塚本香央里(つかもとかおり)
 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
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2025/03/31
90「海外音楽修行③・言語」  

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。


娘たちに英語の大切さを教えたのは夫でした。

夫は中学時代の恩師が英語教師で、英語の楽しさと大切さをしっかりと学びました。

高校時代にはラジオの英語放送を聞いたり、在日米軍軍人から英語を習ったりしていたようです。

大学時代には単位外の英語の授業を聴講していたらしく、教授に驚かれたとか。

そんな真面目で熱心な気質は長女が受け継いでいるように思います。

大学を卒業してから務めた保険会社でも海外案件を担当することも多く、

社内では異例の研修制度でアメリカ・ロサンジェルスに住んでいたこともあったようです。

転職した外資系保険マネジメント会社では、英語漬けの毎日。

(米語のアクセントがきつすぎて、私にはちょっと理解不能だった・・・)

このころから娘たちには「英語が話せるようにならなければ世界で勝負できないぞ」と話していました。

この刷り込みは強烈でした。


長女は4歳くらいからヤマハの英語教室に通っていました。
お遊び程度のものでしたが
その頃に身に着けたフォニックと英語耳は
その後の英語学習に役に立ったように思います。

「中学の英語教育は良いと思う。とにかく文法さえ身についていればなんとかなる」

と娘たちの中学時代は文法の大切さを話していました。

(私は文法が全く頭に入らないタイプで、そこで苦労したので娘たちには頭が上がらない・・・)


長女が小学校高学年になると
早朝に英語の勉強を見ていましたが
仲が悪すぎて険悪なムードでヒヤヒヤしました。
中学3年生で飛躍的に勉強ができるようになると
英語で世界を相手にできることを実感して
高校時代は自分で探してきた英会話教室に通っていました。

次女はゆるりと遊びながら英語に親しむくらいの勉強でしたが
小学校3年生で試しに受験した英検5級に合格。
勉強方法に無駄がない次女は、
しっかりとステップアップしていった感じです。
英語の大切さは刷り込み済みなので
その力を大いに利用して自信に繋げていきました。

娘たちも徐々に渡航回数が増えてくると、

生活でのコミュニケーションからトラブル対応、

更にはホテルのブッキングからフライト予約、

講習会の申し込みや問い合わせなどを

すべて自分でできるようになっていきました。


ただ、自分の意見を言う場面では、経験と、ある程度の日本語能力も関係してくるので、

私が時々アドバイスをするようにしています。

日本語での思考だと

現地人には通じないかもしれないことや

海外での主張のしかたや契約等の注意事項などは

私の経験から伝えることもあります。


長女は日本企業でのインターン経験もあるので

私のアドバイスはほぼ必要ないと言えます。


次女に関してはまだまだ発展途中かもしれません。

私自身の経験で言えば、

日本語の表現力が増すと、

外国語も上達するという相乗効果があると思っています。


流行り言葉をベラベラ話す外人よりも、

きちんと文法のしっかりした言葉を使う人の方が、私は好感を持ちます。

それと同じで私も娘たちには、その国の言語を学ぶと同時に

日本語もきれいに話して(書いて)ほしいと思っています。



2025/03/30
89「海外音楽修行②・次女」  

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。


今日は次女の話をしましょう。

次女は高校生活を日本で終えて、大学生からスイスへと勉強の場所を移しました。

音楽高校時代はコロナ禍全盛期。

音楽家として若い時に研鑽を積まなければならないオーケストラの授業や室内楽、

演奏会などが軒並み中止や延期になる厳しい時間でした。

長女と部屋も寝室も一緒だったため、姉妹での話は頻繁だったようで

大学を海外で過ごそうという目標はわりと早く訪れたように思います。

私自身は大学からの海外生活には反対でした。
せめて20歳までしっかりと日本で勉強し
生活基盤を学んでからでも遅くないと思っていました。
それに、大学講義を日本語以外で学ぶのは
相当厳しいものだということは
実姉の経験談からもわかっていたつもりです。
それでも次女はあきらめず、

コロナ禍でも、自分の技術不足を補うためにコンクールへ参加してみたり、

オンライン講習会に参加してみたり、

規制が緩んだタイミングで渡欧する経験を重ねていました。


こちらもすべて自力。


正直に言えば、私自身が演奏活動や地域活動に忙しく、

更に父の介護も始まっていたので十分なサポートができませんでした。

フライトチケットやホテルの相談はもっぱら夫の役目。

夕食後の時間は夫と娘たちがそれぞれのパソコンを持ち寄って、

ヨーロッパの状況やレート計算、ホテルや移動手段の相談でした。

高校生だった次女にはハードルが高いことが多かったのですが、

高3の夏には3週間の一人旅。

講習会を渡り歩き、移動も一人でスーツケースと楽器を背負って汗だく。

「なんだか黒いTシャツが白く塩が吹いてるのよ」

と笑いながら写真を送ってくる姿を頼もしく感じたりして。

秋になってようやく巡り合えた教授に決めてから、フランス語の勉強が本格化しました。

大学課程は座学があるので講義はすべてフランス語。

我が家には仏語のわかる人がいないので、次女は孤軍奮闘。

話題に哲学や政治経済の話が一般的なフランス人の先生との会話に

「クジラの乱獲について考えを述べるなんて、日本語でもしたことないんだけど・・・」

と言いながらレッスンに通っていました。

高校を卒業して一旦、単位履修生としてそのまま音大に通い始めた4月に父親が突然亡くなるという気が遠くなるような途方もない経験。

スイスの音大入学試験直前のことでした。

ほぼ同時に私の父も余命1ヶ月を宣言されていた時期でした。

すべてが崩壊しそうなとき、とにかく入学試験へ行くと決めたのは次女自身でした。

父親の葬儀の5日後でした。

「私はじさまの葬式には間に合わない。だから全部をお願いする」

と言いおいてやせ細った次女を見送るのは苦しかったです。

本来であれば入学試験を受けながら、街の様子を見学して住む場所の目星をつけて、秋学期の始まる直前に父親と一緒に契約するという予定を組んでいたのですが、予定を変更して教授の知り合いのお宅の一室を間借りするということになりました。

スイスで部屋を借りるというのはなかなか難しいです。

そもそも18歳の娘が部屋を借りることが難しい。

スイス人の保証人が必要と言われることが多いです。

しかし、スイスは小国であり、生粋のスイス人を見つけることが難しい!

間借りしていたお宅から移るときも、良い部屋に恵まれず、

保証人問題、親の収入問題(父親の死去と私の収入がないこと)などで学生寮も断られる始末で途方に暮れました。

結局、ひょんなことから知り合った音楽家のご夫婦のB&B用のスペースを借りることになり、私自身は心底ホッとしました。

スイスに移住してから、食べ物やストレスから蕁麻疹や体調不良が続いて心配でしたが、

私も自分の状況が厳しかったためfacetimeでのサポートしかできず、寝不足の日が続きました。

住まいが安心安全であれば、学校生活もほんの少し軽減されます。

本当は誰にも煩わされることのない一人暮らしが良かった次女の心中は複雑だったようですが、次の機会に期待してもらいましょう。

学校までの距離も列車で1時間強ということですから、近いわけでないので移動のストレスもあるようですが、何とか若さで乗り切ってもらいたいものです。

1年目は、一人で頑張らなきゃ、と背伸びをしてかなり危ない橋を渡ったこともあったようですが、覚悟をしたうえでの軌道修正はいつでも可能だと伝えています。

「○○せねば、○○すべき」という気持ちだけでは、気持ちが辛くなるだけになってしまう危険があります。

次女に関しては、辛い気持ちになったら日本に短期間の一時帰国を選択肢に入れても良いし、あまり切り詰めた生活にならないように伝えています。

とはいえ、自分で学校に奨学金の申請をして授与してもらう手続きをし、しっかり私を支えてくれている逞しさもあります。

自分の家庭環境について、二人ともそれを言い訳にしない強さを持っています。


なぜ、自分が海外で勉強しているのか?

なぜ、私はここにいるのか?


覚悟と決断を重ねたからこそ、

二人とも小さなステップを重ねながら

着実に歩いている姿を見せてくれているのだと思います。




2025/03/29
88「海外音楽修行①・長女」  

こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。



私の留学日記は時効のことも多く、

自分のことなので遠慮なく書けますが、

娘たちのことは現在進行形のこともあり、

本人の言葉ではないので私からの目線でお伝えしていければと思います。


長女は大学2年生を終えたら海外での音楽大学で勉強をしたいという希望がありました。

しかし、大学1年生を終えた時にコロナ禍となり身動きが取れなくなりました。

私はコロナの時期がそんなに長くなるとは思っていなかったので、

出国できるタイミングがあればすぐにでも飛び立てるように準備だけはしておくように伝えていました。

しかし、状況は厳しくなるばかり。

長女はそんな時に出会った『学生エバンジェリストアワード』という若者の新しいビジネスを応援するプロジェクトに参加。

それまで経験したことのなかったプレゼン資料作成やピッチ、インスタライブや動画編集を夜な夜な作成していました。

不安な時期にそういった活動に参加することによって知識を増やし、音楽学生以外の知り合いから受ける刺激に翻弄されながら、貴重な経験を積んでいたと言えます。

ほぼオンラインでの活動だったのですが、その後も交流が続いているらしく、

それぞれの場所で切磋琢磨している若者が世界中にたくさんいるそうです。


私はなかなか長女自身の特性を見抜けなかったため、的確なアドバイスができず、小さい頃は「育てにくい子」でした。

言葉が出てこなくて自分自身にイライラしている様子や、少し子育てに意気込みすぎていた夫の存在の重さや気が短い私のそばで

いつもウロウロしていたような長女。

勉強の方法も中学3年生でようやく見つかったような遅咲きの長女。

それでも一度パズルのピースが決まったら飛躍的な進歩だったため、

コロナが長引くのであれば国立大学の修士課程に進学しようかと準備を進めていたくらいでした。

結局、大学最終学年は日本に留まって、日本の大学の学位を取得することを決めました。

ここまで引き延ばしてしまったら、最後の1年を焦ることはないという決断でした。

大学4年の時は、ほんの少し緩んだ出入国制限を利用してほぼ2か月に1回の割合で渡欧して音楽講習会参加と先生探しの旅へ。

どの先生が良いか、どの都市なら安全に過ごせるか。

小さなスーツケースと楽器を背負って、自分の目で見て確かめて感じる日々。

遠い日本から参加しているのだから、短い時間でたくさんの情報を集めることが大事です。

「学生エバンジェリストアワード」で鍛えられたコミュニケーション能力を活かして比較検討を重ね、親の私たちにプレゼンをする日々。

先生はどんな人だったか、どんな街だったか、どんな勉強ができそうか、自分の強みは何か。


音楽講習会中にコロナに罹患してフラフラになりながらバスに乗って抗体検査にでかけたことや、

安いホテルに泊まっていたものの、身の危険を感じてSOSの連絡をしてきたこともありました。

成田空港発着のフライトしかなく、電車を乗り継いで出かけて行ったこともありました。

事前準備は途方もない時間と労力を費やしました。


今の時代、「留学」といえばエージェントがきめ細やかにサポート体制を整えてくれて、

安心して現地で自分の専攻する勉強に専念することができるようです。


その恩恵にはない、自分で考え行動する基礎はしっかり身についたように思います。

じっくり検討しながら
先生たちとも話し合いを重ね
自分の行きたい方向性を考える。
こちらが焦ってしまうくらいに
本当に時間をかけて受験する大学を決めていました。
入学願書を揃えて日程を決め
試験のために滞在するホテルもじっくり検討。
その間に父親と祖父の葬儀を経験しました。
私の心の支えにもなってくれて
厳しい現実も心の嵐も共に歩んだ日々がありました。

進学する大学が決まったのは2023年7月。

大学を卒業し、冬学期が10月から始まるタイミングでした。

それから、住む場所を探すのも一苦労。

すでに入学試験の時に街の下見をして、

安全な地域や単身者用のアパートがある場所をチェックし、

その後はひたすらネットで情報収集。

新築の物件を探してエントリーして結果待ち。


家が決まったのは出発の2週間前。


長女はほぼ一人で全部を乗り切りました。

私は唯一、生活用品をEMSで送付するときに
郵便局へ荷物を車で運んだだけ・・・です。




2025/03/28
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

コンサートのご依頼をいただく時に
様々なアプローチを考えます。

  • どんな場所で弾くのか
  • どんなお客様が聞きにいらっしゃるのか
  • 季節はいつ
  • 時間帯はいつ
  • どのくらいの長さのコンサートか
  • 演奏させていただく場所に特別なことがあるかどうか

たとえば先日の地域でのコンサートの場合

  • 演奏する場所は区役所のホワイエ
  • お昼休みの30分間
  • 区役所に訪れる人・通りがかりの人・コンサート目当ての人・区役所職員
  • 耳の肥えている人も聴きにいらっしゃる傾向がある
  • 季節は3月(春を意識する)
  • 東日本大震災を思い出す時期

そんなリサーチから曲目を選択していきました。
  • ミヨー:春 (春のイメージそのまま・ちょっと不安定な5拍子)
  • 花は咲く:菅野よう子(14年前を思い出して、その時の混乱から今の状態を見直す・改めて防災意識を高める)
  • ヴァイオリンソナタ第7番:ベートーヴェン(少しハードルを上げて聴いていただく・私の本業とする本物を届けるための演奏)
  • 剣の舞:ハチャトゥリアン(よく知られている曲を楽しく・ヴァイオリンの変わった奏法の説明)
  • 日本の歌メドレー:寺本睦美(美しい日本の四季を改めて感じてもらう・日本人としての誇り)

こうして一連のストーリーを作成して臨みます。
この構成を考えているときがとても楽しいです。
曲の組み合わせや順番によって
ガラリと雰囲気が変化するので
大体のMCも考えておきます。
(私の課題はこのMCをもっと充実させることです)

未だにクラシック音楽は堅苦しくて
敷居が高いと思われがちですが
聴き慣れていくと
楽しいものに変化していきます。
ラジオやテレビ、映画の中で流れてくる音楽も
よく聞いてみればクラシックの音楽が使われていることが多いです。
地域での小さなコンサートから
少し大きいサロンコンサートへ
その先の大きなホールで聴く経験へと
ステップを踏んでいければと思います。

音楽は生きていくうえでの最重要事項ではないけれど
生きることの豊かさと彩りを与えてくれます。
そのことを知っているのは
これから先の人生を
より密度の濃いものにしてくれると信じています。

4月10日の札幌北一条教会主催・お昼のコンサートは
教会の講堂で
祈りと共に内省する時間なので
お話はありませんが
日常のひと時を離れて
自分と音楽に浸るひと時となります。
心の中に在る
様々なことを
音にのせて表現できればと思います。







2025/03/27
86「音楽家の親の役割って?」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

私の両親は音楽家ではありません。
父は日本の高度成長期を支えたサラリーマン世代で
昭和ひとケタ生まれでもあるので
黙々と働き
家族のために時間を惜しんで協力し
家事子育ては母に一任でした。
その頃の男性にしては背が高く
学生時代に野球をしていたこともあり
姿勢が良くて
学校行事などで父が見学に来るのは
ちょっと鼻が高かったです。

母は専業主婦でしたが
本人曰くあまり料理が得意ではなく
いつも気が重かったそうです。
少しおっちょこちょいで
チャーミングなところもありましたが
怒ると(めちゃくちゃ)怖かったです。
いつもこざっぱりとした装いで
ふわりとシャネルの香水を香らせていたので
私自身もかなり若いころから香りには鼻が利きました。
PTA役員や役職を引き受けることも多かったのですが
どちらかというと家族の予定を優先していたので
それほど忙しそうにしている様子を見ることはありませんでした。

両親とも私たち姉妹には
音楽の世界を
わからないなりにも理解をし
大きな愛情をもって育ててくれてました。

小さいころから私たちのおけいこに共に通い
両親にとっては全くの未知の世界である
音楽の道に進む私たちに
音を上げずについてきてサポートしてくれたなぁと思います。
その頃のお稽古事は
指導する先生の言いつけが絶対。
とにかく従順にレッスンに通って
先生の言うことを丸のみして
言われたことをきちんと守ること。
その後、私も姉も
ドイツでの生活で
音楽に対する姿勢が変化してきたので
両親も理解するのに苦労したかもしれません。

自分にはわからない世界って
本当に不安で、あれこれ手を焼きたくなります。
そして、これで良いのか、あれは必要なのか、
こんな準備をしてみたら、ここへ行ってみたら…と
口出すことも多くなると思います。
言われた方は、自分で考えることもなく
準備されたものをこなしていくことに
必死になります。

もしかしたら
その方が安心安全で
手間がかからず目標地点にたどり着けるかもしれません。
そして、自分で考えたわけではないので
たやすく人のせいにできるかもしれません。
だって、私が選んだんじゃないもの…と。

私の両親は敢えてそのことをしませんでした。
「あなたの演奏を聞くのが好き」
「あなたの演奏している姿を見るだけで充分」
ただそれだけ伝えられ続けていました。
もしかしたら・・・
もしかしたら・・・
私たち姉妹への情熱が、そこまでなかったのかもしれませんが・・・
聞く術はありません。


いま、親の立場になって
音楽家の親から
音楽家の娘たちへの立ち位置に
ちょっと戸惑うこともあります。
どこまで言って良いのか?
どこまでサポートしたら良いのか?

わかりすぎる世界だからこそ
言った方が良いこと
言わない方が良いことがあるように思えます。

どちらかと言えば
言わないことの方が多い私は
もしかしたら
娘たちには不評かもしれませんね。


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