こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。
娘たちに英語の大切さを教えたのは夫でした。
夫は中学時代の恩師が英語教師で、英語の楽しさと大切さをしっかりと学びました。
高校時代にはラジオの英語放送を聞いたり、在日米軍軍人から英語を習ったりしていたようです。
大学時代には単位外の英語の授業を聴講していたらしく、教授に驚かれたとか。
そんな真面目で熱心な気質は長女が受け継いでいるように思います。
大学を卒業してから務めた保険会社でも海外案件を担当することも多く、
社内では異例の研修制度でアメリカ・ロサンジェルスに住んでいたこともあったようです。
転職した外資系保険マネジメント会社では、英語漬けの毎日。
(米語のアクセントがきつすぎて、私にはちょっと理解不能だった・・・)
このころから娘たちには「英語が話せるようにならなければ世界で勝負できないぞ」と話していました。
この刷り込みは強烈でした。
「中学の英語教育は良いと思う。とにかく文法さえ身についていればなんとかなる」
と娘たちの中学時代は文法の大切さを話していました。
(私は文法が全く頭に入らないタイプで、そこで苦労したので娘たちには頭が上がらない・・・)
娘たちも徐々に渡航回数が増えてくると、
生活でのコミュニケーションからトラブル対応、
更にはホテルのブッキングからフライト予約、
講習会の申し込みや問い合わせなどを
すべて自分でできるようになっていきました。
ただ、自分の意見を言う場面では、経験と、ある程度の日本語能力も関係してくるので、
私が時々アドバイスをするようにしています。
日本語での思考だと
現地人には通じないかもしれないことや
海外での主張のしかたや契約等の注意事項などは
私の経験から伝えることもあります。
長女は日本企業でのインターン経験もあるので
私のアドバイスはほぼ必要ないと言えます。
次女に関してはまだまだ発展途中かもしれません。
私自身の経験で言えば、
日本語の表現力が増すと、
外国語も上達するという相乗効果があると思っています。
流行り言葉をベラベラ話す外人よりも、
きちんと文法のしっかりした言葉を使う人の方が、私は好感を持ちます。
それと同じで私も娘たちには、その国の言語を学ぶと同時に
日本語もきれいに話して(書いて)ほしいと思っています。
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。
今日は次女の話をしましょう。
次女は高校生活を日本で終えて、大学生からスイスへと勉強の場所を移しました。
音楽高校時代はコロナ禍全盛期。
音楽家として若い時に研鑽を積まなければならないオーケストラの授業や室内楽、
演奏会などが軒並み中止や延期になる厳しい時間でした。
長女と部屋も寝室も一緒だったため、姉妹での話は頻繁だったようで
大学を海外で過ごそうという目標はわりと早く訪れたように思います。
コロナ禍でも、自分の技術不足を補うためにコンクールへ参加してみたり、
オンライン講習会に参加してみたり、
規制が緩んだタイミングで渡欧する経験を重ねていました。
こちらもすべて自力。
正直に言えば、私自身が演奏活動や地域活動に忙しく、
更に父の介護も始まっていたので十分なサポートができませんでした。
フライトチケットやホテルの相談はもっぱら夫の役目。
夕食後の時間は夫と娘たちがそれぞれのパソコンを持ち寄って、
ヨーロッパの状況やレート計算、ホテルや移動手段の相談でした。
高校生だった次女にはハードルが高いことが多かったのですが、
高3の夏には3週間の一人旅。
講習会を渡り歩き、移動も一人でスーツケースと楽器を背負って汗だく。
「なんだか黒いTシャツが白く塩が吹いてるのよ」
と笑いながら写真を送ってくる姿を頼もしく感じたりして。
秋になってようやく巡り合えた教授に決めてから、フランス語の勉強が本格化しました。
大学課程は座学があるので講義はすべてフランス語。
我が家には仏語のわかる人がいないので、次女は孤軍奮闘。
話題に哲学や政治経済の話が一般的なフランス人の先生との会話に
「クジラの乱獲について考えを述べるなんて、日本語でもしたことないんだけど・・・」
と言いながらレッスンに通っていました。
高校を卒業して一旦、単位履修生としてそのまま音大に通い始めた4月に父親が突然亡くなるという気が遠くなるような途方もない経験。
スイスの音大入学試験直前のことでした。
ほぼ同時に私の父も余命1ヶ月を宣言されていた時期でした。
すべてが崩壊しそうなとき、とにかく入学試験へ行くと決めたのは次女自身でした。
父親の葬儀の5日後でした。
「私はじさまの葬式には間に合わない。だから全部をお願いする」
と言いおいてやせ細った次女を見送るのは苦しかったです。
本来であれば入学試験を受けながら、街の様子を見学して住む場所の目星をつけて、秋学期の始まる直前に父親と一緒に契約するという予定を組んでいたのですが、予定を変更して教授の知り合いのお宅の一室を間借りするということになりました。
スイスで部屋を借りるというのはなかなか難しいです。
そもそも18歳の娘が部屋を借りることが難しい。
スイス人の保証人が必要と言われることが多いです。
しかし、スイスは小国であり、生粋のスイス人を見つけることが難しい!
間借りしていたお宅から移るときも、良い部屋に恵まれず、
保証人問題、親の収入問題(父親の死去と私の収入がないこと)などで学生寮も断られる始末で途方に暮れました。
結局、ひょんなことから知り合った音楽家のご夫婦のB&B用のスペースを借りることになり、私自身は心底ホッとしました。
スイスに移住してから、食べ物やストレスから蕁麻疹や体調不良が続いて心配でしたが、
私も自分の状況が厳しかったためfacetimeでのサポートしかできず、寝不足の日が続きました。
住まいが安心安全であれば、学校生活もほんの少し軽減されます。
本当は誰にも煩わされることのない一人暮らしが良かった次女の心中は複雑だったようですが、次の機会に期待してもらいましょう。
学校までの距離も列車で1時間強ということですから、近いわけでないので移動のストレスもあるようですが、何とか若さで乗り切ってもらいたいものです。
1年目は、一人で頑張らなきゃ、と背伸びをしてかなり危ない橋を渡ったこともあったようですが、覚悟をしたうえでの軌道修正はいつでも可能だと伝えています。
「○○せねば、○○すべき」という気持ちだけでは、気持ちが辛くなるだけになってしまう危険があります。
次女に関しては、辛い気持ちになったら日本に短期間の一時帰国を選択肢に入れても良いし、あまり切り詰めた生活にならないように伝えています。
とはいえ、自分で学校に奨学金の申請をして授与してもらう手続きをし、しっかり私を支えてくれている逞しさもあります。
自分の家庭環境について、二人ともそれを言い訳にしない強さを持っています。
なぜ、自分が海外で勉強しているのか?
なぜ、私はここにいるのか?
覚悟と決断を重ねたからこそ、
二人とも小さなステップを重ねながら
着実に歩いている姿を見せてくれているのだと思います。
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。
私の留学日記は時効のことも多く、
自分のことなので遠慮なく書けますが、
娘たちのことは現在進行形のこともあり、
本人の言葉ではないので私からの目線でお伝えしていければと思います。
長女は大学2年生を終えたら海外での音楽大学で勉強をしたいという希望がありました。
しかし、大学1年生を終えた時にコロナ禍となり身動きが取れなくなりました。
私はコロナの時期がそんなに長くなるとは思っていなかったので、
出国できるタイミングがあればすぐにでも飛び立てるように準備だけはしておくように伝えていました。
しかし、状況は厳しくなるばかり。
長女はそんな時に出会った『学生エバンジェリストアワード』という若者の新しいビジネスを応援するプロジェクトに参加。
それまで経験したことのなかったプレゼン資料作成やピッチ、インスタライブや動画編集を夜な夜な作成していました。
不安な時期にそういった活動に参加することによって知識を増やし、音楽学生以外の知り合いから受ける刺激に翻弄されながら、貴重な経験を積んでいたと言えます。
ほぼオンラインでの活動だったのですが、その後も交流が続いているらしく、
それぞれの場所で切磋琢磨している若者が世界中にたくさんいるそうです。
私はなかなか長女自身の特性を見抜けなかったため、的確なアドバイスができず、小さい頃は「育てにくい子」でした。
言葉が出てこなくて自分自身にイライラしている様子や、少し子育てに意気込みすぎていた夫の存在の重さや気が短い私のそばで
いつもウロウロしていたような長女。
勉強の方法も中学3年生でようやく見つかったような遅咲きの長女。
それでも一度パズルのピースが決まったら飛躍的な進歩だったため、
コロナが長引くのであれば国立大学の修士課程に進学しようかと準備を進めていたくらいでした。
結局、大学最終学年は日本に留まって、日本の大学の学位を取得することを決めました。
ここまで引き延ばしてしまったら、最後の1年を焦ることはないという決断でした。
大学4年の時は、ほんの少し緩んだ出入国制限を利用してほぼ2か月に1回の割合で渡欧して音楽講習会参加と先生探しの旅へ。
どの先生が良いか、どの都市なら安全に過ごせるか。
小さなスーツケースと楽器を背負って、自分の目で見て確かめて感じる日々。
遠い日本から参加しているのだから、短い時間でたくさんの情報を集めることが大事です。
「学生エバンジェリストアワード」で鍛えられたコミュニケーション能力を活かして比較検討を重ね、親の私たちにプレゼンをする日々。
先生はどんな人だったか、どんな街だったか、どんな勉強ができそうか、自分の強みは何か。
音楽講習会中にコロナに罹患してフラフラになりながらバスに乗って抗体検査にでかけたことや、
安いホテルに泊まっていたものの、身の危険を感じてSOSの連絡をしてきたこともありました。
成田空港発着のフライトしかなく、電車を乗り継いで出かけて行ったこともありました。
事前準備は途方もない時間と労力を費やしました。
今の時代、「留学」といえばエージェントがきめ細やかにサポート体制を整えてくれて、
安心して現地で自分の専攻する勉強に専念することができるようです。
その恩恵にはない、自分で考え行動する基礎はしっかり身についたように思います。
進学する大学が決まったのは2023年7月。
大学を卒業し、冬学期が10月から始まるタイミングでした。
それから、住む場所を探すのも一苦労。
すでに入学試験の時に街の下見をして、
安全な地域や単身者用のアパートがある場所をチェックし、
その後はひたすらネットで情報収集。
新築の物件を探してエントリーして結果待ち。
家が決まったのは出発の2週間前。
長女はほぼ一人で全部を乗り切りました。
私が今でも撤収が早いのは
この頃の名残かもしれません。
コンサート前日の音楽家って、何やっているの?
前日の夜にはタスクを書き出す
朝時間に集中する
予定やタスクを消化する時間は自分の最適な時間と合っている?
お昼寝の時間(休憩時間)大切
行動時間を必ず計測する!
今日の満足感はどのくらい?
先日、「伝わる話し方」という講座を受講しました。
講師は、元NHKアナウンサー・ラジオパーソナリティ
現在はライフオーガナイザーとして現場でも講師でも活躍されている
馬場あゆみさんです。
馬場さんの豊富な経験から、プロの話し方を学ぶことができる講座ということで、
以前から興味を持っていました。
私がこの講座を受講した理由は、
自分のコンサートで曲目解説をしながら演奏する「レクチャーコンサート」の場面で、
自分の話し方がどのように聞こえているのかを客観的に確認したかったからです。
話す速さや内容の伝わりやすさにも自信が持てず、
一度プロの視点からアドバイスをいただきたいと考えていました。
講座は全2回の構成で、
事前に自分のコンサート風景を録画したものを講師に送り、
チェックしていただきました。
初回では、以下の4つのテーマについて学びました。
1. 自己紹介ってどうしてる?
2. どんな話し手になりたい?
3. 苦手意識をどうする?
4. 伝えるための技術
講座の最初に、自分の自己紹介を録音し、
他の受講生に聞いてもらって感想をもらうという活動を行いました。
私の声について「好きな声」「響く声」「年相応な声」といった感想をいただいた一方で
「話の始まりと終わりが少し印象に残りづらい」「所々、自信がないように聞こえる」
という指摘も受けました。
これらの意見は自分では気づかないことだったので、とても参考になりました。
「どんな話し手になりたいか」のテーマでは、
話すスピードや一文の長さ、
語尾の使い方など、具体的なポイントを学びました。
「苦手意識」については、
「おもてなしの気持ち」を持つことで
相手に伝わる話し方に変わるというアドバイスがあり、
非常に印象的でした。
こういった感覚は、一度で身につくものではなく、
経験を積み重ねていく必要があると感じました。
「伝えるための技術」では、
呼吸法や間の取り方、マイクの使い方など、実践的なテクニックを学びました。
また、講師の経験談を交えながら、
マスコミ対応やテレビ・ラジオ収録時のポイントなど、幅広い知識を得ることができました。
1回目の講座後には宿題が出され、
それを意識しながら1か月後の2回目の講座に臨みました。
2回目は、初回の内容を振り返るとともに、
学びを実際の現場でどう活かすかについて受講生同士で意見を交換しました。
ご一緒した受講生が新しい自己紹介を披露した際には、
格段に聞き取りやすくなり、話し方の雰囲気も大きく変わっていたことに感動しました。
こういうことも、どんな受講生と一緒に学ぶか?ということで
一方で、自分自身の課題にも気づかされました。
発声練習として挑戦したリップロールが思うようにできず、
少しびっくりしました。
リップロールって顔の筋肉がやわらかくないとできないんですね・・・
また、1分間にどのくらいの文字数で話せば適切なのかを測ることができ、
今後のコンサートで役立つと感じています。
講師からの
「コンサートのMCではミスリードをしない」
というアドバイスも非常に印象的でした。
観客に正確に伝わるように、
演奏プログラムを組み立てながら
話すシナリオをさらに磨いていく必要性を実感しました。
コンサートの課題が急に増えました。
また、「言いたくないことは言わない」という言葉も心に残りました。
空白を埋めようと余計なことを話しがちな私にとって、大切な教えです。
この講座を通じて、
話し方の技術や意識すべきポイント、
改善点をたくさん学ぶことができました。
これからも学びを活かしながら、
より伝わる話し方を目指していきたいと思います。
雨の日に思い出す曲