自転車操業のレクチャーコンサート活動。
それでも必死に準備して演奏することを使命だと思っていました。
「音の旅人®」と銘打ったレクチャーコンサートのコンセプトは【旅人となって過ごす1時間の小旅行】
曲目を解説しながら、また、私の様々な経験談を話すことによって、クラシック音楽への無意識にある敷居の高さを乗り越えていくことが目的でした。
私は気がついていました。
演奏者が一方的に必死になるだけではコンサートは成り立たない。
受け取る側にも、耳が育っていかなければ音楽が届かない。
どんなに演奏者が素晴らしい演奏をしても、受け取る聴衆に聴く準備という装備が整っていなければ、いつまでも蚊帳の外になるのだ・・。
ドイツで私が見たようなレクチャーコンサートは、演奏者と聴衆が同じ曲を見つめながら、解説を聴く(話す)ことによってそれぞれの理解を進めていく共同作業のような雰囲気がありました。演奏後にピアニストの元に集まってきて意見を述べたり、聴衆同士で話し合う姿は私には新鮮でした。演奏者は音楽を提供して終わりではないのだと思いました。演奏者はちいさなきっかけを差し出すこと、そこから育てていくのは聴衆自身なのだ・・・と。その大切なきっかけをそっと差し出す音楽は本物でなければいけない。育てていきたいと思うような音楽でなければならないのだ・・・と思いました。
私が見たドイツのコンサートは目標であって、当時はまだそこへたどり着くまでの種まきの時期でした。
私は果てしない道のりに呆然としながら、とにかく自分が弾くことを忘れてはいけない、本物の音楽を提供できる技術を磨くことに専念していました。それしか方法がありませんでした。本番がない日々を想像することが怖かったです。ドイツでのたくさんの経験を埋もれさせてしまうことが残念で仕方なかったのです。そして、自分の子どもたちを巻き込みながら、家族に頼りながら、お客様に実験台になってもらいながら進めていきました。
「もっとわかりやすい曲が聴きたい」
「あなたは自分の実験をしているだけで、お客様へのおもいやりがない」
時に凹んでしまうような言葉もありました。
でも、心地よい音楽を奏でる音楽家は私の他にたくさんいます。
私はその人たちとは違う音楽家になりたかったのです。
今、私のリサイタルにいらっしゃる方たちは、私と共に音楽の深淵にまで目を向けられるようになっています。