私は25年以上レクチャーコンサートを開催しています。
そのきっかけはドイツに留学中でした。
「クララ・シューマンのピアノ三重奏を一緒に弾いてほしい」というピアニストからの依頼に「クララ・シューマンの曲!珍しいなぁ、おもしろそう」と引き受けたことが始まりでした。ロベルト・シューマンの妻として家の切り盛りをしながら大勢の子どもに囲まれ、ブラームスに慕われ、心理的に不安定な夫を支えた女性、ということしか頭に残っていなかったので彼女の新しい一面を知ることとなりました。ピアノ三重奏曲は思ったよりも芯のある弾き応えのある曲で、どのパートも一筋縄ではいかないものでした。でも、とても魅力的で演奏するのが楽しかったです。初めてドイツ人のお宅でのホームコンサートでお披露目をしたのち、「クララのヴァイオリン曲に【3つのロマンス】という曲があるのだけど、弾いてくれるかしら?これはオフィシャルな場所でコンサートを計画してるから暗譜でお願いね」ということで、自動的に引き受けることになりました。コンサートの内容はクララ・シューマンに特化したレクチャーコンサートでした。かなりマニアックな内容でしたが、満員のお客様。ピアニストがクララ・シューマンについて話し、曲について説明しながら演奏していきます。ピアノソロ、ヴァイオリン曲、ピアノ三重奏とどれも淀みなく演奏し、解説をしていく姿には本当に驚きました。クララ・シューマンが作曲家として再注目されることになったきっかけはあの時だったかもしれません。新聞にもコンサートのことが好意的に紹介されました。
私はその時のコンサートに刺激を受けました。
解説をしながら自分も演奏するってすごく素敵!おもしろそう!私もやってみたい!・・・ただ、ドイツ語ではできないゾ・・・。
ずっと構想を温めて、日本に帰国してすぐに計画をしました。知人のツテで会場を借りて、ピアニストを探してチラシを作りながら始めました。
まず、お話をしながら演奏というスタイルに、当時は演奏者もお客様も慣れていませんでした。採算の取れない企画でしたが、私が子育てをしながら、家族に手伝ってもらいながら走り続けた期間はこのレクチャーコンサートにずっと支えられていました。
共演者には本当に助けてもらいましたし、たくさんのご迷惑をおかけしました。慣れない準備と進行、控室さえ予算を取ることのできない自己満足のコンサート。
続けていた意味は、自分が弾き続けるための場所を自ら作ることだけでした。
「本物に迫る」
私はヴァイオリン演奏から「本物」を届けたいと思っています。
でも、「本物」ってなんでしょう?
私が思っている音楽家の場合で読み解いてみましょう。そして、今回の場合はリサイタルに限ってのシチュエーションで考えてみます。
演奏技術に問題がない:基本的なことですが、聴衆が不安なく聴くことができる状態が前提になります。
そのうえで、しっかりと裏付けのある曲目解釈による演奏に、演奏者の独自な解釈が表現されていることが大切だと思っています。
私はリサイタルのプログラムを決めるときに、大きなテーマを決めます。それは漠然とした概念だったり、言葉だったり、感情だったりしますが、「今回はこんな風に自分を演出しよう」と思いながら準備に入ります。1年間の自分を表現することになるので、難しく感じることもありますが、リサイタルを弾き終える頃にはすでに次のテーマを思い浮かべながら演奏しています。そのテーマに沿って弾きたい曲を考え、時間配分、自分の力量等を整えていきます。大きなテーマから外れないように注意しつつも、ちょっとこじつけることもあります・・・
そして、最後に聴衆に何を持ち帰ってもらいたいのかを考えます。私自身が心の奥底で思っている芯の部分を感じ取ってもらうにはどうしたら良いのかを。そこが「本物」ということだと思っています。演奏者の心の芯の部分から発せられるエネルギー。その熱烈なエネルギーを受け取ってほしいという願いが演奏に反映できるかどうかが、演奏者の本気→本物につながっていくのだと思います。
私には、演奏者の意図まで感じ取ることができるような聴衆の耳を育てていきたいという野望があります。演奏者のエネルギーを感じ取って、演奏者から「本物」を受け取ること。そこで感じたすべての感覚を、あらためて日常生活のなかで反芻してもらいたいです。何を感じたのか、何に心の琴線が触れたのか。そして、自分の気持ちに気がついてほしいと思っています。今、自分が何を思って生きているのか。
12月のリサイタルプログラムがほぼ決定しました。
私が一番伝えたいことは何だろうか?
ヴァイオリニストとして演奏しているときに、私が一番伝えたいことは、コンサートの時間を使って【心を揺らしてほしい】ということ。いつも同じことを考え続けて、固まってしまった固定観念や、自分自身で作ってしまった思い込みを脱ぎ捨てて、音の渦に巻き込まれる経験をしてほしい。ただそこに佇み、ホール全体から押し寄せてくる音の波を身をゆだねてほしいと思う。どんなことを感じて、どんな音に自分が反応するのか。曲の解釈や構造はわからなくても良いから、そのとき何を思うのかに耳を澄ませてほしい。
そしてその先に、私という音楽家がいることに気がついてほしいと思う。毎年聞きに来たくださる方たちが、私の生きてきた日々を感じ取っていただけたら嬉しい。成長したか、留まっているのか、音に耳を澄ませて私の心の声を聴いてほしい。
私は常に最善を尽くして、最高のパフォーマンスを届けることを約束したい。
「本物」にこだわって、聴いている方へ挑戦状を送り続けたい。
「この感覚がわかってもらえるか?」「この解釈はあなたの気持ちにどう反応するか?」「あなたはこれを聴いてどう思う?」
そうやって演奏しながら問い続けていたいと思っている。だから私はいつも本気で聴衆に向かっていく。聴衆には難しい曲であろうとも、理解できない音楽であろうとも、私はその曲を演奏して聴衆に疑問を投げかける音楽家でいたい。
心のバランスをとるとき、私は正反対のことをやってみることがあります。
予定をぎっちり詰め込んで動く日と、何もしないで庭でボンヤリ過ごす日。ハードボイルド系サスペンス物の本を読みながら、穏やかなエッセイ本を読む。気持ちの揺れ動きは激しくて、ちょっと疲れてしまうかもしれませんが、電池が切れたようにパタリとお布団に飛び込むのも悪くないものです。
そうすると、心が動いて身体が動くようになる気がします。私は自分を労わりすぎて動けなくなってしまうことがあるので、時々荒療治で「エイっ!」と自分に喝を入れる時もあります。
自分自身をコントロールできるのは、自分の性格をよく知っているからです。
どこまで自分を甘やかすべきか、どこまで自分を鼓舞させていいのか。その調整は自分が一番知っているはずです。「あ、まだ早かったな」と思えば休めば良いし、「お、もっと頑張れそう」と思ったらアクセルをグッと踏み込めばいいのです。
私は他に、ツボやお灸も取り入れています。
参考にしている本は『まいにちの東洋医学』(クボ鍼灸院・久保和也 朝日新聞出版)
季節によってゆらぐ体調を、二十四節気に沿ってセルフケアのアドバイスやコラムが載っています。かんたんな図解とわかりやすい説明で、ページのレイアウトの余白の大きさが魅力です。ササっと読んですぐに実行できる手軽さがあります。

キッチンに日めくりカレンダーを掛けています。
手のひらサイズで日にちが見やすく、とても気に入っています。毎日ピリリ・・・と紙をめくる作業が楽しくて「今日は〇月○日〇曜日」と確かめながら1日を始めます。役目を終えた「昨日」を切り離して、新しい「今日」を迎えるという気持ちの切り替えを意識し始めたのは、去年の1月からでした。生きることが難しく感じる日も、新しい1日に罪はなく、自分の気持ちで紡いでいけばよい・・・と思ったことがきっかけでした。
日めくりカレンダーは、小さいスペースながら情報は満載で、月齢・潮の名称・大安などの吉凶・二十八宿があり読み解けないものが多いかもしれません。時間があるときはじっくり眺めて新しい知識をインプットします。その中で忙しくとも私が欠かさず読む場所は、日にちの下に記してある言葉です。ことわざだったり、四字熟語だったり、標語が書かれていて読んでハッとすることもあります。
今日の言葉は「深い川は静かに流れる」でした。
その風景がスッと頭に浮かんできて、しばらくの間カレンダーの前で想像が始まりました。底の見えない川。とうとうと流れていく豊かな水。暗い色をして怖いけれど、穏やかなに静かに前を通り過ぎていく。その川辺に立ち、ふと目を凝らして水中をのぞき込めば、奥底の方に所々に渦巻く急流があり、岩にぶつかって流れを変える場所もあるけれど、表面には現れずに何事もないかのように泰然と横切っていく。
なんて素敵な姿なんだ・・・としばし動けなくなりました。
この言葉の由来は「Still waters run deep」という英語の諺らしく、「能ある鷹は爪をかくす」といった諺に意味が近いようです。でも、私にはその風景の方が鮮明に思い浮かびます。自分の全ての感情を内包して、抱きしめながら、落ち着いて毅然と立つ。ただぼんやりと立っている姿よりも、意思があり、芯があり、力強い。
そんな風に生きていきたいなぁ、と思う土曜日の朝でした。