「いってきます」
「いってらっしゃい、気をつけてね」
私はその会話を最後に、二度と生きている夫に会うことができませんでした。
一番恐れていた別れ。
一番記憶に残したくなかった出来事。
今から3年前に、父の余命宣告を受け止めながら過ごしていた日々での出来事でした。
「余命」という言葉を聞くのも重くて苦しいけれど「突然」という別れも苦しいものです。
小説やニュースの出来事のようなことが、現実に自分に起こっていることに混乱し、不安にさいなまれ、絶望し、慟哭すると同時に、とんでもない数の連絡と手続きに決断を迫れられて、ごうごうと流れる激流に流されていく感覚がありました。ただ、その流れに流されてはいけない、自分自身である程度コントロールしなければ、という思いが沸き上がってきたことを覚えています。
そしてそのことを可能にするために、外部に対して氷のように感情を密閉することにしました。
私の場合は、そうすることで様々な手続きと日常生活を進めることができましたし、大量の決定事項を忍耐強く勧めることができました。
実際に手や身体を使って進める手続きは簡単です。
目に見えて進捗がわかるからです。
しかし、心は自分でもわからないものです。
自分自身でよく観察し、自分に問いかけ、自分の許容範囲を正確に判定しなければ、自身が病んでしまうのは簡単なことです。
今、しなくてはならないこと。
今、決断しなければならないこと。
少し待っても良いこと。
時間に任せればよいこと。
混乱した状況の中で、少しでも冷静に要られたことは、私がライフオーガナイズを学んでいたからだと思います。
私の母は、自分の両親亡き後の相続手続きで困難な状況が2年ほど続きました。
今まで世間知らずだったことが禍になり、精神的な負担が大きかった様子でした。
それでもなんとかすべてにきちんとカタをつけて「無事に終えられたわ」と手紙で知らされた時は私もホッとしました。
私自身はドイツ在住時だったので何も手助けができませんでした。
束の間、落ち着いた時期を過ごしたと思ったら、肺がん末期の宣告。
ストレスが、がん発症の一番のリスクということは本当のことです。
「喪の作業」は思っているよりも負荷がかかります。
外からは見ることのできない、深い悲しみと回復作業が行われていることに、他人は気づくことができないのです。
私は自分がこういった経験をするまでに、どれだけ他の人のことを傷つけたんだろうか・・・と苦しく思います。
その人に、ちゃんと「共感すること」ができなかったですし、「思いを寄せる」ことができなかったように思います。
「喪の作業」は本当に深くて重くて苦しいものです。
私は自分の辛さや自分の経験を、他の人と比較をしないと決めています。
その人なりの「喪の作業」があり、その人自身の「回復段階」があること、そしてその期間はその人によって何年もかかるということ。
あれから3回目の4月がやってきます。
私の「喪の作業」はまだまだ続きます。
多分一生。