こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。
初めてレクチャーコンサートを開催したのは、横浜駅近くの『サロンセイワ』というところでした。
こぢんまりとした空間でしたが、大きく開かれた窓が開放的で30人も入れば息苦しくなるような‥お客様にとても近い、私にとって理想的な距離感でした。知人からの紹介でしたが、とても心地よく利用させていただきました。控室もないので、着替えはトイレ。待機場所もないので、本番直前までお客様と交流して・・・といった手作り感満載のコンサートでした。
こうしてつなげていけば良い、経験を積み重ねていけば、いつかきっと自分の理想とするコンサートが実現するはずだ・・・
1時間のコンサートは、お話と演奏に四苦八苦しました。
話すことに必死になると演奏が落ち着きが無くなってしまったり、演奏に集中するとなかなか話に神経がまわらなくてメモを見ても言葉が出てこなかったり・・・共演者も私の話の長さがわからずに、演奏に集中することが難しかったと思います。それでもなんとか1年に2回のペースにプラスして12月のリサイタルを開催するというスタイルを続けました。
家族が増えて、そのお世話に必死になりながら、本番の当日はおむつや離乳食を大量に携えて、汗をかきつつ恥をかきつつ…
とにかく続けました。
そのうちに、横浜・青葉台フィリアホールのリハーサル室が大きさも交通の便も良く、自宅からも近いので利用できないかということになり、当時のホール担当者と交渉して、年4回を定期的に借りられるようにしました。さすがに年4回はなかなかハードでした。2月・6月・8月・10月のレクチャーコンサートと12月のリサイタル。毎回のテーマを決めて、共演者と交渉して、リハーサルをして、お話を考えて、チラシを作って、プログラムを印刷して、自分の練習も・・・とにかく当時は全速力で走っていました。
初めに立ち上げた『サロンセイワ』でのコンサートから9年間と『フィリアホール・リハーサル室』に場所を移して6年間。
15年続いた【1時間の音楽紀行】は、2013年2月24日をもって、フィリアホールの事業体制が変わるタイミングで終了となりました。
その頃感じたことは、少しずつお客様の意識が変化しているということでした。受け身で聴いていた最初のころとは違い、積極的に音楽を取り入れてみようといった姿勢がみられるようになりました。私のコンサート形式に、慣れてきてくださった感覚がありました。難しい曲への拒否反応も、小さくなったような気がしました。
その後は単発的に「レクチャーコンサート」を開催しています。
また、ご依頼いただくコンサートは、必ずお話をいれた「レクチャーコンサート」を意識した形式をとっています。
少しでも何か新しい知識を得て帰っていただきたい、という思いを込めて演奏しています。
自転車操業のレクチャーコンサート活動。
それでも必死に準備して演奏することを使命だと思っていました。
「音の旅人®」と銘打ったレクチャーコンサートのコンセプトは【旅人となって過ごす1時間の小旅行】
曲目を解説しながら、また、私の様々な経験談を話すことによって、クラシック音楽への無意識にある敷居の高さを乗り越えていくことが目的でした。
私は気がついていました。
演奏者が一方的に必死になるだけではコンサートは成り立たない。
受け取る側にも、耳が育っていかなければ音楽が届かない。
どんなに演奏者が素晴らしい演奏をしても、受け取る聴衆に聴く準備という装備が整っていなければ、いつまでも蚊帳の外になるのだ・・。
ドイツで私が見たようなレクチャーコンサートは、演奏者と聴衆が同じ曲を見つめながら、解説を聴く(話す)ことによってそれぞれの理解を進めていく共同作業のような雰囲気がありました。演奏後にピアニストの元に集まってきて意見を述べたり、聴衆同士で話し合う姿は私には新鮮でした。演奏者は音楽を提供して終わりではないのだと思いました。演奏者はちいさなきっかけを差し出すこと、そこから育てていくのは聴衆自身なのだ・・・と。その大切なきっかけをそっと差し出す音楽は本物でなければいけない。育てていきたいと思うような音楽でなければならないのだ・・・と思いました。
私が見たドイツのコンサートは目標であって、当時はまだそこへたどり着くまでの種まきの時期でした。
私は果てしない道のりに呆然としながら、とにかく自分が弾くことを忘れてはいけない、本物の音楽を提供できる技術を磨くことに専念していました。それしか方法がありませんでした。本番がない日々を想像することが怖かったです。ドイツでのたくさんの経験を埋もれさせてしまうことが残念で仕方なかったのです。そして、自分の子どもたちを巻き込みながら、家族に頼りながら、お客様に実験台になってもらいながら進めていきました。
「もっとわかりやすい曲が聴きたい」
「あなたは自分の実験をしているだけで、お客様へのおもいやりがない」
時に凹んでしまうような言葉もありました。
でも、心地よい音楽を奏でる音楽家は私の他にたくさんいます。
私はその人たちとは違う音楽家になりたかったのです。
今、私のリサイタルにいらっしゃる方たちは、私と共に音楽の深淵にまで目を向けられるようになっています。
レクチャーコンサートを企画・運営していたころは本当に必死でした。
子育て真っ最中だったので、どうしても家庭が中心。
自由に時間を使うことができませんでした。
理想と現実にはいつも少しだけズレがあったかもしれません。
コンサートの企画をして、共演者に依頼してリハーサルをしてプログラムを作成して印刷。当日は家族総出で会場設定と受付業務やお客様対応、コンサート中の対応と撤収作業。収支はいつも赤字。とにかく弾き続けること、その場所を自分で創ること、家族を巻き込むことで私のライフスタイルだと思ってもらうことが一番大切でした。
子どもたちが幼稚園や小学校に行っているときにリハーサル。共演者には自宅へ来てもらっていました。
歴史背景や事実確認も、今のようにネットで簡単に調べられるわけではなかったので、本屋さんで本を買う、CDについている解説書を読む、図書館で調べるといった感じでした。学生時代のノートを引っ張り出して読み直したこともありました。
当日のお話は、初期のころは息継ぎをどこですればよいのかわからない状態。「金魚が酸欠でアップアップしているような・・・」話す速度も抑揚も
すべてが手作業で、独自の方法。良かったのか?悪かったのか?の判断はいつもお客様の反応と自己診断でした。
プログラムの印刷も自宅のプリンターでした。
少しでもおしゃれなプログラムを作りたいと思っても技術がないので、夫に相談して『Publisher』というソフトを買ってもらいました。とにかくそれまでパソコンを使ったことが無かったので、本当に苦労しました。初めはA4用紙にペラリと印刷。そのうち三つ折りで作成することができるようになり、用紙も文具店で買うことを覚えました。三つ折りにする作業は夫が手伝ってくれました。軍手をはめて、私がキッチンで弱音器をつけてヴァイオリンの練習をする傍らで、50枚ほどを折ってくれました。
それだけ準備しても、お客様は増減が激しくて、40人以上来たくださることもあれば10人に満たないことも多々ありました。いつも手探り、いつも勢いだけ。それでも続けてこられたのは、家族の応援があったからでした。未だに、次女が3歳くらいのときに「よろしかったらどうぞ」と籠に入れたアメを配っている姿を思い出してくださる方がいます。長女は幼いながらも受付の業務をしっかり覚えて、小学校高学年頃には完璧にこなすことができるようになっていました。その経験は私のリサイタルで大いに発揮され、頼れる存在へと成長しました。
私は25年以上レクチャーコンサートを開催しています。
そのきっかけはドイツに留学中でした。
「クララ・シューマンのピアノ三重奏を一緒に弾いてほしい」というピアニストからの依頼に「クララ・シューマンの曲!珍しいなぁ、おもしろそう」と引き受けたことが始まりでした。ロベルト・シューマンの妻として家の切り盛りをしながら大勢の子どもに囲まれ、ブラームスに慕われ、心理的に不安定な夫を支えた女性、ということしか頭に残っていなかったので彼女の新しい一面を知ることとなりました。ピアノ三重奏曲は思ったよりも芯のある弾き応えのある曲で、どのパートも一筋縄ではいかないものでした。でも、とても魅力的で演奏するのが楽しかったです。初めてドイツ人のお宅でのホームコンサートでお披露目をしたのち、「クララのヴァイオリン曲に【3つのロマンス】という曲があるのだけど、弾いてくれるかしら?これはオフィシャルな場所でコンサートを計画してるから暗譜でお願いね」ということで、自動的に引き受けることになりました。コンサートの内容はクララ・シューマンに特化したレクチャーコンサートでした。かなりマニアックな内容でしたが、満員のお客様。ピアニストがクララ・シューマンについて話し、曲について説明しながら演奏していきます。ピアノソロ、ヴァイオリン曲、ピアノ三重奏とどれも淀みなく演奏し、解説をしていく姿には本当に驚きました。クララ・シューマンが作曲家として再注目されることになったきっかけはあの時だったかもしれません。新聞にもコンサートのことが好意的に紹介されました。
私はその時のコンサートに刺激を受けました。
解説をしながら自分も演奏するってすごく素敵!おもしろそう!私もやってみたい!・・・ただ、ドイツ語ではできないゾ・・・。
ずっと構想を温めて、日本に帰国してすぐに計画をしました。知人のツテで会場を借りて、ピアニストを探してチラシを作りながら始めました。
まず、お話をしながら演奏というスタイルに、当時は演奏者もお客様も慣れていませんでした。採算の取れない企画でしたが、私が子育てをしながら、家族に手伝ってもらいながら走り続けた期間はこのレクチャーコンサートにずっと支えられていました。
共演者には本当に助けてもらいましたし、たくさんのご迷惑をおかけしました。慣れない準備と進行、控室さえ予算を取ることのできない自己満足のコンサート。
続けていた意味は、自分が弾き続けるための場所を自ら作ることだけでした。
「本物に迫る」
私はヴァイオリン演奏から「本物」を届けたいと思っています。
でも、「本物」ってなんでしょう?
私が思っている音楽家の場合で読み解いてみましょう。そして、今回の場合はリサイタルに限ってのシチュエーションで考えてみます。
演奏技術に問題がない:基本的なことですが、聴衆が不安なく聴くことができる状態が前提になります。
そのうえで、しっかりと裏付けのある曲目解釈による演奏に、演奏者の独自な解釈が表現されていることが大切だと思っています。
私はリサイタルのプログラムを決めるときに、大きなテーマを決めます。それは漠然とした概念だったり、言葉だったり、感情だったりしますが、「今回はこんな風に自分を演出しよう」と思いながら準備に入ります。1年間の自分を表現することになるので、難しく感じることもありますが、リサイタルを弾き終える頃にはすでに次のテーマを思い浮かべながら演奏しています。そのテーマに沿って弾きたい曲を考え、時間配分、自分の力量等を整えていきます。大きなテーマから外れないように注意しつつも、ちょっとこじつけることもあります・・・
そして、最後に聴衆に何を持ち帰ってもらいたいのかを考えます。私自身が心の奥底で思っている芯の部分を感じ取ってもらうにはどうしたら良いのかを。そこが「本物」ということだと思っています。演奏者の心の芯の部分から発せられるエネルギー。その熱烈なエネルギーを受け取ってほしいという願いが演奏に反映できるかどうかが、演奏者の本気→本物につながっていくのだと思います。
私には、演奏者の意図まで感じ取ることができるような聴衆の耳を育てていきたいという野望があります。演奏者のエネルギーを感じ取って、演奏者から「本物」を受け取ること。そこで感じたすべての感覚を、あらためて日常生活のなかで反芻してもらいたいです。何を感じたのか、何に心の琴線が触れたのか。そして、自分の気持ちに気がついてほしいと思っています。今、自分が何を思って生きているのか。