無伴奏曲を弾き続けていくと、お客様の反応にも変化が見られました。
「無伴奏を聴いていると引き込まれていく」
「ヴァイオリンだけではない音まで聞こえてくる」
といった感想が寄せられるようになってきました。耳が開いてきているんだな・・・という感じがしました。聴き慣れている音だけを拾う耳ではなく、聴き慣れない音も「主張している音」として耳に残るようになってきている、と感じてもらえたことがとても嬉しかったです。ずっと聴き続けることによって抵抗感がなくなること。驚きや戸惑いも許容できるようになる耳。お客様自身が自分なりの聴き方を模索できるようになることは、音楽へ積極的に関わる姿勢だと思います。そのころには私のリサイタルは「知らない曲を聴ける」というような評価に変わっていきました。そして、そのことを楽しむお客様が増えてきたことは確かな進歩でした。
バツェヴィッチ、ハルトマン、シュニトケ、ペンデレツキ、プーランク、ブロッホ、レーガー・・・
ハードルの高いと思われる作品たちも、曲目解説や時代背景のつながりを意識しながら聴いていただくと、ちょっとずつ理解が深まっていくようでした。そのために私自身も勉強しなければならないことが山ほどありました。作曲家のことはもとより、その交友関係、時代背景、音楽家の生き方、影響などをMCにまとめるには時間が必要でした。以前に比べれば、ネット検索で調べられることも増えました。大まかに調べて事実確認をした後、最後の味付けはいつも自分の感覚と経験談でした。演奏中に解説するには短い時間で印象的な言葉が必要です。「演奏」と「話す」ということは同じように外へ向かって発するものですが、全く違う役目です。その切り替えをどうしていくのか?私にとって今も課題です。さらに当時は練習時間の確保も切実でした。子育ても少しずつラクになっていく時期でしたが、まだまだサポートは必要でした。競泳選手の次女を送り迎えする毎日。車での送迎は週に100㎞を越えていました。毎週末の大会への付き添いは夫の役目になりました。長女は難しい思春期にさしかかり紆余曲折しながら模索している中、私自身もPTA活動に積極的に参加することも多かったので本当に無我夢中でした。時間枠をパズルのように組み立てながら、練習時間とリハーサルを組み込む日々。家族が全員参加で、それぞれが家族の応援団になる。私にとっては「生きている」「自分のやるべきことに焦点が合っている」ということを実感できる充実した貴重な毎日でした。