塚本香央里(つかもとかおり)
 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
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2026/04/19
109「静岡県島田市訪問記②」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

島田までは日帰りでも十分な距離ですが、私の場合は運転に自信がないので1泊することにしています。

今回も、以前娘たちと泊まったビジネスホテルの居心地が良かったので、同じホテルを予約しました。近くに気軽に食べられるお店もあり、テイクアウトのお店も、コンビニもあるので夕食はその時の気分とお腹の調子で選べます。早めにお風呂に入ってお部屋でのんびり。早めに寝ます。翌朝は少し早めにホテルをチェックアウトして、蓬莱橋(ほうらいばし)を見に行きました。蓬莱橋は大井川に架かる897.4mの「世界一長い木の橋」。1997年にギネスに登録されています。江戸時代には架橋・渡船が許されなかった時代を経て、牧之原台地開墾のために明治12年(1879年)に架橋されました。牧之原台地は茶園開墾のためでもあり、今なお美しい茶畑が広がっています。今は補強がしっかりされていますが、私の記憶では、台風などで橋が流されてしまう姿を何度か見ました。蓬莱橋の横を走る島田大橋から、川の様子を見るのが幼いころから好きでした。時代劇の撮影場所としてもつかわれることが多く、母と一緒にテレビを見ていて「おぉ、蓬莱橋だ」と何となく優越感に浸ってしまうこともありました。通行料金は大人100円(子ども10円・自転車100円)営業時間内は橋のたもとにいる「橋番」に支払います。今回、橋は渡らず遊歩道を少しだけ歩いて橋を眺めていました。旅の合間にある空白の時間は貴重ですね。

その後は和菓子屋さんの「龍月堂」へ。いつも娘たちに買い物を任せているので、店内に入るのは初めてでした。賞味期限の短いお団子やお饅頭、少しおめかしした来客用、洋風のケーキまであって目移りしてなかなか決められません。店内が奥へ長いので、手前から順番に注文をお願いしていきました。あとで確認したら、一番好きな和菓子が注文できておらず・・・残念。

(味噌饅頭が美味です)

島田最後の寄り道は「大村屋酒造」の日本酒を購入すること。今年は酒蔵建て替えのため、季節限定の「鬼乙女 春」が仕込まれていないので、他の銘柄と酒屋さんにおススメされた藤枝の志太泉酒造のお酒を購入しました。生酒を中心に購入したので、早めに飲まないと・・・


帰路は新東名「島田金谷IC」からのルートを選択して駿河湾沼津SAを目指します。1時間ほどで到着。帰り道は、夕食や保存食のための食材を購入することが多いです。ワサビ菜や立派な椎茸、黒はんぺんを購入しながらお酒のおつまみを想像してニヤニヤ。このまま自宅へ直行運転するため、甘味(ソフトクリーム)を補給して出発。苦手な山北・大井松田周辺を慎重に通り抜けて帰宅。


はじめて島田へのロングドライブをしなければならないときに、友人から言われたことがあります。高速道路が怖いとか、体力が心配とかグダグダ言っていた私に「だれにとっても、いくつになっても、初めてのことはあるよ。エイっとやってみて。かおりさんは絶対にできるから」。

この「あなたは絶対にできる」という言葉にフッと背中を押してもらいました。

自分に対しての根拠のない自信といえば、その通りなのですが・・・その時から私の中で「怖いけれどやってみる」という気持ちが小さくとも育っているような気がします。

 

50代も後半になれば、大抵のことはできるはず。

その気持ちを過大することなく、過小することなく、自分で自分を見極めながら過ごしたいものです。




2026/04/18
108「静岡県島田市訪問記①」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

週末は少し力を抜いた話題を。

父の命日は4月20日。

その前後にお墓参りをすることにしています。場所は静岡県島田市。一人でのロングドライブは緊張しますが、ゆっくり安全に行けば問題ない距離です。途中の休憩を十分にとれば3時間ほどです。今回は、父の実家を受け継いでくださった古民家カフェのオーナー様とお墓で待ち合わせという、なんとも粋な約束をしていました。


朝の通勤時間を少し過ぎたあたりの8時半すぎに出発。

大抵は足柄SA、または駿河湾沼津SAで休憩をしていきます。今回は足柄SAで早いブランチを食べました。朝の10時にマグロ丼を食べる・・・。朝ごはんを食べていなかったので、丁度良い具合でした。どこで獲れたマグロかわからないけれど、美味しかったです。お腹も一段落したら、そのまま目的地へ向かいます。第一東名を通るか、新東名を使うか。いつもは新東名を使うのですが、この日の気分は「由比のパーキングエリアで海を見てからにしよう」という作戦に変更。下りの道路は海の景色が近くに見えるので由比PAはおススメです。(台風が接近すると由比のあたりは通行止めになることもあります。それだけ海が近いということです。)その日の海は静かに凪いでいて、珍しく白波すら見えないほどの穏やかさでした。短い休憩をして、そのまま走っても待ち合わせ時間には十分間に合いそうなので、いつもは寄ったことのない日本坂PAでトイレ休憩。そして、吉田ICを降りて島田市内へ向かいます。ちょうど、茶摘みの時期が近いので茶畑が美しい濃い緑色にかがやいていました。大井川を渡れば島田市。いつもの「清水屋の小まんじゅう」をゲットして、車の中で早速味見をします。美味。日本酒の香りがほわっと立ち上り、弾力のある皮とこしあんのハーモニーを片手でポッと食べられる手軽さ。ついつい食べ過ぎてしまいます。

島田市には魅力的な和菓子屋さんがたくさんあるので、お腹の調子は整えておかないと・・・。早めにお昼を食べておいたので、程よく小まんじゅうがお腹をみたしてくれました。近くにある大好きな「大井神社」にもご挨拶をしました。いつ訪れても「気」に力があり、身が引き締まりつつも優しく包んでくれる、心の穏やかになる場所です。久しぶりにおみくじを引いてみたら「大大吉」。丁寧に御礼を申し上げて少しだけお庭を散策しました。

そして、お墓参りへ。

お寺の住職へご挨拶。いつも「よくきたね~」と笑顔で出迎えてくださって嬉しい限りです。お寺の耐震工事の話や、私の家族の話、父の思い出話に花が咲いて気がつけば待ち合わせの時間が過ぎてしまっています。あわててお墓へ向かってオーナー様と合流。不思議なご縁で巡り合った素敵な方。さぞやご先祖様も驚かれているだろうけれど、お家を中心に仲良くさせてもらっていますよ・・・とご報告できました。

その後は二人で「島田市博物館」を見学。

父が良く訪れて、俳人・塚本如州(じょしゅう)について調べていたので行ってみたい場所でした。松尾芭蕉が島田宿に逗留した際に親しくなった様子で、市内のあちらこちらに歌碑がたっています。(父は趣味が俳句だったことと、同じ苗字に親近感があった様子でした)島田は東海道23番目の宿場町。【箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川】と唄われた川越しの場所として有名です。橋がかかっていなかったため、川越しは人足に任せるしかなく、大井川の水位が上がると川止めになって幾日も渡れずに旅人泣かせの難所だったともいわれています。町民も武士も大名も川を渡るのは同じですが、身分によって運ばれ方に差があります。人足に背負われたり、蓮台に乗せて運ばれたり、駕籠ごと蓮台に乗せたり、蓮台に漆が塗ってあったり・・・お値段の差もなかなかのもの。(今の値段に換算して3000円から15万円くらいとか)さらに、川の深さによっても値段が変わるのですから、その頃の島田宿、それはそれは活気があったことでしょう。今ではのんびりとした穏やかな時間の流れる島田市ですが、当時の川合所や札所、宿などの遺物もきれいに残されており、未だに移築や改装をかさねて歴史を今に伝えてくれています。一人でじっくり見学するのも楽しいですが、こういった場所は、それぞれの知識を出し合って様々な角度から展示物を見るのは幾重にも楽しさが増します。

その後は父の実家、今では古民家カフェとなった場所へ移動してオーナー様とおしゃべりを楽しみました。

本来ならば、父の実家を売却したらその後は手を離れてご縁はなくなってしまいます。でも、そのままの面影を残してくださって、更にその家の姿を「大好き」と言ってくださる方にお譲りできたことは、私自身は父のため以上にご先祖様のためにも良かったなぁと安心することにもなります。

私にとっても大切な場所。

できる限り訪れることができるようにしたいと思っています。



 


2026/04/17
107「自分自身が一番の理解者になること」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

すっかりひきこもりの生活になっています。

お天気次第で庭の整備をしたり、部屋のオーガナイズをしてみたり、少しだけ手の込んだお料理を作ったりすることがあります。今日は、自分が留学した頃から使っているレシピノートの整理をしました。作った形跡の無いレシピを処分したり、雑誌の切り抜きがそのまま挟んであるものを見やすく貼りなおしたり、頭の中に入っているはずのレシピをもう一度確認してみました。今週末はこのレシピノートからのお料理(もしくはスイーツ)を作ってみようかと思います。

全力疾走だった日々に、少し亀裂の入ってきたなぁと感じることがありました。いまから1年前くらいのことだったと思います。

3年前の出来事は大きくて衝撃的だったのですが、悲しみに浸るためブレーキをかけて止めてしまうわけにもいかず、無我夢中で生活を回していたという感覚がありました。とにかく自分が生きるため、家族が前に進むために必死でした。

自分が壊れないようにするにはどうしたらよいのか。

あふれ出る悲しみを自分でなだめるにはどうしたら良いのか。

今はまだ大丈夫だ。

以前と変わらず動いているほうが自分にとっては都合が良い。

【変わらないこと】の大切さを知ったものその時でした。とにかく動き続け、試行錯誤で自分のポジションを探しながら、目の前にやってくるボールを必死で打ち返す日々でした。それがふと、小さなきっかけで辞めようと思う決心がついたとき、ものすごくホッとしました。先の予定は全くないけれど、今ここで止まってみようと。辞めよう、辞めてもいいんだよ、と決心した時に、本当にコトン、と音をたてて小さな木の扉が閉まったような気がしました。静寂。落ち着き。安心。


今の毎日は、以前よりも刺激が少なくなったかもしれませんが、落ち着いて自分で自分をコントロールして生活しているような気がします。今までだったら何も考えずに行動していたことを、少し時間をかけて俯瞰して見ることや、なぜその出来事に囚われるのかをじっくりと考えてみたり、ひたすら深い思考へ沈んでいく感覚を体験してみたり、少しだけこれからのことに目を向けることも多くなったかもしれません。


人生にはいろいろなステージがあります。

そのステージに合った自分を構築することは、自分のことをより深く理解して、自分をなだめていく作業にも通じていくのだと思っています。当たり前だけれど、他人にすべてをわかってもらえることはないのだから、自分自身が自分の一番の理解者でありたいと思っています。

そしてまた走り出すときが来るかもしれないから、その時に全力投球できる自分でありたいです。

今日は金曜日。週末モードへとシフトして、緩やかな時間を自分のために創り出していきたいものです。



 


2026/04/16
106「リサーチの力は心の安心安全」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

私にはリサーチ力が足りない。

私の育った家族では、決めるのはいつも父が中心で、計画通りに上手くいってもいかなくても誰も文句も言わなかった。家族旅行の最盛期は父の海外駐在中だったので、姉が堪能な語学力を活かして計画の後押しをしてくれた。私は一番年下だったので、決定権も発言権も重視されていなかったのかもしれない。そのため、そういった計画をすることを経験せずに大きくなってしまった。大学時代も幹事のようなことができないし、苦手だった。友達におんぶにだっこ。留学中の旅行の計画や、自分の町を友人に案内するといったことも得意な方ではなく、ただひたすら散歩に付き合わせていたような気がする。知らない土地に行っても、知らないことが多いまま過ごしてしまった。

あの頃の私には『○○へいったら、○○をみて、○○を食べてたのしもう!』といった計画が全くできなかった。

「どこに行きたい?」「何が食べたい?」と言われても、リサーチするという考えがなかった。

「知らない土地だからどこを見ても楽しいはずだし、好き嫌いはないのでおススメを食べるだけで充分」といったはた迷惑な思考しかなかった。これでは記憶が定着しない。どの記憶もぼんやりしてしまうのだ。


今の家族でドイツとフランスへ出かけたことがある。短い期間だったが、その旅行は今でも記憶にはっきりと残っている。なぜなら、私がガイドブックを読み込んで、娘たちに見せたい場所や美術館、教会へのルートを細かに調べたからだ。まだ私自身がインターネットを使いこなせずに、本を買って調べた。娘たちに本物をみせたい!という意気込みからだったのだと思う。娘たちにヨーロッパへ行ったときは、その町の中で一番高い所へ行って周りを見ることを教えたのもその時だ。パリで初めて行った場所は凱旋門。あの屋上に登ればパリ市内のほとんどを見ることができる。凱旋門から放射状に延びる道。遠くに見えるセーヌ川、エッフェル塔、バスティーユ、モンマルトル。その光景を頭に入れて歩けば、街のどこあたりに自分がいるのかをなんとなく把握することができる。そして、歴史やそれぞれの関係する出来事をより深く理解することができる。

パリでの移動は歩きが基本だった。小さな小道や公園の花々を眺めて通り過ぎながら、歩いている人たちの服装をチラッとみたり、アパルトマンの窓やドアの装飾に心を躍らせたりして、多少雨が降っていても歩き続けた。疲れて不機嫌になっても、どんなに観光名所で長い列に並んでいても、ハッと感動した瞬間がすべての苦労を拭い去ってくれる感覚。その時の記憶は小さくても詳細まで鮮明だ。


その時から、私は準備することの大切さをしっかりと理解することができた。大変に遅まきながら・・・


計画しすぎて窮屈なこともあるが、安心安全のためには大まかな区切りは必要だと思っている。一人旅でも、ザックリとした計画を立てながら、その時の体調や気分で少しずつ変更していくこともできるようになってきた。そのためには、リサーチ力。調べることでトラブル予防にも、安心にも、自分の体調にも役に立つ。

そう、変更可能な旅は贅沢だ。

人生も旅と同じ。
そのためには、もっとリサーチ能力を上げていかないと…と思っている。



2026/04/15
105「思い出あれこれ」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

熊本地震から10年が経ったというニュースを見た。

私の住んでいる地方から遠かったが、やはり東日本大震災の記憶が新しいからこそ忘れられない出来事だった。思い出したことがある。あの熊本地震の少し後に夫は熊本へ日帰りで行ってきた。航空会社のキャンペーンで、4都市の中から日帰りができるフライトチケットにエントリーしたのだ。どこへ行くか直前までわからない。海外出張の多かった夫が、貯まったマイルを消化するために選んだキャンペーンの一つだった。期限の迫ったマイルを流してしまうのに惜しいくらいの量だったのだろう。詳細は覚えていない。「一緒に行こうよ」と言われたけれど、二人分のマイルには手が届かず、娘二人のことを考えると丸一日の行程は負担が大きかった。いつの間にか決まった場所は熊本。「震災のあとだけど大丈夫なのかな?」と心配しながらも、「始めていくからちょっと楽しみ」と言って出かけて行った。夜遅く帰宅すると「熊本城の石垣が崩れ落ちてそのままだった。修理したくても危なくて近づけないらしい。地震の爪痕が生々しかったよ。」とおみやげを開けながら話してくれた。お天気が悪くて雨が降っていたので、寂しげな印象だったとも。「こんなことがなければ、熊本なんて行くことはなかったなぁ。このキャンペーンも座席に余裕があるところが選ばれるんだろうけれど、おみやげを買うことで経済活動が少しでも回ればいいと思ってね」という話に耳を傾けながら「そうか。大きな災害があると経済活動が止まってしまうのか」ということにも気づかせてくれた。今なお、震災で家族を失った人たちがたくさんいることに想いを寄せたい。その気持ちはわからないわけではないから。


そういえば思い出したことがある。それまで一度だけ、豊富なマイルを使って夫婦二人で大阪へ日帰り旅行をしたことがある。ふぐ料理とひれ酒を飲むためという、なんとも風変わりな楽しい企画だった。私が「ひれ酒を飲んでみたい」というひとことから始まった計画だった。午前中のフライトで伊丹空港へ。食事と船場のドレス屋さんをぐるりと見てまた羽田へのフライトで戻ってくる企画だった。大阪に単身赴任の経験がある夫だったので、街の地図は頭の中に入っているので安心して任せた。慌ただしくて目まぐるしかったけれど、今となっては良い思い出だ。幼い娘たちを義両親に預けてのことだったので呆れられたけれど…日帰りだったのでお咎めはなかった。今だったらもっとリサーチして、3倍くらい楽しくできたかもしれないのになぁ・・・と思ってしまう。

一緒に思い出を語れる人がいないのは辛い。



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