塚本香央里(つかもとかおり)
 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
 

292「積読日記・アウシュビッツのタトゥー係」

2026/10/21
292「積読日記・アウシュビッツのタトゥー係」
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

【アウシュビッツのタトゥー係】 ヘザー・モリス(金原瑞人・笹山裕子訳)

アウシュビッツ・・・という言葉には敏感になってしまう。本が並んでいると素通りできない。

ドイツに住んでいた頃、ポーランドのクラカウでコンサートを開催する機会に恵まれた。共演者はポーランド人のピアニスト。二人でデュオを組んでいたので、彼女が自分のツテを使ってクラカウの美術館で演奏できることになった。その際、私はどうしてもアウシュビッツ・ビルケナウ収容所を見学したいと思って彼女に聞いた。「あなたはどう感じるかわからないけれど、私はアウシュビッツを見学したいから連れて行ってくれる?」彼女の答えは一言だけ。「いいわよ」

アウシュビッツはドイツ語。1939年にドイツ第三帝国に加えられた。それ以前は「オシフィエンチム」と呼ばれていた。私はそれすら知らなかったので衝撃だった。私が訪れた時は見学者もまばらで、みな無言で展示を見ている。どこからやってきたかわからない人たちの中で、アジア人は私だけだった。ピアニストがふと「日本語の案内書があるわよ」と私に手渡してくれたパンフレットは今でも私の手元にある。大事な記憶の欠片だ。

収容所はポーランド人の政治犯を収容するためだった当初の目的から徐々にズレて、ユダヤ人、ソ連軍捕虜、ジプシー(ロマ)、囚人としてチェコ・ユーゴスラビア・フランス・オーストリア・ドイツの各国から送り込まれた。そして最後は民族絶滅センターとして稼働する。

私とピアニストは食い入るように展示を見て、外にある建物を何棟か見て回った。ガイドもいないので、私たちは自分で判断するしかない。「何も音がしない」ピアニストがつぶやく。そうだ。鳥の声がしない。恐ろしいほどの無音。何も聞こえないことがこんな不安になるのかと思った。もと来た道を戻りながら、写真や映像で見る鉄道引き込み線の鉄門が閉館時間を過ぎて閉じられているのをみた。私とピアニストは半ばパニックになりながら急ぎ足で門へと向かった。警備員は何も言わずに鉄門の横から外へと案内した。二人でぎこちない笑顔で車へと戻ったあの感覚は、今でも忘れることができない。

 

本の中で語られることは、本当に合ったことかもしれないが、きっと記憶を変換させた(させざる得なかった)部分もあるのではないかと疑ってしまった。本人にも誰にも、その記憶を正確に紡ぐことができない。語ることができるのはその場所とモノ。

読み始めて苦しかったけれど、「生きること」に執念を燃やした主人公の知恵と勇気の前には頭を垂れるしかない。