久しぶりに風邪をひきました・・・
「今日は寒いから温かくしてすごそう」と思っていたのに、なぜかいつもより薄着で、寒風の中を20分もご近所さんと近況報告の話をして、そのままリビングで昼寝をするという・・・
どう考えてもおかしい行動をしたら、案の定、夜には喉に異変が。
翌朝、幸い熱が出なかったので、身体を冷やさないように暖かくして、白湯を切らさないようにして、栄養補給をしつつ、スローペースにしていたら、夕方には回復傾向になりました。
これ以上悪くなる気配はないので、少しホッとしました。
寒暖差の激しい毎日、体感温度も少しおかしくなっている様子。
穏やかな春の気候のはずが、思わぬ落とし穴にもなります。
「食べることは生きること」
その単純明快で正当な思考は、時に真っ当すぎて苦しく感じることがあります。
私は食べることが好きで、いろんな場面を想像しながら、メニューを考えたり新しいレシピを試してみることがあります。
「おいしい!」と自画自賛するときもありますし、「おいしい!」といってもらえて有頂天になるときもあります。
でも、そのどれも考えることができなくて、ぼんやりと白湯をのんでいるだけのときもあります。
今日はそんな日。
そんな日の救世主はサラダ。
私の場合は、サラダを食べれば良し・・・と思っているので、とにかくレタスをちぎってニンジンを千切りに、キュウリがあれば適当に切って大きめのボールにぶち込みます。(カット野菜のときもあります)
そしてゆで卵を適当に切って、ツナ缶をいれて準備完了。
ドレッシングはマヨネーズ大さじ2の中に、ニンニクチューブをたっぷり投入して、しょうゆをたらり。
レモン半分を絞ってオリーブ油をたっぷり。
それらをよく混ぜてサラダにかけて混ぜる。その上にパルミジャーノ・レッジャーノをすりおろして出来上がり。
それだけでも十分ですが、お腹に余力があれば冷凍してあるイングリッシュマフィンをこんがり焼いて添えれば完璧。
次女の連絡は、案外サッパリしています。
用件だけ、決定したことだけを伝えてくるので、途中で紆余曲折があったとしても事後報告として伝えてきます。
「なんだか大変そうだなぁ」
とこちらが思っていても相談してくることはなく
「そういえば、こんなことがありました」
とぽつんとメッセージが来て、こちらがびっくりすることがあります。
そのため、こちらがアレコレ想像を大きくしてしまって余計な心配することも多々あります。
先日次女から
「なんだか時間の使い方がうまくできていない。時間のオーガナイズ講座を受けてみたい」
という申し出がありました。
2月にイレギュラーな仕事を入れすぎて、自分の生活がコントロールできなかったとのこと。
私は「時間」に関しては得意な方なので、すぐにオンラインでの時間講座の開講準備をしました。
我が家の変わったところは、親子でもこういった手続きをするところかもしれません。
お互い講師と受講生になって講座は始まりました。
事前にヒアリングをしていたので、各パートの割合を少し変えて
ということに注目して進めていきました。
講座を進めていくうちに、自分がこの先の道をどのように見ているのか、不安定な中にも確固たる強い思いがあることなどを次女が話してくれました。「目的のないおしゃべりではなくて、合法的に、強制的に話せる時間が欲しかったのかもしれない」
と次女がぽつりとつぶやいたとき、「なるほど」と思いました。
次女との会話はいつも30分程度。
「ママとは1時間もしゃべっていられない」といつも言われます。
その裏に「相手の時間を邪魔したくない」という次女の遠慮と優しさを感じます。
私もその気持ちを理解することができるので、話したいときに話したいだけ、そのタイミングはいつでも・・・と伝えるようにしています。
それでも、次女は何か枠組みがないと話せないことってあるんだな、と改めて思いました。
親子の間でも、いつでも話せる状態を作るだけではなく、ある程度の距離が必要な状況を提示することも大切なんですね。
新しく得たこの感覚をこれからも大切にしたいと思いました。
高校卒業と同時に海外での一人暮らしを始めた次女のことはものすごく心配です・・・
次女の道を見守りつつ、自分の持っているスキルを使って全力で応援できればいいなと思っています。

15年。
その年月に思いを馳せます。
あの日、朝は晴れていました。
毎月参加させていただいていたボランティア演奏を終えて、一足先に会場を出て、いつものようにホッと一息つこうと思いながらも帰宅を急ぎました。
その日に限って。
月に一度のボランティア演奏は、私にとって息抜きの時間でもありました。
当時小学校4年と幼稚園年長の娘たちから、少しだけ離れられる時間は貴重でした。
演奏するために早く家を出てモーニングを食べて、演奏を終えたら一人で銀座にふらりと立ち寄ってお茶をして帰ることが楽しみでした。
その日は午後から雲が多くなってきたので、家に帰ることにしました。
電車に乗りながら、最寄り駅について一目散に自宅へ向かいました。
「娘たちが帰るまでに掃除機をかけてしまおう」と思いながら家について手を洗っていた時に揺れ始めました。
ただ事ではない揺れを感じて・・・
そのあとは混乱状態でした。
いつまでも、何度でも思い出す。
思い出すと気持ちの揺れが大きくなってざわめくけれど、私自身には必要なことだったりします。
どんなに波立たせることがあっても、収めることができれば良いと思っています。
あの年に生まれた子どもたちが、今、中学を卒業する年齢になっています。
近隣中学校の卒業式に来賓として参列しながら、様々な思いに駆られました。
この2年くらいに読んだ本は
この先読み返すことがありそうなので
著者とタイトルくらいは覚えておこうと思うのに・・・
覚えていられません。
去年の春、書棚を整えた時に
「これからも読み続けたい本」
「記憶に残すだけで良い本」を仕分けてノートにまとめました。
なかなか面白い作業で没頭しました。
自分の中にあるちょっとした【こだわり】に気づくことができました。
「エッセイが好きでビジネス書は無限に読むけれど小説の内容は吟味して読むので読み始めるまでに時間がかかる。なぜなら買ったときのテンションからズレてしまうと読めないから」
基本的にはビジネス書は読んでそのまま本棚の隅ですが、メモを読み返すと自分のアンテナにひっかかったことが蘇るので便利です。
小説などは、その時の主観しか書いていないのでものすごくメモが少ない傾向があります。
エッセイはエピソード内に出てきた事柄を改めてリサーチし、自分の生活に取り入れて知識を吸収し勉強することが楽しいです。
私の「広く浅く知識を得る」という欲求に、本はとても役に立っています。
それにしても、最近記憶力の低下がひどすぎる。
さっき書いたメモが見つからない・・・
どこかで見た文章がどの本だったのか覚えていない・・・
人の名前を覚えられない・・・
数えればきりがないので数えないことにしています。
零れ落ちる記憶をメモですくいながら、何回でも何度でも、そのメモを探して見つけて読み返す。
延々と終わらぬ作業を続けていくことで、ようやく腹落ちするのでしょうか。
・・・同じ本を買う過ちをしたくない・・・と肝に銘じる日々です。(そうなったらヤバいような気がする)