3月最終日。
私の住む地方は、お天気が荒れました。
気圧の変化が激しくて、気持ちが揺さぶられました。
新年度に向けての準備をしている方も多いかもしれませんね。
進学、就職、引越しなど環境が変化するときは、少し無理を重ねているかもしれないので自分の様子を確かめることが大切かもしれません。
知らず知らずのうちに疲れがたまっていることも・・・
そんな時、私の場合は以下の3つを大切にしています。
①よく寝ること:夜の睡眠時間だけではなく、昼間に短時間身体を休めることもします。朝寝・昼寝・・・しますよ。
②水分を十分にとること:朝は白湯1杯とコーヒー。最近カフェインレスの美味しい珈琲を手に入れたのでじっくり淹れるようにしています。昼間は常温の水をマグカップに入れて常に手元に置いています。ゴクゴク飲むとお腹が冷えるので、少しづつです。
③ロウソクをつける:夕食時にロウソクを付けます。「1/fゆらぎ」という不規則な揺らぎがリラックス効果をもたらすといわれていますが、単純に美しい光に魅せられているだけでホッとします。安心することが大事。
自分が落ち着いていると、不思議と周りも穏やかになるものです。
長女は新学期が苦手でした。
新しい学年になると、いつも1週間くらい体調が悪くて機嫌が悪く、青い顔をして学校に通っていました。
緊張と気負いすぎだったのかもしれませんが、私にはどうすることもできず見守るだけでした。
ただ「帰ってきたら美味しいお菓子を食べようね」などと気持ちが上がるようなことを伝えるようにしていました。
「今はしんどいけれど、帰ってきたら・・・」と言う気持ちになれば良いな・・・との思いだけでした。
そのうち、自分の取り扱い方を習得したのか、そのようなことは少なくなったような気がします。
3年前のドイツでの新生活も、全て自分で整えて(初日からトイレットペーパーと布団を買いに行くというガッツ)私よりもたくましくなってしまいました。
娘たちの暮らし方のヒントは、全てこの家から習得したものです。
「どうしようかな」と思ったときに「あんなことしていたな」「こんな工夫をしていたな」と思い出してもらえたら嬉しい。
その選択肢がたくさんあることで、どんな状況になっても「自分は大丈夫」という自信につながっていくから。
生活することに正解はないです。
自分が気持ちよく過ごせればそれが正解。
明日からの4月が、佳き日々でありますように。
「国宝」(吉田修一)
映画「国宝」を見たのは去年の6月。ぼんやりと電車に乗っていた時に、予告編が流れていた画面にくぎ付けになり「これは見に行かなければ」とすぐに映画館へ行きました。あの時の興奮は未だに忘れられません。
そしてこの冬の冬眠時期に読了しました。
映画とは全く違う物語でした。
歌舞伎という芸術世界を生きる者が、俗世をどう生きるのか、生きていかなければならないのか。
そのまばゆいばかりの光と闇よりも濃い影を併せ持つ役者が人間としてどうやってバランスをとるのか。
「虚」と「実」のはざまの「狂気」の中で生きていることを、私自身も50代後半になって理解することができるようになりました。
そして、登場人物それぞれが「狂気」との狭間でもがく様子にほんの少し共感をもつことができたのは、自分も舞台を知っているからかもしれません。
語り口も独特で、大河ドラマの語りを聞いているような流れでした。
キーポイントとなるセリフが「あぁ、ここで言っているのか」と腑に落ちる瞬間もあって、それは映画を見たゆえの楽しい答え合わせの瞬間でもありました。
そういうことができるのは、映画から原作を読む楽しさでもありますね。
心に残った美しい文章
『悲しみを湛えた色。愛する人を失った悲しみがにじんだ湖面。失ったものが増えれば増えるほど湖面はその色を増し、まるで黒真珠のように鈍く輝き出す』
そんな人になりたいと思いました。
久しぶりに近所を歩いてきました。
もうすぐ満開の桜を眺めながら、春の空気を胸いっぱいに吸い込みました。
陽の光があたたかくて気持ちが少しだけ上を向きました。
私の歩くペースは結構早いのですが、心のスピードは遅めです。
自分への声掛けを大切にしながら、ひとつひとつの作業を丁寧に収めていきたいものです。
ヴァイオリンを練習するひと時は音に集中すること。
ブログを書く時は言葉に集中すること。
料理をするときは味覚に集中すること。
一歩一歩のペースを大事に、揺れ動く春を静かな笑顔で過ごしていきたいと思っています。
ヨーロッパに住む娘たちとの時差が、今夜を境に8時間から7時間になります。
夏時間の始まりです。
今夜の午前2時に、時間がぐるりと1周早くなって午前3時となります。
夏時間への移動日は、睡眠時間も1時間少なくなるので、翌日にコンサートの仕事がある場合は要注意です。(実際に遅刻してきたコンサートマスターがいました。懐かしい思い出です・・・)
私の場合は娘たちとの連絡時間が、少し楽になります。
日本時間が夜7時だと、ヨーロッパはお昼の12時。
お互い食事時。
日本時間の朝6時だと、ヨーロッパは夜11時。
少し落ち着いて話ができる時間です。
以前より連絡の頻度は減りましたが、facetimeで顔を見ながら話せるのは時代のおかげです。
私が手伝えることは、他愛もない話を聞くだけ。もしくは壁打ち。
私の子育ては18歳で完了すると決めていたので、その後は話を聞くことが主な役割です。
もちろん意見を言うこともありますが、そんな時は一つの選択肢として伝えるだけ。
ちょっと頼りない母だけど、人生の長さは私の方が長いから、それだけは自信をもって伝えられることが多い。
それで良いと思っています。

今日の記事は、昨日の続きです。
「メンタルオーガナイザー®」
この資格を取ったのは3年前の秋。
講座の申し込みは実父の寝ている横でした。
開催日程が不定期なこの資格講座を、逃してはならないと焦って申し込んだ記憶があります。
開講は6月と7月。
自分の状況は、まさにどん底以下。
こんなことで受講しても大丈夫なんだろうか・・・と不安に思いながら臨んだ講義は、やはりハードでした。
一緒に受講した仲間たちと先生に助けられながら勉強をこなしていきました。
途中で自分の心の中を厳しくえぐることもあって、少しだけ凹むこともありました。
自分の心をのぞき込み、実験し、実践して、心が崩壊してもおかしくない状況を潜り抜けていたように思います。
同時に、自分の気持ちを外から見ることができて、客観的に自分を見るというクセを身に着けることができたように思います。
大丈夫。
自分で自分を支えることができる。
きっと時間がかかるかもしれないけれど、ちゃんと自分を支えることができるはず。
ただ、最終課題である実践のクライアントへのセッションは難しかったです。
その声掛けがなかなかできず、声をかけても「あなたのそんな状況のところに行けない」と断られることもありました。
最終的には家族も含めて3人の方に協力してもらって課題を仕上げました。
あのとき、私と一緒に過ごしてくださったクライアントさんには、今でも本当に感謝しています。
心を整える作業を自分でできるのは、自分自身がとてもラクになります。
私の所属するライフオーガナイザー協会には専科資格に「メンタルオーガナイザー」があります。
それをみつけたときに「自分の人生をコントロールできるということを実感する」という文言にとても共感しました。
「セルフコントロール」することによって、もっと生きやすく、もっとストレスを少なくという思考は私や私の家族にとって必要なことに思えました。私の場合は「自分と家族がもっと心地よく、風通しの良い関係でいるにはどうしたら良いのか?」ということが、50代になってより深刻な課題になっていました。子育て卒業を目前に、家族がそれぞれの場所で生き生きと暮らしていくには、今のままでは実現できないと感じていたからです。そのために、まずは自分が変わること、視点を変えることが急務でしたし、その変化を理論的に説明できる技術も必要でした。とにかく何かしなくては、どうにかしなきゃ、という私の「野生の勘」は当時の自分には漠然としすぎて、早まった行動、謎の焦りがありました。
憧れの「メンタルオーガナイズ資格取得(セルフ)」を受けられたのは1年後。
コロナ禍だったためオンライン講座だったので、パソコンの苦手な私は悪戦苦闘。
本当に大変で、講師にも受講生にもめいわくをかけっぱなしでした。
でも、これを乗り越えなくては資格取得ができなかったので必死でした。
同時期、娘たちがコロナ禍にもかかわらず果敢に海外へ勉強に出ていく時期でした。
心配が山積で焦りもあったし不安もある中で、改めて家族を、そして夫とのこれからの生活を考えた講座になりました。
最後のレポート提出は、自分なりの答えをひねり出したもので稚拙な文章で今読んでも恥ずかしい内容です。
でも、その恥ずかしさや絞り出した言葉の陰に、様々なヒントが詰まっていることを感じます。
まずは自分を実験台にして試してみることが大切。
それから他の人へ伝えていく作業なので、次の段階の「プロ」講座はなかなかハードでした。
今日の記事は、以下2つの記事の続きです。
「ライフオーガナイザー」資格取得後は、正直に言えばのらりくらりとしていました。
当時はコロナ禍真っただ中。
ライフオーガナイズを知るには経験が必要なのに現場へ行くこともできず、どういった活動ができるのかを知るのはオンラインのみ。ちょうど春から夏にかけての良い季節だったので自宅を整えたり、友人のためにライフオーガナイズの手法を使った思考整理のお手伝いをするくらいでした。
もちろん、ヴァイオリニストとライフオーガナイザーの両輪で何ができるのか考えを巡らせても、ぼんやりとしたものにしかならず、他人にはヴァイオリンという本業があるにもかかわらず何をやるつもり?とあきれられるばかり。
確かに、私は何をやっているのだろうか・・・・
ただしせっかく取得した資格をそのままにするわけにもいかず、娘たちのためにそれぞれの特性を生かした勉強スペースのオーガナイズや、時間の使い方のレクチャー講座を開きました。あらためて、娘たちそれぞれの性格の違い、クセやこだわりを知ることができて、いままでの自分の思い込みにうなだれることもありました。自分なりに娘たち一人一人の性格を把握して対応していたつもりでしたが、知識を得てからの理解は説得力がありました。
実践台になってくれた娘たちも、私のことをプロのライフオーガナイザーとして接してくれたことはとても嬉しかったです。
私が苦労して資格を取ったことをしっている。
50代から何かを始めようと思っている私へのエール。
自分たちも快適な生活を送ることができる、といった利点もあったようです。
家族の空気が変わる、という経験をしたのがこの頃でした。
コロナ禍という異常事態もありましたが、やはり家族というものは年を重ねるごとに変化していきます。
その変化を見逃さないことも大切なのだと思いました。
回数は少なくとも、私にとっての現場経験はすべてが学びの場となりました。
とくに研修生制度を使っての経験は、本当に貴重でした。
実際に現場へ出られなくとも、ライフオーガナイズに関する学びは深いものです。
「ライフオーガナイズ」という言葉は、先の「88歳になった自分」を想像するという質問を投げかけてくれた講師が「ライフオーガナイザー®」という肩書も持っていらしたのです。物腰の柔らかな、年代の近い方の魅力にひかれてライフオーガナイザー2級講座を受講しました。
ちょっと変わった「ライフオーガナイズ」というオシャレな言葉の響きが気に入ったのも理由の一つです(ミーハー)。
そして、「思考を整える」という言葉にピンときたことも確かです。
私はもともと児童心理学や人を観察することに興味があり、自分の子育ても独自の信念があったので、「その人それぞれの方法で」というところに共感があったのだと思います。私は子育ても、それぞれの特性を活かして個別に向き合いたい、という思いが強くあり、それは子どもが生まれる前から意識していたことです。そしてその後、ライフオーガナイズを学んでからもより一層、気にかけ気をつけていることです。
更に、50代からの自分にはヴァイオリニストだけではなく、他にも自分を活かせる場所が欲しいと願ってもいました。
子育てを終えてからの残りの人生を、もっともっと豊かにさせたいという思いが大きかったです。
それがこの「ライフオガーナイザー」という資格を使うことができるかもしれない、という「野生の勘」だったかもしれません。
資格取得はそれなりの覚悟が必要です。
その講座に集中する時間、お金、取得後に活かせるかどうか・・・
その時の私は、単純に「あの講師と同じフィールドにいたい」という思いが一番でした。
その他のことは「なんとかなるはず」という見切り発信。
相談した講師は「最終課題はかなり大変だから受講時期を考えた方が良い」とのことで、それでも遅くならないうちにと申し込みをしたことをはっきり覚えています。
講座は自分にとって新しいことが多くて大変でした。
片付けが不得意でも、得意でもなく、ライフオーガナイザーとして必死にやっていこうとも思っていない、ヴァイオリニストとの両輪で何ができるのか全く不透明の状況。胸の内は「とにかく、憧れの講師の傍にいたい・・・」という思いだけでした。コンベックスの使い方もあやふやで、製図に関しては素人以下の有様。最終課題の事業計画書は毎日朝から夕方までパソコンに張り付いて、何とか仕上げた感じでした。パソコン操作もあやふやだったため、本当に苦労しました。
合格通知をいただいたときは、力が抜けました。
資格取得は不合格になることはなく、課題再提出を繰り返して合格することができます。「資格取得は単なるスタートだからこれからが大変ですよ」と言われてその通りだと思いました。
私は今、50代後半を歩いています。
50代は予想外の出来事が多く、今まで生きてきた年代を改めて思いなおす時期にも重なりました。
その一つが、ライフオーガナイザーという職業に出会ったことかもしれません。
ヴァイオリニストなのに、どうしてライフオーガナイザーになったのですか?
よく聞かれる質問です。
私自身は、音楽家も一人の生活する人間ということで、ライフオーガナイザーという職業についての違和感はありません。
思考や生活空間が乱れれば、パフォーマンスに支障が出ることは当たり前のこと。
そこを物理的に改善できるのであれば、その方法を知っていることに損はありません。
転機は50歳という年齢でした。
元気な高齢者がもてはやされ、【人生100年時代】と言われ始めたころです。
私自身は「あと50年もあるのか・・・」と否定的な思いも強く、「いつまでヴァイオリンを弾くことができるのだろうか?」という不安が押し寄せました。うっすらと心の中では不安に感じながらも、「100歳でベートーヴェンのソナタを10番まで弾く!」なんていう途方もない目標を立てたりしました。その時の家族のことなど考えもせずに・・・。なんとなくジタバタしながら、子どもたちの巣立った後、夫との老後、人生の目的などに想いをめぐらし始めたころ、コロナの時代に突入しました。
今まで整頓されていたと思っていた我が家は、家族4人が常に一緒に生活していくには窮屈で居心地が悪かったです。
勉強や仕事に追われる家族を横目に、自分の居場所がなくてイライラする私。ヴァイオリンの練習もきちんとすることができず、当面の自分のやるべきことは家族の食事準備や掃除。近くに住むけれど高齢のためにサポートの必要な父の安否。とにかく家族それぞれが居心地の良い空間を取り戻そうと躍起になっていた気がします。それでも私は自分自身を取り戻すことができない。自分の仕事(練習)を、家族がいる時にできないというジレンマ。それまできちんと自分の練習時間を家族に共有していなかったツケがまわってきただけでした。
そんな時に出会ったブログに「88歳の時に、あなたは何をしていますか?」という問いかけ。
100歳よりもう少し現実的な問いかけ。30年後なら少し想像ができる。
アタマのまわらない日。
今年は・・・という言葉が適当かどうかもわからないけれど。
何をするにも二の足を踏んでいるような気がする。
もしかして、足がすくんでいるのかも。
寿命のことを考え始めて逝ってしまった人のことを強く思う日々。
それは春という季節が私にもたらすモノなのかも、とも思う。
ブログ執筆も、今年も80を過ぎたけれど、きちんと書きあげている記事は案外少ないのかもしれないと愕然とする。
何度も書き直しても文章がまとまらない日もある。
そんなときは「しょーがないなー」「そんな日もある」とつぶやく。
でも、私はここであきらめない。
とにかく書く。
できる人は、必ずそんな時でも物事を遂行しているから。
たとえそれが駄作になったとしても、行動することに意味があることを知っているから。
ヴァイオリンの練習も同じ。
「今日は集中できそうにないなぁ。無理そう」と思っても、とにかく楽器ケースを開ける。
調弦する。
それだけで身体のどこかにスイッチが入る。
毎日質の良い練習なんてできないことはわかっている。
時々、すっぽりと落ち込んで弾けなくなることがある。
そんなときは、「しょーがないなー」「そんな日もある」とつぶやきながら、ヴァイオリンを弾く。

春分の日。
祝日の今日は朝から気温が上がらず雨模様になりました。
昨日、東京で桜の開花宣言があり春本番かと思いきや、こうして気温が下がると寒暖差に体調が乱れがちです。
今年は寒暖差がいつもより激しいような気がするのは、なぜでしょうね。
それでなくとも年度が替わる時期ですから、まとめの時期、新しい環境、細かい書類作業など、ストレスを感じやすいことも重なって自律神経に負荷がかかります。交感神経が働き続け、身体が緊張した状態が続くということです。血管が緊張して流れが滞り、動悸、イライラ、落ち込みなどの不調。身体が緊張して食欲不振、下痢や便秘、睡眠障害などの影響もでてきます。
どれも今の私に当てはまるような症状ばかりです・・・
ふとした気のゆるみから風邪をひき込み、回復まで時間がかかりました。
決まっていた予定は気合で乗り越えられたのですが、なぜかすっきり治らないのはトシのせいなんでしょうか・・・
考え出すとネガティブになっていくのでストップします・・・
少しでも解消するための第一歩は、「深呼吸」
とりあえずゆっくり息を吸って、ゆっくり息を吐く。
3回繰り返すことができれば、確実にラクになります。
それだけで充分。
以前はそんなことすらできずに、アタフタと予定をこなし、無理をして体調を悪化させて、それでも頑張れると突っ走っていました。
でも、それは体力があったから、そういう無理ができたから。
今は自分が倒れたら、だれも面倒を見てくれないので、自分で管理するしかありません。
一人で倒れていたら、色々な人にご迷惑をおかけするのは目に見えています。
これからは、「どのようにブレーキをかけたらよいのか」を学ぶことが必要のようです。
「いってきます」
「いってらっしゃい、気をつけてね」
私はその会話を最後に、二度と生きている夫に会うことができませんでした。
一番恐れていた別れ。
一番記憶に残したくなかった出来事。
今から3年前に、父の余命宣告を受け止めながら過ごしていた日々での出来事でした。
「余命」という言葉を聞くのも重くて苦しいけれど「突然」という別れも苦しいものです。
小説やニュースの出来事のようなことが、現実に自分に起こっていることに混乱し、不安にさいなまれ、絶望し、慟哭すると同時に、とんでもない数の連絡と手続きに決断を迫れられて、ごうごうと流れる激流に流されていく感覚がありました。ただ、その流れに流されてはいけない、自分自身である程度コントロールしなければ、という思いが沸き上がってきたことを覚えています。
そしてそのことを可能にするために、外部に対して氷のように感情を密閉することにしました。
私の場合は、そうすることで様々な手続きと日常生活を進めることができましたし、大量の決定事項を忍耐強く勧めることができました。
実際に手や身体を使って進める手続きは簡単です。
目に見えて進捗がわかるからです。
しかし、心は自分でもわからないものです。
自分自身でよく観察し、自分に問いかけ、自分の許容範囲を正確に判定しなければ、自身が病んでしまうのは簡単なことです。
今、しなくてはならないこと。
今、決断しなければならないこと。
少し待っても良いこと。
時間に任せればよいこと。
混乱した状況の中で、少しでも冷静に要られたことは、私がライフオーガナイズを学んでいたからだと思います。
私の母は、自分の両親亡き後の相続手続きで困難な状況が2年ほど続きました。
今まで世間知らずだったことが禍になり、精神的な負担が大きかった様子でした。
それでもなんとかすべてにきちんとカタをつけて「無事に終えられたわ」と手紙で知らされた時は私もホッとしました。
私自身はドイツ在住時だったので何も手助けができませんでした。
束の間、落ち着いた時期を過ごしたと思ったら、肺がん末期の宣告。
ストレスが、がん発症の一番のリスクということは本当のことです。
「喪の作業」は思っているよりも負荷がかかります。
外からは見ることのできない、深い悲しみと回復作業が行われていることに、他人は気づくことができないのです。
私は自分がこういった経験をするまでに、どれだけ他の人のことを傷つけたんだろうか・・・と苦しく思います。
その人に、ちゃんと「共感すること」ができなかったですし、「思いを寄せる」ことができなかったように思います。
「喪の作業」は本当に深くて重くて苦しいものです。
私は自分の辛さや自分の経験を、他の人と比較をしないと決めています。
その人なりの「喪の作業」があり、その人自身の「回復段階」があること、そしてその期間はその人によって何年もかかるということ。
あれから3回目の4月がやってきます。
私の「喪の作業」はまだまだ続きます。
多分一生。
私は仏教徒ではありませんが、日本の生活の中に自然に取り込まれている風習や季節を感じることには敏感でいたい、といつも思っています。
昨日から彼岸入りです。
お中日は春分の日(20日)、彼岸明けは23日です。
お彼岸は年に春秋の二回あり、あの世とこの世が近くなると言われています。
そのため、お墓参りをしたり仏壇にお花を飾って亡き人の話をたくさんする時期とされています。
親戚や友人が集まって昔話に花を咲かせたら、「思い出してくれた!」と思って亡き人は喜ぶでしょうね。
我が家には、家族ではないけれど思い出す人が何人かいて、ふとエピソードを語るときがあります。
ただ、仕事で一緒だった夫から漏れ聞くユニークな話も多くて・・・
心に残っているエピソードは、いつも集まる例会が木曜日だったのに、その月だけ水曜日に変わっていたのを忘れてお店の方に「あ、昨日終わりましたよ」と言われたことや、ダブルブッキングが当たり前だったのに、トリプルブッキングが発覚して周りが慌てたのに、本人からもう一つアポがあったことを知らされてクワトロブッキング(聞いたことない・・)だったり、愛犬が可愛くて「一緒のお墓に入る!」と決めて早々にペットと一緒に入れるお墓を購入してしまうなど・・・クスクス笑ってしまう小さなお話を聞くのがとても楽しかったです。
そこにいなくても人を笑顔にさせることのできる人。
そんな人に憧れます。
先日スーパーで見かけた「ぼた餅」(春はぼた餅、秋はおはぎと言います)は大きすぎて食べきれる自信がなかったので買いませんでした。
その代わり、桜色の和菓子を買って帰りました。

今の時代、余命の話やお墓問題、相続に関しての話題が少しだけオープンに語られるようになってきた気がします。
老後の資金について、空き家問題、少子化・超高齢化社会の重さなどが、私のような一般的な生活者にも気づいてしまえるような状態になってきたからかもしれません。または、自分がその問題を通り抜けてきて、自分事としてとらえられるようになったからかもしれません。
【余命】という言葉を聞いたのは母を亡くすときに初めて聴きました。
「余命半年です」という医師の言葉を父が私に伝えました。
そのとき私は全く想像がつかず「1年以内なんだ」というボンヤリとした気持ちでした。
4か月後、母が自分で病院に連れてってくれといって入院した時も、私は「長い入院生活になるかも」とのんきに入院必需品を買いに行った覚えがあります。入院後に父と一緒に医師に呼ばれて聞いた言葉は「今日か明日・・・」と最後まではっきりと聞き取れませんでした。結局私の買ったものは何一つ使われず、入院の翌日に母は逝きました。母と仲の良かった叔母が、病院の売店で買ってくれた紫の小花模様のパジャマが似合っていました。喪主が父だったため、私は夫とともにアシストする役目でした。
父の気持ちまで心が追いつかなかったことを覚えています。
父の場合は「あと1~2週間くらいです。1か月は持ちません」と言われました。
それが長いのか短いのか・・・その時の私には全く想像がつきませんでした。
ケアホームに入居していたので、すぐに「看取り期の介護契約」に切り替わっていきました。
とにかく私は父が安らかに過ごせるように、今生に悔いなく安心できるように、ヴァイオリンをもって毎日のように父を訪ねました。
結局父は、3週間半で逝きました。
そのとき私は「お医者さんの見立てというのは、すごく正確なんだなぁ。プロなんだなぁ。」と尊敬の念をもって思いました。
どちらの日々も、とても重くて辛い日々でした。
いつ連絡があるのかわからない状態は、常に精神が臨戦態勢です。
そして、その先のことも準備しておかなければならないことも辛さに拍車をかけます。
葬儀に至るまでの手順やその後の膨大な手続き、後片付け、様々なケア。
私はどんなに辛くても予備知識として、頭に入れておくことは大切だと思います。
決められた順序があるならば、そのまま機械的に作業を進めること。
深く思いを巡らすことをせず、他のケアをすると決める。
自分は大丈夫か。
他の家族は大丈夫か。
連絡漏れはないか。
やるべきことはしっかりできているか。
傍から見れば、なんと冷たい娘なんだろうと思われることもあったかもしれません。
母のときには、祖父の葬儀経験が役に立ちました。
父のときは母の葬儀経験がそのまま活かされました。
25年の月日が経っていましたが、亡き人を収める手順に大きな変わりはありませんでした。
当事者として、決めなければならないことや、手続き関係をこなすのは大変なことですが、それも身内だから最後はしっかりと見送りたい、という一念でした。
今は年度末。
一つの区切りを感じることも多い季節です。
私自身は人生の先を追いかけて急いでいるように思えるときもありますが、生きるということはそういうことなのかもしれない・・・と静かに思う日々です。
音楽に関しての小説や物語は率先して読む方ではありません。
どうしても勉強の要素が大きくなって、苦痛になるから。
今回手に取った本の帯に【忘れかけていた音楽の喜びを再び取り戻していった・・・】という言葉に魅かれたのですが、実際にページをめくるまでに半年もかかってしまいました。
コンサート繁忙期には、音楽についてのことなどを延々と読んでいられないメンタルだったし、冬眠期間中は楽器の名前さえも見たくなかったです。
でも、そろそろ自分を鼓舞しなければならない時期になっているし、積読も最終コーナーだったのであきらめて読み始めることにしました。
主人公が、パリの片隅にある不思議なピアノ工房に魅せられて通い始めて、ピアノを手に入れる。忘れていた感触、憧れていたピアノ。しかしそこからが出発だった。ピアノという楽器の構造、部品の知識、ピアノの辿ってきた時代背景。そして人(調律師・ピアノ教師・ピアノ製作者)。工房主と交わされる会話から交流が生まれ、視野が広がり、日常が今までより鮮やかに動き出していく。

【調律師は科学者であり、アーティストであり、心理学者でもある】
という一文には、深く頷きました。
私はピアノ調律師をとても尊敬しています。
いつもお世話になっているリサイタルの調律師は、ピアノ自身の持つ魅力を活かしながら、私(ヴァイオリン)との協和・共鳴が最大限に発揮されるようなチューニングする技術を持っています。私の音、プログラム、ピアニストとの相性などを透かして見られているような気がします。
いつも感心してしまうのが、本番のテンションにぴったりに合わせてくることです。
彼は朝一番に調律をした後は、後ろの席でじっとリハーサルを聞き、リハーサル後は本番直前まで微調整を繰り返し、私がステージに立つ度同時に去っていきます。リサイタル中に調律が破綻することがないとわかっているので、本番の立ち合いはお願いしていません。プロの仕事とは、こういうことなのだ、と身をもって感じます。そして、いつも「自分もプロの仕事をしているのか?」と問いただす時間にもなります。
演奏することだけがプロではない。
コンサート前後の、全てのプロ集団が集まってコンサートを作り上げていく。
舞台に立つ演奏家は、そのすべてを引き受けて聴衆へ届ける。
音楽の喜びを再び取り戻すことができたか?
私の場合は、12月のリサイタルへのカウントダウンが始まった・・ということです。
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。
穏やかに見える春の陽気ですが、私にとってはちょっと厄介な季節です。
「木の芽時」といって少し鬱っぽくなる傾向が出るのです。
春は生活環境が変わったり、周囲の人間関係などで「気」が滞ってしまうことに関係あるそうです。
人間ですから、不調の波が襲ってきても仕方がないことですが、あまり深刻にならないうちにどうにかしたいものです。
そんな時、私の場合は食べるものに注意をむけます。
身体を温めたり気の巡りをよくすると言われる食材に注目して献立を考えます。
私のお気に入りは「玉ねぎ」と「青ネギ」(どちらもネギ・・・)
「玉ねぎ」は薄く切って水に浸して辛みを緩和させて、ギュッとしぼったら、そのまま酢と醤油、ごま油で味付けをして仕上げにすりごまをかければ美味しい副菜になります。
ざくざく切って、オリーブ油でよく炒めて塩コショウで味付けしただけでもおいしくいただけます。
「青ネギ」は5センチ程度の長さのものを半分に切って、耐熱皿に並べて塩コショウ、オリーブ油をかけてシュレッドチーズをかけたら、180℃のオーブンで12分くらい焼けば、とびきり美味しい副菜のできあがり。
熱々のネギがトロリとしてお安め白ワインも極上に格上げできます。
食べることは生きること
自分の身体に責任をもって生きること。
風邪をひいて「近頃、食事の面で自分を労わってなかったな」と反省です。
久しぶりに風邪をひきました・・・
「今日は寒いから温かくしてすごそう」と思っていたのに、なぜかいつもより薄着で、寒風の中を20分もご近所さんと近況報告の話をして、そのままリビングで昼寝をするという・・・
どう考えてもおかしい行動をしたら、案の定、夜には喉に異変が。
翌朝、幸い熱が出なかったので、身体を冷やさないように暖かくして、白湯を切らさないようにして、栄養補給をしつつ、スローペースにしていたら、夕方には回復傾向になりました。
これ以上悪くなる気配はないので、少しホッとしました。
寒暖差の激しい毎日、体感温度も少しおかしくなっている様子。
穏やかな春の気候のはずが、思わぬ落とし穴にもなります。
「食べることは生きること」
その単純明快で正当な思考は、時に真っ当すぎて苦しく感じることがあります。
私は食べることが好きで、いろんな場面を想像しながら、メニューを考えたり新しいレシピを試してみることがあります。
「おいしい!」と自画自賛するときもありますし、「おいしい!」といってもらえて有頂天になるときもあります。
でも、そのどれも考えることができなくて、ぼんやりと白湯をのんでいるだけのときもあります。
今日はそんな日。
そんな日の救世主はサラダ。
私の場合は、サラダを食べれば良し・・・と思っているので、とにかくレタスをちぎってニンジンを千切りに、キュウリがあれば適当に切って大きめのボールにぶち込みます。(カット野菜のときもあります)
そしてゆで卵を適当に切って、ツナ缶をいれて準備完了。
ドレッシングはマヨネーズ大さじ2の中に、ニンニクチューブをたっぷり投入して、しょうゆをたらり。
レモン半分を絞ってオリーブ油をたっぷり。
それらをよく混ぜてサラダにかけて混ぜる。その上にパルミジャーノ・レッジャーノをすりおろして出来上がり。
それだけでも十分ですが、お腹に余力があれば冷凍してあるイングリッシュマフィンをこんがり焼いて添えれば完璧。
次女の連絡は、案外サッパリしています。
用件だけ、決定したことだけを伝えてくるので、途中で紆余曲折があったとしても事後報告として伝えてきます。
「なんだか大変そうだなぁ」
とこちらが思っていても相談してくることはなく
「そういえば、こんなことがありました」
とぽつんとメッセージが来て、こちらがびっくりすることがあります。
そのため、こちらがアレコレ想像を大きくしてしまって余計な心配することも多々あります。
先日次女から
「なんだか時間の使い方がうまくできていない。時間のオーガナイズ講座を受けてみたい」
という申し出がありました。
2月にイレギュラーな仕事を入れすぎて、自分の生活がコントロールできなかったとのこと。
私は「時間」に関しては得意な方なので、すぐにオンラインでの時間講座の開講準備をしました。
我が家の変わったところは、親子でもこういった手続きをするところかもしれません。
お互い講師と受講生になって講座は始まりました。
事前にヒアリングをしていたので、各パートの割合を少し変えて
ということに注目して進めていきました。
講座を進めていくうちに、自分がこの先の道をどのように見ているのか、不安定な中にも確固たる強い思いがあることなどを次女が話してくれました。「目的のないおしゃべりではなくて、合法的に、強制的に話せる時間が欲しかったのかもしれない」
と次女がぽつりとつぶやいたとき、「なるほど」と思いました。
次女との会話はいつも30分程度。
「ママとは1時間もしゃべっていられない」といつも言われます。
その裏に「相手の時間を邪魔したくない」という次女の遠慮と優しさを感じます。
私もその気持ちを理解することができるので、話したいときに話したいだけ、そのタイミングはいつでも・・・と伝えるようにしています。
それでも、次女は何か枠組みがないと話せないことってあるんだな、と改めて思いました。
親子の間でも、いつでも話せる状態を作るだけではなく、ある程度の距離が必要な状況を提示することも大切なんですね。
新しく得たこの感覚をこれからも大切にしたいと思いました。
高校卒業と同時に海外での一人暮らしを始めた次女のことはものすごく心配です・・・
次女の道を見守りつつ、自分の持っているスキルを使って全力で応援できればいいなと思っています。

15年。
その年月に思いを馳せます。
あの日、朝は晴れていました。
毎月参加させていただいていたボランティア演奏を終えて、一足先に会場を出て、いつものようにホッと一息つこうと思いながらも帰宅を急ぎました。
その日に限って。
月に一度のボランティア演奏は、私にとって息抜きの時間でもありました。
当時小学校4年と幼稚園年長の娘たちから、少しだけ離れられる時間は貴重でした。
演奏するために早く家を出てモーニングを食べて、演奏を終えたら一人で銀座にふらりと立ち寄ってお茶をして帰ることが楽しみでした。
その日は午後から雲が多くなってきたので、家に帰ることにしました。
電車に乗りながら、最寄り駅について一目散に自宅へ向かいました。
「娘たちが帰るまでに掃除機をかけてしまおう」と思いながら家について手を洗っていた時に揺れ始めました。
ただ事ではない揺れを感じて・・・
そのあとは混乱状態でした。
いつまでも、何度でも思い出す。
思い出すと気持ちの揺れが大きくなってざわめくけれど、私自身には必要なことだったりします。
どんなに波立たせることがあっても、収めることができれば良いと思っています。
あの年に生まれた子どもたちが、今、中学を卒業する年齢になっています。
近隣中学校の卒業式に来賓として参列しながら、様々な思いに駆られました。
この2年くらいに読んだ本は
この先読み返すことがありそうなので
著者とタイトルくらいは覚えておこうと思うのに・・・
覚えていられません。
去年の春、書棚を整えた時に
「これからも読み続けたい本」
「記憶に残すだけで良い本」を仕分けてノートにまとめました。
なかなか面白い作業で没頭しました。
自分の中にあるちょっとした【こだわり】に気づくことができました。
「エッセイが好きでビジネス書は無限に読むけれど小説の内容は吟味して読むので読み始めるまでに時間がかかる。なぜなら買ったときのテンションからズレてしまうと読めないから」
基本的にはビジネス書は読んでそのまま本棚の隅ですが、メモを読み返すと自分のアンテナにひっかかったことが蘇るので便利です。
小説などは、その時の主観しか書いていないのでものすごくメモが少ない傾向があります。
エッセイはエピソード内に出てきた事柄を改めてリサーチし、自分の生活に取り入れて知識を吸収し勉強することが楽しいです。
私の「広く浅く知識を得る」という欲求に、本はとても役に立っています。
それにしても、最近記憶力の低下がひどすぎる。
さっき書いたメモが見つからない・・・
どこかで見た文章がどの本だったのか覚えていない・・・
人の名前を覚えられない・・・
数えればきりがないので数えないことにしています。
零れ落ちる記憶をメモですくいながら、何回でも何度でも、そのメモを探して見つけて読み返す。
延々と終わらぬ作業を続けていくことで、ようやく腹落ちするのでしょうか。
・・・同じ本を買う過ちをしたくない・・・と肝に銘じる日々です。(そうなったらヤバいような気がする)
日本には美しい四季があります。
最近は、少しバランスが悪くなって「秋」が短すぎるような気もしますが・・・
春・夏・秋・冬。
それぞれの季節を細やかに感じる心が私たち日本人には生まれ持っているように思います。
ところで、この大きな四季も細かく分かれていることをご存じでしょうか?
例えば春。
春の中にも「初春」「仲春」「晩春」と3つに分かれます。
そしてそれぞれの春が2つに分かれます。
「初春」→“立春” “雨水”
「仲春」→“啓蟄” “春分”
「晩春」→“清明” “穀雨”
これが私が生活の中で大切にしている「二十四節気」です。
さらに、二十四節気のそれぞれ15日間を3等分した5日間ごとの細かい変化を教えてくれるのが
【七十二候(しちじゅうにこう)】といいます。
この【七十二候】も古代中国で作られたそうですが、日本の風土に合うように何度も改訂されたとのこと。
例えば、明日からは「仲春」→“啓蟄”→【桃始笑(ももはじめてさく)】
桃の花が咲き始めるころ。
「笑」は咲くという意味。
花が開くとパッと明るくなるのは、笑顔と同じですね。
お守りのように過ごしていきたいものです。
日曜日、どんな音楽を聴いていますか?
私は仕事柄「クラシックしか聴かないでしょ?」と言われますが、そんなことはなくて色々聞きます。
朝は大抵ラジオを聞いて簡単なニュースと天気予報の情報を仕入れます。
その後の作業時は、アレクサに適当に音楽を流してもらうか、YouTubeチャンネルのライブで【リラックスミュージック】などを画面を見ながら耳の負担にならない音量で聴いています。
コンサートプログラムなどで楽譜を見ながら確認作業をしたり、ピンポイントで楽曲の音源を聞きたいときには、ちょっと壊れつつあるCDコンポが活躍します。スピーカー機能が良いので音がクリアに聞ける利点はあるのですが、CDの入れ替え作動時にテーブルが勝手に閉まってしまうのでアタフタします。
出かけるときに車を使う場合は、スマホと連動させて自動的に音楽が流れる設定にしています。
(娘たちがK-popを気に入って大量に聞いていることがあるのでびっくりすることがあります・・・)
最近は昔の映画サウンドトラックを聞いています。
そういえば留学した当初、映画のサウンドトラックをずっと聞いていたことがあります。
ケビン・コスナー主演【Robin Hood-Prince of Thieves】の主題歌がヒットミュージックランキング1位に延々と君臨していて毎日聞いていました。
10年以上たってやっと映画本編を貸しDVDで見ることができた時はとても嬉しかったです。
その他には、娘と【アナと雪の女王】(吹き替え版)を見に行った時も、映画館を出てまっすぐHMVに行ってサントラ盤を購入しました。
娘より私の方が感激していたような気がします。
英語版・日本語版の聴き比べができて贅沢なCDでした。
ただ、映画音楽を聴くとリズムが難しかったりするので
「おぉ・・・演奏は難しそうだなぁ」と頭の中でソルフェージュしてしまってニヤニヤしてしまうこともあります。
こういった作品のレコーディングは通常、短時間で収録することが多いです。
演奏者たちの集中力にかかっているので重労働です。
短い時間で最高のパフォーマンスを、そして妥協なく完成する。
レコーディング現場を想像できるのは、音楽家の特権かもしれません。
出来事が蘇ったり、映画製作の裏側を想像したり、その時の自分の気持ちを思い出したりすることは、私の今の世代だから楽しめる特権ですね。
幼馴染の友人と一緒に、お互いの大事な人が眠る霊園をめぐるツアーをしました。
実家が近くて3歳くらいからずっと一緒に、外を飛び回って遊ぶ友達でした。
私の幼少期は、彼女を抜きに語ることができません。
高校・大学はお互い全く違う道へ進み、一足早く社会人としてしっかりと働く友人に羨望のまなざしを送りながら、私もドイツへ留学して頑張る姿を見せました。
その後はつかず離れず。
結婚して家庭をしっかり守りながら、友人が転勤族のためになかなか会えない日々でしたが、ふと気がつけば、車で20分くらいのところに住むようになっていました。
彼女のご両親が、実家の近くの霊園に眠っていると聞いて
「あら、その道を通っていけば、私の家族の霊園にも行くことができるよ。霊園ツアーしよう!」
と誘うと
「いいわね!」
との返事だったので、昨年の2月に初めて一緒に行きました。
彼女のご両親には、本当にかわいがってもらいました。
大人になってからも、あいさつに伺うと
「あら~かおちゃん~元気にしてるの~?」
とニコニコと話してくださった笑顔は今も私の大切な記憶です。
彼女のご両親のお墓は樹木葬。
滝に囲まれた大仏さまの横に、名前を刻んだプレートが設置されています。
名前を確認しながら、手が届けばその銘板に手を触れながら偲ぶことができます。
きれいに手入れされた園内は風通りも良く、友人はふらりと立ち寄って気持ちを落ち着ける時間を取っているそうです。
「家が好きだった母が、ここだったら近くて大丈夫かなって思ったの。迷子にならないから。私もここで良かったなって思っているわ」
穏やかに話す友人は本当に優しい人です。
私の大事な人たちが眠る霊園は我が家から少し遠いのですが、所属する教会墓所なのでいずれ私もそこに一緒に入るつもりでいます。
娘たちには伝達済みです。
今後どのように変化していくのかわからないので(教会の体制も変わるかもしれない)注視していくことになります。
遠くに海がちらりと見え、静かな山を見上げる静かなところです。
娘たちが一時帰国した時は必ず立ち寄りますし、私一人でもふらりと行くこともあります。
この3年くらいは元旦にお参りしています。同じような思いをもって訪れる人も多い様子なので、寂しい思いが少し薄れます。
今回は友人と二人で、思い出話をしながら、辛いことをポロポロと話す時間がとても貴重でした。
普段は忙しさに紛れてしまうこと、言っても仕方のないこと、どうしようもないこと・・・
そんなことも、友人だったら話すことができます。
お互い厳しい時期を通りながら生きていることは、経験を積んだこの年齢だからこそ共有できるのではないかと思います。
笑ったり、泣いたり。私たちだけにしかわからない、思い出話の数々が本当に愛しい時間でした。
余談:ちょっと老眼気味の友人が
「連絡もらった文章の【霊園ツアー】が【雪国ツアー】にみえちゃって、何言ってんのかしら~って思っちゃったのよ」
書いている今も、判別しにくいな…と思ってしまいました・・・
私たちもいつまで同じようにツアーができるかわからないので、今この時間を大切にしようと決めました。
【終活】という言葉に関して、今まであまり気にしていませんでした。
どちらかと言えば、両親(私の場合は実父)を想定している言葉なので他人事。
しかし、50代後半になれば実は、自分の番が目前です。
人生100年と言われても、そこに到達できる人は一握り。
健康年齢と寿命には約10年の差があることを考えれば、少しだけ現実的に有限な時間を真剣に見直す時期かもしれません。
冬眠時期に読んだ本の中には、そのことにまつわる内容もかなりの分量になりました。
読んでいると、気落ちするものもたくさんあります。
息を吸って吐くだけでもお金がかかる。
色々なことを背負いながら生きる。
「死んだあとは適当にして」という言葉がどれほど無責任なことか、もっともっと真剣に考えなければならないと思いました。

私は他の人より心配性で、先行きに不安を抱えつつ、石橋を叩いて渡るような性格です。
怖がりなので、一歩を踏み出す勇気に時間がかかりすぎることがネックになります。
でも、決めたことは最後まで遂行することができるので、じっくり考えて準備をしたら、あとはエイっと飛び込む勇気だけが必要です。
今は自分の中で決めたリミットを見据えつつ、準備を始めています。
今の時代は調べる手段がたくさんあります。
もちろん、ウソ・デマは数知れず。
その中で信頼できるものを探しつつ、自分の目や感覚を研ぎ澄ませて探していくことは、年齢を重ねてもできることです。
本を読むことで情報を取り入れることができたり、音声で今の時代を聞くことができるならば、私はまだまだ勉強できることがたくさんあるのだ、と気持ちがキリリとします。
あきらめないこと、投げ出さないこと。
すぐに結果が出なくても当たり前、と思うことが今の私には必要なようです。
二十四節気・啓蟄【けいちつ】
春の気配を感じて冬籠りから目覚めた虫たちが顔を出す頃。
この頃に鳴る雷を「虫出しの雷」と言うそうです。
家庭ゴミを出すために庭を通ったら、2、3日前には見られなかった雑草がワサワサと育っていました。
恐るべし生命力。暖かくなってきた証拠ですね。
先日、明治神宮へお詣りに行ってきました。

表参道に他の用事があったので帰り道に「寄らせていただいた」感じでした。
びっくりしたのはほぼ9割以上が外国人観光客。
日本人はどこに?
多分、私のように単独でお詣りをしている方が多かったのかもしれません。
ガイドさんの話に真剣に耳を傾けるグループ。
遠慮がちに写真を撮る人。
大鳥居に最敬礼する方。
私はいつものように、本殿へのお参りをして100円のおみくじを引きました。
明治神宮のおみくじは、大恩心(おおみごころ)と呼ばれていて、明治天皇と昭憲皇太后が詠まれた和歌にメッセージを託して伝えるものになっています。
今年は昭憲皇太后の和歌でした。
「油断大敵」とのこと。
襟を正してしっかりと歩きたいものです。
発売前から予約していた本。
でも、ずっと読めなかった本。

『真夜中のパリから夜明けの東京へ』 猫沢エミ・小林孝延
なかなか読み進められませんでした。
昨年10月末から読み始めて、やっと年が明けた1月末に読了。
ようやくアウトプットできるようになるまで1か月。
涙を流しながら、心を疲弊させながら、時に嫉妬しながら読みました。
きっと彼らは心の中で絶叫・号泣しつつも「往復書簡」というある意味一つのフィルターを通して語られていたので、自分よがりではなく、相手の見方も含みながら大きく「死」を見つめていたような感じがしました。私自身が「そのとおり!」と思うことが書かれていることに嫉妬もしました。
語り始めのぎこちなさや遠慮の空気をズバリと切り込んでいく猫沢さんの繊細な大胆さ。
ユラユラした語り口ではあるものの、根底に流れる揺るぎない強さを感じる小林さんの佇まい。
【人生はある日突然風が吹いて、それまでの景色を一変させてしまうもの】
【食べ物を食べておいしいと感じるのは罪悪感なのか】
【心の傷は時間とともに癒えるとか薄らいでいくわけじゃない】
どれも自分に思い当たることばかりで、未だに「あぁ、これを見せてあげたかったな」「きっと喜んだだろうな」と喪失を呼び覚ますことがあるのは確かです。それでも、【ただ今を生きることだけに集中して使いたい】と思うことに共感します。
【本が読めなくなった時期がある】
【家の片付けに集中した時期がある】
私も同じように、1年以上は文字を追っているだけの読でした。何もしないで電車に乗っているとふいに涙が出てくるので、それをカムフラージュするためにエッセイ本を持ち歩いていました。
「何かを変えるには今しかない・・・自分を守るために、これから私が生きていくためには替えなくちゃ」「いっしょに考えるはずだったことを、とにかく私が粛々と遂行しなければ」と突き動かされるようにバス・洗面所の改修工事をしたり、エクステリアの整備をしました。
喪失から再生へと向かうのは、そんなに簡単ではありません。
私はまだまだ弱い心で生きています。
それでも、自分自身を信じようと思います。
サポート方法は一つだけではありません。
その時、その状況によって変化していくものです。
五感を全部使って自分をサポートしよう。
自分自身をその方向へ向かわせよう。
ひな祭り。
3月になってもまだまだ寒い一日になりました。
久しぶりに電車に乗ったら、制服姿の学生が多くてびっくりしました。
卒業式のシーズンなんですね。
すっかり忘れていました。
いつもこの時期は、色々なことが重なってバタバタしていることが多かったです。
「バタバタする」って気軽に使っていた(どうかすれば気に入っていた)言葉ですが、今の自分には似合わないです。
先日、次女から
「5月に開催されるマスタークラスの申し込みを忘れてしまった・・・」
と嘆きのLINEが届きました。
2月は(28日しかないのに)ドイツやイタリアへの移動が多く、
それぞれの手配や準備に追われているうえに、
フランス語の論文提出も目前。
卒業後の進路に向けて、演奏録画を準備して提出しなければならず。
さらに新しい可能性を探るために、
友人のレッスンを見学して自分のレッスンを見直している最中でもありました。
生活面も、共同生活の中で生まれる居心地の悪さも拍車をかけていました。
確かに、心身ともにアップアップだったのは理解できます。
その上、バイト代のために急遽オーケストラの仕事を入れたり、
今回もパリでの録音の仕事を引き受けるという・・・
なかなかハードな状況。
私は正直「大丈夫かな、忘れ物しないといいけれど」
とは思っていましたが、本人が頑張っているのを応援するしかありませんでした。
次女は瞬発力が良いので、なんでも直感で動いてしまいます。
そして、どうにか自分を状況に合わせてしまうことが得意。
こちらが思っていることも、懸念していることも凌駕して突き進むエネルギーの高さには、本当に驚くことが多いです。
そして、そんな中での申し込みを忘れた…という事態。
単純な記憶欠如、リスト作成の不備、ミスかもしれませんが、もしかしたら
「このマスタークラスに行く必要があるのか?」
という根本的な熟考部分が抜け落ちていたのかもしれません。
積み重なった物事の中で、自然淘汰されてしまったものは、もしかしたら自分の本意ではないことかもしれないのです。
自分の生活(買い出し・食事作り・洗濯・掃除・練習・勉強)をこなしながら学校生活をこなし
将来を考えつつ、準備しながら仕事を引き受けたり友だちと遊んだり…そのすべてが外国語であれば、大変なことはわかります。
でも、それでも、ライフオーガナイズの方法は、忘れないでほしいです。
書き出すだけで良いから
「頭の中にあるから大丈夫」と思わないで
まずは紙とペンをもって書いてみて。
・・・そのように伝えました・・・
「パンを買ったから、公園にベンチで食べながら頭の整理します」と写真付きの返信がありました。
さて、どんな解決方法が見えてきたのでしょうか?
それとも、このまま「エイっ!」と突き進むのでしょうか?

絶賛、全てを見直し中です。
自分も生活も音楽も・・・なにもかも。
50代後半になってくると、先のことが不安になります。
以前は全く気にしなかったことが、ふとした瞬間に【底なしの穴】のように思えて一歩も動けなくなります。
私の場合は「あ、自分が動けなくなっているな」と思えることがまず大切でした。
恥ずかしいことではなく、とても重要なことだと思います。
次はその穴を見ないように避けることからはじまります。
とにかく息を整える。
まず自分自身を守る。
深呼吸をして息を整えてから状況判断。
それが本当に底なしの穴なのか、色が黒いだけなのか、大きく見えるだけなのか。
そして、何が怖くて何が不安で、何に戸惑っているのかをゆっくり見極めます。
その時に文字に書き出すことが大切です。
一度に全部ではなくても、ゆっくりとランダムで良いので書き出す。
そうすると、重複する気持ち・重なっている状況・一番怖いと思っていることなどが出てきます。
少しずつ項目を分けて、その内容を細分化したら、どこから手を付ければ自分が大丈夫なのかを自分自身に相談していきます。
その頃には、ちょっとだけ動けるようになっています。
最初は動けなくても大丈夫。
今日は何もできなかったと思っても大丈夫。
私はこんな調子で、遠回りしながらも自分で自分の道を歩いてきました。
とても心強いです。
50代も後半になれば、自分が今までこなしてきたことを、同じようにはこなせません。
そう思うことです。
新しく自分のスタンダードを作っていけば良いことです。
ただし、新しく変化することは怖くて仕方がないことです。
多分、新しいスタンダードに切り替えていくスパンは60歳以降はもっともっと短くなっていくでしょう。
その大きなスタートが50代後半なのかもしれません。
新しい波に乗るということがどんなことなのか。
どんな風に自分を守っていくのか。
準備を進めておくことで、これからの人生を生きやすくすることができるかもしれませんね。
2月はかなり真剣に本を読みました。
おかげで積読がずいぶん減りました。
エッセイやビジネス書が中心だったこの2年くらいの読書生活も、ようやく短編や小説が読めるようになってきました。
今月11冊読んだ中で小説は3冊。
『月とコーヒー デミタス』(吉田篤弘)
『ラブカは静かに弓を持つ』(安壇美緒)
『BUTTER』 (柚木麻子)
とても印象に残る本たちでした。
それぞれの世界に浸る贅沢な時間。
ただ、小説は感情が剝き出しにさらされるので、時にその世界から抜け出せなくなることも多々あるのですが、冬眠生活の私にはそういった心配なく過ごすことができました。
「感情が剥き出しにさらされる」・・・こんな状態に自分を投げ出すことができるようになるのに・・・2年という時間がかかりました。
上記3冊には、それぞれ私の心の繊細な部分を刺激する場所がありました。
その細い弦をはじく瞬間が怖かった過去から、ほんの少し抜け出すことができた自分を発見することができてホッとしました。
大丈夫。まだ、どうにか生きていけそう。
小説に出てくる人たちは、不器用だったり変人だったりするけれど、どの人も堂々と自分のことを生きています。
それは、カッコいいとか、自信満々ではなくて、誤解がおこったり意思の疎通がうまくいかないような、私たちの生活でも隣の人にも起こっているような出来事で、特別なことではありません。でも、作者の言葉にのると、あぁ、こういうことなのか・・・と改めて自分の身近にある出来事を違う視点で見ることができます。
本を読みながら、グスグスと鼻水をすすった2月の日々。
自分の演奏を、今まで以上150%お客様に届けていこう、と心に決めた日々。
自分という枠をもうちょっと明確にみつめつつ
どうしたら生きやすくなるのかな、どうしたらラクになるのかな、と深掘りする毎日はまだまだ続きそうです。
3月は、本だけの世界に引きこもりすぎないように毎日を過ごします。