外が霞んで見えるのは、春の日差しのせいなのか、窓が汚れているからなのか・・・わかりません。
ぼんやりと眺める朝の時間は大切です。
冬の間限定でslow morning/ slow daysを心がけるように決めると、少し楽になりました。
焦らなくても大丈夫。
間違っても大丈夫。
人生は何回でもやり直せるよ、と自分にOKを出せるようになりました。
私の歩みは本当にゆっくりです。
臆病ですし、見栄やプライドもあるのでちょっとメンドクサイ性格です。
瞬発力もあるのですが、それは目の前のタスクを力業でどうにかしようとするときだけ。
長いスパンでの思考回路はとてもゆっくりだと思います。
気の利いたことがいえないので、一発で印象に残るようなことができません。
時間をかけてゆっくりと私を理解してもらう方が得意です。
これからは気がついたときにはチャンスを逃していた…ということにならないよう、少しだけ周りを見ながら過ごしたいと思っています。
雨の一日。
好きなだけ本を読んでいました。
家事を終わらせて休憩がてら読書。
気になっていた作業を終わらせて読書。
食休みに読書。
おやつに読書・・・
数ページ読んでアイロンをかけたり、数段だけ読み進めて玄関掃除をしたり・・・
私の場合はずっと座って読んでいるわけではありません。
誰にも邪魔されず、予定にも邪魔されず、本をあちこちに持っていきながら、作業を途中で中断しながら・・・本の世界に浸れる贅沢な時間でした。
以前はこういったことは「怠惰なこと」「贅沢で人には言えないこと」と思っていたのですが、ブログの中では【これも自分】だと表現しても良いのかと思い直しました。むしろ、どんな時に本を読めば良いのか、ヒントになることもあるかもしれません。(家の中を本をもってウロウロするとか・・・普通はしない?)
読み始めたら、その本だけじゃなくても良いし、どうしても読み進められなければあきらめても良い。
本の懐は自分が想像するより大きくて、居心地が良いものです。
心が壊れかけて、どうしようもなかった時も、エッセイは私をそっと受け止めてくれました。
何をすれば自分を追いつめることなく、安全なゾーンに心を置くことができるのか?
これは私がメンタルオーガナイズで学んだことかもしれません。
心は自分で思っているより、繊細で気をつけなければならない存在です。
気がつかないうちに心を酷使していることもあるので、ちゃんと声をかけてあげましょう!
「忙しい」という思いを捨てる。
今の私は「忙しい」という言葉をなるべく使わないようにしています。
20代の若者の忙しさ、30代~40代の子育て期の忙しさ、50代の子離れ・親の介護看取りの忙しさをしっかり経験しているので、今の自分の忙しさは比較にならないからです。(ううむ。それでも、50代なりの忙しさってありますが・・・)
今までの私は、その日暮らしを謳歌するタイプで、気分やタスクによって毎日を使いわけていました。
「子どもを優先する日」「仕事を優先する日」「地域活動を優先する日」等々。
そして何よりも自分が疲弊しないように気を配って頑張っていました。
その経験は、自分が倒れないように生きることができるようになっていった地盤でもあると思っています。
50代後半になり、家族それぞれが自立した生活になると、自ずと自分に対しての時間が増えます。
「やりたいことを、やりたいように」ということもできます。
その時間を夫と過ごしたくて、とても楽しみにしてたのに寸前で叶わぬ夢となってしまいました。
ぽっかりと空洞になってしまった心を、グッと支えるのも自分。
行ったり来たり揺れながらも、今まで築いてきた家族が支えてくれています。
娘たちや姉。
静かに見守ってくれている友人や遠く離れていてもオンラインで支えてくれる人や仲間たちがいることに感謝しています。
今は、改めて見直す自分の姿。
人生の後半はまだ始まったばかり。
こんな私のジタバタしている姿を見て、何かしらヒントを見つけていただけるように
これからもブログを更新していきたいと思っています。

雨の降る朝は、ロウソクを灯すことにしています。
燃え移りが怖いので、容器にポンとティーキャンドルを入れて灯すタイプを愛用しています。
ほんのりとした明かりは、冬の時間の私の拠りどころです。
ざわざわとした気持ちになる朝の時間を、少しでもなだめたい気持ちがあって3年前からティーキャンドルは欠かせない存在です。
珈琲を1杯だけ淹れて飲み終わるまでの時間。
一日の予定を考えてメモに書いたり、買い物リストを作成したり、気持ちを書き記したり、整える作業をしたら、吹き消して終わり。
30~40分間の余裕。
あえてそんな時間を取るように心がけることで、失敗やポンコツ具合が減るような気がします。
そろそろ外は春の気配が感じられますが、気持ちと身体を整えてまっすぐ立ちたいものです。
1日という時間の中に『生きる』ことを詰め込む毎日です。
今週は1日の時間を絶賛見直し中です。
自分の得意な時間帯、作業によって効率よくできる時間帯、必要な休息時間、毎日のルーティンなどを書き出して、1日の中にパズルの方にはめ込んでいます。
改めて書き出してみると、思っていたよりも意識と現実のズレが大きくなっていることに気がつきました。
近頃は電車に乗るとスマホの画面を覗いている人が多いですね。
私は電車内では外を見たり、人を観察をしているようにして、「スマホを見ない運動」を自発的に行っています。
最近は、『積読解消推進強化期間』(長い!)なので、移動中も本を読んでいることが多いです。
そのため、せっかく外出しても本の内容で頭がいっぱいなので、寄り道をしながら新しい情報を仕入れることができなくなりました。
電車内ではInstagramを流し見している人が大半で、通勤時間には動画を見ている人も多いように思います。
(私は動画だけは見ることができません・・・動画はすごくプライベートな感覚がするのでリビングにいる自分の姿になってしまう。)
新聞記事を読んでいる人もちらほらいますね。(昔は新聞を器用に折りたたみながら読んでいた会社員のオジサンがいて、いつも感心していました)
その中で、スマホではなく本を読んでいる人がいると
「あ、何を読んでいるのかな」
と、ものすごく気になります。
本の大きさや形から、文庫・新書・単行本の判別ができます。
そして、購入した本なのか、図書館から借りた本なのか・・・
そんなところもついつい見てしまいます。
きれいなカバーをつけて文庫を読んでいる女性をみると、素敵だなぁと思います。
私の読書スタイルは、かなりワイルド。
気になるページを折ったり、時に傍線を引いたり、ポストイットを貼りつけたり。
出かけるカバンに、ポンと放り込むスタイルなので、カバーを外した表紙がたいてい汚れています。
それでも、初めはキレイだった本の表情が自分に馴染んできて
内容が染み込むころになると、私自身は豊かな気分になります。
本屋さんに行くと、本当にときめきます。
たくさんの作家さんや執筆者の方が、私に向けてアピールしてくるその熱気に大いに巻き込まれて、気がつくとお会計に向かっている自分がいます。
久しぶりに街へ出かけたら
3月はじまりの手帳が並んでいるのをみつけました。
文房具が好きです。
特にノートが好きです。
新学期になると色とりどりのノートが並んでいるとワクワクします。
サイズや形、色などにそれぞれこだわりますが、特にメモ部分は方眼が好きです。
私にとって方眼はちょっと囲まれている感じがするけれど、自由度が大きくて、絵も文字も思うように書けるところが気に入っています。
今はロルバーンの所有率が高いかもしれません。
デバイス系の「マイ・トリセツ」(何度聞いても覚えられない操作やいつも迷う手順)や「読書メモ」(メモ片手に読んでいるので文字は汚い)は以前から使っています。
ニューフェイスは3月からのスケジュール付きのノート。
期限を決める必要のあるタスク管理と、発信に関してのネタ帳のような感じで使っていきます。
用途が決まらないと先に進めないタイプなので、じっくり考えすぎて時間が過ぎていってしまいます。
今年はそんなところから脱出して、少しだけスピードを意識していければ良いなぁと思っています。
デジタルでスケジュール管理している人を見ると羨ましく感じます。
そして、ノートは1冊持ち歩くとそれなりに重いので、躊躇することもあります。
それでもやはり、ノートの紙をめくりながら、自分の筆跡で文字を書くことで気持ちを落ち着ける作業が好きです。
ブログ100チャレンジを粛々と続けています。
先日、50日を過ぎましたよ~とアナウンスがありました。
改めて今年の私は何をしているんだろうか?と振り返りました。
夫が亡くなってから3度目のこの季節は、
まだまだ相変わらず右往左往しながらもがいているような気持ちです。
「生きていなくちゃ」
という思いにがんじがらめになっていた2年前に比べると、
さらりと「あんまり生きていたくないかも」と思えるようなこともあります。
(別に生きることを放棄しているわけではないです!)
ゆらり、ゆらりと身体を揺らしながら、バランスをとっているような感じでしょうか。
以前の私であれば、その姿は「怠惰!」としか思えなかったのですが、今は少し違う目で見ることができます。
私は苦手なことから逃げるのが得意です。
その逃げ方は、別の仕事に集中して本来のやらねばならないことから目を背けてしまうという方法。
そしていつまでたってもタスクを完了することができなくてストレスが溜まってしまう。
自分の中のそういったズレが激しくなると動けなくなってしまう。
そんなことの繰り返しですが、ほんの少しずつ変化はしています。
人間はずっと同じ場所にはいないものなんですね。
同じ景色を同じ場所で見ることはなく、ほんの少しずつ角度が変わっている。
そう、螺旋のように。
今年の私はモチベーションに頼らずに
バラバラになった自分の破片を拾い集めながら
改めて自分の輪郭をはっきりさせていこうと思っています。
私の所属している「日本ライフオーガナイザー協会」では
会員のために質の高い学びの場所が提供されています。
リーズナブルに受講できる権利を使って、様々な勉強の機会をいただいています。
毎月1回の講座は3時間。
いつも受講を終えるとヘトヘトになります。
テーマによっては
「それは・・・私には無理・・・」
と思うようなこともあるのですが、とにかく「知る」ことを第一に
食わず嫌いにならないように参加しています。
今回はAI活用講座。(私の一番苦手とする分野)
講師は坂田誠氏。
私が坂田先生の講座を受講するのは3回目。
受講して大体1年後に
「あぁ、あの時のことがちょっと自分でもわかるようになった~」と
波に乗り遅れているのを自覚しながらお話を聞いています。
坂田先生の講座は、実際に作業しているところを見せていただけるので、映像記憶として頭に残ります。
私が実際に使えるようになる(または理解できるようになる)には1年かかるので
理論だけが自分に蓄積されるだけなのかもしれないのですが・・・
それでも無駄ではないと思っています。
季節が変化してきていますね。
心と身体のバランスを保ちながら、足元をしっかり見つめながら歩いていきたいと思っています。
家にばかりこもっていたら、口角が下がってしまって滑舌が悪くなってしまいました。
久しぶりに『安否確認会』(私がそう思っているご近所の集まり)に参加して大いに笑ったら、とても気分が晴れました。
私って単純です。
今日の話題は本の話。
本を読んで、久しぶりに笑った日々。
思い出し笑いなんて、本当に久々で楽しかった。
『吾も老の花』(阿川佐和子)
もともと次女がエッセイ好きで、何冊も買わされた経験がある。
私は阿川佐和子さんといえば、檀ふみさんの往復書簡的な『ああ言えばこう食う』が好きで読んでいた。
時を経て、彼女も年を重ねてエッセイの内容も初老に関してのことが多くなり、私にとってはこれから出会うであろう諸々の出来事が興味深くて、違う視点で読む機会が多くなった。
今回は表紙の色と「古希」の言葉に驚いて購入。
阿川さんも古希なのか!と。
いや、そうだよ、私だって50代後半なんだもの・・・
この人のエッセイは、なぜこうも笑えるのか?
その笑いに嫌味がなく、品があってとても清々しい。
父(阿川弘之)との軋轢も、よくよく考えれば理不尽でもあるし許せないこともあるけれど、さらりとかわしてしまうところに、父への深い尊敬のまなざしが感じられる。
身体の変化の記述は本当にそのとおりで、読んでいるだけで「わかる・・・」と静かにうなずいてしまう。
立ったままズボンを片足に入れて「オットット・・・」と前のめりにつんのめってしまう・・・なんていうコントのような姿を、私自身も「自分、危ないぜ」と思いながらやっているが、その先に「ケガ」なんていうことを想像してしまうともう少しおとなしくしなければ、と思ってしまう。
ご本人は「自分は昭和の人間」といっているけれど、私もその気持ちは身に染みて理解できる。
なんだかんだ、昭和という時代は存在が大きくて重い。
私だって昭和を大いにひきずっている。
もう、2世代も前の時代なのに・・・
「昭和って良かったよ、勢いがあってね」
「昭和世代なんで・・・よくわかりません」
と良くも悪くも使い分ける「ズルさ」が昭和後半の私にはあると思っている。
「老い」を知るために読んでいたと思っていたこの本は、自分がどういうときに「昭和」という言葉を思いうかべ、どういう風にズルく使っているのかということを、よくよく考えるチャンスを得たような気がした。
音楽を勉強していると、キリスト教の行事に沿った楽曲に出会うことが多いです。
当時の作曲家の仕事は、教会付きのオルガニストであったり、聖歌隊や合唱の指揮者など教会での奉仕として音楽を取り次ぐ役割をしていることがありました。
私たち演奏者としては、そういった教会歴や聖書の内容を少しでも理解していることは大きな利点となります。私たち日本人には少し遠いと思われるキリスト教。幸いなことに、私自身はドイツに住んでいたこともあり、生活の中に教会生活の影響が大きかったです。
キリスト教の暦では、今日から四旬節に入ります。
キリスト復活祭の日までの準備期間の40日間のことを指します。
イエス・キリストが荒れ野で断食した40日に由来するとか。40日という数はキリスト教にとってとても意味のあるものです。
今日は灰の水曜日。
カトリックでは、額に灰を受ける儀式を行うそうです。
姉に話を聞くと、カトリック教会では去年の棕櫚の枝を燃やした灰で額に十字のしるしを受けるとか。
自らの信仰を見つめなおして、静か心を落ちつけて過ごす日々。
粗食を心がけて、華美な生活をしないと言われています。
私は心の奥底にそのような気持ちを持ちつつ、普通の生活をしていきます。
春の息吹を感じながら、少し落ち着く時間。
大切なことだと思っています。
懐かしいドイツでの生活では、今頃からうさぎの形をしたチョコレートや、イースターエッグのチョコレートがケーキ屋さんに並び始めます。
そしてイースター休暇の相談をする人たちの会話から、本格的な春の訪れを心待ちにする日々が始まります。
今年の復活日は4月5日。
日本は桜の季節ですね。
今年のリサイタルの曲目を絶賛思案中。
無伴奏曲の一音を弾き出すとき。
私はとてつもなく怖いと感じる。
舞台に一人だけで立つ。
明かりの焦点が楽器にあたる。
息をひそめて集中した重い気配が客席から忍び寄る。
いつのタイミングで音を出そうか。
今か?
もう少し待つか?
・・・エイっと心の目を閉じて弾き始める。
その瞬間に「さぁ、後戻りできない」と間髪入れずに思考が動き始める。
気が弱くて怖がりのくせに、そんなことを思いながら演奏する無伴奏の曲が好きだ。
今年もきっと無伴奏の曲を選曲するだろうな…と思いながら
「さて、どの曲を?」
と考える時間が一番楽しい時間。
(そして本番前に後悔するのも毎度のこと)
積読その後の状況・・・
着実に消化しています。(頑張っているともいえる・・・)
2月は今日の時点で7冊を読了しています。自分にしてはかなりのスピードです。
小説・ビジネス書・エッセイ・新書と多様な種類を読めているのでとても充実感があります。
今年の初めに、この冬眠期間中はたくさん本を読もうと「決めた」ことが良かったと思います。
得意ではない冬の時期。
なにをやってもあまりうまくいかない時期。
でも正直に言えば、本を読むことが快適になるわけではなかったのですが・・・
私の性格としては、何かをしていないと不安になるタイプだったので今年は敢えて「とにかく本を読み続ける」ということを自分に課しました。
手始めは自分にとってハードルの低い「エッセイ」から。
そこから視野を広げる意味で新書や音楽やビジネス勉強のための本。
時々、本の内容に引きずられて落ち込むこともありました。
本は読んでみないとわからないです。
どんな物語なのか。
一つの視点を執筆者がどのように表現するのか。
自分自身の心が弱っているときに読書するのが良くも悪くも気持ちに影響してくるのは、私自身が過敏なところもあるからかもしれません。
それでも、とりあえず読み進めることを自分に課していました。
モチベーションはいらない。
その後はYouTube動画やSNSから情報を取り入れて、自分の興味のあるものや、今まで本棚に眠っていた本を取り出して読みました。
読み続けていくと文字を読むスピードは速くなってくることを感じます。
とにかく読むことをやめない。
本を目に付くところに置いておく、というのも良い効果になっています。
私は同時に3冊くらいを、その時の気分によって読み分けたり、外出先に持って行ったりするのですが、その方法も私には合っているような気がします。誰にでもおススメはしませんが・・・
この1年ほど、読書メモ(ノート)をとっています。
私は内容をすぐ忘れてしまうので、読みながらメモを片手に書き抜きながら読み進めることにしています。
気になったことやわからないと思うことをメモしていく。
その時の感情そのままに書くこと。
初めは読了後にメモをまとめて書いていたのですが、それですら忘れてしまう自分の記憶能力に限界を感じてメモを片手に読んでいます。
メモを書いていて嬉しかったことがあります。先日オンライン講座を聴講した時に、その中に出てきた言葉を以前に読んだ本のメモにみつけたことです。本の中に出てきた言葉を講座の内容と繋げることができたという小さな成功体験になりました。
ジャンルは違えども、時期によって選ぶ本というのは傾向が似ているので、メモを取っておくとつながりをしっかり結ぶことができます。
今回の積読消化はかなり厳しかったので、今後の本に対する気持ちが少し変化しそうです。
読めなくて苦しい思いをした本たち。
ごめんなさい。
時間がかかっても、あきらめずに少しずつ読み進めていきます。
少しずつ春の息吹を感じる毎日です。
木々の新芽がふくらんで、遠くに見える山影がぼんやりと、輪郭がやわらかくなっています。
1月から2月にかけて、土の中から動いているような・・・底を揺さぶる重たい春の息吹にはめっぽう弱い私ですが、軽やかな風を運んでくる立春以降の陽気は心地良いものに感じます。
【二十四節気】を意識し始めて、より細やかに季節を感じることができるようになりました。
毎年同じように繰り返されるものですが、そのサイクルを追っていくことが私だけの「マイペース」というリズムを作っています。
自分の歩幅で、自分の気持ちに沿って
「あなたの好きなように歩けばいい」
と言われても、難しく思うこともありますね。
そこに、同じように繰り返される季節の営みを頼りにすることは、安心感を得るために大きな存在になると思います。
二十四節気はそれぞれ約15日間。
気候変動の多い現在では、時に
「季節がズレているのでは?」
と感じることもありますが、古代中国からの長い歴史の中で積み上げられた経験値は揺るぎないものです。
繰り返されることは大きな力。
今は「初春」の時期。
私のホームページはずっと放置状態でした。
自分の経歴を乗せておけばいいかな。
そこを覗いて私のことをわかってもらえればいいや・・・
というような気持ちで作成してしまったので、後の管理が大変すぎてほぼ断念していました。
放置している間に自分の環境が激変して、持っているものがすべて何もなくなってしまうような状態になりました。
そんなとき、遅まきながらリウムスマイル!の穂口代表が開催するオンラインセミナーに恐る恐る参加しながら、少しずつ自分の傷をいやしつつ、学びつつ、同じ個人事業主で頑張っている方たちと交流してきました。
穂口さんのセミナーは、最終的には自分で決めるんですよ、というスタンス。
様々な手法があるけれど、その人なりの方法があるから自分でトライ&エラーすること。
自分で選ぶということは、自分で責任を持つこと。
自分で選んだのであれば、自分が納得したもの。
その考え方は私自身にとても合っています。
自分の人生は自分がコントロールすることは、とても難しくてうまくいかないことも多いけれど、結局「自分が選んだのだから」という答えが常にあります。
なんでも時間のかかる私。
理解するにも、決断するのも、行動するにも時間がかかりすぎるのです。
音大時代に、勉強している曲が仕上がらなくて3か月くらい悩んでいたら
「悩むのは1か月くらいにしてよ」
とヴァイオリンの師匠にも言われたくらい優柔不断で怖がりです。
道筋が決まれば歩き出すことができるのですが、それまでが長い・・・
走りながら考えれば良いと言われるけれど、それが怖くてできない。
そのクセが染みついていると、なかなか脱却できませんね。
私も50代後半。
「私はいつまでこうしているのか?」
「残りの人生はそう長くないけど、大丈夫?」
と思うようになり、自分が社会に役に立っている実感が欲しくてホームページの改良を始めることにしました。
そう、そのために辞めたと言っても過言ではない地域での役目。
でも、私はすぐに動けるようなタイプではなく、あーだ、こーだと揺れ動いてばかり。
これを書いている最中も、思考はあちこちに飛んでいます。
ホームページを少しずつ整え始めてから、さらに「自分」を俯瞰する作業や決断の数々は増えてきています。
いちいち悩みながら、躓きながら。
それでも私は「任務完遂」はどんなことがあってもできると思っているので、時間がどれだけかかろうとも完成へ向かっていきたいと思っています。
(期限を決めているのにいつもその通りには終わらないけれど・・・)
その都度、目標地点が螺旋のように違う位置に設定されるので、同じ位置に足踏みしていることはないと信じています。
りうまーミートアップ@東京に参加しました。
昨日はリウムスマイル!を使っている『りうまーさんの学びの場』として代表の穂口さんを大阪からお招きしてミニ講座・お仕事紹介・公開コンサルティング・質疑応答と盛りだくさんの内容でした。
ミートアップ自体が初めての試みなので、穂口さんもあれこれ調整しながら、その工程も楽しみながら参加することができました。
同じシステムを使っているし、お互いブログを読んでいたり、オンラインでお顔を拝見しているような仲間なので、実際にお会いしても安心感があります。
知らない人じゃないって心強い!
競争の必要もなくて、みなさんスモールサービスでがんばっていらっしゃるので、お仕事のお悩みや、今までの試行錯誤を聴かせていただくと、
「自分だけじゃない」
と勇気をいただくことができます。
私もエールをいただけてとても心強かったです。
同じシステムを使っていても、それぞれの段階があります。
他のシステムから移行してきた人、
初めてのホームページ立ち上げたばかりの人、
パソコンに強い人・弱い人、
ビジネスの種類、
ビジネスの進捗度など。
同じセミナーを聞いていても、刺さる場所・響く言葉に違いがあります。
私自身も、2年前に聞いていたはずなのに今、やっと理解できることがあります。
そして今、わからなくて耳に入ってこないことも、もしかしたら3か月後にはわかるかもしれません。
自分一人では、言われていてもわからないことが、他人の話を聞いていると理解できることがある・・・
それは仲間がいるからできることなんだなぁ、と思いました。
だれもジャッジしないし、だれも否定的なことは言わないし、競争しない。
だけど、決めるのは自分。
「だってあなたのお商売ですよね」
そうそう・・・自分の仕事ですものね。
私の場合は牛歩の如くですが、今年の終わりにはちょっとでも
自分のホームページを自信をもって自分が見られるようにしたいと思っています。
『大人になってからでもヴァイオリンを習うことはできますか?』
そんな質問をいただくことがあります。
見た目や演奏方法にハードルが高そうと思われるヴァイオリンという楽器は、憧れでもあり興味の対象でもあり、手強いと思っている方が多いように思います。そして、ヴァイオリンは子どものときから習わないと弾けるようにならない、とおっしゃる方が多いです。
私自身は大人の方にこそ、ぜひヴァイオリンを習ってもらいたいと思っています。
大人だからこそ、楽しめる要素がたくさんありますし、学びも大きいです。
まず、両手が全く違う運動方法なので頭を使います。
音程を合わせるために耳に神経を集中させます。
それだけでも普段の生活とは全く違う運動なので、刺激になります。
大人であれば、視覚や言語でヴァイオリンがどのような構造になっているかを理解することができます。
弦のどこを押さえると、どういう音が出るのかを理論で学ぶことができます。
「あぁ、そういう構造なのね」
「なるほど、この筋肉を動かすのね」
と言葉で理解できます。
大人ならではの学び方があるのです。
子どもであれば、毎日反復練習して地道に積み重ねていかなければならないことも、大人であれば、理論を理解することによって少し近道をして学ぶことができます。
ただ、頭で理解してもなかなか動きが遅い・・・ということもあります。
「先生の言っていることはわかるんですけれど、身体がついてこないんですよ💦」
とおっしゃる方が大半です。
でもね、これからヴァイオリニストになるわけではないですよね?
少しでもヴァイオリンを手に取ることができて、8小節の曲が弾ければ「OK!」ではないでしょうか?
初めて手に取る楽器が、テレビで映っている人たちのようにすぐに弾けるわけではないことを、大人の方は知っています。
私はヴァイオリンを通して、大人の生徒さんとは様々なことをお話したいと思っています。
レッスンを通して、生活のこと、自分のことなどを整えるきっかけになっていただけたら嬉しいです。
ヴァイオリンという楽器に触れることにより、自分の中に新しい世界が拓ける。
それこそが、「大人がヴァイオリンを弾けること」の醍醐味ではないでしょうか?
ご興味があったら無料レッスンを受けてみてください。
寒い日が続くと、どうしても気分が内側にこもりがちになります。
私は基本的には内向的で、家に引きこもっている方がラクで、一人で行動するのが得意です。
朝起きて、午前中に用事を済ませてしまうと、午後からずっと引き籠っていることも多々あります。
双子座は二面性があるといわれますが、その通りかもしれません。
今日は起きると雨降りの休日だったので、何もやる気が起こらずにぼんやりしていました。
すぐに活動する気分にはなれなくて、
まずは音楽を流すところから始めました。
何かを考えることすら億劫で、気持ちがそがれてしまうから
私は何枚かCD(古い!)を別枠に並べています。
「気分の乗らないときにかけるCD」私の場合
・「TOP GUN maverick」(サウンドトラック)
・アルプス交響曲(シュトラウス)
・TIRAMISU(ALDIMEORA)
・a new day has come(celine dion)
ただ耳から音を入れる・・・
クラシック音楽が少ないのは耳が強張ってしまうからです。
でもなぜか「アルプス交響曲」だけはオーケストラの音から景色が見えてくるので耳に優しい気がします。
不思議なもので、
気持ちが全然変わらなくても、
身体のどこかが先に反応することがあります。
首を回してみたくなったり、足でリズムを取ってみたりと・・・
いきなり全開にしなくていい。
アイドリングくらいで十分。
音楽は、そんなふうに自分のエンジンをそっとかけてくれる存在だと思っています。
寒くて気分が乗らない日は、無理に頑張らないことに決めています。
急ぐ用事は私にはそんなに多くないのだから。(ましてや休日は特に!)
代わりに、
自分が動き出せる音を選ぶことを楽しみに変えようと思います。
今日も、音楽に助けられています。
あまりにも重たい本(内容的に)を読みすぎて、正常な生活に戻れなくなりつつあるのでちょっと違う本を読んでみました。
その前に・・
はるか昔のこと。ドイツ留学生活時代に本に没頭して昼夜逆転の生活をしていたことがありました。
「一人暮らしの醍醐味よね」
と当時は思っていたかどうか定かではありませんが、とにかく日本から持ち帰った本の楽しさから抜け出せずに読書を貪っていたことがありました。
好きなように読書を楽しみ、昼間はドイツ語学校に行きつつ宿題をこなしてヴァイオリンの練習をしてご飯を作って食べるという、今考えれば夢のような生活。
その後、オーケストラで働き始めて生活のリズムが加速。
日本帰国後は、必死に走って目の前のタスクをバッタバッタとなぎ倒す日々。
その頃には、文字を読むのは新聞広告か娘たちが持ってくる学校のお知らせか、良くて新聞の短いコラムのみ。
「あぁ、本が読めるようになるのはいつなんだろうか」
とため息をついていた日々。
気がつけばまた読書に沈む毎日がやってきました。
幸せなことです。(ちょっと目がしょぼしょぼするけど)
この幸せを、しっかりと享受したいです。
そして、実は本を読むことが苦痛ではなくなったことに、自分の中の余裕を感じることができました。
自分を抱きしめたくなりました。
「そうだよ、ちゃんと読めるようになって良かったね。この3年間読みたくても読めなかったからね。苦しかったものね。」
忙しくしていなくちゃならない、暇だって言っちゃいけない、頑張っているって思われなくちゃいけない、という呪縛がとりついていたからとても苦しかったです。誰に思われているわけでもないのですが。
そんな思いから今回は『HYGGE 365日シンプルな幸せのつくり方』(マイク・ヴァイキング 三笠書房)を改めて読みました。
(前置きが長すぎた・・・そして、読むというより眺めた・・・かな)
購入したのは2018年頃だったと思います。
その頃は娘たちが巣立ちを意識し始めて、生活全てが全速力で。
とにかく走らなければ追いつかないような時期で・・・自分の中で何か警鐘が鳴り響いているころでした。
この本を手にしただけでホッとした記憶があります。
HYGGEなスペースを家の中に作りたくて・・・
自分の逃げ場所が欲しくて・・・
自分の本だけを集めた場所を作ったのもこの頃。
その後、コロナ禍で家族それぞれが居場所を求めて家の中をウロウロしてイライラしていたときに、家族が集まってアペリティーヴォを楽しむ時間を作ったのもこの本がヒントでした。
そんな生活がガラリと変化した3年前。
私の世界から本の存在が希薄になりました。
読まなければならない書類の文字を追うことが精いっぱい。
実用書を読んで理解することが急務。
送られてくる手紙に返事を書くことで気力を奪われる毎日。
それが少しずつ変化してきたとき、この本は本棚の片隅にそっと置かれるようになりました。
きっとこれが一段落したら読める気がする。
私だけのHYGGEを探そう。
本棚に置かれたときには思い出すことが多すぎて見るのも辛かった表紙の絵。
でも、敢えて私がその本を置き続けたのは、自分が心のどこかでHYGGEを望んでいることを感じたからだと思います。
そしていま、この本は改めて私を優しく受け止めてくれました。
手に取る本は、自分で選んでいるんだな・・・
ページをめくりながら、購入したころとは違う感覚で読みました。
家に引きこもるとき、私はこの本の中にあるアイデアを拝借します。
「今日はムービーナイトにしよう」
「今日の珈琲はあのマグカップにたっぷりと淹れよう」
本当は、家族や友人と過ごすことを推奨しているのですが・・・
それはまた違う機会に期待しましょう。
50代になって、
どうしても練習したくない日が増えました。
もっと身体に近いところから来る感覚もあります。
若い頃は、
少し疲れていても弾けたし、
多少の違和感は、気合いで越えることができていました。
時間も限られてるので練習しない選択肢は無かったし
いつも焦っていたように思います。
「練習しなかったらダメかも・・・ヤバい・・・」と。
そして、身体はいつも元気で言うことを聞いてくれました。
どんなに酷使しても頑丈でした。
それが今はちょっと違います。
肩や腰、指先の重さ。
音を出す前から、
「今日はここまでかも・・・」
と身体が強張ってしまう時があります。
女性として50代を迎えると、
体調は日によって揺れやすくなります。
昨日できたことが、今日は同じようにできない。
なんだか知らない違和感や虚脱感。
その変化に戸惑い、認めたくない気持ちもあります。
でも今は、
その揺れを無視しないようにしています。
無理に音を出すより、
楽器を持たずにストレッチをしたり、
楽譜を眺めながら頭の中で音を鳴らしたりする方を選ぶこと。
そうした時間が、次に音を出す日の助けになると信じています。
「今日は弾かない」という選択を、
自分に許せるようになることは、なかなか勇気がいります。
それは・・・言い訳かもしれないけれど・・・
音楽とより長く付き合うための知恵なのだと思います。
音を出さないからって
音楽から離れている日ではない。
身体の声を聞きながら、次の一歩を準備している日かもしれません。
50代の音楽は、前へ進む速さよりも、
戻ってこられる場所を持っていることが大切かもしれません。
【今日は練習しなかったな】
ちょっぴり寂しい響きだけれど、
「また音を出したくなる自分を見つけるまで、休んでもいいよ」と
自分にOKを出すことを許す日だと思うようにしたいです。
AIを使って音楽家は何ができるか?
私の場合は、コンサートのプログラムを考える壁打ちになってもらうことが多いです。
弾きたい曲を羅列して、その曲や作曲家に合うプログラムをランダムに組んでもらったり、アニバーサリーイヤーの作曲家を探してもらったり、年代を調べてもらったりします。
意外な時代の接点を見つけたり、面白いカップリングを提供してもらったり、変わった視点から曲を紹介してもらうこともあります。
私の選曲を分析して
「あなたの思いはここにあるのですね!」
と驚いてもらうこともあります。
楽しいです。
なるほどね・・・と新鮮な気持ちで曲に向き合うことができます。
ただし、全部を鵜吞みにしないこと。
架空の曲目をサラッと紹介してくることもあるし、抜粋しか演奏しない前提だったり、プロとしては「そんなことできないよ…」という内容もあるので注意が必要です。
でも、ぼんやりとしかアイデアがない時にAIとやり取りしていると、だんだん自分の頭の中が整理されてくるので頼もしい相棒です。
これまでは、一から自分だけで悩み、調べつつ、自分の力量を考えながら煮詰まって悩んでいたのですが、相手がいると少しだけ軽やかに考えることができます。最終的な判断は自分なのですが、多角的に思考の範疇を越えたところで自由に意見を言ってもらえるのは、とても助かります。
今年のリサイタルのプログラムが決まるまでもう少し時間がかかりそうですが、少しずつ攻めていこうと思っています。
お楽しみに!
先日、久しぶりにショッピングモールに行ってきた。
巷では「シール」が流行っているらしい。
ぷっくりとした、可愛らしいシールは購入制限があったりして手に入れるのも難しいとか・・・
文房具売り場はもちろんのこと、アクセサリー売り場にひっそりとシールが並んでいるのを見つけた時はびっくりした。
こんなところにも売っているということは、大人もシールを買っているということか・・・どうもそうらしい・・・
私の子どもの頃は、シールと言えばお菓子やソーセージについてくるオマケのような感覚。
それがいまや、うやうやしく店頭に並んでいて、子どもから大人まで目をキラキラさせてシールを選んでいる姿は、なんとなく幸せな気分になる。
小さなシールをシール帳に貼るのも流行っているらしいから、それは楽しいことだろう。
大人のお姉さんと、小さな女の子がシール交換をしているかもしれない。
私もシールは秘かに集めている。
私はもっぱら100円均一のお店で調達をしている。
娘たちに送るハガキに貼ろうとおもったのが始まりだった。
ちょっとおしゃれな女の子のシールを、娘たちそれぞれの姿に重ね合わせたりして送ったりすると、とても喜んでもらえた。
自分のスケジュール帳に貼るのも楽しい。
殺風景な予定が、ちょっとワクワクするものに変わったりする。
ところで私の手元には、変わったシールがたくさんある。
大抵娘たちが集めたシールが多いのだが、その中でも異色を放つ「アルパカ」の写真シール。
アルパカのちょっととぼけた顔のアップや、全身、横顔、いろんなアングル。
どれも小さくて台紙からはがすのが大変。
乾燥した手も手伝ってどこからはがれるのか見当もつかないので、ちょっとイライラしながらアルパカの顔を見つめて・・・
あぁ、めんどくさい・・・。
その後はそれをどこに貼ればよいのかわからない。
仕方がないので、いまのところは日々の思いを綴っているノートの隙間にこれでもか!と貼っている。
内容にそぐわないシールを貼るのは私の美意識に反するので、四苦八苦しながらノートの隙間を探している。
そもそも、このシールを、誰がどんな目的で買ったのか、見当もつかない。
多分、娘たちのどちらかだと思うのだが、今更聞くことができない。
今数えたら残りは14枚だった。
50枚以上あったのだから、私もだいぶ貼りまくったものだ。
アルパカのシールを貼り終えたら、シマエナガのシールが50枚あるが、これは多分消費に困ることはなさそうだ・・・
ホームページ作成・システム管理会社「リウムスマイル」代表、穂口さんのセミナーに参加しました。
今回のテーマは―「人類と情報と幻想の物語。AI時代に向けて」
正直、タイトルを見た瞬間
「難しそう・・・無理かも・・・」
とあきらめようと思ったのですが、それでも参加した理由は、とてもシンプル。
たまたまその時間が空いていて、家にこもりがちで、誰とも話していなかったから・・・(穂口さん、スミマセン)
聴いていればなんとかなるかな・・・と軽い気持ちで申し込みをしました。
(リウムスマイルユーザーだったら、こういう軽い気持ちで参加を決められるところが嬉しい)
内容は「へえええ~」と「あ~そうなのか~」と思うことばかりでした。
私が改めて「そうか」と納得したこと。
①全校集会ができるのは人間だけ
たくさんの人が同じ場所に集まり、互いを完全には知らなくても、
「ここにいていい」という暗黙の信頼関係の上に立っていられる。
他の動物にはできないこと、と言われて「そういえばそうだ・・・」と
すでにセミナーの最初で引き込まれてしまいました。
②魔女狩りは、ある種の「物語の集団暴走」だった。
人は物語が好きだ。
事実そのものよりも、意味づけされた物語に強く引き寄せられる。
そしてその物語は、ときに暴走する。
説明のつかない恐れや不安が共有され
それが「正義」や「常識」の顔をして広がっていく。
魔女狩りは、嘘を書いた物語が、多くの人に「本当らしく」共有されてしまった結果だった。
そして人間はそんな話を好む。
人は物語を信じる。
そして、みんなで信じると、それは「現実」になる。
怖い…
③AIは肉体を持たない
だから、AIが生み出した言葉や判断を
現実の世界で実行するのは、いつも人間だ。
AIには手も足もない。
それでも何かが起こるとしたら、
人間がその「手足」になったときだけ。
命令するのがAIでも、
動くのは人間。
責任を負うのも、人間。
そうか、そうだなぁ・・・
そこでハタと私は自分の職業のことを考える。
音楽家は、まだまだAIに勝てるのかもしれない。
AIは譜面を整えることはできても、
息を吸い、迷い、震えながら音を出す身体は持たない。
物語を「実行する」のは、いつも人間だ。
そう思うだけで、胸の奥から少し力が湧いてくる。
歴史は繰り返す。
けれどそれは、同じ円をぐるぐる回るのではなく、
螺旋のように、少しずつ形を変えながら進んでいく。
私たちは、また新しい時代の入り口に立っている。
自分の身体で、次の一音を選びながら演奏すること
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。
【立春】りっしゅん
二十四節気では立春が一年の始まりです。
そのため、前日の節分の日は大晦日に当たるわけなんですね。
新しい年に鬼がやってこないように、という意味で豆まきするそうです。
我が家は恵方巻を食べる習慣はなく
福豆を年の数だけ黙って食べる・・・ということをしていました。そして、干支もこの立春から変わるので今日からやっと「午年」になります。
あぁ、今年は新年からうまく動けなかったなぁ・・・とがっかりしていても大丈夫。
今日からまた始めれば良いのです。(私も同じなので大丈夫!)
私は毎年1月はのんびりと過ごしています。
休むことに罪悪感を感じず
予定のないことを焦らず
しっかり自分に余裕を感じられるようにすることの大切さを
つい最近になって心から思えるようになりました。
1月は立春を目指して、少しずつ整えている感じです。
アクセルとブレーキを踏み分けることは
大人の私たちだからこそできること。
年も改まったので

積読解消の日々。
『たりる生活』(群ようこ・朝日文庫)
今年になってから、終活・一人暮らし高齢者・介護・終の棲家といったワードが頭の中をめぐっているので、本屋さんに行っても目に付く本はそちらの方面ばかり。
今や日本の人口の29.4%が65歳以上という世の中。(75歳以上も総人口の17.2% 2025年9月15日現在)
増え続ける高齢世代に片足を突っ込む身としては、甚だ不安でしかない・・・。
そんな思いで買った本たちは、重量級の内容で消化が悪くて胃もたれ気味でした。
積読解消するにも、消化が悪くてなかなか厳しい状況を打破するために読んだこの本は、ちょっぴりノホホンとしていて、途中でクスッと笑いながら読めました。
シニア世代の引越しは、本当に大変です。
自分の歴史を背負っているわけですから・・・ね。
著者が一人で自分の荷物と格闘している様子を見ると
「あぁ、ライフオーガナイザーにご相談してくださったら、もっと楽になるのに・・・」
という思いも抱えつつ、執筆ネタがなくなるからダメか…と思ったりして。
それでも、どのようにご自分で進めていかれるのかしら?という視点でも読むことができたのは、新しい視点でした。
荷物の整理に明け暮れながら
「もう何でもいい~」
と投げ出したくなったり
「あれ、なんでこんなものを持ってきてしまったんだか・・・」
と引っ越し後に思う気持ちもわからなくもない。
実家を2回も家終いした私は、次は自分の家を終うのはちょっと勝手が違うぞ…と思っている。
この先のことを考えると少しだけ憂鬱にもなる。
今日はお雛様を飾りました。
いつもの年より早い、私にしては珍しく落ち着いた気持ちで飾ることができました。
まぁ・・それほど大きくないお飾りなので、ほんの5分もあれば完了ですが・・・
それでも、これまではその5分が捻出できない状態だったのに・・・進歩です。
なぜ今年は早く飾ることができたか?
飾っている間も収納用品は元の場所にしまっておけばよいし、ひな祭りが終わったらそのままササっとホコリをはらって元通りに収納して完了。
私は娘たちのためにお雛様を用意していません。
でも、我が家にある小さなお雛様と、実家の雛飾りを胸に留めてくれれば満足です。
日曜日。
週末のヴァイオリン練習で一番難しい日。
外はだんだん暗くなって、週末の終わりが見えてくる時間。
気持ちも、少し内側に向かうように促していく。
この1週間の出来事を思い返しながら
音を出すだけで、気持ちが少し整うことがある。
音楽は、元気なときだけのものじゃない。
こうして静かにそばにいる瞬間があるから、
私は弾き続けてきたのかもしれない。
また来週、日々が始まっても、
音と一緒に一歩ずつ歩いていけたらいい