塚本香央里(つかもとかおり)
 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
 

ブログ

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2026/09/16
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

体調が悪い時。

不安になりますよね。

体力に問題なく日々健康に暮らしている私ですが、たまに体調不良になるときがあります。たいてい疲労が重なったり、ストレスのかかることがあったりすると身体からサインが発せられます。


20代の留学時代にも体調不良で、一人ベッドで七転八倒したことがありました。インフルエンザでフラフラにもかかわらず、一人では何とも寂しくて、1ブロック離れた家電屋さんからテレビを抱えて帰ったことがあります。なぜか突然「テレビを買おう」とベッドから起き出して買いに行きました。当時のテレビはもちろんブラウン管なのでかなり重たくて、お店のお兄さんが「持って帰るの?!」と驚いて、平然と「そうだけど」と答えると、アレコレ角度を調べて「この角度だったら持てると思う」とレクチャーしてもらいました。熱でフラフラなので、途中の道脇にある支柱で休憩しながら家にたどり着いて、3階まで運び込んで開梱し、コンセントをつけて映った画面がアイスホッケーの試合でした。そのまま倒れ込むように画面を見つめながら「あぁ、良かった。これで生きていける~」とホッとしたことを覚えています。


今回の体調不良はインフルエンザではなさそうですが、頭痛がひどくてサクサク動くことができずにいます。chatGPTに相談すると「スマホやパソコンの見過ぎでは?」とのこと。確かにリサーチ作業や資料の作成などで頭を抱えながらパソコンに向かっていた時間が長かったかもしれません。そして、ついつい見すぎてしまうYouTube動画。ご褒美時間として穏やかで淡々とした動画を見ながら頭の中で様々なことを考える時間が好きで、思ったより長く見続けてしまったようです。

何事もほどほどに、ですね。




2026/09/15
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

急に体調が下降気味・・・

そんなときもありますが、年齢を重ねると少し怖いなぁと思うこともあります。

季節の変わり目もあるのでしょうか。

みなさまご自愛を。


2026/09/14
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

私には娘が2人います。

2人ともヴァイオリンを弾いていますが、私も含めて性格、方向性、目指していること、全てが違います。土台が一緒なので似ているところもあると思いますが、基本的にはそれぞれの生き方が違います。「お母さんの影響だね」「すごいですね。2人ともヴァイオリニストなんて」と言われることも多いのですが、彼女たちがこれからもずっとヴァイオリニストで生きていくか・・・それはわかりません。彼女たちは幼いころから音楽以外のたくさんの経験があります。長女は運動神経が抜群に良くて、朝から夕方まで公園で遊びまくり、一人でヨットを操ることができ、スキーはきれいなフォームと安全な滑走でSAJ2級を取得しています。動物と触れ合うことが好きで乗馬をしていたこともあります。頭がキレすぎてイベントの企画運営や事務作業が早いので音楽以外でも生きていけそうです。次女は幼いころから長女に振り回されて遊ぶうちに、幼稚園の年中から始めた水泳で頭角を現して名門クラブに所属してジュニアオリンピック5回連続出場。スキーも乗馬もそつなくこなすので潜在的な運動能力は計り知れません。勉強も気がつくときちんと理解して実践に活かしているのは、長女のサポートもあるのかもしれませんが、本人の吸収能力が高いのではないかと思います。

彼女たちは私のレクチャーコンサートを、それこそ赤ちゃんの頃から見ています。どんな風に私が準備をしているのか、お客様とお話しするのか、何が必要なのか、何が必要ではないのか。そのうち私以上にコンサートの運営について把握するようになり、今では「足手まといになるので私たちが全部やります」と言われてしまうくらい。自分が思っている以上に、子どもというのは親の姿を見ているものだと痛感しました。

私が気をつけていた唯一のことは「子どもだからという言い訳をしない」ということだったでしょうか。子どもだから仕方ない、子どもだから許される、子どもだから知らなくて当然。そう言っていながら、子どもと大人の線引きはいつするのでしょうか?私は線引きをしない。私はそれらのことを、経験の中で伝えていたような気がします。

 


2026/09/13
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今日の記事は昨日の続きです


「音の旅人」レクチャーコンサートはその後、年に2回のペースで続けていきました。2000年に長女、2004年に次女が生まれてからも、コンスタントに続けました。その他に2001年からは12月のリサイタル公演も定期的に開催するようになると、子育てと音楽活動の両立がなかなか難しいかもしれないと感じるようになりました。預け先を考えることやその料金など。それでも自分が演奏したいという気持ちに変わりはなく、「今はそういう時期なんだ」と言い聞かせてレクチャーコンサートを年間4回に増やして続けることにしました。年間4回!ってかなり大変でしたが、定期的に会場を借りるために交渉した条件が年間4回だったため、その時は覚悟しました。今が正念場だと自分に言い聞かせて。その時の私は、今考えても忙しさのピークで手帳は予定でギッシリ。家事洗濯・娘たちの習い事送迎、学校行事やPTA、自分の予定、コンサートの企画・出演交渉・書類づくり、そしてヴァイオリンの練習でアップアップでした。当時の共演者の方には本当に助けていただいたし、ご迷惑もかけっぱなしでした。振り返っている余裕もなく、走り続けていた時期でした。もちろん、家族も手伝ってくれました。それぞれが精いっぱいに頑張ることが家族みんなのモチベーションでもありました。この時期に【細かい時間を無駄にしない】というコツを身に着けることができたのかもしれません。

 

しかし、レコーディングや演奏会のお誘いを時間の許す限り引き受けていたものを、ある時から大幅に削減することにしました。【子どもの成長と自分の演奏活動】を天秤にかけました。子どもの成長は一瞬です。その時を逃してしまったら取り戻すことはできない。でも、自分の演奏活動はそれまでの積み上げが糧となって、いつでも取り戻すことができる。その一時期をリサイタルだけに集中すれば自分の満足度は高いのではないか。そうしてレクチャーコンサートをお休みにすることを決めたのが2014年。ちょうど娘たちが将来についての決断をじっくりと考える時期でした。




2026/09/12
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今日からしばらく、私のレクチャーコンサートについてお話ししようかと思います。


28年前の1998年7月に「音の旅人」を始動した時、実母が肺がんの余命半年の宣告を受けた直後でした。私自身、これから日本に拠点を移して、どうやって自分の音楽を保っていこうか試行錯誤している最中でした。

演奏する場所がないならば、自分で作ってしまえ。

ドイツ時代に憧れた【曲目解説をしながら演奏する】ということをやってみよう。

とにかくやってみよう、という一心でした。

パソコン作業もおぼつかないまま、夫に買ってもらった「パブリッシャー」というソフトでチラシとプログラムを作って、両親の知り合いに来てもらう。

会場も母の知人のツテを頼って、横浜駅近くのこぢんまりとしたビルの9階。控室もなく、待機する場所もないので、開演前に受付でお客様とおしゃべりしたり、準備でバタバタしている様子にビックリされたりしました。

初めてのレクチャーコンサートはアップアップ。金魚が酸欠でパクパクしているのと同じ状態でした。演奏することと、話すことが全く違って焦りまくるという状況を経験して、それから長い時間をかけて今の話し方のスタイルが築かれていきました。未だに正解はわかりませんが、聴きやすいかどうかはいつもチェックしています。

いちばん難しかったことが収支面。音楽家は「コンサートは赤字が当たり前」という意識が強く、場所代だけでチケット代金がなくなってしまうことが多いです。リハーサル代、交通費、当日の飲食代は自腹が当たり前だったりすることが当たり前でした。共演者へのギャラは、いつも私のヘソクリからお支払いしていました。

「レクチャーコンサートは自分にとって勉強だから」という感覚からなかなか抜け出せませんでした。

2回目は4か月後の11月。母の葬儀1週間後でした。結局母は私のレクチャーコンサートを一度も聞くことなく逝ってしまいました