こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。
私の母は27年前に62歳で亡くなりました。
肺がんの告知を受けて4か月でした。
27年前の夏、父と一緒に新幹線に乗って祖父の初盆を営むときに母の状態を聞きました。
「あと半年かもしれない」
動揺する私をよそに、父は淡々としていました。
諦めたような、途方に暮れたような
冷めた様子に私は憤りを覚えました。
私はその後、ジタバタしながら
様々な情報を頼りに
母の命を永らえるために走り回りました。
母は私にとって戦友でした。
家族が3か所に別れて暮らしていた時
それぞれの事情があってのことでしたが
母と一緒に乗り越えたことが数多くあり
たくさんの思い出として残っています。
私が結婚を決意した時は
夫のことをとても頼りにして
おしゃべりを楽しんでいました。
「お母さん、新しいカメラを買ったんですよ。
記念に撮ってあげます!」
「え~恥ずかしいわぁ。目の下にクマ作っているしヨレヨレなのよ」
と言いつつも嬉しそうに笑顔で写した写真が遺影になりました。
痩せた頬を隠すように
でも、嬉しそうに
はにかみながらカメラをみつめる母の笑顔が
私の永遠の母の姿になりました。
母が実際に会うことの叶わなかった私の娘たち。
二人とも、私の母に会ったことはないけれど
「きっとGママ(彼女たちは母のことをそう呼んでいる)だったら、いっしょによろこんでくれるよね」と
何年たってもそう言ってくれます。
亡くなって25年経っても思い出せば涙が出ますが
母の姿は年を重ねるごとに落ち着いてきました。。
私との距離がある一線を境に
揺るがなくなったからでしょうか。
近すぎず
遠すぎず
お互いの世界が静かな凪となったように。
あの時
父はあきらめたのではなく
自分を守るために
自ら凪いで流されようと思ったのだと思います。
今なら父の気持ちがわかる気がします。
今は二人で仲良く
お茶でも一緒に飲んでいるのでしょうか。
ここで一緒に話せなかったことを
今は存分にしているのでしょうか。
8月になってそんなことを思い出すのは
お盆の季節だからですね。