久しぶりに街へ出かけたら
3月はじまりの手帳が並んでいるのをみつけました。
文房具が好きです。
特にノートが好きです。
新学期になると色とりどりのノートが並んでいるとワクワクします。
サイズや形、色などにそれぞれこだわりますが、特にメモ部分は方眼が好きです。
私にとって方眼はちょっと囲まれている感じがするけれど、自由度が大きくて、絵も文字も思うように書けるところが気に入っています。
今はロルバーンの所有率が高いかもしれません。
デバイス系の「マイ・トリセツ」(何度聞いても覚えられない操作やいつも迷う手順)や「読書メモ」(メモ片手に読んでいるので文字は汚い)は以前から使っています。
ニューフェイスは3月からのスケジュール付きのノート。
期限を決める必要のあるタスク管理と、発信に関してのネタ帳のような感じで使っていきます。
用途が決まらないと先に進めないタイプなので、じっくり考えすぎて時間が過ぎていってしまいます。
今年はそんなところから脱出して、少しだけスピードを意識していければ良いなぁと思っています。
デジタルでスケジュール管理している人を見ると羨ましく感じます。
そして、ノートは1冊持ち歩くとそれなりに重いので、躊躇することもあります。
それでもやはり、ノートの紙をめくりながら、自分の筆跡で文字を書くことで気持ちを落ち着ける作業が好きです。
ブログ100チャレンジを粛々と続けています。
先日、50日を過ぎましたよ~とアナウンスがありました。
改めて今年の私は何をしているんだろうか?と振り返りました。
夫が亡くなってから3度目のこの季節は、
まだまだ相変わらず右往左往しながらもがいているような気持ちです。
「生きていなくちゃ」
という思いにがんじがらめになっていた2年前に比べると、
さらりと「あんまり生きていたくないかも」と思えるようなこともあります。
(別に生きることを放棄しているわけではないです!)
ゆらり、ゆらりと身体を揺らしながら、バランスをとっているような感じでしょうか。
以前の私であれば、その姿は「怠惰!」としか思えなかったのですが、今は少し違う目で見ることができます。
私は苦手なことから逃げるのが得意です。
その逃げ方は、別の仕事に集中して本来のやらねばならないことから目を背けてしまうという方法。
そしていつまでたってもタスクを完了することができなくてストレスが溜まってしまう。
自分の中のそういったズレが激しくなると動けなくなってしまう。
そんなことの繰り返しですが、ほんの少しずつ変化はしています。
人間はずっと同じ場所にはいないものなんですね。
同じ景色を同じ場所で見ることはなく、ほんの少しずつ角度が変わっている。
そう、螺旋のように。
今年の私はモチベーションに頼らずに
バラバラになった自分の破片を拾い集めながら
改めて自分の輪郭をはっきりさせていこうと思っています。
私の所属している「日本ライフオーガナイザー協会」では
会員のために質の高い学びの場所が提供されています。
リーズナブルに受講できる権利を使って、様々な勉強の機会をいただいています。
毎月1回の講座は3時間。
いつも受講を終えるとヘトヘトになります。
テーマによっては
「それは・・・私には無理・・・」
と思うようなこともあるのですが、とにかく「知る」ことを第一に
食わず嫌いにならないように参加しています。
今回はAI活用講座。(私の一番苦手とする分野)
講師は坂田誠氏。
私が坂田先生の講座を受講するのは3回目。
受講して大体1年後に
「あぁ、あの時のことがちょっと自分でもわかるようになった~」と
波に乗り遅れているのを自覚しながらお話を聞いています。
坂田先生の講座は、実際に作業しているところを見せていただけるので、映像記憶として頭に残ります。
私が実際に使えるようになる(または理解できるようになる)には1年かかるので
理論だけが自分に蓄積されるだけなのかもしれないのですが・・・
それでも無駄ではないと思っています。
季節が変化してきていますね。
心と身体のバランスを保ちながら、足元をしっかり見つめながら歩いていきたいと思っています。
家にばかりこもっていたら、口角が下がってしまって滑舌が悪くなってしまいました。
久しぶりに『安否確認会』(私がそう思っているご近所の集まり)に参加して大いに笑ったら、とても気分が晴れました。
私って単純です。
今日の話題は本の話。
本を読んで、久しぶりに笑った日々。
思い出し笑いなんて、本当に久々で楽しかった。
『吾も老の花』(阿川佐和子)
もともと次女がエッセイ好きで、何冊も買わされた経験がある。
私は阿川佐和子さんといえば、檀ふみさんの往復書簡的な『ああ言えばこう食う』が好きで読んでいた。
時を経て、彼女も年を重ねてエッセイの内容も初老に関してのことが多くなり、私にとってはこれから出会うであろう諸々の出来事が興味深くて、違う視点で読む機会が多くなった。
今回は表紙の色と「古希」の言葉に驚いて購入。
阿川さんも古希なのか!と。
いや、そうだよ、私だって50代後半なんだもの・・・
この人のエッセイは、なぜこうも笑えるのか?
その笑いに嫌味がなく、品があってとても清々しい。
父(阿川弘之)との軋轢も、よくよく考えれば理不尽でもあるし許せないこともあるけれど、さらりとかわしてしまうところに、父への深い尊敬のまなざしが感じられる。
身体の変化の記述は本当にそのとおりで、読んでいるだけで「わかる・・・」と静かにうなずいてしまう。
立ったままズボンを片足に入れて「オットット・・・」と前のめりにつんのめってしまう・・・なんていうコントのような姿を、私自身も「自分、危ないぜ」と思いながらやっているが、その先に「ケガ」なんていうことを想像してしまうともう少しおとなしくしなければ、と思ってしまう。
ご本人は「自分は昭和の人間」といっているけれど、私もその気持ちは身に染みて理解できる。
なんだかんだ、昭和という時代は存在が大きくて重い。
私だって昭和を大いにひきずっている。
もう、2世代も前の時代なのに・・・
「昭和って良かったよ、勢いがあってね」
「昭和世代なんで・・・よくわかりません」
と良くも悪くも使い分ける「ズルさ」が昭和後半の私にはあると思っている。
「老い」を知るために読んでいたと思っていたこの本は、自分がどういうときに「昭和」という言葉を思いうかべ、どういう風にズルく使っているのかということを、よくよく考えるチャンスを得たような気がした。
音楽を勉強していると、キリスト教の行事に沿った楽曲に出会うことが多いです。
当時の作曲家の仕事は、教会付きのオルガニストであったり、聖歌隊や合唱の指揮者など教会での奉仕として音楽を取り次ぐ役割をしていることがありました。
私たち演奏者としては、そういった教会歴や聖書の内容を少しでも理解していることは大きな利点となります。私たち日本人には少し遠いと思われるキリスト教。幸いなことに、私自身はドイツに住んでいたこともあり、生活の中に教会生活の影響が大きかったです。
キリスト教の暦では、今日から四旬節に入ります。
キリスト復活祭の日までの準備期間の40日間のことを指します。
イエス・キリストが荒れ野で断食した40日に由来するとか。40日という数はキリスト教にとってとても意味のあるものです。
今日は灰の水曜日。
カトリックでは、額に灰を受ける儀式を行うそうです。
姉に話を聞くと、カトリック教会では去年の棕櫚の枝を燃やした灰で額に十字のしるしを受けるとか。
自らの信仰を見つめなおして、静か心を落ちつけて過ごす日々。
粗食を心がけて、華美な生活をしないと言われています。
私は心の奥底にそのような気持ちを持ちつつ、普通の生活をしていきます。
春の息吹を感じながら、少し落ち着く時間。
大切なことだと思っています。
懐かしいドイツでの生活では、今頃からうさぎの形をしたチョコレートや、イースターエッグのチョコレートがケーキ屋さんに並び始めます。
そしてイースター休暇の相談をする人たちの会話から、本格的な春の訪れを心待ちにする日々が始まります。
今年の復活日は4月5日。
日本は桜の季節ですね。