も「主張している音」として耳に残るようになってきている、と感じてもらえたことがとても嬉しかったです。ずっと聴き続けることによって抵抗感がなくなること。驚きや戸惑いも許容できるようになる耳。お客様自身が自分なりの聴き方を模索できるようになることは、音楽へ積極的に関わる姿勢だと思います。そのころには私のリサイタルは「知らない曲を聴ける」というような評価に変わっていきました。そして、そのことを楽しむお客様が増えてきたことは確かな進歩でした。

 

バツェヴィッチ、ハルトマン、シュニトケ、ペンデレツキ、プーランク、ブロッホ、レーガー・・・

ハードルの高いと思われる作品たちも、曲目解説や時代背景のつながりを意識しながら聴いていただくと、ちょっとずつ理解が深まっていくようでした。そのために私自身も勉強しなければならないことが山ほどありました。作曲家のことはもとより、その交友関係、時代背景、音楽家の生き方、影響などをMCにまとめるには時間が必要でした。以前に比べれば、ネット検索で調べられることも増えました。大まかに調べて事実確認をした後、最後の味付けはいつも自分の感覚と経験談でした。演奏中に解説するには短い時間で印象的な言葉が必要です。「演奏」と「話す」ということは同じように外へ向かって発するものですが、全く違う役目です。その切り替えをどうしていくのか?私にとって今も課題です。さらに当時は練習時間の確保も切実でした。子育ても少しずつラクになっていく時期でしたが、まだまだサポートは必要でした。競泳選手の次女を送り迎えする毎日。車での送迎は週に100㎞を越えていました。毎週末の大会への付き添いは夫の役目になりました。長女は難しい思春期にさしかかり紆余曲折しながら模索している中、私自身もPTA活動に積極的に参加することも多かったので本当に無我夢中でした。時間枠をパズルのように組み立てながら、練習時間とリハーサルを組み込む日々。家族が全員参加で、それぞれが家族の応援団になる。私にとっては「生きている」「自分のやるべきことに焦点が合っている」ということを実感できる充実した貴重な毎日でした。

 


2026/05/06
126「無伴奏の魅力」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

リサイタルでの挑戦は、年を重ねるごとにハードルが上がってきました。

まず、無伴奏曲が増えていきました。

ドイツ留学中に懸命に勉強したバッハの無伴奏曲は、私にとって自分の音楽の土台になるものでした。堅牢な構成の中に見え隠れする、バッハのチャーミングな一面や意外性のある和音の響きは、年を重ねていくほどに自由に表現できるようになってきた気がします。その他に、夫が買ってきた無伴奏の楽譜の中には本当に難しい曲が含まれているので、未だに弾けない曲がたくさんあるのですが、少しでもお披露目できるようにしたいものです。


一度、無伴奏曲だけのリサイタルを開催したことがありました。

広い舞台にたったひとりで立つことの心許ない感覚は想像以上でした。ピアノが傍にないことが、こんなにも寂しいと感じるとは思っていませんでした。練習する時間もひとり、本番もひとりきり。それでも、今までとは味わったことのない充実感と演奏後の安堵感。練習と本番の孤独感と集中力。気楽さとプレッシャー。様々な思いが交錯して不思議な感覚でした。とにかく懸命に無伴奏と格闘する私の姿を、お客様に「目撃」してもらいたい!という気持ちで開催したリサイタルは、思っていたよりも好評でした。「無伴奏っておもしろい」「ヴァイオリンだけの音を楽しめた」という感想が増えました。お客様の反応が、そこから一気に変化して「私たち、なんでも聴けますよ!」という自信が感じられる空気に変わりました。

聴いたときにはわからなかった感覚が、少し時間を経て腑に落ちる。

ただ圧倒されて音の渦に巻き込まれていく。

心の琴線が揺れる感覚。

そういった小さな変化を私自身が舞台から聞き取れるような感じに変化していきました。


無伴奏を弾く時はとても孤独に感じます。

一人きりですべての音を表現して伝えていく作業は大きな責任と時に「本当にこれで良いんだろうか?」と悩みが深くなります。そして同時に「私の思った通りに表現すればいい」と開き直ることもあります。私の場合は、最終的には「え~い!どうぞ聞いてください!」という考えにたどり着きます。

 

作曲された作品は、最終的には作曲家の手を離れて成長していくものです。作曲家の意図しなかった解釈も含めて枝葉を広げ、育ち、磨かれて、時代を越えて受け継がれていくものです。その可能性の大きな作品だけが残っていくということなのだと思います。そう思うと、無伴奏曲には壮大な可能性が隠されていることに気づきます。そしてそのことに夢中になって、私は今もなお無伴奏曲に魅かれ続けているのだと思います。




2026/05/04
124「プログラム構成の迷い」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

12月のリサイタルプログラムは、いつでも挑戦的です。

私自身もチャレンジして臨む曲ばかりですし、お客様も今までの知識を総動員して聴きにいらっしゃいます。

初めのころは

「もっとわかりやすい曲が聴きたい」

「名曲コンサートがいい」

「モーツァルトがききたい」

といった声が多数寄せられました。

私も悩みました。

お客様が喜ぶ曲を弾いていた方が良いのかもしれない。その方が客席は満員になる可能性がある。でも、その時に夫が私に言いました。「君のコンサートなんだから、君の好きに弾けばいい。僕は難しくてゲテモノみたいな曲を聴くのは好きだし、そういう曲にチャレンジしている君を見ているのが好きだ」身近で私の演奏を聴いている人に、そういってもらえるのはとても嬉しかったです。夫は海外出張時に楽譜屋さんへ行って、難しそうな楽譜を買ってくることが好きでした。「店員さんが椅子を貸してくれて、ゆっくり見ていけば良いよって言ってくれたんだよ」「無伴奏の曲って難しそうだね」と言って渡される楽譜の山は、私にとって「ええ~こんな曲弾けないよ~」というものもありましたが、中には掘り出し物の曲もありました。ポーランドの女性作曲家「バツェヴィッチ:ポーランド奇想曲」は私のお気に入りになりましたし、「ビーバー:パッサカリア」は日本で演奏されるよりも前に私のレパートリーとなりました。今でも、無伴奏曲を弾くと夫の得意そうな笑顔が思い浮かびます。


そうしてある時から、耳に心地良い曲だけをピックアップすることを辞めました。知ったような曲ばかりの並ぶプログラム構成を辞めました。その代わり、毎回のテーマを大きく決め、知られざる曲を忍ばせて耳が慣れていく経験を積み重ね、言葉で説明していくことを意識しました。「聴衆の耳を育てよう」その思いを込めた新しいコンサート形式を模索する挑戦を選びました。

こちらが「本気」で向かっていけば、お客様にいつか必ず届くはず・・・

その思いは今も変わらず、試行錯誤しながらプログラム構成を考えています。




2026/05/03
123「家族に集中する時期もあっていい」  

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

 

【1時間の音楽紀行】プロジェクトが終了してからも、隙を見て様々な場所でレクチャーコンサートを続けていました。

お声がけいただいて、ジャズピアニストとのコラボコンサートを定期的に開催して、新しい音楽作りを経験することもできました。少し雑談的なお話が好評で、トークスキルはその時にだいぶ上達しました。クラシックにも理解があり、私にたくさんのチャンスを手渡してくれました。スタンダードジャズもだいぶ覚えましたが、記憶に定着するのが難しくて・・・苦労しました・・・。ジャズを本業にしている方の記憶力と瞬発力、経験に裏打ちされた幅広い即興力に圧倒されるばかりでした。
ジャズも楽しいけれど、やはり私はクラシック音楽家としての活動の方が好きでした。安心して演奏できること、自信をもって提供できること、弾いていて楽しいことが、私にとってはクラシック音楽でした。

レクチャーコンサートを定期的に開催する機会を失ったことはとても残念でしたが、それも私にとっては家族に集中する良い機会でもありました。私は音楽家でもありますが、家庭の一員でもあります。私にとって演奏も大事ですが、やはり家族が第一。家族との時間は刻一刻と変化して、時に見逃してしまうものでもある、ということをわかっていました。気質の難しい長女との確執も、競泳生活で忙しい次女のサポートも、レクチャーコンサートをお休みしたことで、心置きなく家族へと自分を集中させることができたと思っています。今、その時に自分が何に集中すればよいのか、ということを学んだ大切な時期でした。

自分で企画して運営するレクチャーコンサートは、時間も労力も膨大です。他の人とのコラボコンサートは、重荷が半分ずつになるので少しだけ気持ちに余裕ができたことも正直な気持ちでした。

自分のできることを、無理なく進めていくこと。

そう思いながらも、12月のリサイタルをレクチャーコンサートに変化させていくことにしました。それまでの小さな空間、私の肉声、お客様と空気を共有しながらお話しして演奏していたことを、大空間で行うのは全く違う感覚でした。マイクの使い方から話すスピード、遠くに感じるお客様との距離感を測りながら進めていく作業は思ったよりも大変でした。どのタイミングで話をするのか、伝えたいことは何か・・・考えることが倍以上に増えたような気持でした。

その頃には、お話付きのコンサートは当たり前のようになり、楽しいトークとハッとするようなパフォーマンスを披露する演奏家がたくさん登場して話題になりました。舞台と客席が一体になるようなコンサートが増えてきました。

私のお客様もずいぶん慣れてきて、年に1回のリサイタルを楽しみにしてくださる方が増えました。

 


2026/05/02
122「私のレクチャーコンサート遍歴」  

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

 

初めてレクチャーコンサートを開催したのは、横浜駅近くの『サロンセイワ』というところでした。

こぢんまりとした空間でしたが、大きく開かれた窓が開放的で30人も入れば息苦しくなるような‥お客様にとても近い、私にとって理想的な距離感でした。知人からの紹介でしたが、とても心地よく利用させていただきました。控室もないので、着替えはトイレ。待機場所もないので、本番直前までお客様と交流して・・・といった手作り感満載のコンサートでした。

こうしてつなげていけば良い、経験を積み重ねていけば、いつかきっと自分の理想とするコンサートが実現するはずだ・・・


1時間のコンサートは、お話と演奏に四苦八苦しました。

話すことに必死になると演奏が落ち着きが無くなってしまったり、演奏に集中するとなかなか話に神経がまわらなくてメモを見ても言葉が出てこなかったり・・・共演者も私の話の長さがわからずに、演奏に集中することが難しかったと思います。それでもなんとか1年に2回のペースにプラスして12月のリサイタルを開催するというスタイルを続けました。

家族が増えて、そのお世話に必死になりながら、本番の当日はおむつや離乳食を大量に携えて、汗をかきつつ恥をかきつつ…

とにかく続けました。

そのうちに、横浜・青葉台フィリアホールのリハーサル室が大きさも交通の便も良く、自宅からも近いので利用できないかということになり、当時のホール担当者と交渉して、年4回を定期的に借りられるようにしました。さすがに年4回はなかなかハードでした。2月・6月・8月・10月のレクチャーコンサートと12月のリサイタル。毎回のテーマを決めて、共演者と交渉して、リハーサルをして、お話を考えて、チラシを作って、プログラムを印刷して、自分の練習も・・・とにかく当時は全速力で走っていました。

初めに立ち上げた『サロンセイワ』でのコンサートから9年間と『フィリアホール・リハーサル室』に場所を移して6年間。

15年続いた【1時間の音楽紀行】は、2013年2月24日をもって、フィリアホールの事業体制が変わるタイミングで終了となりました。

その頃感じたことは、少しずつお客様の意識が変化しているということでした。受け身で聴いていた最初のころとは違い、積極的に音楽を取り入れてみようといった姿勢がみられるようになりました。私のコンサート形式に、慣れてきてくださった感覚がありました。難しい曲への拒否反応も、小さくなったような気がしました。

その当時のプログラムに書いた言葉で「みなさまに楽しんでいただけるような【カジュアルワイン】へと成長したように思います」と綴っていたように、音楽を相互に楽しむ余裕がコンサート全体の雰囲気を包んでいました。

その後は単発的に「レクチャーコンサート」を開催しています。

また、ご依頼いただくコンサートは、必ずお話をいれた「レクチャーコンサート」を意識した形式をとっています。

少しでも何か新しい知識を得て帰っていただきたい、という思いを込めて演奏しています。