塚本香央里(つかもとかおり)
 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
 

254「レクチャーコンサートのはじまりは28年前」

2026/09/12
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今日からしばらく、私のレクチャーコンサートについてお話ししようかと思います。


28年前の1998年7月に「音の旅人」を始動した時、実母が肺がんの余命半年の宣告を受けた直後でした。私自身、これから日本に拠点を移して、どうやって自分の音楽を保っていこうか試行錯誤している最中でした。

演奏する場所がないならば、自分で作ってしまえ。

ドイツ時代に憧れた【曲目解説をしながら演奏する】ということをやってみよう。

とにかくやってみよう、という一心でした。

パソコン作業もおぼつかないまま、夫に買ってもらった「パブリッシャー」というソフトでチラシとプログラムを作って、両親の知り合いに来てもらう。

会場も母の知人のツテを頼って、横浜駅近くのこぢんまりとしたビルの9階。控室もなく、待機する場所もないので、開演前に受付でお客様とおしゃべりしたり、準備でバタバタしている様子にビックリされたりしました。

初めてのレクチャーコンサートはアップアップ。金魚が酸欠でパクパクしているのと同じ状態でした。演奏することと、話すことが全く違って焦りまくるという状況を経験して、それから長い時間をかけて今の話し方のスタイルが築かれていきました。未だに正解はわかりませんが、聴きやすいかどうかはいつもチェックしています。

いちばん難しかったことが収支面。音楽家は「コンサートは赤字が当たり前」という意識が強く、場所代だけでチケット代金がなくなってしまうことが多いです。リハーサル代、交通費、当日の飲食代は自腹が当たり前だったりすることが当たり前でした。共演者へのギャラは、いつも私のヘソクリからお支払いしていました。

「レクチャーコンサートは自分にとって勉強だから」という感覚からなかなか抜け出せませんでした。

2回目は4か月後の11月。母の葬儀1週間後でした。結局母は私のレクチャーコンサートを一度も聞くことなく逝ってしまいました