こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。
私は今から30年以上前に
ドイツに音楽留学しました。
小学生時代を父の仕事の関係でデュッセルドルフに住んでいた経験と
その時にお世話になったヴァイオリンの教授が音大で教えていたこともあり
わりと簡単に留学を決めてしまいました。
というのも、
私の人格形成は感性豊かな小学生時代に培われたからだと思います。
ドイツの生活や空気感、時間の流れや音楽への向き合い方すべてが
帰国した後も鮮明に形作られていたので、
ドイツへ戻って自分の音楽を完成させたいと
駆り立てていたのでしょう。
奨学金の申請のために書いたエッセイには
「無意識に吸収されたものは、当たり前として忘れ去られてしまう。
本質を意識的に知るということ、それこそ大切なことだと思う。
何かを”何となく”ではなく”本質”を指摘できるようになりたい。
ドイツに滞在することによって、慣習、生活を越えたさらに深い
”意識”を体得したいと思っている。」と小難しいことを書いていました。
今読み返すと恥ずかしいけれど、その時は必死だったことは確かです。
(残念ながら奨学金を受けることができず、自費留学をすることになりました)
当時は、問い合わせをするにも手紙を書いたり、国際電話をかける・・・という
なかなかハードルの高いものでした。
それでも、ドイツへ行くことは必然!とばかりに
大学を卒業してすぐに飛び立ちました。
大きいスーツケース1つと、大きなラジカセ(!)を手荷物に
相棒の楽器を背負ってフランクフルト空港にたどり着いたときは
身が引き締まる思いがしたものですが、内心はワクワクして
壮大な夢を描いていたような気がします。
ドイツ生活の中で楽器を練習できるアパートは希少なので
ツテを駆使して借りた部屋は
中庭に面した古い建物でした。
昔は召使が住んでいたんじゃないかと思うような
床がベコベコの暖房器具もない(冬は寒くて頭が冷え冷えだった)
10分しかお湯の出ないシャワーボックス。
洗面所はなくて、キッチン(のような)流しで顔を洗う。
冷蔵庫は冷凍室がないので食材の冷凍保存ができず
食器を収める戸棚も小さすぎてドアが壊れている。
極めつけはトイレが部屋のドアを開けた先にあるという
珍しいを通り越した造りでした。
「地下室も使えるから」と言われたものの
見に行くと真っ暗でジメジメとした
土壁がむき出しになった場所だったので
用途が思いつかず
一回見に行った後は行きませんでした。
洗濯機は2ブロック先のコインランドリーへ
シーツやベッドカバーなどの大物を洗うだけで
乾燥機は使いませんでした。
なぜなら、時間がかかるし高かったから…
日常の洗濯は手洗いでした。
それでも、交通の便が良く
一人暮らし初心者の私は
毎日スーパーへ買い物に行き
コツコツと自炊をして
ドイツ語の勉強をしながら
ヴァイオリンの練習をする毎日に
満足していたものです。
苦労したことは本当に数知れず。
失敗は記憶を封印して思い出さないようにしています。
ドイツ語もおぼつかず
英語も全然通じないくらいの言語能力で
とにかく自分の演奏だけを武器に戦っていたような感じでした。