リサイタルでの挑戦は、年を重ねるごとにハードルが上がってきました。
まず、無伴奏曲が増えていきました。
ドイツ留学中に懸命に勉強したバッハの無伴奏曲は、私にとって自分の音楽の土台になるものでした。堅牢な構成の中に見え隠れする、バッハのチャーミングな一面や意外性のある和音の響きは、年を重ねていくほどに自由に表現できるようになってきた気がします。その他に、夫が買ってきた無伴奏の楽譜の中には本当に難しい曲が含まれているので、未だに弾けない曲がたくさんあるのですが、少しでもお披露目できるようにしたいものです。
一度、無伴奏曲だけのリサイタルを開催したことがありました。
広い舞台にたったひとりで立つことの心許ない感覚は想像以上でした。ピアノが傍にないことが、こんなにも寂しいと感じるとは思っていませんでした。練習する時間もひとり、本番もひとりきり。それでも、今までとは味わったことのない充実感と演奏後の安堵感。練習と本番の孤独感と集中力。気楽さとプレッシャー。様々な思いが交錯して不思議な感覚でした。とにかく懸命に無伴奏と格闘する私の姿を、お客様に「目撃」してもらいたい!という気持ちで開催したリサイタルは、思っていたよりも好評でした。「無伴奏っておもしろい」「ヴァイオリンだけの音を楽しめた」という感想が増えました。お客様の反応が、そこから一気に変化して「私たち、なんでも聴けますよ!」という自信が感じられる空気に変わりました。
聴いたときにはわからなかった感覚が、少し時間を経て腑に落ちる。
ただ圧倒されて音の渦に巻き込まれていく。
心の琴線が揺れる感覚。
そういった小さな変化を私自身が舞台から聞き取れるような感じに変化していきました。
無伴奏を弾く時はとても孤独に感じます。
一人きりですべての音を表現して伝えていく作業は大きな責任と時に「本当にこれで良いんだろうか?」と悩みが深くなります。そして同時に「私の思った通りに表現すればいい」と開き直ることもあります。私の場合は、最終的には「え~い!どうぞ聞いてください!」という考えにたどり着きます。
作曲された作品は、最終的には作曲家の手を離れて成長していくものです。作曲家の意図しなかった解釈も含めて枝葉を広げ、育ち、磨かれて、時代を越えて受け継がれていくものです。その可能性の大きな作品だけが残っていくということなのだと思います。そう思うと、無伴奏曲には壮大な可能性が隠されていることに気づきます。そしてそのことに夢中になって、私は今もなお無伴奏曲に魅かれ続けているのだと思います。