レクチャーコンサートを企画・運営していたころは本当に必死でした。
子育て真っ最中だったので、どうしても家庭が中心。
自由に時間を使うことができませんでした。
理想と現実にはいつも少しだけズレがあったかもしれません。
コンサートの企画をして、共演者に依頼してリハーサルをしてプログラムを作成して印刷。当日は家族総出で会場設定と受付業務やお客様対応、コンサート中の対応と撤収作業。収支はいつも赤字。とにかく弾き続けること、その場所を自分で創ること、家族を巻き込むことで私のライフスタイルだと思ってもらうことが一番大切でした。
子どもたちが幼稚園や小学校に行っているときにリハーサル。共演者には自宅へ来てもらっていました。
歴史背景や事実確認も、今のようにネットで簡単に調べられるわけではなかったので、本屋さんで本を買う、CDについている解説書を読む、図書館で調べるといった感じでした。学生時代のノートを引っ張り出して読み直したこともありました。
当日のお話は、初期のころは息継ぎをどこですればよいのかわからない状態。「金魚が酸欠でアップアップしているような・・・」話す速度も抑揚も
すべてが手作業で、独自の方法。良かったのか?悪かったのか?の判断はいつもお客様の反応と自己診断でした。
プログラムの印刷も自宅のプリンターでした。
少しでもおしゃれなプログラムを作りたいと思っても技術がないので、夫に相談して『Publisher』というソフトを買ってもらいました。とにかくそれまでパソコンを使ったことが無かったので、本当に苦労しました。初めはA4用紙にペラリと印刷。そのうち三つ折りで作成することができるようになり、用紙も文具店で買うことを覚えました。三つ折りにする作業は夫が手伝ってくれました。軍手をはめて、私がキッチンで弱音器をつけてヴァイオリンの練習をする傍らで、50枚ほどを折ってくれました。
それだけ準備しても、お客様は増減が激しくて、40人以上来たくださることもあれば10人に満たないことも多々ありました。いつも手探り、いつも勢いだけ。それでも続けてこられたのは、家族の応援があったからでした。未だに、次女が3歳くらいのときに「よろしかったらどうぞ」と籠に入れたアメを配っている姿を思い出してくださる方がいます。長女は幼いながらも受付の業務をしっかり覚えて、小学校高学年頃には完璧にこなすことができるようになっていました。その経験は私のリサイタルで大いに発揮され、頼れる存在へと成長しました。
私は25年以上レクチャーコンサートを開催しています。
そのきっかけはドイツに留学中でした。
「クララ・シューマンのピアノ三重奏を一緒に弾いてほしい」というピアニストからの依頼に「クララ・シューマンの曲!珍しいなぁ、おもしろそう」と引き受けたことが始まりでした。ロベルト・シューマンの妻として家の切り盛りをしながら大勢の子どもに囲まれ、ブラームスに慕われ、心理的に不安定な夫を支えた女性、ということしか頭に残っていなかったので彼女の新しい一面を知ることとなりました。ピアノ三重奏曲は思ったよりも芯のある弾き応えのある曲で、どのパートも一筋縄ではいかないものでした。でも、とても魅力的で演奏するのが楽しかったです。初めてドイツ人のお宅でのホームコンサートでお披露目をしたのち、「クララのヴァイオリン曲に【3つのロマンス】という曲があるのだけど、弾いてくれるかしら?これはオフィシャルな場所でコンサートを計画してるから暗譜でお願いね」ということで、自動的に引き受けることになりました。コンサートの内容はクララ・シューマンに特化したレクチャーコンサートでした。かなりマニアックな内容でしたが、満員のお客様。ピアニストがクララ・シューマンについて話し、曲について説明しながら演奏していきます。ピアノソロ、ヴァイオリン曲、ピアノ三重奏とどれも淀みなく演奏し、解説をしていく姿には本当に驚きました。クララ・シューマンが作曲家として再注目されることになったきっかけはあの時だったかもしれません。新聞にもコンサートのことが好意的に紹介されました。
私はその時のコンサートに刺激を受けました。
解説をしながら自分も演奏するってすごく素敵!おもしろそう!私もやってみたい!・・・ただ、ドイツ語ではできないゾ・・・。
ずっと構想を温めて、日本に帰国してすぐに計画をしました。知人のツテで会場を借りて、ピアニストを探してチラシを作りながら始めました。
まず、お話をしながら演奏というスタイルに、当時は演奏者もお客様も慣れていませんでした。採算の取れない企画でしたが、私が子育てをしながら、家族に手伝ってもらいながら走り続けた期間はこのレクチャーコンサートにずっと支えられていました。
共演者には本当に助けてもらいましたし、たくさんのご迷惑をおかけしました。慣れない準備と進行、控室さえ予算を取ることのできない自己満足のコンサート。
続けていた意味は、自分が弾き続けるための場所を自ら作ることだけでした。
「本物に迫る」
私はヴァイオリン演奏から「本物」を届けたいと思っています。
でも、「本物」ってなんでしょう?
私が思っている音楽家の場合で読み解いてみましょう。そして、今回の場合はリサイタルに限ってのシチュエーションで考えてみます。
演奏技術に問題がない:基本的なことですが、聴衆が不安なく聴くことができる状態が前提になります。
そのうえで、しっかりと裏付けのある曲目解釈による演奏に、演奏者の独自な解釈が表現されていることが大切だと思っています。
私はリサイタルのプログラムを決めるときに、大きなテーマを決めます。それは漠然とした概念だったり、言葉だったり、感情だったりしますが、「今回はこんな風に自分を演出しよう」と思いながら準備に入ります。1年間の自分を表現することになるので、難しく感じることもありますが、リサイタルを弾き終える頃にはすでに次のテーマを思い浮かべながら演奏しています。そのテーマに沿って弾きたい曲を考え、時間配分、自分の力量等を整えていきます。大きなテーマから外れないように注意しつつも、ちょっとこじつけることもあります・・・
そして、最後に聴衆に何を持ち帰ってもらいたいのかを考えます。私自身が心の奥底で思っている芯の部分を感じ取ってもらうにはどうしたら良いのかを。そこが「本物」ということだと思っています。演奏者の心の芯の部分から発せられるエネルギー。その熱烈なエネルギーを受け取ってほしいという願いが演奏に反映できるかどうかが、演奏者の本気→本物につながっていくのだと思います。
私には、演奏者の意図まで感じ取ることができるような聴衆の耳を育てていきたいという野望があります。演奏者のエネルギーを感じ取って、演奏者から「本物」を受け取ること。そこで感じたすべての感覚を、あらためて日常生活のなかで反芻してもらいたいです。何を感じたのか、何に心の琴線が触れたのか。そして、自分の気持ちに気がついてほしいと思っています。今、自分が何を思って生きているのか。
12月のリサイタルプログラムがほぼ決定しました。
私が一番伝えたいことは何だろうか?
ヴァイオリニストとして演奏しているときに、私が一番伝えたいことは、コンサートの時間を使って【心を揺らしてほしい】ということ。いつも同じことを考え続けて、固まってしまった固定観念や、自分自身で作ってしまった思い込みを脱ぎ捨てて、音の渦に巻き込まれる経験をしてほしい。ただそこに佇み、ホール全体から押し寄せてくる音の波を身をゆだねてほしいと思う。どんなことを感じて、どんな音に自分が反応するのか。曲の解釈や構造はわからなくても良いから、そのとき何を思うのかに耳を澄ませてほしい。
そしてその先に、私という音楽家がいることに気がついてほしいと思う。毎年聞きに来たくださる方たちが、私の生きてきた日々を感じ取っていただけたら嬉しい。成長したか、留まっているのか、音に耳を澄ませて私の心の声を聴いてほしい。
私は常に最善を尽くして、最高のパフォーマンスを届けることを約束したい。
「本物」にこだわって、聴いている方へ挑戦状を送り続けたい。
「この感覚がわかってもらえるか?」「この解釈はあなたの気持ちにどう反応するか?」「あなたはこれを聴いてどう思う?」
そうやって演奏しながら問い続けていたいと思っている。だから私はいつも本気で聴衆に向かっていく。聴衆には難しい曲であろうとも、理解できない音楽であろうとも、私はその曲を演奏して聴衆に疑問を投げかける音楽家でいたい。
心のバランスをとるとき、私は正反対のことをやってみることがあります。
予定をぎっちり詰め込んで動く日と、何もしないで庭でボンヤリ過ごす日。ハードボイルド系サスペンス物の本を読みながら、穏やかなエッセイ本を読む。気持ちの揺れ動きは激しくて、ちょっと疲れてしまうかもしれませんが、電池が切れたようにパタリとお布団に飛び込むのも悪くないものです。
そうすると、心が動いて身体が動くようになる気がします。私は自分を労わりすぎて動けなくなってしまうことがあるので、時々荒療治で「エイっ!」と自分に喝を入れる時もあります。
自分自身をコントロールできるのは、自分の性格をよく知っているからです。
どこまで自分を甘やかすべきか、どこまで自分を鼓舞させていいのか。その調整は自分が一番知っているはずです。「あ、まだ早かったな」と思えば休めば良いし、「お、もっと頑張れそう」と思ったらアクセルをグッと踏み込めばいいのです。
私は他に、ツボやお灸も取り入れています。
参考にしている本は『まいにちの東洋医学』(クボ鍼灸院・久保和也 朝日新聞出版)
季節によってゆらぐ体調を、二十四節気に沿ってセルフケアのアドバイスやコラムが載っています。かんたんな図解とわかりやすい説明で、ページのレイアウトの余白の大きさが魅力です。ササっと読んですぐに実行できる手軽さがあります。

キッチンに日めくりカレンダーを掛けています。
手のひらサイズで日にちが見やすく、とても気に入っています。毎日ピリリ・・・と紙をめくる作業が楽しくて「今日は〇月○日〇曜日」と確かめながら1日を始めます。役目を終えた「昨日」を切り離して、新しい「今日」を迎えるという気持ちの切り替えを意識し始めたのは、去年の1月からでした。生きることが難しく感じる日も、新しい1日に罪はなく、自分の気持ちで紡いでいけばよい・・・と思ったことがきっかけでした。
日めくりカレンダーは、小さいスペースながら情報は満載で、月齢・潮の名称・大安などの吉凶・二十八宿があり読み解けないものが多いかもしれません。時間があるときはじっくり眺めて新しい知識をインプットします。その中で忙しくとも私が欠かさず読む場所は、日にちの下に記してある言葉です。ことわざだったり、四字熟語だったり、標語が書かれていて読んでハッとすることもあります。
今日の言葉は「深い川は静かに流れる」でした。
その風景がスッと頭に浮かんできて、しばらくの間カレンダーの前で想像が始まりました。底の見えない川。とうとうと流れていく豊かな水。暗い色をして怖いけれど、穏やかなに静かに前を通り過ぎていく。その川辺に立ち、ふと目を凝らして水中をのぞき込めば、奥底の方に所々に渦巻く急流があり、岩にぶつかって流れを変える場所もあるけれど、表面には現れずに何事もないかのように泰然と横切っていく。
なんて素敵な姿なんだ・・・としばし動けなくなりました。
この言葉の由来は「Still waters run deep」という英語の諺らしく、「能ある鷹は爪をかくす」といった諺に意味が近いようです。でも、私にはその風景の方が鮮明に思い浮かびます。自分の全ての感情を内包して、抱きしめながら、落ち着いて毅然と立つ。ただぼんやりと立っている姿よりも、意思があり、芯があり、力強い。
そんな風に生きていきたいなぁ、と思う土曜日の朝でした。
そろそろゴールデンウィークの気配が感じられる日々でしょうか。
新年度・新学期の緊張した気持ちに余裕が生まれたころ、長めのお休みが入ってしまうと調子が崩れる方もいるでしょう。思っていたよりも頑張りすぎてしまったら、お休みの期間中に心身を整えるのも良いでしょう。
私自身は4月に入ってから、少しずつアイドリングを始めていたのですが上手く回らずここまで来てしまいました。今年は初めから本当に調子が良くなくて、目の前のタスクをこなすだけで前に進むような感覚がありません。同じところに立ち止まって、グルグルと同じことを繰り返し考えているような気持ちです。まぁ、そんなときもあるよね…と思いつつ、そろそろ何とかしなきゃ・・・と焦る自分がいます。
私の場合は、強制的に規則正しく生活してみようかと思います。
明日からの12日間。早寝早起き、食事に気を遣いながら、タスクをこなして1日の満足度を上げていくつもりです。
名付けて【ひとり合宿】。
ちょっとした楽しみもちりばめながら、自分自身を整えていきます。
今年は気温の乱高下がいつもより激しい気がします。
ずっと元気でいる必要はないけれど、最低限の笑顔だけは自分のためにとっておきたいものです。
今日はポカン・・・と自分を解放した日。
たまにはそういう日も良いものだと思いました。
切り花のお世話
4月は2人の命日があるので、お花をいただく機会が多かったです。3年も経つと忘れられてしまうことも多いのですが、メッセージを添えて送られてきてとても嬉しかったです。花籠はそのまま飾ることができて綺麗で簡単ですが、それぞれの花の盛りが違うので注意が必要です。咲き終わった花がらをこまめに取り除きながら、花台になっているスポンジに水を足しつつ、霧吹きで加湿もしてあげると長く咲いてくれます。様子を見ながらお世話をしてあげると、2週間半くらいは保つことができます。
今日はホームセンターへ行く用事があったので、花壇用の花や野菜の苗を眺めましたが購入には至らず。やはり夏の暑さを考えると植物を育てる気力がちょっと後退します。娘たちがいたころは、キュウリをやゴーヤを育てたり、唐辛子を育てたりしました。水やりは娘たちの役目で、朝早く起きて一生懸命お世話していました。トマトの好きな夫は、毎年必ず苗を買ってきて育てていました。忙しい時ほど、あれこれ育てていたような気がします。
今は私の性格上、切り花をできるだけ長く楽しむくらいがちょうど良いようです。
1か月に1度のお花のサブスクは、私にとってたのしみなお届け物です。
ちょっと寄り道に逸れてみる。
今日は『破獄』(吉村昭 新潮文庫)を読み終わりました。久しぶりに手に取った吉村昭の作品は、やはり読み応えがあって面白かったです。最初の50ページくらいの速度が遅めになってしまうのですが、その後は一気読みに近いです。本に没頭できる時間があるのは贅沢なことですね。
『破獄』は、実際に起こった4回も脱獄を繰り返した囚人と、その周りの見張った人たちの闘い、または人間関係の話ともいえる。昭和20年前後という戦争によって変化していく時代背景も興味深かったし、その混乱の中でも【刑務所は機能していた】という当たり前だけれど、見張られる人と見張る人の異様な交錯に想いを巡らせることができた。秩序を守ることに必死すぎると、小さくて思わぬ気持ちの変化で隙ができてしまう。心理戦の妙味。史実を追って語られる淡々としたノンフィクションものではなく、登場人物に体温があって彼らの感情がこちらにしっかりと伝わるという手法は、読み手をグイグイと物語の深淵へと連れていく。それは資料を微細に読み取り、取材を丁寧に重ねたという吉村昭という作家の作風ともいえる。執念ともいえるような調査をしたと言われている。その裏付けに、読み手は安心して物語に沈むことができるのだ。
戦中・戦後の食糧事情には、一般市民と囚人たちに異様なアンバランスがあったことを初めて知った。今までの常識が徐々に崩れていくこと。早急な埋め合わせを考えなければならないこと。後々のことを考える余裕のない毎日。日本中の誰もが必死に生きていた時代。ふと、あの混乱を生き抜いた私の祖父母や両親たちも、理不尽でやるせない思いをもって生活をしていたのだろうか?と思いを馳せる。いつも穏やかに、ニコニコと笑っていた顔しか思い出せない祖父母たち。親の苦労を知り、共に生き延びるために不平不満を言わなかった自分の両親。先の家族の歴史を辿ることは、自分から次の世代へバトンを渡していく軸を考えることになる。そんなところまで思いを馳せることができたのは、本当に貴重な時間だった。

今日からまた季節が変化します。
穀雨(こくう)
春の雨がしっとりと大地に降り注ぐ頃。
気候も落ち着いて庭仕事に良い時期。
ただ、調子に乗って食べすぎ飲みすぎ、寒暖差での「冷え」に注意。
気持ち良い風が心に溜まったホコリを払ってくれるような感じがします。お天気の良い日に庭の草取りをしたり、車を洗車したり、ワードローブの引き出しを開けて風を通したり、本の上に溜まったホコリを払ったり。毎日少しでも何かに手を加えていく作業は、ちょっとだけ自分の気持ちを軽くしてくれます。私もこの乾燥した空気に背中を押されて、週末に庭の整備をしました。砂利を敷いていても雑草は伸びてきます。今日はこちら側、今度はあちら側…と地道に草むしりをしています。きっと夏になったらお休みします…この頃の夏の暑さはキケンなので。
さて、ゴールデンウィークが目前ですね。どんな予定がありますか?家族旅行、帰省、バーベキューパーティーなど・・・。出かけるばかりではなく、お休みする日も計画に入れることをお勧めします。いつもと違う行動は、思いのほか疲れますからね。疲れると外食が多くなってしまったり、案外家族にも気を遣うことが多くなります。毎日のルーティンが崩れてしまって自分のコントロールがうまくいかずにイライラすることもあります。年を重ねて無理もきかなくなってきますからね。私は人込みを避けて(出不精とも言う・・・)家に籠って細かい場所の整理をするつもりです。
できたら網戸の張替えをしようと計画中です。ホームセンターの動画などを見て「なるほど~」と頭の中でイメージはできているのですが、さて、どうなることやら?こういった動画は本当に役に立ちますね。私は5分前後の動画しか頭に残らないので…作業の動画はコンパクトにまとまっているホームセンターのものを見ます。商品まで紹介してくれているので助かります。
島田までは日帰りでも十分な距離ですが、私の場合は運転に自信がないので1泊することにしています。
今回も、以前娘たちと泊まったビジネスホテルの居心地が良かったので、同じホテルを予約しました。近くに気軽に食べられるお店もあり、テイクアウトのお店も、コンビニもあるので夕食はその時の気分とお腹の調子で選べます。早めにお風呂に入ってお部屋でのんびり。早めに寝ます。翌朝は少し早めにホテルをチェックアウトして、蓬莱橋(ほうらいばし)を見に行きました。蓬莱橋は大井川に架かる897.4mの「世界一長い木の橋」。1997年にギネスに登録されています。江戸時代には架橋・渡船が許されなかった時代を経て、牧之原台地開墾のために明治12年(1879年)に架橋されました。牧之原台地は茶園開墾のためでもあり、今なお美しい茶畑が広がっています。今は補強がしっかりされていますが、私の記憶では、台風などで橋が流されてしまう姿を何度か見ました。蓬莱橋の横を走る島田大橋から、川の様子を見るのが幼いころから好きでした。時代劇の撮影場所としてもつかわれることが多く、母と一緒にテレビを見ていて「おぉ、蓬莱橋だ」と何となく優越感に浸ってしまうこともありました。通行料金は大人100円(子ども10円・自転車100円)営業時間内は橋のたもとにいる「橋番」に支払います。今回、橋は渡らず遊歩道を少しだけ歩いて橋を眺めていました。旅の合間にある空白の時間は貴重ですね。
その後は和菓子屋さんの「龍月堂」へ。いつも娘たちに買い物を任せているので、店内に入るのは初めてでした。賞味期限の短いお団子やお饅頭、少しおめかしした来客用、洋風のケーキまであって目移りしてなかなか決められません。店内が奥へ長いので、手前から順番に注文をお願いしていきました。あとで確認したら、一番好きな和菓子が注文できておらず・・・残念。

島田最後の寄り道は「大村屋酒造」の日本酒を購入すること。今年は酒蔵建て替えのため、季節限定の「鬼乙女 春」が仕込まれていないので、他の銘柄と酒屋さんにおススメされた藤枝の志太泉酒造のお酒を購入しました。生酒を中心に購入したので、早めに飲まないと・・・
帰路は新東名「島田金谷IC」からのルートを選択して駿河湾沼津SAを目指します。1時間ほどで到着。帰り道は、夕食や保存食のための食材を購入することが多いです。ワサビ菜や立派な椎茸、黒はんぺんを購入しながらお酒のおつまみを想像してニヤニヤ。このまま自宅へ直行運転するため、甘味(ソフトクリーム)を補給して出発。苦手な山北・大井松田周辺を慎重に通り抜けて帰宅。
はじめて島田へのロングドライブをしなければならないときに、友人から言われたことがあります。高速道路が怖いとか、体力が心配とかグダグダ言っていた私に「だれにとっても、いくつになっても、初めてのことはあるよ。エイっとやってみて。かおりさんは絶対にできるから」。
この「あなたは絶対にできる」という言葉にフッと背中を押してもらいました。
自分に対しての根拠のない自信といえば、その通りなのですが・・・その時から私の中で「怖いけれどやってみる」という気持ちが小さくとも育っているような気がします。
50代も後半になれば、大抵のことはできるはず。
その気持ちを過大することなく、過小することなく、自分で自分を見極めながら過ごしたいものです。
父の命日は4月20日。
その前後にお墓参りをすることにしています。場所は静岡県島田市。一人でのロングドライブは緊張しますが、ゆっくり安全に行けば問題ない距離です。途中の休憩を十分にとれば3時間ほどです。今回は、父の実家を受け継いでくださった古民家カフェのオーナー様とお墓で待ち合わせという、なんとも粋な約束をしていました。
朝の通勤時間を少し過ぎたあたりの8時半すぎに出発。
大抵は足柄SA、または駿河湾沼津SAで休憩をしていきます。今回は足柄SAで早いブランチを食べました。朝の10時にマグロ丼を食べる・・・。朝ごはんを食べていなかったので、丁度良い具合でした。どこで獲れたマグロかわからないけれど、美味しかったです。お腹も一段落したら、そのまま目的地へ向かいます。第一東名を通るか、新東名を使うか。いつもは新東名を使うのですが、この日の気分は「由比のパーキングエリアで海を見てからにしよう」という作戦に変更。下りの道路は海の景色が近くに見えるので由比PAはおススメです。(台風が接近すると由比のあたりは通行止めになることもあります。それだけ海が近いということです。)その日の海は静かに凪いでいて、珍しく白波すら見えないほどの穏やかさでした。短い休憩をして、そのまま走っても待ち合わせ時間には十分間に合いそうなので、いつもは寄ったことのない日本坂PAでトイレ休憩。そして、吉田ICを降りて島田市内へ向かいます。ちょうど、茶摘みの時期が近いので茶畑が美しい濃い緑色にかがやいていました。大井川を渡れば島田市。いつもの「清水屋の小まんじゅう」をゲットして、車の中で早速味見をします。美味。日本酒の香りがほわっと立ち上り、弾力のある皮とこしあんのハーモニーを片手でポッと食べられる手軽さ。ついつい食べ過ぎてしまいます。

島田市には魅力的な和菓子屋さんがたくさんあるので、お腹の調子は整えておかないと・・・。早めにお昼を食べておいたので、程よく小まんじゅうがお腹をみたしてくれました。近くにある大好きな「大井神社」にもご挨拶をしました。いつ訪れても「気」に力があり、身が引き締まりつつも優しく包んでくれる、心の穏やかになる場所です。久しぶりにおみくじを引いてみたら「大大吉」。丁寧に御礼を申し上げて少しだけお庭を散策しました。
そして、お墓参りへ。
お寺の住職へご挨拶。いつも「よくきたね~」と笑顔で出迎えてくださって嬉しい限りです。お寺の耐震工事の話や、私の家族の話、父の思い出話に花が咲いて気がつけば待ち合わせの時間が過ぎてしまっています。あわててお墓へ向かってオーナー様と合流。不思議なご縁で巡り合った素敵な方。さぞやご先祖様も驚かれているだろうけれど、お家を中心に仲良くさせてもらっていますよ・・・とご報告できました。
その後は二人で「島田市博物館」を見学。

父が良く訪れて、俳人・塚本如州(じょしゅう)について調べていたので行ってみたい場所でした。松尾芭蕉が島田宿に逗留した際に親しくなった様子で、市内のあちらこちらに歌碑がたっています。(父は趣味が俳句だったことと、同じ苗字に親近感があった様子でした)島田は東海道23番目の宿場町。【箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川】と唄われた川越しの場所として有名です。橋がかかっていなかったため、川越しは人足に任せるしかなく、大井川の水位が上がると川止めになって幾日も渡れずに旅人泣かせの難所だったともいわれています。町民も武士も大名も川を渡るのは同じですが、身分によって運ばれ方に差があります。人足に背負われたり、蓮台に乗せて運ばれたり、駕籠ごと蓮台に乗せたり、蓮台に漆が塗ってあったり・・・お値段の差もなかなかのもの。(今の値段に換算して3000円から15万円くらいとか)さらに、川の深さによっても値段が変わるのですから、その頃の島田宿、それはそれは活気があったことでしょう。今ではのんびりとした穏やかな時間の流れる島田市ですが、当時の川合所や札所、宿などの遺物もきれいに残されており、未だに移築や改装をかさねて歴史を今に伝えてくれています。一人でじっくり見学するのも楽しいですが、こういった場所は、それぞれの知識を出し合って様々な角度から展示物を見るのは幾重にも楽しさが増します。
その後は父の実家、今では古民家カフェとなった場所へ移動してオーナー様とおしゃべりを楽しみました。
本来ならば、父の実家を売却したらその後は手を離れてご縁はなくなってしまいます。でも、そのままの面影を残してくださって、更にその家の姿を「大好き」と言ってくださる方にお譲りできたことは、私自身は父のため以上にご先祖様のためにも良かったなぁと安心することにもなります。
私にとっても大切な場所。
できる限り訪れることができるようにしたいと思っています。
すっかりひきこもりの生活になっています。
全力疾走だった日々に、少し亀裂の入ってきたなぁと感じることがありました。いまから1年前くらいのことだったと思います。
3年前の出来事は大きくて衝撃的だったのですが、悲しみに浸るためブレーキをかけて止めてしまうわけにもいかず、無我夢中で生活を回していたという感覚がありました。とにかく自分が生きるため、家族が前に進むために必死でした。
自分が壊れないようにするにはどうしたらよいのか。
あふれ出る悲しみを自分でなだめるにはどうしたら良いのか。
今はまだ大丈夫だ。
以前と変わらず動いているほうが自分にとっては都合が良い。
【変わらないこと】の大切さを知ったものその時でした。とにかく動き続け、試行錯誤で自分のポジションを探しながら、目の前にやってくるボールを必死で打ち返す日々でした。それがふと、小さなきっかけで辞めようと思う決心がついたとき、ものすごくホッとしました。先の予定は全くないけれど、今ここで止まってみようと。辞めよう、辞めてもいいんだよ、と決心した時に、本当にコトン、と音をたてて小さな木の扉が閉まったような気がしました。静寂。落ち着き。安心。
今の毎日は、以前よりも刺激が少なくなったかもしれませんが、落ち着いて自分で自分をコントロールして生活しているような気がします。今までだったら何も考えずに行動していたことを、少し時間をかけて俯瞰して見ることや、なぜその出来事に囚われるのかをじっくりと考えてみたり、ひたすら深い思考へ沈んでいく感覚を体験してみたり、少しだけこれからのことに目を向けることも多くなったかもしれません。
人生にはいろいろなステージがあります。
そのステージに合った自分を構築することは、自分のことをより深く理解して、自分をなだめていく作業にも通じていくのだと思っています。当たり前だけれど、他人にすべてをわかってもらえることはないのだから、自分自身が自分の一番の理解者でありたいと思っています。
今日は金曜日。週末モードへとシフトして、緩やかな時間を自分のために創り出していきたいものです。
私にはリサーチ力が足りない。
私の育った家族では、決めるのはいつも父が中心で、計画通りに上手くいってもいかなくても誰も文句も言わなかった。家族旅行の最盛期は父の海外駐在中だったので、姉が堪能な語学力を活かして計画の後押しをしてくれた。私は一番年下だったので、決定権も発言権も重視されていなかったのかもしれない。そのため、そういった計画をすることを経験せずに大きくなってしまった。大学時代も幹事のようなことができないし、苦手だった。友達におんぶにだっこ。留学中の旅行の計画や、自分の町を友人に案内するといったことも得意な方ではなく、ただひたすら散歩に付き合わせていたような気がする。知らない土地に行っても、知らないことが多いまま過ごしてしまった。
あの頃の私には『○○へいったら、○○をみて、○○を食べてたのしもう!』といった計画が全くできなかった。
「どこに行きたい?」「何が食べたい?」と言われても、リサーチするという考えがなかった。
「知らない土地だからどこを見ても楽しいはずだし、好き嫌いはないのでおススメを食べるだけで充分」といったはた迷惑な思考しかなかった。これでは記憶が定着しない。どの記憶もぼんやりしてしまうのだ。
今の家族でドイツとフランスへ出かけたことがある。短い期間だったが、その旅行は今でも記憶にはっきりと残っている。なぜなら、私がガイドブックを読み込んで、娘たちに見せたい場所や美術館、教会へのルートを細かに調べたからだ。まだ私自身がインターネットを使いこなせずに、本を買って調べた。娘たちに本物をみせたい!という意気込みからだったのだと思う。娘たちにヨーロッパへ行ったときは、その町の中で一番高い所へ行って周りを見ることを教えたのもその時だ。パリで初めて行った場所は凱旋門。あの屋上に登ればパリ市内のほとんどを見ることができる。凱旋門から放射状に延びる道。遠くに見えるセーヌ川、エッフェル塔、バスティーユ、モンマルトル。その光景を頭に入れて歩けば、街のどこあたりに自分がいるのかをなんとなく把握することができる。そして、歴史やそれぞれの関係する出来事をより深く理解することができる。
パリでの移動は歩きが基本だった。小さな小道や公園の花々を眺めて通り過ぎながら、歩いている人たちの服装をチラッとみたり、アパルトマンの窓やドアの装飾に心を躍らせたりして、多少雨が降っていても歩き続けた。疲れて不機嫌になっても、どんなに観光名所で長い列に並んでいても、ハッと感動した瞬間がすべての苦労を拭い去ってくれる感覚。その時の記憶は小さくても詳細まで鮮明だ。
その時から、私は準備することの大切さをしっかりと理解することができた。大変に遅まきながら・・・
計画しすぎて窮屈なこともあるが、安心安全のためには大まかな区切りは必要だと思っている。一人旅でも、ザックリとした計画を立てながら、その時の体調や気分で少しずつ変更していくこともできるようになってきた。そのためには、リサーチ力。調べることでトラブル予防にも、安心にも、自分の体調にも役に立つ。
そう、変更可能な旅は贅沢だ。
熊本地震から10年が経ったというニュースを見た。
私の住んでいる地方から遠かったが、やはり東日本大震災の記憶が新しいからこそ忘れられない出来事だった。思い出したことがある。あの熊本地震の少し後に夫は熊本へ日帰りで行ってきた。航空会社のキャンペーンで、4都市の中から日帰りができるフライトチケットにエントリーしたのだ。どこへ行くか直前までわからない。海外出張の多かった夫が、貯まったマイルを消化するために選んだキャンペーンの一つだった。期限の迫ったマイルを流してしまうのに惜しいくらいの量だったのだろう。詳細は覚えていない。「一緒に行こうよ」と言われたけれど、二人分のマイルには手が届かず、娘二人のことを考えると丸一日の行程は負担が大きかった。いつの間にか決まった場所は熊本。「震災のあとだけど大丈夫なのかな?」と心配しながらも、「始めていくからちょっと楽しみ」と言って出かけて行った。夜遅く帰宅すると「熊本城の石垣が崩れ落ちてそのままだった。修理したくても危なくて近づけないらしい。地震の爪痕が生々しかったよ。」とおみやげを開けながら話してくれた。お天気が悪くて雨が降っていたので、寂しげな印象だったとも。「こんなことがなければ、熊本なんて行くことはなかったなぁ。このキャンペーンも座席に余裕があるところが選ばれるんだろうけれど、おみやげを買うことで経済活動が少しでも回ればいいと思ってね」という話に耳を傾けながら「そうか。大きな災害があると経済活動が止まってしまうのか」ということにも気づかせてくれた。今なお、震災で家族を失った人たちがたくさんいることに想いを寄せたい。その気持ちはわからないわけではないから。
そういえば思い出したことがある。それまで一度だけ、豊富なマイルを使って夫婦二人で大阪へ日帰り旅行をしたことがある。ふぐ料理とひれ酒を飲むためという、なんとも風変わりな楽しい企画だった。私が「ひれ酒を飲んでみたい」というひとことから始まった計画だった。午前中のフライトで伊丹空港へ。食事と船場のドレス屋さんをぐるりと見てまた羽田へのフライトで戻ってくる企画だった。大阪に単身赴任の経験がある夫だったので、街の地図は頭の中に入っているので安心して任せた。慌ただしくて目まぐるしかったけれど、今となっては良い思い出だ。幼い娘たちを義両親に預けてのことだったので呆れられたけれど…日帰りだったのでお咎めはなかった。今だったらもっとリサーチして、3倍くらい楽しくできたかもしれないのになぁ・・・と思ってしまう。
一緒に思い出を語れる人がいないのは辛い。
今年の2月1日に積読解消を目指して挙げた16冊を、3月末で読了しました。
初めにリストされていたのは14冊なのに、4冊買い増しして自分のハードルを上げてしまいましたが・・・楽しく読み進むことができました。本に埋もれた私の冬眠生活。今年はたくさんの質の良い本のおかげで充実していました。
そして新たに4月1日。12冊がエントリーされています。そのうち3冊読了して、今は2冊を同時並行で読んでいます。
三宅香帆さんに大いに影響されて新書の棚を覗くことが多くなったのですが、本当に面白いラインナップが揃っています。じっくりと背表紙を眺めながら、パラパラとめくるページから躍り出てくる文字の大きさも見やすくて楽しい・・・でも、私にとって難しすぎたり、思っていたものと違ったり・・・といった私の当たりはずれもあるので、これからはもっと吟味して購入しないと、と思っています。
そういえば、父の本棚には新書がたくさん並べられていました。やはり、自分の専門に関することだったり、興味のある分野の書籍が多かったような気がします。家の書棚を改造した時に、新書と文庫がたくさん入るように設計して、父はとても嬉しそうでした。晩年も、孫娘から推薦された文庫を一生懸命読んでいた姿を思い出します。長女は「じさま、すごいのよ。もうあの本読んじゃってて、面白かったよ~って言ってくれたの!」と若者との会話にも貪欲でした。
母も読書家でしたが、どちらかというと単行本派。「老眼で文庫が読みにくいのよね」という理由だったような気がします。単行本は装丁が美しいものが多く、それを楽しみにしていた部分もあるかもしれません。
視覚障碍者の姉は、音声図書や対面朗読などで読書を楽しんでいる様子です。大抵、話題になっている本はすでに知っていてチェック済みです。ただ、朗読者の声が途中で変更になっていたりすると、情景を想像することが難しく感じたり、登場人物の脳内設定を変更する作業に苛立ちを覚えたりするそうです。なるほど…と思いました。目が見えない世界には、そういった難しさもあるのか、と。
本好きとの話は自分の世界が果てしなく広がっていくような感覚があって、とても楽しく刺激的です。
本が読めるって素晴らしいこと。
雨の金曜日。
思い立って上野の東京都美術館へ行ってきました。
会期最終日を週末に控えているので混んでいるかと思いきや、思ったよりもゆったりと見ることができました。平日の雨天。わざわざ出かけようと思う人は、その日しか予定の空いていない人か友人との約束でやむなくなのか・・・少し年上の女性グループが多かったように思えました。

【スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき】(会期終了しています)
スウェーデン絵画の始まりから、フランス絵画の影響を経て、スウェーデン独自の絵画の道を獲得する流れを一気にみることができました。『影響を受ける』ってすごいことなんだなぁと思いました。自分の殻にこもってああでもない、こうでもない、とこねくり回すよりも、ポンと他の存在を真正面から受けとめ、影響を受けることの大切さ。そこから改めて自分の軸になるものを見つけ出す、もしくは掘り出すことの方が、自分で根を張るよりもはるかにしっかりとした土台ができるものなんだなぁ、と思いました。
それは自分のビジネスにも通じるのでは?と思うことも・・・
どうしても、一人で考えて潜り込んで、人前に出さないうちに旬を逃してしまう私の方法は、人の影響を受けたくない、受けるべきではない、とどこかでブレーキをかけているような気がします。それは反対に、私が他の影響を受けすぎてしまうという反面もあるからかもしれない、という相反するものに翻弄される自分が見えることでもあるのです。
一人でゆっくりと見て回ることを久しぶりにできたような気がします。
そして改めて、自分のペースがどういう感じなのかも見直す時間でした。今までこういった展覧会は誰かと一緒に見に行きたいと思っていました。なんだか一人で見るのは寂しい。意見を交換しながら観た方が楽しい、と思っていたのですが、案外静かに自分自身と問答しながら鑑賞するのも悪くないものです。
今回の展覧会で、家族との時間を楽しみ、その様子を描いた作品を多く残したカール・ラーションの作品もいくつかあって、とても懐かしい気持ちになりました。2018年に損保ジャパン美術館で鑑賞した温かい作品たちを思い出して胸がいっぱいになりました。あのとき、私は珍しく図録を買いました。ラーションの温かい家族像に憧れ、その気持ちを家族と共有したかったのです。自分の大切なこの家族をずっと守り続けていきたい、という思いが私の根底にはいつもあったのだと思います。
今まで積み上げてきた経験が、つながりを持つ瞬間。
数知れず通った美術展の経験が、こうして私の世界を彩ってくれるということに驚くばかりです。
朝から気温の上がった土曜日。
気持ち良い風が吹いて、新緑の季節を感じました。
年々、季節の移り変わりが早く、夏がすぐにやってくる感じです。
庭作業や窓拭きがはかどりました。
昨日までのブログチャレンジを終えて、今日は少しホッとした気分です。
今年も走り抜けたなぁ、と思いながらもこれからのブログ投稿に思いを馳せます。
音楽家として、母として、日々を生きる一人の生活者として、また一から少しずつ書いていきます。
今日は作業の合間に本を1冊読了。
『人は生きてきたように 死んでいく「死の準備」していますか?』(坂口幸弘 光文社新書)
題名を見ただけだと「突然失われた命はどう考えればいいのか?それも生きた先がその死なのか?納得できない」と思ってしまうが、作者は【望んでいたような最期を迎えられなくとも、理不尽な死の現実を決して故人の責任に帰すべきではない】とはっきり書いている。この本を最初から読んでいれば、言葉の端々に様々な死の在り方を説いているので題名だけを深く考えることはない。それでも少しひっかかるけれど。私が3年前から折に触れて思っていたことが書かれていた。ふと言われた言葉、態度、目線。自分や家族が心の奥底を凍らせて過ごした時間。すべてを思い起こした。でも、私は生きている。今ここで命を燃やしている。【生きている生の先に死があるのではない。生と死は表裏一体で同時に存在するものだ。】
そして作者は最後に【今この瞬間は、自分が思っている以上に、きっと幸せで、かけがえのない貴重な時間なのである】と説く。
3年間、いろんな本を読んだ。どれも心に残っているし、今の自分を形作っている。
本は自分のペースで読めるからよい。
そして、自分のペースで咀嚼すればよい。
毎日ブログを書くのはなかなか大変です。
近頃はchat GPTに壁打ちしたり、過去の記事をもう一度今の気持ちに照らし合わせて書いてみたり、様々な工夫を凝らしてみました。特にchatGPTは面白くて、どんなことを言ってくるのかな?と楽しく会話していました。でも、やはり生身の人間と話をするのが好きな私にはどうしても疎遠になりがちで・・・なかなかうまく記事を書くまでの関係になり切れていないのが本音です。AIの分野は進歩が速くてついていくのに必死ですが、最初からあきらめずにちょっとずつでも使っていきたいと思っています。何事も挑戦して。
結論は、自分のアタマで、言葉と格闘しながら、最初から書くことが一番自分らしいのかも・・・ということになっています。今のところ・・・
毎日書いていると、体調や気分、季節の移り変わりやお天気に左右される自分が、なんだか愛おしく感じます。
頑張っているよね
ちゃんと生きてるよね
大丈夫
そんなことを確認しながら書き終わると、私の1日がちゃんと幕が下りる気がします。
2026年元旦から始まったブログ100チャレンジ。
同じく毎日奮闘しながら書き続けていた仲間たちのホームページをちゃんとピン止めして、明日からも黙々と描き続けていこうと思っています。

今日は私にとって夫の本当の命日。
3年前の4月、私は夫と実父を12日の差で亡くしました。
片方は予告もなくいきなりのナイフのような事実が私たち家族を貫き、呆然としつつ、正気を保つことに集中するしかありませんでした。もう一つは、余命宣告を受けつつ、最後までの日々をどう燃やし続けるのか模索し、燃やし尽くした最期となりました。この二つの出来事は、私に相容れないものを同時に飲み込むという、狂気に満ちた経験を心に刻み付けることになりました。心から滴り落ちる血は、以前ほど大量ではないものの、未だにダラダラと流れ続けています。3年前の私は、何事もなかったように振舞い、普通に立っていることを自分に課すために目の前の事務的手続きを無我夢中でこなしました。夫や父のすべての名義を自分に変更することや、細かくて気が遠くなるほど多くて細かいアポイントメントと連絡作業。膨大な電話・メール・対面対応など。今考えても気が狂いそうになります。夫の葬儀の翌日に地域の理事会へ、平然と出席していた自分はおかしいとしか言いようがないけれど、そうすることしかできなかったです。そういった作業が積み重なってどれだけ神経を疲弊させ、果てしない底へ沈んでいくことになっていたのか。意識にありません。あのころの私は「なんだかヒマラヤ級の山々を踏破しなきゃならないみたいだ」と姉に呟いていたことを覚えています。
***
昨夜、映画「ファーストキス 1st KISS」をみた。嗚咽が止まらなかった。
朝、アパートの玄関を出ていく後ろ姿を最後に事故死してしまう夫。遺された家族を苦しませている夫に対しての苛立ちを持て余している妻は、なぜか夫と初めて会った日へ何度もタイムスリップができるようになってしまう。過去に戻って夫の命を救うために些細な出来事をすり替えてみるけれど、最後の死はどうしても防ぎようがない。思い余って妻は、死を回避させるために自分ではなく他の人と結婚する選択肢を夫に選ぼうとさせるけれど、それが二人の本意ではないことに気がつく。結局夫は、自分が15年後に死ぬということを抱えながら妻と結婚してその最期までを二人で生きることを選ぶ。二人はその結末を選んだ。そしてやはり死はやってきた。
人生の中で本当に大切な人に出会えるって、なんて幸福なことだろうか。失うとわかっていてもその大切な人との時間が、15年であっても、25年であっても、50年であっても、たとえ1日であっても、何か拠りどころにできる出来事があれば人は生きていくことができるらしい。その拠りどころとは、些細なことかもしれないし、大きな出来事かもしれないし、困難なことかもしれない。私と夫は全く違う気質もあり、混乱して衝突することも少なくなかった。お互いに疲弊するほど神経をすり減らしたこともあったけれど、お互いにお互いから逃げることはなかった。最後の砦はいつでも二人だったから。
そして私は夫と一緒に家族を築いた。この家族は本当に唯一の大切な存在へと成長した。誰にも壊すことのできないほどの強い家族になったと誇りをもって言える。困難もたくさんあったし、大変なこともたくさん経験した。でも、その家族は夫としか創造することができないことであって、誰でも良いわけではなく、誰とでもできることではなく、私と夫でしかできなかった。
生きるということは、喪失と再生の繰り返しだ。
喪失は予測不能で突然の顔をしてやってくるけれど、再生は遅々としていてのらりくらりして進めることをしない。
それでもあきらめずに生きていくことが、失った人との時間を抱きしめることになるのだと思う。
そうやって、夫がいつまでも自分の中に生き続けることができるように。

私の母も、父も、夫もいっしょにここで私を待っている
今日は「花まつり」(灌仏会・かんぶつえ)
仏教の寺院では、お釈迦様の誕生を祝う代表的な行事と言われています。
花で飾られた「花御堂」の「誕生仏」(右手で天、左手で地を指すお釈迦様の像)に甘茶をかけて日々の幸せや無病息災、子どもの健康や成長を願う風習があるとのこと。甘茶をかけるのは、お釈迦様が生まれた時に天から甘い雨(甘露)が降り注いだといういわれに基づいているそうです。春の光があふれるこの時期に、子どもを連れてお参りする家族も多いとのことで、華やかで賑やかな行事ですね。
私がこの行事を知ったのは、夫と知り合ってからです。
夫の住んでいた近所に弘明寺観音(京急線・弘明寺(ぐみょうじ)駅)があり、たまたま花まつりちかくの週末に「花御堂」を見かけたので教えてもらいました。
「昔からこんな感じだったなぁ。甘茶のふるまいがあって、もらった記憶があるよ。結構子どもがたくさん来ていてにぎやかだったなぁ」と言いながら二人でお参りしました。その時は娘たちもまだ生まれていなくて、そのうち家族で来ることがあるのかなぁ、と満開の桜を見上げながらボンヤリと想像したことを覚えています。今年も変わらず、先日の週末と本日、花まつりの行事が開催された様子です。毎年変わらずに続く行事は、遠くにさまよう心がふと戻ってこれるような、そんな安心感がありますね。
今日は昨日の大荒れの天気から一転して、明るい日差しの一日。
新しいランドセルの小学一年生、新しい制服の中学生が、ちょっと緊張気味に歩いている姿を見ることができました。
季節もすっかり春本番となりました。
ブログチャレンジ100もゴール間近です。
今年も書き続けています。
去年(2025年)は初参加で、無我夢中で100日を書き続けました。
【お布施ブログ】というコンセプトなので音楽についての深掘りした記事にしていこうと思いましたが、うまくまとめられず数日でギブアップ気味でした。どうにかしなければ・・・と焦り、自分の続けてきた音楽の道を表現することの方が得意なのかもしれない・・・と路線を変更しつつ、短いエッセイ風に「自分を知ってもらう」という方向にシフトしました。
言葉を紡ぐのは難しくて、事実と感情の乖離に奮闘しながら100日をなんとか走り抜けました。その後も、様々な切り口から自分や自分の人生を見つめながら書き続けました。私を取り巻く家族、音楽へつながる思い出、自分の選んだ道、様々な年代での選択、ドイツでの生活、娘たちのことなど。色とりどりの散文的な感じになりました。とにかく、自分の中に溜めてあることをひたすらに排出してみよう、という試みでした。執筆することは仕事の一部、と決めて毎日書くことが支えにもなりました。バラバラになった自分の人生を取り戻すという意味でも私には必要な時間だったのです。そして、12月31日まで辿り着きました。12月はとにかく最後まで続けなくては~と、とにかく時間があれば書き溜めて予約投稿を駆使する日々でした。それも、リサイタルがあったために話題は事欠かなかったからでした。書き切ったという感慨はほとんどありませんでしたね。
そして間髪入れずに始まった2026年のブログチャレンジ。
今年は少し書き方を変えようとも思ったのですが、自分自身の変化に翻弄されてうまくまとめられなかったです。変化というのでしょうか?何かフラフラと、漂いながらあちこちを彷徨っていたような感じがします。心の中に澱のようにたまっている感情を、言葉として紡ぎ出すのは難しいです。そう、同じ表現するということでも音楽を演奏することとは少し違います。演奏することの方が私には簡単でした。音で表現することは、今までずっと続けてきたことですから悩むことなく色々な引き出しがある。でも、文字で表現することは慣れていることではありません。引き出しが少ないからこそ、考える時間も長く、紡ぎ出す選択肢も少ない。でも、それならば、これから慣れていけばよい。あきらめたくない思いがしぶとく書くことへの執念として残っているのかもしれません。この執筆作業。これからも自分の糧として書き続けていこうと思っています。目標は毎日1000字以上。月4回は3000字以上を目指します。かなりハードルが高めですが、自分の時間を有意義に使って書くことに集中したいと思っています。
私の人生に眠っているたくさんの知識や経験を、こうやって表現できる場所があることにも感謝して。
【清明】せいめい
草木が芽吹いて生き生きと清らかに動き出す季節。「清浄明潔(しょうじょうめいけつ)」の略とのこと。
「清明」という字をみるだけで、なんだか風や水が粛々と流れていくような様子が目に浮かびます。大地がやわらかくなって水が流れ出して、風が動き出すような。今年は4月になってから特に変化が大きいような気がします。
4月になって空気が変わりましたね。
春の香りがして、冬とは違った濃い空気を感じます。
季節の変わり目は身体の巡りが少し滞るので、負担のかからないように過ごすことを目標にしています。私の場合は、食べ物が自分にとって重要なことに気がついてから、体調を整えるときは自分の味付けを信じることにしています。3月末に体調を崩してから食べ物を少し見直して、ほんの少しだけ食材に敏感になろうとしています。4月になったので、スーパーに並ぶ食材も少しずつ変化していますね。季節が完全に春に変わったことを感じます。旬のものを食べるのが一番ですが、春の季節は食べ物の勢いが強いので、少しずついただくようにするのも良いかもしれません。私がこの時期から好んで手に取るものが「新たまねぎ」。乾燥せずにそのまま出荷されるため、皮が薄くて水分が多いのが特徴。甘みがあるので水でさらさなくてもすぐに食べることができます。私のお気に入りは、①玉ねぎ1個分を半分に切ってから薄くスライスして②ごま油(大1)+お酢(大2)+醤油(ほんの少し)で味付けして完了のサラダ。それぞれの分量は加減してみてください。私はお酢多めが好み。5月中旬くらいまで、ほぼ毎日のように食卓に上がります。玉ねぎは滞っている気を巡らす役目もあるので、春の息吹に乗り切れず、内にこもっているようなモヤモヤを巡らせるにも役立つのではないかと思います。
スーパーで食材を眺めながら、季節の移り変わりを目で感じて、今夜の献立を考えてみませんか?
穏やかな陽気から花散らしの雨模様へ。
「アタマを空っぽにすること」
ここ最近、大切にしていることです。
何も考えないことに集中するのは、案外大変なことです。
洗濯や掃除、返さなければならないメールや食事の献立、買い物やスケジュールについてなど。
私の場合はいろんな作業をしつつ、だんだん別のことに集中してしまって元の位置に戻れなくなることが日常茶飯事です。
そんなときは、流しっぱなしにしていたアレクサの音楽を止めて、スマホをミュートにして、パソコンを閉じれば、ほぼ音に関する制約がなくなります。
いつもと違うダイニングテーブルの椅子に座って天井を見上げる。
窓に打ち付けられる雨の粒をみながら、ゆっくり瞬きする。
首をゆっくり左右に傾けてストレッチしながら、深呼吸する。
目をつぶって自分の呼吸だけを意識する。
ほんの10分だけ。
その時間を、これからはより大切にしていきたいと思っています。
少しずつ変化の兆しを感じる4月。
この先のことをより深く考える日々です。
これからの時間を考えると、できることは限られてくるのかなぁ、と思いながら毎日の時間を刻んでいきたいです。
大きな決断をしなければならないとき、何を元に考えたら良いのだろうか。
先日の午前中に庭の雑草取りをしながら考えたその時は、すでに『でも、決まっているんだよなぁ』という思いだった。どんなに考えても、草むしりをしながら考えることなんて、それまで、髪の毛をかきむしりながら出した答えが正解なんだ・・ということを自分で知っている。
私は考えて決断するのが早い時と遅い時がある。
実家を売却すると決めたのは、父が亡くなってすぐだった。
ある人は「賃貸にしたら?」とか「まだ早いのでは?」という意見を言ってくれたけれど、私の中にある答えが揺るがなかった。
相続手続きのために実際に動き出したのは9か月後だったけれど、決心は硬かった。
庭のリフォームを決めた時は、計画の投資にどれくらいかけるかに悩んで結局2年くらいかかったけれど、細かい決断は案外早い方で、施工会社の営業の方にも「もっと悩む方の方が多いです」とも言われた。
大きな決断というのは最後の一歩で、それが一番ハードルが高い。
エイっと乗り越えられるか、やめておこう、と逡巡する時間が私にとって「無心になる作業をする」ことかもしれない。
全部考え尽くした後に、スイとよぎる思いに全神経を傾ける。そのときに「よし」と思うか「やめよう」と思うか。その判断時間をあまり長引かせないようにすることを心がけている。
その感覚は、私が舞台でヴァイオリンを弾きだす瞬間に似ている。
「今だ」と思う「一瞬」。
それは感覚的に、もしくは動物的な勘で私の中に宿っているものだと思う。
だから弾き始めた時に「さぁ、もう引き返せない。ゴールへ向かおう」という闘志がみなぎってくる。
生きることも同じ。
命が続く限り、決断をしない日なんてないわけだから、その判断を正解にするべく必死になって生きなければならない。
怠惰な時間を過ごしていても、全力で怠惰を経験していれば良いわけで、それを誰も咎めることはできない。もちろん自分自身でさえも。
決断は小さくても大きくても同じ。
ハードルが少し高くなったり低くなったりするだけなんだな、と思うけれどなかなか思うようにいかないのが自分なのかもしれない。
巡る思いは春のお天気のように気まぐれだ。
去年の今頃は、エクステリア(外構)の改良工事をするために頭を悩ませていた頃でした。
1月中旬から何軒かのリフォーム会社に連絡をして、それぞれにアポ取りをして、見積もりをとりつつ提案書を作っていただき、検討して再度提案して・・・と地道な作業を繰り返していました。
それぞれの施工会社との細やかなやりとりや、提案書の確認は思っていた以上に大変でした。
自分の理想をきちんと伝えられているか?という視点を改めて考えさせられたり、どこにどれだけ投資をするのか、するべきなのかをはっきりさせることも勉強でした。
何度も繰り返していると、ふと同じようなことが起こったり、削ぎ落す部分がわかってきたり、だんだん道が明らかに寄せられていくことに気がつきます。
最後に決断をするときが一番怖くて緊張する瞬間です。
何度も確かめて、「よし、コレだ!」と決断したら迷わない。
相談するのは自分だけ。(娘たちにも相談しましたが、実際に見れないので判断が難しかったようです)
本当に大変でした。
その甲斐があって出来上がりは大満足。
悩んで苦労して、すり減らした神経が整って・・・工事終了になったときには嬉しかったです。
工事作業のひとつひとつを見ていたので、我が家を訪れる人には事細かに説明することができます。
なぜ、このタイルを選んだのか、なぜこの場所に置いたのか、どうしてこの色にしたのか・・・
自分の目で見て納得したものしか置かない、というのはライフオーガナイズにも通じることです。
春は空気が動く季節です。
ふと見まわして、書類を置いている場所、キッチン用品の並び方、洋服のかけ方、ちょっとしたことの変化で生活の満足度が劇的に変わることもあります。
心がざわつく春だからこそ、身近な場所を使いやすいように整えてみませんか?