塚本香央里 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
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88「海外音楽修行①・長女」

2025/03/29
88「海外音楽修行①・長女」

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。



私の留学日記は時効のことも多く、

自分のことなので遠慮なく書けますが、

娘たちのことは現在進行形のこともあり、

本人の言葉ではないので私からの目線でお伝えしていければと思います。


長女は大学2年生を終えたら海外での音楽大学で勉強をしたいという希望がありました。

しかし、大学1年生を終えた時にコロナ禍となり身動きが取れなくなりました。

私はコロナの時期がそんなに長くなるとは思っていなかったので、

出国できるタイミングがあればすぐにでも飛び立てるように準備だけはしておくように伝えていました。

しかし、状況は厳しくなるばかり。

長女はそんな時に出会った『学生エバンジェリストアワード』という若者の新しいビジネスを応援するプロジェクトに参加。

それまで経験したことのなかったプレゼン資料作成やピッチ、インスタライブや動画編集を夜な夜な作成していました。

不安な時期にそういった活動に参加することによって知識を増やし、音楽学生以外の知り合いから受ける刺激に翻弄されながら、貴重な経験を積んでいたと言えます。

ほぼオンラインでの活動だったのですが、その後も交流が続いているらしく、

それぞれの場所で切磋琢磨している若者が世界中にたくさんいるそうです。


私はなかなか長女自身の特性を見抜けなかったため、的確なアドバイスができず、小さい頃は「育てにくい子」でした。

言葉が出てこなくて自分自身にイライラしている様子や、少し子育てに意気込みすぎていた夫の存在の重さや気が短い私のそばで

いつもウロウロしていたような長女。

勉強の方法も中学3年生でようやく見つかったような遅咲きの長女。

それでも一度パズルのピースが決まったら飛躍的な進歩だったため、

コロナが長引くのであれば国立大学の修士課程に進学しようかと準備を進めていたくらいでした。

結局、大学最終学年は日本に留まって、日本の大学の学位を取得することを決めました。

ここまで引き延ばしてしまったら、最後の1年を焦ることはないという決断でした。

大学4年の時は、ほんの少し緩んだ出入国制限を利用してほぼ2か月に1回の割合で渡欧して音楽講習会参加と先生探しの旅へ。

どの先生が良いか、どの都市なら安全に過ごせるか。

小さなスーツケースと楽器を背負って、自分の目で見て確かめて感じる日々。

遠い日本から参加しているのだから、短い時間でたくさんの情報を集めることが大事です。

「学生エバンジェリストアワード」で鍛えられたコミュニケーション能力を活かして比較検討を重ね、親の私たちにプレゼンをする日々。

先生はどんな人だったか、どんな街だったか、どんな勉強ができそうか、自分の強みは何か。


音楽講習会中にコロナに罹患してフラフラになりながらバスに乗って抗体検査にでかけたことや、

安いホテルに泊まっていたものの、身の危険を感じてSOSの連絡をしてきたこともありました。

成田空港発着のフライトしかなく、電車を乗り継いで出かけて行ったこともありました。

事前準備は途方もない時間と労力を費やしました。


今の時代、「留学」といえばエージェントがきめ細やかにサポート体制を整えてくれて、

安心して現地で自分の専攻する勉強に専念することができるようです。


その恩恵にはない、自分で考え行動する基礎はしっかり身についたように思います。

じっくり検討しながら
先生たちとも話し合いを重ね
自分の行きたい方向性を考える。
こちらが焦ってしまうくらいに
本当に時間をかけて受験する大学を決めていました。
入学願書を揃えて日程を決め
試験のために滞在するホテルもじっくり検討。
その間に父親と祖父の葬儀を経験しました。
私の心の支えにもなってくれて
厳しい現実も心の嵐も共に歩んだ日々がありました。

進学する大学が決まったのは2023年7月。

大学を卒業し、冬学期が10月から始まるタイミングでした。

それから、住む場所を探すのも一苦労。

すでに入学試験の時に街の下見をして、

安全な地域や単身者用のアパートがある場所をチェックし、

その後はひたすらネットで情報収集。

新築の物件を探してエントリーして結果待ち。


家が決まったのは出発の2週間前。


長女はほぼ一人で全部を乗り切りました。

私は唯一、生活用品をEMSで送付するときに
郵便局へ荷物を車で運んだだけ・・・です。