50代になって、
どうしても練習したくない日が増えました。
もっと身体に近いところから来る感覚もあります。
若い頃は、
少し疲れていても弾けたし、
多少の違和感は、気合いで越えることができていました。
時間も限られてるので練習しない選択肢は無かったし
いつも焦っていたように思います。
「練習しなかったらダメかも・・・ヤバい・・・」と。
そして、身体はいつも元気で言うことを聞いてくれました。
どんなに酷使しても頑丈でした。
それが今はちょっと違います。
肩や腰、指先の重さ。
音を出す前から、
「今日はここまでかも・・・」
と身体が強張ってしまう時があります。
女性として50代を迎えると、
体調は日によって揺れやすくなります。
昨日できたことが、今日は同じようにできない。
なんだか知らない違和感や虚脱感。
その変化に戸惑い、認めたくない気持ちもあります。
でも今は、
その揺れを無視しないようにしています。
無理に音を出すより、
楽器を持たずにストレッチをしたり、
楽譜を眺めながら頭の中で音を鳴らしたりする方を選ぶこと。
そうした時間が、次に音を出す日の助けになると信じています。
「今日は弾かない」という選択を、
自分に許せるようになることは、なかなか勇気がいります。
それは・・・言い訳かもしれないけれど・・・
音楽とより長く付き合うための知恵なのだと思います。
音を出さないからって
音楽から離れている日ではない。
身体の声を聞きながら、次の一歩を準備している日かもしれません。
50代の音楽は、前へ進む速さよりも、
戻ってこられる場所を持っていることが大切かもしれません。
【今日は練習しなかったな】
ちょっぴり寂しい響きだけれど、
「また音を出したくなる自分を見つけるまで、休んでもいいよ」と
自分にOKを出すことを許す日だと思うようにしたいです。
AIを使って音楽家は何ができるか?
私の場合は、コンサートのプログラムを考える壁打ちになってもらうことが多いです。
弾きたい曲を羅列して、その曲や作曲家に合うプログラムをランダムに組んでもらったり、アニバーサリーイヤーの作曲家を探してもらったり、年代を調べてもらったりします。
意外な時代の接点を見つけたり、面白いカップリングを提供してもらったり、変わった視点から曲を紹介してもらうこともあります。
私の選曲を分析して
「あなたの思いはここにあるのですね!」
と驚いてもらうこともあります。
楽しいです。
なるほどね・・・と新鮮な気持ちで曲に向き合うことができます。
ただし、全部を鵜吞みにしないこと。
架空の曲目をサラッと紹介してくることもあるし、抜粋しか演奏しない前提だったり、プロとしては「そんなことできないよ…」という内容もあるので注意が必要です。
でも、ぼんやりとしかアイデアがない時にAIとやり取りしていると、だんだん自分の頭の中が整理されてくるので頼もしい相棒です。
これまでは、一から自分だけで悩み、調べつつ、自分の力量を考えながら煮詰まって悩んでいたのですが、相手がいると少しだけ軽やかに考えることができます。最終的な判断は自分なのですが、多角的に思考の範疇を越えたところで自由に意見を言ってもらえるのは、とても助かります。
今年のリサイタルのプログラムが決まるまでもう少し時間がかかりそうですが、少しずつ攻めていこうと思っています。
お楽しみに!
先日、久しぶりにショッピングモールに行ってきた。
巷では「シール」が流行っているらしい。
ぷっくりとした、可愛らしいシールは購入制限があったりして手に入れるのも難しいとか・・・
文房具売り場はもちろんのこと、アクセサリー売り場にひっそりとシールが並んでいるのを見つけた時はびっくりした。
こんなところにも売っているということは、大人もシールを買っているということか・・・どうもそうらしい・・・
私の子どもの頃は、シールと言えばお菓子やソーセージについてくるオマケのような感覚。
それがいまや、うやうやしく店頭に並んでいて、子どもから大人まで目をキラキラさせてシールを選んでいる姿は、なんとなく幸せな気分になる。
小さなシールをシール帳に貼るのも流行っているらしいから、それは楽しいことだろう。
大人のお姉さんと、小さな女の子がシール交換をしているかもしれない。
私もシールは秘かに集めている。
私はもっぱら100円均一のお店で調達をしている。
娘たちに送るハガキに貼ろうとおもったのが始まりだった。
ちょっとおしゃれな女の子のシールを、娘たちそれぞれの姿に重ね合わせたりして送ったりすると、とても喜んでもらえた。
自分のスケジュール帳に貼るのも楽しい。
殺風景な予定が、ちょっとワクワクするものに変わったりする。
ところで私の手元には、変わったシールがたくさんある。
大抵娘たちが集めたシールが多いのだが、その中でも異色を放つ「アルパカ」の写真シール。
アルパカのちょっととぼけた顔のアップや、全身、横顔、いろんなアングル。
どれも小さくて台紙からはがすのが大変。
乾燥した手も手伝ってどこからはがれるのか見当もつかないので、ちょっとイライラしながらアルパカの顔を見つめて・・・
あぁ、めんどくさい・・・。
その後はそれをどこに貼ればよいのかわからない。
仕方がないので、いまのところは日々の思いを綴っているノートの隙間にこれでもか!と貼っている。
内容にそぐわないシールを貼るのは私の美意識に反するので、四苦八苦しながらノートの隙間を探している。
そもそも、このシールを、誰がどんな目的で買ったのか、見当もつかない。
多分、娘たちのどちらかだと思うのだが、今更聞くことができない。
今数えたら残りは14枚だった。
50枚以上あったのだから、私もだいぶ貼りまくったものだ。
アルパカのシールを貼り終えたら、シマエナガのシールが50枚あるが、これは多分消費に困ることはなさそうだ・・・
ホームページ作成・システム管理会社「リウムスマイル」代表、穂口さんのセミナーに参加しました。
今回のテーマは―「人類と情報と幻想の物語。AI時代に向けて」
正直、タイトルを見た瞬間
「難しそう・・・無理かも・・・」
とあきらめようと思ったのですが、それでも参加した理由は、とてもシンプル。
たまたまその時間が空いていて、家にこもりがちで、誰とも話していなかったから・・・(穂口さん、スミマセン)
聴いていればなんとかなるかな・・・と軽い気持ちで申し込みをしました。
(リウムスマイルユーザーだったら、こういう軽い気持ちで参加を決められるところが嬉しい)
内容は「へえええ~」と「あ~そうなのか~」と思うことばかりでした。
私が改めて「そうか」と納得したこと。
①全校集会ができるのは人間だけ
たくさんの人が同じ場所に集まり、互いを完全には知らなくても、
「ここにいていい」という暗黙の信頼関係の上に立っていられる。
他の動物にはできないこと、と言われて「そういえばそうだ・・・」と
すでにセミナーの最初で引き込まれてしまいました。
②魔女狩りは、ある種の「物語の集団暴走」だった。
人は物語が好きだ。
事実そのものよりも、意味づけされた物語に強く引き寄せられる。
そしてその物語は、ときに暴走する。
説明のつかない恐れや不安が共有され
それが「正義」や「常識」の顔をして広がっていく。
魔女狩りは、嘘を書いた物語が、多くの人に「本当らしく」共有されてしまった結果だった。
そして人間はそんな話を好む。
人は物語を信じる。
そして、みんなで信じると、それは「現実」になる。
怖い…
③AIは肉体を持たない
だから、AIが生み出した言葉や判断を
現実の世界で実行するのは、いつも人間だ。
AIには手も足もない。
それでも何かが起こるとしたら、
人間がその「手足」になったときだけ。
命令するのがAIでも、
動くのは人間。
責任を負うのも、人間。
そうか、そうだなぁ・・・
そこでハタと私は自分の職業のことを考える。
音楽家は、まだまだAIに勝てるのかもしれない。
AIは譜面を整えることはできても、
息を吸い、迷い、震えながら音を出す身体は持たない。
物語を「実行する」のは、いつも人間だ。
そう思うだけで、胸の奥から少し力が湧いてくる。
歴史は繰り返す。
けれどそれは、同じ円をぐるぐる回るのではなく、
螺旋のように、少しずつ形を変えながら進んでいく。
私たちは、また新しい時代の入り口に立っている。
自分の身体で、次の一音を選びながら演奏すること
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。
【立春】りっしゅん
二十四節気では立春が一年の始まりです。
そのため、前日の節分の日は大晦日に当たるわけなんですね。
新しい年に鬼がやってこないように、という意味で豆まきするそうです。
我が家は恵方巻を食べる習慣はなく
福豆を年の数だけ黙って食べる・・・ということをしていました。そして、干支もこの立春から変わるので今日からやっと「午年」になります。
あぁ、今年は新年からうまく動けなかったなぁ・・・とがっかりしていても大丈夫。
今日からまた始めれば良いのです。(私も同じなので大丈夫!)
私は毎年1月はのんびりと過ごしています。
休むことに罪悪感を感じず
予定のないことを焦らず
しっかり自分に余裕を感じられるようにすることの大切さを
つい最近になって心から思えるようになりました。
1月は立春を目指して、少しずつ整えている感じです。
アクセルとブレーキを踏み分けることは
大人の私たちだからこそできること。
年も改まったので
