塚本香央里 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
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82「留学の思い出②」

2025/03/23
82「留学の思い出②」
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

私が留学のためにドイツへ向かったのは6月。
その当時は、教授のクラスに生徒を受け入れる枠があれば
教授と生徒との取り決めで入学をすることができました。
私はあらかじめ教授と連絡を取って入学希望を伝えておいたので
入学試験は形式的なものでした。
私は日本の音楽大学を卒業していたため
ドイツでは修士課程に在籍することになりました。
試験で「何を弾くのか曲目を教えてください」と言われて
アタフタとドイツ語で答えた様子を審査員の先生方が
ニコニコと見守ってくださいました。

冬学期の始まりは10月。
それまでの期間は、生活を整えることと
ドイツ語の学校へ通おうと思っていました。
7月からの2か月は午前中はドイツ語学校へ。
グレード試験で調子の良すぎた私は中級クラスに入ってしまい
レベルが高すぎて宿題が全然間に合わず
半べそをかきながら勉強に追われました。
クラス変更を相談したのですが
下のクラスの人数が満席だったため
そのまま留まることになりました。
でも、なかなか上達しなくて悔しかったです。
私の勉強方法もあまり効率的とは言えず
それまでの学生生活を少し後悔しました。

他の生徒は文法や単語が間違っていても
ドンドン発言して他の人をグイグイ引っ張って行く。
そのうちスペイン語やフランス語が混ざってきて
教室中が言語のるつぼになって講師が頭を抱えることも数知れず。
言葉に対しての危機感を持っていなかった私には
あっけにとられて見ているしかなかったです。
そこで学んだことは
「沈黙は金ではない」
何か言わなければ…と思ったものの
当時はすべてにおいて無知すぎて
自分の意見を言うことができませんでした。


2か月の間に、学校主催の旅行でハイデルベルクへ行ったり
仲良くなった友人4人でアムステルダムへ行ったり
異文化交流は楽しいものでした。

今でもあの時に使っていた教科書を眺めることがあります。
所々にメモしてある言葉の拙さに笑ってしまったり
苦労した痕跡に懐かしい思いが蘇ります。
講師のドイツ語のアクセントや
私を心配してサポートしてくれた友達の顔
教室の雰囲気はいまなお鮮明な思い出です。

海外に住むのであれば、やはり言葉は大切です。
日本人のように「空気を読む」ということができない彼らには
どんな仕草や表情よりも言葉で伝えなければなりません。
主張する・断る・同意する。
どれもヨチヨチ歩きのドイツ語でも意思表示するべきなのです。

それでもなお、根底に流れる日本人の心は
完全に流れ落ちることはなく
より大切にしたいものだと思うこともたくさんありました。
奥ゆかしく、思いやりがあり、芯のある大和魂。


言葉って難しいです。