塚本香央里 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
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2025/03/31
90「海外音楽修行③・言語」  

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。


娘たちに英語の大切さを教えたのは夫でした。

夫は中学時代の恩師が英語教師で、英語の楽しさと大切さをしっかりと学びました。

高校時代にはラジオの英語放送を聞いたり、在日米軍軍人から英語を習ったりしていたようです。

大学時代には単位外の英語の授業を聴講していたらしく、教授に驚かれたとか。

そんな真面目で熱心な気質は長女が受け継いでいるように思います。

大学を卒業してから務めた保険会社でも海外案件を担当することも多く、

社内では異例の研修制度でアメリカ・ロサンジェルスに住んでいたこともあったようです。

転職した外資系保険マネジメント会社では、英語漬けの毎日。

(米語のアクセントがきつすぎて、私にはちょっと理解不能だった・・・)

このころから娘たちには「英語が話せるようにならなければ世界で勝負できないぞ」と話していました。

この刷り込みは強烈でした。


長女は4歳くらいからヤマハの英語教室に通っていました。
お遊び程度のものでしたが
その頃に身に着けたフォニックと英語耳は
その後の英語学習に役に立ったように思います。

「中学の英語教育は良いと思う。とにかく文法さえ身についていればなんとかなる」

と娘たちの中学時代は文法の大切さを話していました。

(私は文法が全く頭に入らないタイプで、そこで苦労したので娘たちには頭が上がらない・・・)


長女が小学校高学年になると
早朝に英語の勉強を見ていましたが
仲が悪すぎて険悪なムードでヒヤヒヤしました。
中学3年生で飛躍的に勉強ができるようになると
英語で世界を相手にできることを実感して
高校時代は自分で探してきた英会話教室に通っていました。

次女はゆるりと遊びながら英語に親しむくらいの勉強でしたが
小学校3年生で試しに受験した英検5級に合格。
勉強方法に無駄がない次女は、
しっかりとステップアップしていった感じです。
英語の大切さは刷り込み済みなので
その力を大いに利用して自信に繋げていきました。

娘たちも徐々に渡航回数が増えてくると、

生活でのコミュニケーションからトラブル対応、

更にはホテルのブッキングからフライト予約、

講習会の申し込みや問い合わせなどを

すべて自分でできるようになっていきました。


ただ、自分の意見を言う場面では、経験と、ある程度の日本語能力も関係してくるので、

私が時々アドバイスをするようにしています。

日本語での思考だと

現地人には通じないかもしれないことや

海外での主張のしかたや契約等の注意事項などは

私の経験から伝えることもあります。


長女は日本企業でのインターン経験もあるので

私のアドバイスはほぼ必要ないと言えます。


次女に関してはまだまだ発展途中かもしれません。

私自身の経験で言えば、

日本語の表現力が増すと、

外国語も上達するという相乗効果があると思っています。


流行り言葉をベラベラ話す外人よりも、

きちんと文法のしっかりした言葉を使う人の方が、私は好感を持ちます。

それと同じで私も娘たちには、その国の言語を学ぶと同時に

日本語もきれいに話して(書いて)ほしいと思っています。



2025/03/30
89「海外音楽修行②・次女」  

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。


今日は次女の話をしましょう。

次女は高校生活を日本で終えて、大学生からスイスへと勉強の場所を移しました。

音楽高校時代はコロナ禍全盛期。

音楽家として若い時に研鑽を積まなければならないオーケストラの授業や室内楽、

演奏会などが軒並み中止や延期になる厳しい時間でした。

長女と部屋も寝室も一緒だったため、姉妹での話は頻繁だったようで

大学を海外で過ごそうという目標はわりと早く訪れたように思います。

私自身は大学からの海外生活には反対でした。
せめて20歳までしっかりと日本で勉強し
生活基盤を学んでからでも遅くないと思っていました。
それに、大学講義を日本語以外で学ぶのは
相当厳しいものだということは
実姉の経験談からもわかっていたつもりです。
それでも次女はあきらめず、

コロナ禍でも、自分の技術不足を補うためにコンクールへ参加してみたり、

オンライン講習会に参加してみたり、

規制が緩んだタイミングで渡欧する経験を重ねていました。


こちらもすべて自力。


正直に言えば、私自身が演奏活動や地域活動に忙しく、

更に父の介護も始まっていたので十分なサポートができませんでした。

フライトチケットやホテルの相談はもっぱら夫の役目。

夕食後の時間は夫と娘たちがそれぞれのパソコンを持ち寄って、

ヨーロッパの状況やレート計算、ホテルや移動手段の相談でした。

高校生だった次女にはハードルが高いことが多かったのですが、

高3の夏には3週間の一人旅。

講習会を渡り歩き、移動も一人でスーツケースと楽器を背負って汗だく。

「なんだか黒いTシャツが白く塩が吹いてるのよ」

と笑いながら写真を送ってくる姿を頼もしく感じたりして。

秋になってようやく巡り合えた教授に決めてから、フランス語の勉強が本格化しました。

大学課程は座学があるので講義はすべてフランス語。

我が家には仏語のわかる人がいないので、次女は孤軍奮闘。

話題に哲学や政治経済の話が一般的なフランス人の先生との会話に

「クジラの乱獲について考えを述べるなんて、日本語でもしたことないんだけど・・・」

と言いながらレッスンに通っていました。

高校を卒業して一旦、単位履修生としてそのまま音大に通い始めた4月に父親が突然亡くなるという気が遠くなるような途方もない経験。

スイスの音大入学試験直前のことでした。

ほぼ同時に私の父も余命1ヶ月を宣言されていた時期でした。

すべてが崩壊しそうなとき、とにかく入学試験へ行くと決めたのは次女自身でした。

父親の葬儀の5日後でした。

「私はじさまの葬式には間に合わない。だから全部をお願いする」

と言いおいてやせ細った次女を見送るのは苦しかったです。

本来であれば入学試験を受けながら、街の様子を見学して住む場所の目星をつけて、秋学期の始まる直前に父親と一緒に契約するという予定を組んでいたのですが、予定を変更して教授の知り合いのお宅の一室を間借りするということになりました。

スイスで部屋を借りるというのはなかなか難しいです。

そもそも18歳の娘が部屋を借りることが難しい。

スイス人の保証人が必要と言われることが多いです。

しかし、スイスは小国であり、生粋のスイス人を見つけることが難しい!

間借りしていたお宅から移るときも、良い部屋に恵まれず、

保証人問題、親の収入問題(父親の死去と私の収入がないこと)などで学生寮も断られる始末で途方に暮れました。

結局、ひょんなことから知り合った音楽家のご夫婦のB&B用のスペースを借りることになり、私自身は心底ホッとしました。

スイスに移住してから、食べ物やストレスから蕁麻疹や体調不良が続いて心配でしたが、

私も自分の状況が厳しかったためfacetimeでのサポートしかできず、寝不足の日が続きました。

住まいが安心安全であれば、学校生活もほんの少し軽減されます。

本当は誰にも煩わされることのない一人暮らしが良かった次女の心中は複雑だったようですが、次の機会に期待してもらいましょう。

学校までの距離も列車で1時間強ということですから、近いわけでないので移動のストレスもあるようですが、何とか若さで乗り切ってもらいたいものです。

1年目は、一人で頑張らなきゃ、と背伸びをしてかなり危ない橋を渡ったこともあったようですが、覚悟をしたうえでの軌道修正はいつでも可能だと伝えています。

「○○せねば、○○すべき」という気持ちだけでは、気持ちが辛くなるだけになってしまう危険があります。

次女に関しては、辛い気持ちになったら日本に短期間の一時帰国を選択肢に入れても良いし、あまり切り詰めた生活にならないように伝えています。

とはいえ、自分で学校に奨学金の申請をして授与してもらう手続きをし、しっかり私を支えてくれている逞しさもあります。

自分の家庭環境について、二人ともそれを言い訳にしない強さを持っています。


なぜ、自分が海外で勉強しているのか?

なぜ、私はここにいるのか?


覚悟と決断を重ねたからこそ、

二人とも小さなステップを重ねながら

着実に歩いている姿を見せてくれているのだと思います。




2025/03/29
88「海外音楽修行①・長女」  

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。



私の留学日記は時効のことも多く、

自分のことなので遠慮なく書けますが、

娘たちのことは現在進行形のこともあり、

本人の言葉ではないので私からの目線でお伝えしていければと思います。


長女は大学2年生を終えたら海外での音楽大学で勉強をしたいという希望がありました。

しかし、大学1年生を終えた時にコロナ禍となり身動きが取れなくなりました。

私はコロナの時期がそんなに長くなるとは思っていなかったので、

出国できるタイミングがあればすぐにでも飛び立てるように準備だけはしておくように伝えていました。

しかし、状況は厳しくなるばかり。

長女はそんな時に出会った『学生エバンジェリストアワード』という若者の新しいビジネスを応援するプロジェクトに参加。

それまで経験したことのなかったプレゼン資料作成やピッチ、インスタライブや動画編集を夜な夜な作成していました。

不安な時期にそういった活動に参加することによって知識を増やし、音楽学生以外の知り合いから受ける刺激に翻弄されながら、貴重な経験を積んでいたと言えます。

ほぼオンラインでの活動だったのですが、その後も交流が続いているらしく、

それぞれの場所で切磋琢磨している若者が世界中にたくさんいるそうです。


私はなかなか長女自身の特性を見抜けなかったため、的確なアドバイスができず、小さい頃は「育てにくい子」でした。

言葉が出てこなくて自分自身にイライラしている様子や、少し子育てに意気込みすぎていた夫の存在の重さや気が短い私のそばで

いつもウロウロしていたような長女。

勉強の方法も中学3年生でようやく見つかったような遅咲きの長女。

それでも一度パズルのピースが決まったら飛躍的な進歩だったため、

コロナが長引くのであれば国立大学の修士課程に進学しようかと準備を進めていたくらいでした。

結局、大学最終学年は日本に留まって、日本の大学の学位を取得することを決めました。

ここまで引き延ばしてしまったら、最後の1年を焦ることはないという決断でした。

大学4年の時は、ほんの少し緩んだ出入国制限を利用してほぼ2か月に1回の割合で渡欧して音楽講習会参加と先生探しの旅へ。

どの先生が良いか、どの都市なら安全に過ごせるか。

小さなスーツケースと楽器を背負って、自分の目で見て確かめて感じる日々。

遠い日本から参加しているのだから、短い時間でたくさんの情報を集めることが大事です。

「学生エバンジェリストアワード」で鍛えられたコミュニケーション能力を活かして比較検討を重ね、親の私たちにプレゼンをする日々。

先生はどんな人だったか、どんな街だったか、どんな勉強ができそうか、自分の強みは何か。


音楽講習会中にコロナに罹患してフラフラになりながらバスに乗って抗体検査にでかけたことや、

安いホテルに泊まっていたものの、身の危険を感じてSOSの連絡をしてきたこともありました。

成田空港発着のフライトしかなく、電車を乗り継いで出かけて行ったこともありました。

事前準備は途方もない時間と労力を費やしました。


今の時代、「留学」といえばエージェントがきめ細やかにサポート体制を整えてくれて、

安心して現地で自分の専攻する勉強に専念することができるようです。


その恩恵にはない、自分で考え行動する基礎はしっかり身についたように思います。

じっくり検討しながら
先生たちとも話し合いを重ね
自分の行きたい方向性を考える。
こちらが焦ってしまうくらいに
本当に時間をかけて受験する大学を決めていました。
入学願書を揃えて日程を決め
試験のために滞在するホテルもじっくり検討。
その間に父親と祖父の葬儀を経験しました。
私の心の支えにもなってくれて
厳しい現実も心の嵐も共に歩んだ日々がありました。

進学する大学が決まったのは2023年7月。

大学を卒業し、冬学期が10月から始まるタイミングでした。

それから、住む場所を探すのも一苦労。

すでに入学試験の時に街の下見をして、

安全な地域や単身者用のアパートがある場所をチェックし、

その後はひたすらネットで情報収集。

新築の物件を探してエントリーして結果待ち。


家が決まったのは出発の2週間前。


長女はほぼ一人で全部を乗り切りました。

私は唯一、生活用品をEMSで送付するときに
郵便局へ荷物を車で運んだだけ・・・です。




2025/03/28
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

コンサートのご依頼をいただく時に
様々なアプローチを考えます。

  • どんな場所で弾くのか
  • どんなお客様が聞きにいらっしゃるのか
  • 季節はいつ
  • 時間帯はいつ
  • どのくらいの長さのコンサートか
  • 演奏させていただく場所に特別なことがあるかどうか

たとえば先日の地域でのコンサートの場合

  • 演奏する場所は区役所のホワイエ
  • お昼休みの30分間
  • 区役所に訪れる人・通りがかりの人・コンサート目当ての人・区役所職員
  • 耳の肥えている人も聴きにいらっしゃる傾向がある
  • 季節は3月(春を意識する)
  • 東日本大震災を思い出す時期

そんなリサーチから曲目を選択していきました。
  • ミヨー:春 (春のイメージそのまま・ちょっと不安定な5拍子)
  • 花は咲く:菅野よう子(14年前を思い出して、その時の混乱から今の状態を見直す・改めて防災意識を高める)
  • ヴァイオリンソナタ第7番:ベートーヴェン(少しハードルを上げて聴いていただく・私の本業とする本物を届けるための演奏)
  • 剣の舞:ハチャトゥリアン(よく知られている曲を楽しく・ヴァイオリンの変わった奏法の説明)
  • 日本の歌メドレー:寺本睦美(美しい日本の四季を改めて感じてもらう・日本人としての誇り)

こうして一連のストーリーを作成して臨みます。
この構成を考えているときがとても楽しいです。
曲の組み合わせや順番によって
ガラリと雰囲気が変化するので
大体のMCも考えておきます。
(私の課題はこのMCをもっと充実させることです)

未だにクラシック音楽は堅苦しくて
敷居が高いと思われがちですが
聴き慣れていくと
楽しいものに変化していきます。
ラジオやテレビ、映画の中で流れてくる音楽も
よく聞いてみればクラシックの音楽が使われていることが多いです。
地域での小さなコンサートから
少し大きいサロンコンサートへ
その先の大きなホールで聴く経験へと
ステップを踏んでいければと思います。

音楽は生きていくうえでの最重要事項ではないけれど
生きることの豊かさと彩りを与えてくれます。
そのことを知っているのは
これから先の人生を
より密度の濃いものにしてくれると信じています。

4月10日の札幌北一条教会主催・お昼のコンサートは
教会の講堂で
祈りと共に内省する時間なので
お話はありませんが
日常のひと時を離れて
自分と音楽に浸るひと時となります。
心の中に在る
様々なことを
音にのせて表現できればと思います。







2025/03/27
86「音楽家の親の役割って?」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

私の両親は音楽家ではありません。
父は日本の高度成長期を支えたサラリーマン世代で
昭和ひとケタ生まれでもあるので
黙々と働き
家族のために時間を惜しんで協力し
家事子育ては母に一任でした。
その頃の男性にしては背が高く
学生時代に野球をしていたこともあり
姿勢が良くて
学校行事などで父が見学に来るのは
ちょっと鼻が高かったです。

母は専業主婦でしたが
本人曰くあまり料理が得意ではなく
いつも気が重かったそうです。
少しおっちょこちょいで
チャーミングなところもありましたが
怒ると(めちゃくちゃ)怖かったです。
いつもこざっぱりとした装いで
ふわりとシャネルの香水を香らせていたので
私自身もかなり若いころから香りには鼻が利きました。
PTA役員や役職を引き受けることも多かったのですが
どちらかというと家族の予定を優先していたので
それほど忙しそうにしている様子を見ることはありませんでした。

両親とも私たち姉妹には
音楽の世界を
わからないなりにも理解をし
大きな愛情をもって育ててくれてました。

小さいころから私たちのおけいこに共に通い
両親にとっては全くの未知の世界である
音楽の道に進む私たちに
音を上げずについてきてサポートしてくれたなぁと思います。
その頃のお稽古事は
指導する先生の言いつけが絶対。
とにかく従順にレッスンに通って
先生の言うことを丸のみして
言われたことをきちんと守ること。
その後、私も姉も
ドイツでの生活で
音楽に対する姿勢が変化してきたので
両親も理解するのに苦労したかもしれません。

自分にはわからない世界って
本当に不安で、あれこれ手を焼きたくなります。
そして、これで良いのか、あれは必要なのか、
こんな準備をしてみたら、ここへ行ってみたら…と
口出すことも多くなると思います。
言われた方は、自分で考えることもなく
準備されたものをこなしていくことに
必死になります。

もしかしたら
その方が安心安全で
手間がかからず目標地点にたどり着けるかもしれません。
そして、自分で考えたわけではないので
たやすく人のせいにできるかもしれません。
だって、私が選んだんじゃないもの…と。

私の両親は敢えてそのことをしませんでした。
「あなたの演奏を聞くのが好き」
「あなたの演奏している姿を見るだけで充分」
ただそれだけ伝えられ続けていました。
もしかしたら・・・
もしかしたら・・・
私たち姉妹への情熱が、そこまでなかったのかもしれませんが・・・
聞く術はありません。


いま、親の立場になって
音楽家の親から
音楽家の娘たちへの立ち位置に
ちょっと戸惑うこともあります。
どこまで言って良いのか?
どこまでサポートしたら良いのか?

わかりすぎる世界だからこそ
言った方が良いこと
言わない方が良いことがあるように思えます。

どちらかと言えば
言わないことの方が多い私は
もしかしたら
娘たちには不評かもしれませんね。



2025/03/26
85「留学の思い出⑤」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

私の留学生活の記事、最終回は帰国を決意した話です。

自分の音楽を深めつつ
近隣国で開催されるコンクールを受けたり
コンサートの依頼があって演奏したり
オーケストラでの経験が次へのステップになって
ドイツでの生活はとても充実していました。

毎日演目の変わるオペラ座での仕事は
本当に楽しくて
今日はバレエ、明日はオペラ
来週はシンフォニーコンサート、と
少しずつ演目の詳細が分かってくると
自分の技術も上達してきて
更に高みを目指してチャレンジしてみたい気持ちも沸き上がりました。

他のオーケストラのオーディションを受けながら
少しずつ手応えを感じていたのも事実です。

そんなこんなで
私はあまりその先のことを考えていませんでした。
「自分の音楽を追求したい」という思いだけで

ドイツでの生活を続けていくのか?
日本へ帰るのか?

ぼんやりとした思いを頭の隅に追いやりながら
選択を先延ばしにしていたように思います。

ただ
「私はいつか日本に帰ろう」
「日本で基盤を作りたい」
ということは常々考えていました。
「人生のパートナーは日本人がいいなぁ」ということも
理由の一つかもしれません。
(日本食ってやっぱりおいしいね、って一緒に食べたいと思った)
20代後半になれば、当然結婚も視野に入ってきます。

私はどんな人生を送りたいんだろうか?

音楽家をあきらめずに
子どもを育てながら
更なる自分の音楽を深めていきたい

欲張りな思いしか浮かびませんでした。
そんなにうまくいかないよな~とも思っていました。

夫に出会ったときに
「この人とだったら一緒にその道を究められるかもしれない」
と思いました。
いろんな話をしながら
彼も私の音楽家としての演奏を聞いたり
オペラの仕事を見に来たり
その先のことを考えてみたり。
最終的には
私自身が「よし、日本に帰る」と決意して
彼に結婚を申し込みました(←逆プロポーズ)

きっと、意見の違いもあるだろう。
うまくいかないこともあるだろう。
でも、ここで決心しなければ
私は日本へ帰る機会を失ってしまう。

全てが「だろう」という仮定の話でしたが
あの時の決断は間違っていなかったかな、と思います。
夫はいつも、この時の話になると
「あの充実した生活から君を引き離すのはもったいない、と思ったし
日本に帰ってきたことを後悔させたくなかった」と言っていました。

あの時決めた決断に
迷いがなかったわけではありません。
もう少し、オーケストラの仕事を続けて
他のポジションに挑戦していたら
違う出会いがあったかもしれない。
もっと演奏の経験を積んでおけばよかったかも。
あのままドイツにいたらもっと余裕のある生活だったかも?
たら、れば、の話の結末は誰にもわかりません。

自分が決断したものしか残っていないのです。

私は自分の決断したことで
得たこと
失ったことを
よくわかっているつもりです。

その経験はいま
娘たちの話を聞いて
私自身の経験談を語ることで役に立っています。


先人の経験談を聞くことは勉強になります。
たとえ時代が違っていても
状況が変化していたとしても
受け取る側が真剣に耳を傾けることができれば
解釈は無限大になります。

いま、二人の娘たちが海外で奮闘中です。
そんな話も
今後、お伝えしていければと思っています。







2025/03/25
84「留学の思い出④」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

私が留学して2年目を過ぎたころから
オーケストラ入団を目指して職探しをする学生に目が向くようになりました。
ドイツのオーケストラは当時、なかなかポジションが空かなくて
オーディションを受けるのもかなり大変でした。
申し込みをしても書類審査で落とされることが多いのです。

留学するために奨学金を取り損ねた私は
父に迷惑をかけないためにも
少しでも働きたいと思っていました。
そんな時に、各オーケストラには「Praktikum(プラクティム)」という
インターンシップ制度があることを知りました。
学生のためのポジションですが、半分の勤務体制で
オーケストラで学びながらしっかりとお給料も支給されるというもの。
住んでいる都市のオーケストラが
そのポジション(第1ヴァイオリン)のオーディションが行を行うとのことで
なんとしても合格したくて頑張りました。
オーディションは下記のような課題曲がありました。
  1. モーツァルトの協奏曲から第1楽章とカデンツァ
  2. ロマン派の協奏曲の第1楽章
  3. 指定されたオーケストラスタディ(交響曲やオペラの中にある指定された場所)を演奏する
指示された協奏曲は弾きなれたものでしたが
オーケストラスタディだけは、経験が無かったので指導教授に
レッスンしてもらって勉強しました。
  • 指定されたテンポで弾くこと
  • テンポの中で音楽的に演奏すること
  • 他のパートを頭の中で鳴らしながら弾くこと
幸い、日本の高校大学でのオーケストラ経験が大いに役立って
弾くことに苦労することはなかったように思います。

最初の仕事はシュトラウス作曲の「ばらの騎士」の中で
舞台袖で演奏するバンダでした。
第3幕途中での演奏なので、同僚たちが演奏中に控室に行って準備し
他のバンダ仲間と共に袖に行き、指揮者に合わせて演奏し
終わるとそそくさと帰る・・・というもの。
始めは何を着ていけば良いのかもわからず
指定された時間で本当に良いのか
ドキドキしながらオペラ座に行ったものです。

その後はシンフォニーコンサートとオペラの仕事。
シンフォニーコンサートは5日間の練習期間と
3回の定期演奏会。(その当時は木曜夜公演・金曜夜公演・日曜昼公演)
オペラの仕事のインターン生は、
そのシーズンでリニューアルした演目のオペラを
オーケストラリハーサルから、歌手とのリハーサル、舞台リハーサル
通し稽古・本通し稽古・初日以降もずっと弾いていました。
その作品は忘れもしない「マハゴニー市の興亡」(クルト・ヴァイル)

そのうち、様々なオペラ作品を弾かせてもらうことになり
特にワーグナーの作品はほぼ一通り弾いたかもしれません。
(ニーベルングの指輪4部作・ローエングリン・さまよえるオランダ人
タンホイザー・トリスタンとイゾルデ・パルジファルなど)
他のオーケストラでこんなにたくさんのワーグナー作品を演奏する場所はなかったので
とても貴重な経験でした。
(ワーグナー作品を歌える歌手が限られることと、指揮者がいない。
指輪4部作は1週間で全作演奏するので、演奏者も慣れていないと大変です)
オペラ座にはバレエ団もあったので
バレエの曲もたくさん弾きました。
(バレエは難しい曲が多く、譜読みに苦労しました)

団員向けに安価なチケットが準備される制度もあるので
友だちに見に来るように誘ったりしました。
オーケストラピットで演奏していると
舞台で何が行われているか知らず
「全然違う解釈で面白かったわ!」と言われても
「へええ・・・」と言うしかなかったりして…

クリスマスも新年も日本へ帰ることが少なかったので
休暇を取りたい同僚の代わりに嬉々として演奏していました。
大みそかの日はたいていミュージカル仕立ての「マイ・フェア・レディ」の公演があり
楽しくて幸せな気分で舞台を終えて帰宅すると夜の11時を過ぎているので
そのまま起きて日本の両親に新年のあいさつの電話をすることもありました。

インターン生の面倒をみるのはたいてい古参の団員。
私の担当は引退を2年後に控えたおじさんでした。
古き良きレコード時代の話と逸話をたくさんしてくれました。
音楽の中にかくれているモチーフの音を得意げに鳴らしたり
オペラのセリフを演者と同じように口パクで演じたり
私がいちいち驚く表情をするとさらに饒舌に語ってくれましたが
同僚のみんなは「また始まったよ」とばかりにニヤニヤしていました。
彼は仕事を終えて退勤するのが早く
「じゃあまたね!」と握手をして終演5分後には
ハンチング帽をかぶって颯爽と控室を出ていっていました。

まぁ、他の団員も退勤は早くて
聴衆よりも早く市電に乗り込むことが多かったです。

とにかく早く家に帰る!

彼らの姿勢は徹底していて、とても参考になりました。

私が今でも撤収が早いのは

この頃の名残かもしれません。

そして
決められた時間は最善を尽くして演奏に集中するが
仕事ではないことには徹底的に排除する。
労働組合の主張もしっかりとしていて
その毅然とした態度に驚いたことも多々ありました。


私にとって忘れがたく
楽しくて生き生きとした時間でした。




2025/03/24
83「留学の思い出③」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

言葉の苦労をしながら始まったドイツ留学生活。
担当教授から大学内で開催される
ピアノとヴァイオリンのデュオコンクールへの参加を勧められました。
優秀な成績であれば、全国大学コンクールへの出場権が得られるとあり
教授陣も采配を問われます。
当然、各クラスから精鋭が送り込まれるということもあり
選ばれるだけでも光栄なことでした。
(賞金もなかなか良い金額であった…)

私はポーランド人の女子と組むことになりました。
2歳年上で同じ修士課程で勉強しているとのこと。
楽譜の受け渡しのために電話をした日、
私はセリフをメモに書いていたのですが
どうしても通じない部分があり彼女を困らせました。
(なるべく早く渡したい、と言いたいところを
”早く”の単語を省いていたので意味が分からず何度も聞き返されて
やっと私が間違いに気づいた、という…)
それでも
私のおぼつかないドイツ語にも辛抱強く相手をしてくれて
彼女とは音楽以外でも本当にお世話になりました。
ポーランド人は奥ゆかしい人が多く
あまりグイグイと迫ってくる感じがなく
距離感がちょうど良かったです。
心を開いて話すタイミングも
ゆっくりと時間をかけてだったので
彼女と様々な話ができるようになったのは
一緒に演奏をするようになって
半年を過ぎてからでした。
彼女はポーランドで音楽教育を始めたのですが
両親のドイツ移住に伴って
ギムナジウム(大学進学を目的としているので勉強が大変な教育過程)に入学して卒業しています。
ドイツ語で論文まで書いているので
とにかく頭脳明晰。
話題の幅も広くて、話していてとても楽しかったです。
私の会話力は彼女との話で磨かれました。


ヴァイオリニストはピアノと一緒に演奏することが多く
室内楽も慣れているほうですが
ピアニストは室内楽の経験はなかなかめぐってくるものではありません。
彼女は経験が少なかったので苦労することも多かったと思います。
ピアノの技術は優秀だったので、見る間に上達していきました。


「カオリ、一緒に映画を見に行こう!」
彼女に誘われて、たくさんの映画を見に行きました。
ドイツの映画館は、ほぼすべてがドイツ語吹替なので
ちょっと不思議な気がするかもしれません。
(ケヴィン・コスナーがドイツ語しゃべってる~って驚きました…)
アクション映画・ラブストーリー・コメディ等々
見たい映画を片っ端から見ました。
「シンドラーのリスト」を見た時は
満席のドイツ人に囲まれながら
二人で何とも言えない思いになりました。

そのあとはお茶を飲みながら音楽論や政治経済、
生活の知恵から家族のことまでなんでも話しました。

彼女の家族にもお世話になりました。
ドイツ生活2年目には
クリスマスを彼女の家族と過ごしました。
「クリスマスを一人で過ごすなんて!うちにいらっしゃい!」と
豪快なお母さんに誘われて
伝統的なポーランド料理をごちそうになったことは
貴重な経験です。
歯科医のお父さんは私の虫歯を治療してくれたし
いつも私の両親の心配をしてくれました。
「娘が一人で外国に住んでいるなんて心配に違いない」といって
「この家を自分の家のように思いなさい」と言ってくれました。

海外でのひとり暮らしは
孤独で危険と隣り合わせでもあります。
信頼できる人や心許せる家族に巡り合えるのも
なかなか至難の業でもあるのです。
その当時も偏見や差別は存在していましたし
そのためにイヤな思いもしました。

身を助けてくれるのは自分の音楽。
そしてコミュニケーション。
拙くてもいい
完全でなくてもいい
とにかく自分の思っていることを
伝える努力。

それは今の自分にも言えることで
大切なことは今も昔も変わらないのかもしれません。





2025/03/23
82「留学の思い出②」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

私が留学のためにドイツへ向かったのは6月。
その当時は、教授のクラスに生徒を受け入れる枠があれば
教授と生徒との取り決めで入学をすることができました。
私はあらかじめ教授と連絡を取って入学希望を伝えておいたので
入学試験は形式的なものでした。
私は日本の音楽大学を卒業していたため
ドイツでは修士課程に在籍することになりました。
試験で「何を弾くのか曲目を教えてください」と言われて
アタフタとドイツ語で答えた様子を審査員の先生方が
ニコニコと見守ってくださいました。

冬学期の始まりは10月。
それまでの期間は、生活を整えることと
ドイツ語の学校へ通おうと思っていました。
7月からの2か月は午前中はドイツ語学校へ。
グレード試験で調子の良すぎた私は中級クラスに入ってしまい
レベルが高すぎて宿題が全然間に合わず
半べそをかきながら勉強に追われました。
クラス変更を相談したのですが
下のクラスの人数が満席だったため
そのまま留まることになりました。
でも、なかなか上達しなくて悔しかったです。
私の勉強方法もあまり効率的とは言えず
それまでの学生生活を少し後悔しました。

他の生徒は文法や単語が間違っていても
ドンドン発言して他の人をグイグイ引っ張って行く。
そのうちスペイン語やフランス語が混ざってきて
教室中が言語のるつぼになって講師が頭を抱えることも数知れず。
言葉に対しての危機感を持っていなかった私には
あっけにとられて見ているしかなかったです。
そこで学んだことは
「沈黙は金ではない」
何か言わなければ…と思ったものの
当時はすべてにおいて無知すぎて
自分の意見を言うことができませんでした。


2か月の間に、学校主催の旅行でハイデルベルクへ行ったり
仲良くなった友人4人でアムステルダムへ行ったり
異文化交流は楽しいものでした。

今でもあの時に使っていた教科書を眺めることがあります。
所々にメモしてある言葉の拙さに笑ってしまったり
苦労した痕跡に懐かしい思いが蘇ります。
講師のドイツ語のアクセントや
私を心配してサポートしてくれた友達の顔
教室の雰囲気はいまなお鮮明な思い出です。

海外に住むのであれば、やはり言葉は大切です。
日本人のように「空気を読む」ということができない彼らには
どんな仕草や表情よりも言葉で伝えなければなりません。
主張する・断る・同意する。
どれもヨチヨチ歩きのドイツ語でも意思表示するべきなのです。

それでもなお、根底に流れる日本人の心は
完全に流れ落ちることはなく
より大切にしたいものだと思うこともたくさんありました。
奥ゆかしく、思いやりがあり、芯のある大和魂。


言葉って難しいです。






2025/03/22
81「留学の思い出①」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

私は今から30年以上前に
ドイツに音楽留学しました。
小学生時代を父の仕事の関係でデュッセルドルフに住んでいた経験と
その時にお世話になったヴァイオリンの教授が音大で教えていたこともあり
わりと簡単に留学を決めてしまいました。
というのも、
私の人格形成は感性豊かな小学生時代に培われたからだと思います。
ドイツの生活や空気感、時間の流れや音楽への向き合い方すべてが
帰国した後も鮮明に形作られていたので、
ドイツへ戻って自分の音楽を完成させたいと
駆り立てていたのでしょう。
奨学金の申請のために書いたエッセイには
「無意識に吸収されたものは、当たり前として忘れ去られてしまう。
本質を意識的に知るということ、それこそ大切なことだと思う。
何かを”何となく”ではなく”本質”を指摘できるようになりたい。
ドイツに滞在することによって、慣習、生活を越えたさらに深い
”意識”を体得したいと思っている。」と小難しいことを書いていました。
今読み返すと恥ずかしいけれど、その時は必死だったことは確かです。
(残念ながら奨学金を受けることができず、自費留学をすることになりました)


当時は、問い合わせをするにも手紙を書いたり、国際電話をかける・・・という
なかなかハードルの高いものでした。
それでも、ドイツへ行くことは必然!とばかりに
大学を卒業してすぐに飛び立ちました。

大きいスーツケース1つと、大きなラジカセ(!)を手荷物に
相棒の楽器を背負ってフランクフルト空港にたどり着いたときは
身が引き締まる思いがしたものですが、内心はワクワクして
壮大な夢を描いていたような気がします。

ドイツ生活の中で楽器を練習できるアパートは希少なので
ツテを駆使して借りた部屋は
中庭に面した古い建物でした。
昔は召使が住んでいたんじゃないかと思うような
床がベコベコの暖房器具もない(冬は寒くて頭が冷え冷えだった)
10分しかお湯の出ないシャワーボックス。
洗面所はなくて、キッチン(のような)流しで顔を洗う。
冷蔵庫は冷凍室がないので食材の冷凍保存ができず
食器を収める戸棚も小さすぎてドアが壊れている。
極めつけはトイレが部屋のドアを開けた先にあるという
珍しいを通り越した造りでした。
「地下室も使えるから」と言われたものの
見に行くと真っ暗でジメジメとした
土壁がむき出しになった場所だったので
用途が思いつかず
一回見に行った後は行きませんでした。

洗濯機は2ブロック先のコインランドリーへ
シーツやベッドカバーなどの大物を洗うだけで
乾燥機は使いませんでした。
なぜなら、時間がかかるし高かったから…
日常の洗濯は手洗いでした。

それでも、交通の便が良く
一人暮らし初心者の私は
毎日スーパーへ買い物に行き
コツコツと自炊をして
ドイツ語の勉強をしながら
ヴァイオリンの練習をする毎日に
満足していたものです。

苦労したことは本当に数知れず。
失敗は記憶を封印して思い出さないようにしています。

ドイツ語もおぼつかず
英語も全然通じないくらいの言語能力で
とにかく自分の演奏だけを武器に戦っていたような感じでした。





2025/03/21
80「4月の演奏情報」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今年の春は演奏機会をいただくことが多く
次のコンサートは4月10日に札幌北一条教会で演奏します。
教会でのコンサートいうこともあり
静かに30分間を音楽に浸るという
演奏する私自身もとても贅沢な時間となります。

7年前にも演奏させていただいたことがあり
今回は2回目です。

先日のお昼のコンサートとは違って
ほぼ全曲を独奏で演奏します。

  • テレマン:ファンタジー第5番
  • ビーバー:パッサカリア
  • イザイ:無伴奏ソナタ第5番より「オーロラ」
  • バッハ:マタイ受難曲より「憐れみたまえ、わが主よ」←オルガンと共に演奏します(教会オルガニスト・工藤羊子さん)

お話もなく静かに始まり
演奏後も最後に拍手をいただく形式なので
内省する時間として最適です。

演奏を聴いている空間で
様々な思いを巡らせながら
共にその場に在る

音楽が引き寄せあい
つながりを強め
その場その時間を
豊かにしていく時間

お近くの方はぜひいらしてください。
心よりお待ちしています。

札幌北一条教会
中央区北1条西13丁目


余談:段差に突っかかったり
iPadやペダルを落っことさないように気をつけなければ・・・








2025/03/20
79「自分の苦手をChatGPTに任せてみる」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今回のコンサートMCを作成するときにChatGPTを利用してみました。
作曲家の名前と曲を入力して
「この作曲家と作品について教えて」と
付け加えるだけである程度の情報を教えてくれます。
それだけで私には十分でした。
その内容が正確なものであるかを見極めるための精査は必要ですが
年号などは、ほぼ正確でした。

私がいつもMC作成でつまずくところが
この事実確認と正確な年号・正確な場所の名前だったので
その作業を任せられるのはとても快適でした。
(ある程度の情報があらかじめ揃っているところに
自分の情報を付け加えていく作業は得意です。
元になる事実を最初から集めるのが苦手・・
という怠慢な性格です)

今まではどうやって活用するのかわからなかったChatGPT。
まだまだ使い方は初歩的ですが
こうして試行錯誤しながら利用しつつ
自分の作業に活かしていきたいと思いました。



どんなコンサート後も
若干「もぬけの殻」状態になるので
思考が中途半端になります。
そこはどうすればよいのか?
ChatGPTに相談してみることにします。
どんな答えになるのかしら?





2025/03/19
78「本番演奏を終えて次の課題」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今日は今年初めてのコンサート。
朝の6時に起きると雨模様。
仕方ないなぁ、と思っているうちに
見る間に雪に変わって
庭に積もっていく様子にかなり焦りました。

ピアニストのお迎えをどうしようかしら?
このまま降り続いたら
会場までどうやって行こうかしら?

それでも野生の勘で
「いや、雪は止むはず」と
準備を進めていきます。
(根拠のない自信はいつもの如く)
いつものように、朝のルーティンをこなしながら
とにかく忘れ物をしないように荷物を準備。
着ていく洋服もストレスのかからないものを。

発声練習をしたり
口を開ける練習(指3本分を縦に口の中に入れる)
リップロールをしたり
腹式呼吸をしてみたり
先日の話し方講座の実践。

空気が乾いて冷たいので手を温めながら
指慣らしのために練習曲をゆっくり弾く。

ピアニストは時間通りに9時半に駅に到着して
お迎えも完了。
リハーサルを終えて会場へ移動。

本番まで控室にて待機。
iPadやペダルの調子を確認して
着替えは2分で完了です。

今回はMCに工夫をしてみました。
  • 言葉を最後まできちんと言い切ること
  • 伝えたいことはストレートに伝えること
  • 照れや遠慮をしないで本音を語ること
おかげで少しだけ言葉選びに変化が表れたように思います。
これも経験を重ねていかないとできないこと。
まずはやってみる。
そういう機会をいただけたことに感謝です。

ただ、苦手意識のある自己紹介やお話のつなぎ部分は
改良の余地がありそうです。
私らしい表現方法など
もっと磨いていきたいものです。
課題がたくさんみつかる本番です・・・


ほんの30分といえども、
内容は盛りだくさん。
聞いてくださる方も、初心者さんから耳の肥えている方まで
幅広くいらっしゃいます。
私の演奏が心の琴線にふれることができたら
良いなぁと思います。

聞きに来てくれたお友だちが
花束を持ってきてくれて感激。
「やっぱり日本の歌にジーンとして涙が出てきちゃった」
そう、日本の歌には私たち日本人が遺伝子的に持っている
懐かしくて、切なくなるメロディが心に刻まれているのだと思います。
そう感じてもらえて、嬉しかったです。


ミヨー春
菅野ようこ:花は咲く
ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第7番より第1楽章
ハチャトリアン:剣の舞
寺本睦美:日本の歌メドレー





2025/03/18
77「コンサート前日って何をしてる?」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。


コンサート前日の音楽家って、何やっているの?

これは本当に人それぞれですが
私の場合は
普段とあまり変わらない1日かもしれません。

各曲のイメージ画像や細かいディテールを
頭の中でシミュレーションしながら
ゆっくり練習したり
全曲を通して弾いてみたりします。
演奏している姿を鏡でチェックしたり
衣装を着て弾いてみたり
靴を履いて弾いてみたり。

MCがある場合は、
話の内容の順番を確認したり
必ず言わなくてはならないことを
メモを作って覚えたり。

あとは忘れ物がないように
メモ書きするのは必須。
今は、iPadや譜めくり用のペダル
充電器や電池などもリストに加えます。
そして、
タイムスケジュールを書き出すのも大事です。
どのくらいの時間に
何をするか、というのは
心の余裕にもなります。

最後に
弾き終わった後の自分を想像して仕上げ。
必ず、笑顔でお客様にお辞儀をしている姿を頭に焼き付けて
前日はおしまい。

私はあまり、ゲン担ぎをしたり
細かいことにこだわらないし
かなりシンプルに本番を迎えているほうかもしれません。

食べ物だけは
生ものは控えるようにしています。
(飲みすぎないのも大事・・・)

子育て中は
本番前日の夜に、
競泳大会出場の娘のためにお弁当を仕込んでいたのは
毎度のこと。
そのほか、リサイタル前日に
断り切れなくて小さなコンサートに出演したこともありますし
今回も今日は地域の会議に出席していました。


生活の中に音楽がある。
演奏する音楽家も
生活者のひとり。

私の演奏の中に
生活の香りがするのであれば
それこそ私が望んでいることです。





2025/03/17
76「あおば音楽ひろば・明後日」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

明後日は地元の区役所にて演奏予定です。
お昼休みの時間に
吹き抜けの場所にて
ちょっとした曲目解説などのお話も含めて
ヴァイオリンとピアノの音色を楽しんでいただけたらと思います。

今日は最終リハーサル。
細かいタイミングやテンポの確認
お話の内容を確認しながら
ピリリとしつつも
楽しい時間でした。

30分という短い時間の演奏は
アタマのスイッチ切り替えがカギになります。
演奏に集中しつつ
余韻を残しつつ
次の準備をしつつ
流れを止めない・・・
毎回緊張します。

ヴァイオリンの音色を
色々楽しんでいただきたいので
緩急混ぜてのプログラムは
演奏者側にとって思いのほか過酷・・・

今回は
先日受講した「話し方講座」から得たものを活かして
思いの伝わるコンサートにしたいです。
(早起きしてリップロールの練習しなければ!)

演奏者が楽しんでいれば
聞いてくださるお客様も安心して楽しむことができます。

ご一緒に、良い時間を創りませんか?
お待ちしています。


2025/03/16
75「時間を仲間にすること」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。


練習についてお話した時がありました。
主に小さいお子さんのため、初心者さんのために書いたものでした。


今日は
私の1日の時間配分についてお話ししましょう。



前日の夜にはタスクを書き出す

翌日の予定を前日の寝る前に確認して
タスクを書き出します。
この時、タスクが多いと感じても
とにかく書いておく。
頭の中を空にして寝ます。



朝時間に集中する

朝のルーティンの中で
予定確認の時間を取っています。
優先順位の高いものから時間配分を決めて
タスクをどこで消化するかをスケジュール帳に書き込みます。
ギュッと集中して、本当にその日に必要なことだけセレクトします。



予定やタスクを消化する時間は自分の最適な時間と合っている?


スケジュール帳を見渡して、時間配分はあっているか
自分にとってその行動が最適な時間にあるか確認します。

私はヴァイオリンの練習時間は
幼い時からあまり変わらず
集中するのは夕方の時間です。
その時間を確保できるように予定調整するので
必然的にその時間以外で他のことをこなします。
しかし、苦手な事務作業や連絡作業も
夕方の方が効率よくできることが多いので
練習時間をずらしたり、早めに手を付けたり、と
調整をすることもあります。



お昼寝の時間(休憩時間)大切

休む時間も大切です。
私は年齢のためか、疲れやすく
持続力が続かないことも多いので
昼食後は身体を休めるようにしています。
ちゃんと確保することが大切。


行動時間を必ず計測する!

書類作成や執筆活動にかかる時間、
掃除洗濯などの家事時間、
買い物にかかる時間は
常に意識して時間を測るようにしています。
そうすることによって
空いた時間を有効的に使うことができ
1日の満足感が得られます。
この、1日の満足感・達成感を得たいために
私は頑張ろうと思っているのかもしれません。

今日の満足感はどのくらい?

私が苦手としている振り返り。
「今日1日、どのくらいの満足度?」と
5段階評価で
数値化してメモするようにしています。
あまり細かいところは気にせずに
気持ち優先で考えています。
これは習慣化の途中なので
試行錯誤しています。





「時間」を手なずけて
見方にするのは難しいと感じますか?

気持ちをかえて
ちょっとしたゲーム感覚で
「時間」を育ててみてはいかがでしょうか?

そんな「時間のオーガナイズ講座」を
4月から定期的に開催予定です。
私と一緒に、「時間」を仲間にしてみませんか?










2025/03/15
74「ブログチャレンジに参加中」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

ブログチャレンジ100に参加して70日以上たちました。

私自身は毎日必死に書いていることが多いのですが
ご一緒しているチャレンジャーの方たちの記事を
読ませていただくことがとても楽しいです。
異分野の方の仕事の内容やノウハウ
物事の見方や感性など
普段の生活からは出会えないような
たくさんの情報をいただいています。


その中で魅かれるのが
その方の佇まいを感じる言葉の選び方。

心地よい文章の流れ。
目に見えるような情景描写。
思わず真似してみたくなるような心を動かすひとこと。

発信をすることは
自分の内側をのぞき込んで
その中の小さなカケラを四方から見まわして
言葉を紡いで表現することですが
一人で作業をしていると
かなり視野が狭くなってしまいます。

そんな時に
ふと訪れる他の方のブログ。

ヒントをもらったり
ドキッとしたり・・・

少し時間の緩やかな土曜日の朝は
思わず引き込まれて
気がつけば
え?今何時??

私は100本ノックのつもりで参加しているので
内容は・・・
とにかく書くことが目標です。


書き続けていくことによって
何か見つかるかもしれない、という気持ちで参加したブログチャレンジ。
私はまだまだ
道に迷ったり
光を見つけたり
落とし物をして無くしたり
70日以上たっても迷走中です。

器用ではない自分の性格に嫌気がさしても
なだめながら
励ましながら
もう少し歩いていきたいと思っています。




2025/03/14
73「子育て・私の場合」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

私には二人の娘がいます。
二人とも今現在は音楽の道を模索しながら
海外で修行中です。

私は常々【子育ては18歳まで】と思っています。
手取り足取り
彼らの主張に対して意見を述べ
とにかく我が家の主義を教える。
家庭の中での役割を徹底的に伝え
何にどれだけの労力とコストがかかるのかを
包み隠さず教えました。
数字の強さでその役割は主に夫でした。
娘二人とも
小学校高学年から中学生の反抗期には
なかなか苦労しましたが
夫と分担しながら
子育てに全力で向き合ったといえます。
(夫と長女は似た者同士なので
見ていてハラハラ。家の中が重苦しい険悪ムード。
翻って次女は、私と似ているので
ガチャガチャと口喧嘩の応酬と権力争いで大変)

18歳から20歳の2年間を移行期として
徐々に手を放しつつ
20歳を境に自力で道を模索して決断するように促しました。


もちろん意見を求められれば
私の意見を言いますが
最後に必ず付け加えるのは
「最終判断はあなたの判断だけどね」

どんな判断を下しても
本人が納得するのであれば
私がそれについてヤキモキする必要はありません。
伝えきった後から付け加えることはないからです。
娘たちは最初のうち
「なんだか放り出されたような感じ」と
不安になったり
「真剣に考えてくれていない」と
憤ったりするようです。

でも、いつか気がつきます。
「自分で決めたことだから納得。
その決定にたどり着くまでの道のりは
それまで教えてもらったことを辿れば
正解のはず」と。

子育ての正解はすぐに見えるものではありません。
大切なことを伝えたつもりでも
全然覚えていなかったり
見当違いなことを選択することもあります。
それでも、親が大切にしていることは
いつまでも伝えつづけるべきであり
その労力が思わぬところで花咲くこともあることを
彼女たちが教えてくれました。

そして、その伝え続けたことを礎として
自分でアレンジし
さらに高みへと展開させることができる姿には
感動と尊敬の念を抱きます。

とはいえ、
まだ20歳になったばかりの次女には
ハードルが高い事柄が多く
ジタバタと、もがいている様子もありますが
全てを自分でコントロールしつつ
海外での生活と学業を両立させていく姿に
エールを送りたいものです。



でもね、いつまでたっても心配は尽きないものです。
子どもという存在がある以上
いつまでも気になる、ということです。








2025/03/13
72「伝わる話し方講座を受講して」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。



先日、「伝わる話し方」という講座を受講しました。

講師は、元NHKアナウンサー・ラジオパーソナリティ

現在はライフオーガナイザーとして現場でも講師でも活躍されている

馬場あゆみさんです。

(長崎県在住の講師とオンライン講座受講!本当に便利な世の中になりましたね!)

馬場さんの豊富な経験から、プロの話し方を学ぶことができる講座ということで、

以前から興味を持っていました。


私がこの講座を受講した理由は、

自分のコンサートで曲目解説をしながら演奏する「レクチャーコンサート」の場面で、

自分の話し方がどのように聞こえているのかを客観的に確認したかったからです。

話す速さや内容の伝わりやすさにも自信が持てず、

一度プロの視点からアドバイスをいただきたいと考えていました。


講座は全2回の構成で、

事前に自分のコンサート風景を録画したものを講師に送り、

チェックしていただきました。

初回では、以下の4つのテーマについて学びました。


1. 自己紹介ってどうしてる?

2. どんな話し手になりたい?

3. 苦手意識をどうする?

4. 伝えるための技術


講座の最初に、自分の自己紹介を録音し、

他の受講生に聞いてもらって感想をもらうという活動を行いました。

私の声について「好きな声」「響く声」「年相応な声」といった感想をいただいた一方で

「話の始まりと終わりが少し印象に残りづらい」「所々、自信がないように聞こえる」

という指摘も受けました。

これらの意見は自分では気づかないことだったので、とても参考になりました。


「どんな話し手になりたいか」のテーマでは、

話すスピードや一文の長さ、

語尾の使い方など、具体的なポイントを学びました。

「苦手意識」については、

「おもてなしの気持ち」を持つことで

相手に伝わる話し方に変わるというアドバイスがあり、

非常に印象的でした。

こういった感覚は、一度で身につくものではなく、

経験を積み重ねていく必要があると感じました。


「伝えるための技術」では、

呼吸法や間の取り方、マイクの使い方など、実践的なテクニックを学びました。

また、講師の経験談を交えながら、

マスコミ対応やテレビ・ラジオ収録時のポイントなど、幅広い知識を得ることができました。


1回目の講座後には宿題が出され、

それを意識しながら1か月後の2回目の講座に臨みました。

2回目は、初回の内容を振り返るとともに、

学びを実際の現場でどう活かすかについて受講生同士で意見を交換しました。

ご一緒した受講生が新しい自己紹介を披露した際には、

格段に聞き取りやすくなり、話し方の雰囲気も大きく変わっていたことに感動しました。

こういうことも、どんな受講生と一緒に学ぶか?ということで

大きく違ってくるものなのだと思いました。


一方で、自分自身の課題にも気づかされました。

発声練習として挑戦したリップロールが思うようにできず、

少しびっくりしました。

リップロールって顔の筋肉がやわらかくないとできないんですね・・・

口角があがっていないと全然できないです。
今は特に午前中にリップロールをしています。

また、1分間にどのくらいの文字数で話せば適切なのかを測ることができ、

今後のコンサートで役立つと感じています。


講師からの

「コンサートのMCではミスリードをしない」

というアドバイスも非常に印象的でした。

観客に正確に伝わるように、

演奏プログラムを組み立てながら

話すシナリオをさらに磨いていく必要性を実感しました。

コンサートの課題が急に増えました。

また、「言いたくないことは言わない」という言葉も心に残りました。

空白を埋めようと余計なことを話しがちな私にとって、大切な教えです。


この講座を通じて、

話し方の技術や意識すべきポイント、

改善点をたくさん学ぶことができました。

これからも学びを活かしながら、

より伝わる話し方を目指していきたいと思います。


講師のお話が本当に楽しくて
話題も豊富で刺激的。
声の訓練を受けているため
長時間聞いていても疲れることなく
勉強になりました。


来週のコンサートで活かされますように!






2025/03/12
71「雨の日に思い出す曲」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。



雨の日に思い出す曲

ブラームス
ヴァイオリンソナタ第1番
「雨の歌」作品78



外を駆け回るのが好きだった幼少時代。
雨の日が苦手でした。
アイロンかけをする母の横で
庭の水たまりを眺めながら
「雨はいつ止むの?」と
しつこく聞いていたことを思い出します。

実家の庭は私が駆け回ることによって
芝生が剥げて土がむき出しのところがたくさんありました。
雨が降ると、くぼみに水たまりができます。
その水たまりに、雨しずくの模様ができます。
雨足によって
水たまりが静かだったり
賑やかだったり。
飽きもせず、ずっと眺めていました。
そしてその先に見えてくる
お友だちがリカちゃん人形で遊んでいる姿を
羨ましく思ったものです。
リカちゃん人形を持っていない私は
雨の日はいつも仲間外れ。
それでもふてくされることなく
雨の庭を見ていたのはどうしてなのか?

私の母は、私が欲しいと思っているオモチャを
買ってくれることはなく
家にあるもので代用する知恵を教えてくれました。
ミルクのみ人形がほしいけれど、いつものぬいぐるみで代用。
お人形にかけてあげるお布団は手縫いで作ってくれる。
お世話してあげる哺乳瓶がほしいけれど、ソースの空き容器で代用。
(この思い出は強烈で、未だにソースの容器を見ると
反射的に匂いをかいであの頃のことを思い出してしまう。
良い思い出なのか複雑だけど、嫌な思い出ではない)
その当時の母は、子育てをちゃんとしなきゃ、と思っていたらしく
子どもを甘やかしてはいけないと頑張っていた、ということを
後になって知ったけれど、
私にとっては悪いことではなくて
どうかすれば、自分の娘たちにも同じことをしていました。

私が初めてブラームスの「雨の歌」を弾いたとき
あの、小さい私が見ていた庭の水たまりと
友だちに会えなくて寂しい気持ちと
母と二人だけで過ごす
静かな時間が
ザザッとよみがえりました。
私の来ている洋服、窓辺、視線、色彩。
母がアイロンをかけている様子、部屋の空気。
空の色、軒からおちる雨だれ、水たまりの様子。
細かいディテールまで想像することができました。
その時初めて
「あぁ、私の音楽ってここに在ったんだ」と
ホッとした思いに包まれました。
それまで練習していた曲たちが
ずっと繋がってここまで連れてきてくれたこと。
音楽を表現するということを
しっかり教えてくれた曲が
この「雨の歌」でした。

私が見ていた雨は
きっと今日のような雨だったに違いないです。


今はなくなってしまった実家の庭。
記憶の中に残っているから
演奏することによって
それらが蘇る。
私は、それらを伝えたいと思います。





2025/03/11
70「3.11記憶」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

14年前の今日。
まだまだ子育てに忙しい時期で
それでもヴァイオリンを弾くことを
必死に続けていた頃でした。
その頃は月一回、聖路加国際病院のトイスラーホールで開かれる
ボランティア演奏者によるお昼のコンサートに参加していました。
演奏する機会が多くなかったので
このコンサートに参加させてもらえることは
とても貴重な時間でした。
月一回のおでかけは、
長女は学校の放課後キッズで遊べるし
次女は延長保育でお友だちや先生と遊べるから
私も少し羽を伸ばしてお茶を飲んだり
買い物を楽しんだりしていました。

あの日も自分の出番を終えて、
少し早くコンサートを抜け出しました。
いつも、自分の時間を少しでも満喫するために
銀座に寄って、娘の洋服を買ったり
本を買ったりするのですが
その日はなんとなく「早く帰らなきゃ」と焦る気持ちがあり
いつもより早い時間に帰路につきました。
電車の中からふと空を見ると
不安になるような見たことのない雲の色で
心がざわざわしたことを鮮明に覚えています。

帰宅して手を洗い
洗面所のある2階から階段を降りるときに
ガタガタと
尋常ではない揺れがはじまり
あわててダイニングテーブルの下に入ったところで
夫からの連絡が携帯にかかってきました。
「今切ったらもう繋がらなくなるから」と言われ
テレビをつけてニュースを見ながら
お互いの状況を伝えあいました。

その後、私は娘たちのことが気になるので
「これから娘たちを迎えに行ってくる」と
電話を切ったとたんに幼稚園から連絡が入りました。
「あぁ、よかった。お迎えに来られますか?」

その後
バタバタと準備をしていると
近所のママさんが
「大丈夫?」と言いながら
外を走りながらご近所さんの安否確認をしていました。

私はとにかく娘たちを迎えに行かなければ、と
小学校と幼稚園へ向かい
無事に合流して自宅へ帰りました。

あの日からの混乱は
それまで経験したことのないものでいっぱいでした。
さまざまな情報が錯綜して
どんな風に状況を咀嚼すればよいかもわからない。
不安しか感じられない時間でした。




あれから14年。

あの時のことを
忘れないことが
私にできることです。

音楽家として私にできること。
静かに
祈りとともに
音を紡いでいきたいと思っています。







2025/03/10
69「楽器の調整は感覚を研ぎ澄ませて」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今日は楽器職人さんの工房へ行ってきました。
今年の冬はどうにも乾燥が尋常ではなく
音がガサガサしてきました。
私のヴァイオリンは長く生きているので
(270歳以上?)
ちょっとのことでは驚かないし
かなり胆の据わった楽器なので
不調を訴えてくることも少なく
頼りになる相棒なのですが
さすがにこの乾燥は可哀そうだな、と。
それでも
「がんばって~」と
騙し騙し弾いていたのですが
先週後半くらいから
私の耳が嫌がるくらい気になってきたので
思い切って楽器職人さんの予約をとりました。

乾燥するとどんな音になるのか?
これは感覚ですし
人それぞれの印象なので
明白な基準があるわけではないのですが
とにかく
「耳元でこの音をずっと聞いていられないかも」と
思うことでしょうか。

自分の音が嫌いな時は以下のような感じ。
  • 練習不足で音程が合わなさ過ぎて嫌気がさす
  • 外的要因(乾燥・湿気)などでうまく鳴らない
  • 楽器自身が謀反を起こしていて練習をボイコットしている(そんなことあるの~?と思われるでしょうが、たまにあります。まぁ、私が真面目に練習しないから、しっかり音を出し切らないから、という要因が一番大きいと思うのですが・・・)
今回の場合は2番目の要因ですね。

楽器も生きているので、その時によって鳴っている音が違います。
何年も一緒に弾いていると、楽器個別の性格があったりするので
面白いです。
(因みに娘たちの楽器もそれぞれの個性があり
二人とも楽器に振り回されながら、または振り回しながら
試行錯誤の日々です。
二人とも若い楽器なので、演奏者と対立が多いのかも?)

楽器職人さんに
「乾燥が原因だと思うのですが、音がガサガサしているんです」
と伝えると、ササっと楽器を弾いて
「あぁ、なんだか取っ散らかっている感じですね」と。

私の言葉をちゃんと聞いてもらえて
意思が伝わるのはなんと素晴らしいことか。

私の伝え方は、そんなに専門的ではないです。
とにかく感覚を伝えるだけ。
「なんだかしっくりこない」
「ガサガサ」「のっぺらぼう」
「ジャリジャリ」「バランスが悪い」
とりあえず自分の感覚に合う言葉を
ドンドン伝えて
自分がどんな音を欲しているのかを
一生懸命伝えます。
楽器職人さんは
「フムフム」と聞きながら
「わかりました(なんとなく)」という感じです。

弓の毛替えもお願いして数時間後。
きれいにしてもらった楽器に再会して
試奏してチェックして。

自分で一生懸命伝えたことが
ちゃんと音に反映されていると
ホッとします。

楽器は自分でメンテナンスできるところが限られているので
細かいチェックは楽器職人さんにお願いします。
ミリ単位以下の調整で音がガラリと変わることもあります。

今回は我慢しなくてよかったなぁ、と
本当にホッとしました。

(そのため、他の作業が渋滞中になってしまいましたが、
それは自己責任ということで・・・)





2025/03/09
68「難しい言葉は音読で」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

日本語なのにわからない・・・

専門用語、書類関係の言葉遣いには
なかなか苦労することが多いですね。
役所の書類関係では
申請書・届出書・申告書。
保険関係では
約款や契約書。
頭を抱えて「無理!」とあきらめることも
時間の節約になって良かったりします。
餅は餅屋に・・・と専門家に任せることも大切です。

私は気が短くて
諦めが早くて
投げ出すのが得意なのですが
今回は逃げ出さないで
ちょっと頑張ってみようとやってみました。

結論は、
「なんとか自分でもできるらしい」という
新たな発見をしたことです。

一番役に立ったことは
「声に出して読んでみること」

わからない文章を
ひとつひとつ声に出して
「音読」してみることは
案外役に立つことなんですね。

ひとつひとつ読み上げながら
手順を確認したり
指さし確認しながら
「これとこれを合計して~」
「ここに転記して~」と

自分で声に出して
自分の耳で聞きながら

作業していくことの大切さを感じました。

これ
一人だからできることで
家族がいたら
ちょっとアヤシイですね。

でも、こそこそと
独り言をつぶやくのも
悪いことではないと思っています。

すっかり書類作業に時間を取られて
音楽に向き合う時間が激減してしまいました。
両極端の作業を
バランスよく配合するのは
さすがの私も難しいです。

気を取り直して
頑張っていきたいものです。








2025/03/08
67「学び」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

地域での活動をしています。
そのおかげで様々な講演会を聞きに行くことができます。
著名な講演者だったり
通常であれば聞けないディープな内容の講演だったり
得ることが多いので
時間に余裕があれば聞きに行っています。
ただ、初めのころに比べると
自分自身の講演の聴き方に変化が出てきました。

初めのころは
知識を得るための受講生という姿勢。
そのうち、
講座内容の感想をアウトプットすることを自分に課して
今は
講師の方のレジュメのつくり方と
話の誘導のしかたを学んでいます・・・
(話の内容はどこいった???)

どんな状況でも
様々な学び方があることを
この2年で教えてもらえる機会がたくさんありました。

苦手すぎて
見ないふりをしてきたデジタル機器の操作や
オンラインに関すること。
生活の中では
オンライン決済や
オンラインでのフライトチケットや宿泊施設の予約
タクシーを呼ぶのも以前は全くできませんでした。
ひとつずつ
本当に少しずつ積み上げてきました。

知らないことはたくさんあるけれど
ひとつずつ
「わかる」ことを増やしていけば
大丈夫
・・・と
自分に言い聞かせています。

学びは一生できること。





2025/03/07
66「練習後の身体メンテナンスも大事です」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今週は初夏のような暖かさだったり
真冬のような雪の日があったり
心身ともに
アタフタしてしまいました。

ヴァイオリンを練習するにも
準備運動が必要です。
深呼吸をしたり
ゆっくりと腕を上下に動かしたり
肩甲骨から腰までを
充分に伸ばしてから始めないと
弾いている途中で
腰や肩が痛くなります。
(練習意欲が激減します・・・)

練習が終わった後も
丸まった肩や
緊張した左腕を
ゆっくりと伸ばしてあげないと
身体がギクシャクします。

50代は、自分自身で自分をメンテナンスすることが
とても大切だと思います。

3年前に五十肩症状で整形外科に通っていたころ
「ヴァイオリンの練習が終わってからも、
ちゃんと肩を動かして元に戻してくださいね」と言われました。
「元に戻す!」
練習前の準備運動だけを考えていた私には
とても新鮮な響きでした。


練習時間が立て込んでくると
気持ちに余裕が無くなって
自分の身体を疎かにしがちです。

集中して練習に対して良い時間が過ごせることも大切ですが
自分の身体をメンテナンスすることも
同じように大切なことだと改めて思う金曜日。




練習が終わったら何を食べようかしら?
という
ワクワクした気持ちも
大切だと力説したい。




2025/03/06
65「動画で講評」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

先日、次女から
「演奏動画を見て講評してほしい」と言われました。

近頃の音楽講習会やコンクールのプレセレクション(予選)、
果ては音大の入試にまで、動画審査が組み込まれることが多くなりました。
自分で演奏したものをYouTubeにアップし、書類をPDFで事務局に送信する。
または、申請時に自分専用のポータルサイトが割り当てられて
そこに提出物を格納してく方法など・・・
コロナ禍をきっかけにデジタル化が進みましたが
音楽世界も今や常識として、当たり前のように変化しています。

少し時代に乗り遅れている私には、ハードルが高いと感じられることですが
若者たちは果敢に挑戦しつつ、それらのことをスタンダードだと思っているようです。

私の学生時代も音源審査というものは存在していました。
その頃は、高性能マイクを借りてきて
自宅のリビングなどで録音して
そのまま郵送するという方法しかありませんでした。
ドイツ留学時代には、「レコーディング技師専門課程」のような学生にお願いして
音大のホールを使って録音してもらったこともありました。
その当時は録音だけなので、音響だけを考えれば良かったと言えるでしょう。
たとえ汗だくでTシャツと短パンで弾いていても、音源がよければOK。

しかし今の時代は動画。
録音の音響はもちろんのこと、録音場所、服装、姿勢、楽器の見せ方なども
考えなくてはなりません。
次女は何度も動画は作成しているので慣れたものです。
少ない選択肢ながら録音場所を確保して、何回か録音したようです。
何度も録音していると、客観的に自分を見るのは難しいことは確かですね。
3つの動画をみて、どう思うのか意見が欲しいとのこと。
最終決定は自分で決断してね、という条件で講評を引き受けました。

演奏を聞いて講評するのは結構大変です。
私の場合は次の3つを講評します。

  • 始めの3分でファーストインプレッションを判断
  • 全体の流れを聞いて音楽的な構成力と表現力を判断
  • 上記を聞きながら気になったマイナスポイントをチェック

*マイナスポイントをチェックというのは
技術的な改善点を指摘するということなので
時に厳しく、時に大きな課題として提案するといった
幅の大きいものになります。

1回の再生で、このポイントをすべて網羅してメモします。
何度も聴きません。
次女とは、聞き終わった後にfacetimeで私の意見を伝えました。


生徒さんの場合には
メモを見返しながら
  • 現状の客観的な確認
  • 改善するための練習方法
  • 次までの課題をお伝えします。
この返信が結構時間がかかるのですが、自分の勉強にもなっています。


さて、次女がどの動画に決定したのか?

最終決定は自己判断なのでわかりませんが
そもそも動画を作成するということは
相当練習しないと出来上がらないので
2月の初めに送ってきた動画よりも
月末に送られてきた動画の方が
はるかに完成度が高かったのは事実でした。

頑張れ!
若者!




2025/03/05
64「五感を磨く」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今日は啓蟄(けいちつ)。
啓はひらく。
蟄は土の中に閉じこもっていた虫、という意味。
春の息吹を感じて冬ごもりから虫たちが目覚める、
といったことでしょうか。

私は公式LINEで
二十四節気に沿って
四季の移り変わりを意識するメッセージを配信しています。
ゆるやかに季節を感じ
今、自分に必要な大事なことを
ゆっくり思い返してもらう・・・
そんなゆるやかな配信ですが
読者の方から
「今日はゆっくり休みます」
「私もそのお菓子を買いに行きます!」なんて
ポツンとメッセージをいただいて
ほんわかとしたやり取りを楽しんでいます。
(登録人数現在11名ですが・・・)

なぜ、音楽家なのに二十四節気??

二十四節気は古代中国の黄河流域の気候をもとに
つくられたとのこと。
日本の季節感と少しズレることがありますが
今なお言い伝えられ、生活に組み込まれるのは
積み上げてきた文化と思考が
この二十四節気を必要だと感じているからでしょう。

私は日本の四季を美しいと思っています。
そして、その四季を愛おしく大切にしながら
生活の中に取り込んでいる日本人を
とても誇りに思っています。
行事やしきたりの一つ一つに意味があり
ずっと続く伝統の中に
しっかりとした芯があり
自然と共に歩んできた試行錯誤が見え隠れします。

2月の寒さも
3月になって同じような気温だとしても
「ほんの少し空気がゆるむ」
「陽ざしにほんのり明るさが加わる」
といったように
微妙で繊細な変化を読み取る感性が
日本人には備わっているように思います。

田畑で作業する人たちの
土の感触から何を植えるべきか
何を加えるべきか
もしくは何を排除すべきかの判断を
肌感覚で感じる五感の鋭さを
私たち一般人も
「なんとなく」理解しているように思います。

西洋人には敵わない
日本人だからこそ感じられる繊細さを
音楽家としてこれからも
存分に表現していきたいものです。
せっかく日本人に生まれたのですから。

二十四節気を意識すると
その時期によっての食べ物の息吹や
身体が欲している食材
弱っている部分を改めて感じることになり
「人間ってよくできている」と
感心することになります。

音楽家は身体が資本。
波があるのは当然ですが
「良い塩梅」を探して
生きていくことができれば
「音楽を届ける」仕事も
ちゃんとできるのではないか・・・と
思っています。

結局、私は食べることが好き、という
結論になっているような気がする・・・












2025/03/04
63「演奏するということ」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

少しずつリハーサルが本格化してきました。
自分の練習が、指を動かす内向きなリハビリ期間を経て
【演奏する】という総合的な
外向きへの準備が開始された感じというのでしょうか。

プログラム構成を考えた時と
お客様へ向かって演奏するときの誤差がないように
じっくりと、
丁寧に作り込んでいく過程です。

コンサートで何を伝えたいのか?
曲間のMCでどのようにプログラムをつなげていくのか?

お客様の気持ちの変化を予想したり
ワクワクする時間
落ち着く時間
取り交ぜながら
どのようにガイドしていくのかをじっくり計算しています。

忘れてはならないことは
どんなことがあっても必ず
【本物】を届けること。

私の信念です。


リハーサル時に
ピアニストとの話でヒントを得ることもあります。
予想していたタイミングとは
全く違う間合いでみつけた正解のかけら
ふとひらめいた面白いエピソード
ピンときた斬新なアイデア
リハーサルだからこその
五感をフル活用した
音のおしゃべりは
私が一番生き生きする時間かもしれません。

そう、こんなところに
私の【好き】が眠っているのかも。

音楽を聴きながら
楽しそうにしている子どもたちや大人のお客様。
私にとって
コンサートでたくさんの笑顔に出会えることが
練習やリハーサルの先に見える
自分の使命なのだと
改めて思います。






2025/03/03
62「3月がくると思い出すこと」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

3月になると気が引き締まります。
14年前の東日本大震災へ思いを寄せることになるからです。
私はあの頃、子育て真っ最中でした。
長女が小学校4年生。
次女が幼稚園を卒園するタイミングでした。
押し寄せる情報に翻弄されながら
自分の生活を守ることに必死でした。

混乱した世の中で
「音楽家として何か支援をしたい」
という音楽界の動きも活発でした。
実際に被災地へ行って
音楽を届けたり
楽器を届ける活動をする音楽家がいました。

自分自身が動けずに
「なにもできることがない」
「音楽なんて喜ばれないのではないか」と
嘆く音楽家もたくさんいました。

私自身は
何もできないことを自覚し
自分のことを優先していたので
音楽家としてできることはなく
それでも、3月末に仲間のピアニストから
「チャリティーコンサートをしたいので
一緒に演奏してほしい」と言われて
その年の7月に演奏したことが
とても嬉しかったことを覚えています。

そのチャリティーコンサートは
今も続いていて
頻度は減ったものの
コンサートで弾くたびに
あの時のことを思い出すことになります。

私が音楽家として支援できることは
本当に些細なことしかありません。

忘れないこと。
毎年3月に思い出すこと。

それしかないのです。

今年の3月は
演奏する機会をいただいたので
14年前を忘れないような
プログラムを組み、心を込めて演奏します。




2025/03/02
61「立ち止まることは見直すこと」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

さて、昨日宣言していた
「立ち止まって予定を俯瞰する作業」
どこまで到達したか?

タスクの書き出しに
思いのほか時間を取られているので
同時並行で
予定の中に組み込んでいる途中です。

そうすると
4月以降の予定が少しずつ開けてきて
動きが把握しやすくなりました。
すでに5月までのタスク管理が始まっています。

もう少し振り返りの時間を
頻繁にしないと
効率よく動くことができないかも・・・と
反省です。

【効率よく】という言葉は
安易に頻繁に使われる言葉ですが
その解釈はひとそれぞれですね。
(たいていは
仕事量と消費された力がちょうど良い
使った労力より結果が大きい
といった意味のようです)

私の解釈は
  • 自分が目標とした事柄を
  • 自分のペースで
  • 心身ともに無理なく行うことができる


予定を詰め込んで完遂することが目的ではなく
いかに自分がその物事にきちんと向き合い
自分が満足する結果を得ることができたか、が
カギになります。

動き出し始める季節を前に
自分を整えておくことは
とても大切かもしれません。

自分への声掛けを
優しく
強く
50代後半の自分へ
エールを送ります。





2025/03/01
61「振り返り・時間」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

この週末は暖かい気温になりそうです。
ふらりとお出かけする方も多そうですね。

私はこういう時は
あえて自宅にこもっています。
人混みが苦手なことが一番ですが
今週は月末と月初が週末なので
一度立ち止まる必要があると感じているからです。
(私の認識は金曜日はすでに週末・・・)

  • 2月の振り返り(できれば1月からの継続案件の見直しも含め)
  • 3月の予定を見渡す(どこに休日をもってくるかが大事)
  • 予定からのタスク書き出し(大量の付箋消費を覚悟)
  • 振り分け(ざっくりときっちりを様子見ながら)
  • さらに・・・4月から6月までの3か月の動き確認
ここまで出来たら花丸です。

子育て時期は、時間を細切れにして
空白時間を埋めて
走り回ることが得意でした。
娘たちの予定を管理しながら
自分の時間もしっかり確保しながら
音楽活動も自分なりに継続していくこと。
とにかくタスクをこなしていくことに夢中になって
振り返ることなく突っ走ってきました。
タスク完遂に酔いしれて
きちんと自分の仕事として見直すことを怠っていたため
今は小学生に戻って
「振り返り・復習」を勉強中です。

時間の使い方は人それぞれです。
春になって生活に変化のある方
年齢と共に時間の使い方がわからなくなっている方
ご一緒に考えてみませんか?