塚本香央里(つかもとかおり)
 ~ヴァイオリニスト&ライフオーガナイザー~
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2026/05/09
129「私のゴールデンウィーク・ひとり合宿」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今年は4月25日から「ひとり合宿」と称して、ストイックに自分で作成した、計画通りの生活をしてみました。

(姉に話したら「あなた、何やってるの。おもしろすぎ」とあきれられました)

初めの4日間くらいは時間通りに進めることが難しく、決めたことが終わらずに四苦八苦しました。作業を終わらせる時間の見積もりが甘いことが原因で、一日の終わりにつじつま合わせするため、夕方から夜は頭痛がするほどでした。そして、何かを始めようと思うと書類が見つからなかったり、パスワードがわからなかったりといった探し物に時間がかかりました。ちゃんと整理したはずなのに見当たらないのはどういうこと?と自分に腹を立てながら・・・

デジタルデバイス系に苦手意識があるので、資料を作成したり、書類を作り直したりといったことが後回しになることが多かったので、とにかくある程度まで出来上がるまで手を休めないことにしました。それ自体は当たり前のことなのですが、今までの私は細切れの時間しかなく、じっくりと時間をかけて作業ができなかったのだな・・・と反省しました。そして、時間を決めて集中することも大切なことだと感じました。私は短時間の集中力はある方ですが、じっくりと一つのことの集中することが苦手です。計画性がないというか・・・目先の興味に流されてしまい、戻れなくなることが多いのも原因です。演奏会などはちゃんと考えているつもりですが、まだまだツメが甘い部分があるのは否めません。思考のクセですね。

逃げないで考えること。私の場合は投げ出さないようにしようと思いました。

そのような時期を経て、中盤からは自宅のメンテナンスも含めながら体を動かして頭を整理する時間を取りました。網戸の張替えはこの期間中にどうしてもやりたかったこと!時間をかけて道具を揃え、動画で予習して頑張ってみました!!(自分よくやった)

何が正解なのか、出来不出来はわかりませんが、きれいに張れたと思います!!1年前に、突然トイレのレバーが経年変化で割れてしまって動かなくなり、途方に暮れた時がありました。その時も、初めはどうやって修理を依頼しようかと思ってアタフタしたのですが、結局(ケチなので)動画を調べて部品を注文して自分で直した経験があります。

・・・やれば(何とか)できる・・・

この精神は、この3年で培われたものです。


ヴァイオリンに関しても、少しずつ勉強が始まりました。

大きい輪郭を見渡しながらポイントをピックアップしている時期です。気がつけば1年の3分の1が過ぎたことになります。これからは加速していくばかり。気を引き締めて暮らしていきたいものです。




2026/05/08
128「ヴァイオリンの練習・今と昔」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

私はヴァイオリンの練習が好きではなく学生時代もあまり真面目ではなかったです。

私が育った家庭はごく普通のサラリーマン家庭で、音楽家の家庭ではありませんでした。すべてが手探りの状態でした。私自身はヴァイオリンにのめり込むわけでもなく、ずっと続けていることが当たり前になっているような感じでした。ヴァイオリンを習っていることが珍しい時代でもあったので、特別感に浸っていたのだと思います。姉の方が真面目に将来を考えていて、ドイツの音大に17歳から在籍して大学院まで学位を納めました。そんな私も音高の入学した時点で音楽家の道を選んだことになり、そのまま音大・ドイツ留学・オーケストラ団員といった道を進みました。今思えば、もう少し学生時代に練習時間の使い方を工夫していればよかったなぁと思います。

学生時代の練習時間は無尽蔵・・・その境遇を享受していたら・・・もう少しそのほかのことに頭を使うことができたかもしれなかった・・・と思います。

学生時代はとにかく周りについていくことに必死でした。ヴァイオリンや音楽について幼いころから一心不乱に過ごしていた仲間たちの間で、自分の立ち位置に踏ん張ることが必須でした。それまでのんびりと過ごしていたたため、落ちこぼれから始まって、その後も一生懸命に同級生との差を縮めることだけに集中した日々。なんとなく窮屈だったけれど、一緒に過ごした仲間たちは優しくてまっすぐで、気持ちの良い人たちでした。練習時間をどのように効率的に使ったらよいのかわからなくて、それでも長時間の練習ができなくて・・・(基本的にはラクをしたいナマケモノ)中途半端な学生でした。ドイツ留学中も、練習より自分の興味が文化歴史、多国籍の中でどういう風に過ごせばよいのか、どう振舞えばいいのか・・・といったことに必死でヴァイオリンの練習は二の次でした。

その延長戦でドイツから帰庫して結婚後もノンビリモード。ヴァイオリニストというプライドを捨てることができず、ある意味仮面をかぶって過ごしていたような気がします。ヴァイオリニストとしての矜持は捨てたくないけれど、今目の前にあることも完璧に遂行したい・・・それぞれを逃げ場としていたのだと思います。子育て期は本番前に危機感に迫られて練習時間を捻出。大きな弱音器をつけて夜な夜なキッチンで練習する日々。どうしたら効率的に仕上げることができるのか・・といったことを真剣に考えていた時期でした。本番があるから頑張る。間に合わせるために夜な夜な練習することが当たり前と思っていました。その練習は本番だけのものであって、自分の技術を維持するものではなかったかもしれません。とにかく弾くこと、続けることに意義があると思っていました。

子育て卒業期は自分より娘たちの練習時間を優先していたため、練習時間は日中のみ。誰もいないときに、本番の曲を練習する日々。しばらく本番がなければすっかりお休みモードでした。その頃はPTA活動やその他の活動に時間を割いていて、自分に言い訳をしていました。そして50代後半。改めて勉強しなおす時期にきています。基本練習の見直しと身体に負荷のかからないように姿勢を調整しながら進めていくことが重要なことだと切に思います。ようやく、本当に練習するということの意義にたどり着いたような気がします。

今更…と思うほど時間が経っていますが・・・

 


2026/05/07
127「耳が開いていく」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

無伴奏曲を弾き続けていくと、お客様の反応にも変化が見られました。

「無伴奏を聴いていると引き込まれていく」

「ヴァイオリンだけではない音まで聞こえてくる」

といった感想が寄せられるようになってきました。耳が開いてきているんだな・・・という感じがしました。聴き慣れている音だけを拾う耳ではなく、聴き慣れない音も「主張している音」として耳に残るようになってきている、と感じてもらえたことがとても嬉しかったです。ずっと聴き続けることによって抵抗感がなくなること。驚きや戸惑いも許容できるようになる耳。お客様自身が自分なりの聴き方を模索できるようになることは、音楽へ積極的に関わる姿勢だと思います。そのころには私のリサイタルは「知らない曲を聴ける」というような評価に変わっていきました。そして、そのことを楽しむお客様が増えてきたことは確かな進歩でした。

 

バツェヴィッチ、ハルトマン、シュニトケ、ペンデレツキ、プーランク、ブロッホ、レーガー・・・

ハードルの高いと思われる作品たちも、曲目解説や時代背景のつながりを意識しながら聴いていただくと、ちょっとずつ理解が深まっていくようでした。そのために私自身も勉強しなければならないことが山ほどありました。作曲家のことはもとより、その交友関係、時代背景、音楽家の生き方、影響などをMCにまとめるには時間が必要でした。以前に比べれば、ネット検索で調べられることも増えました。大まかに調べて事実確認をした後、最後の味付けはいつも自分の感覚と経験談でした。演奏中に解説するには短い時間で印象的な言葉が必要です。「演奏」と「話す」ということは同じように外へ向かって発するものですが、全く違う役目です。その切り替えをどうしていくのか?私にとって今も課題です。さらに当時は練習時間の確保も切実でした。子育ても少しずつラクになっていく時期でしたが、まだまだサポートは必要でした。競泳選手の次女を送り迎えする毎日。車での送迎は週に100㎞を越えていました。毎週末の大会への付き添いは夫の役目になりました。長女は難しい思春期にさしかかり紆余曲折しながら模索している中、私自身もPTA活動に積極的に参加することも多かったので本当に無我夢中でした。時間枠をパズルのように組み立てながら、練習時間とリハーサルを組み込む日々。家族が全員参加で、それぞれが家族の応援団になる。私にとっては「生きている」「自分のやるべきことに焦点が合っている」ということを実感できる充実した貴重な毎日でした。

 


2026/05/06
126「無伴奏の魅力」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

リサイタルでの挑戦は、年を重ねるごとにハードルが上がってきました。

まず、無伴奏曲が増えていきました。

ドイツ留学中に懸命に勉強したバッハの無伴奏曲は、私にとって自分の音楽の土台になるものでした。堅牢な構成の中に見え隠れする、バッハのチャーミングな一面や意外性のある和音の響きは、年を重ねていくほどに自由に表現できるようになってきた気がします。その他に、夫が買ってきた無伴奏の楽譜の中には本当に難しい曲が含まれているので、未だに弾けない曲がたくさんあるのですが、少しでもお披露目できるようにしたいものです。


一度、無伴奏曲だけのリサイタルを開催したことがありました。

広い舞台にたったひとりで立つことの心許ない感覚は想像以上でした。ピアノが傍にないことが、こんなにも寂しいと感じるとは思っていませんでした。練習する時間もひとり、本番もひとりきり。それでも、今までとは味わったことのない充実感と演奏後の安堵感。練習と本番の孤独感と集中力。気楽さとプレッシャー。様々な思いが交錯して不思議な感覚でした。とにかく懸命に無伴奏と格闘する私の姿を、お客様に「目撃」してもらいたい!という気持ちで開催したリサイタルは、思っていたよりも好評でした。「無伴奏っておもしろい」「ヴァイオリンだけの音を楽しめた」という感想が増えました。お客様の反応が、そこから一気に変化して「私たち、なんでも聴けますよ!」という自信が感じられる空気に変わりました。

聴いたときにはわからなかった感覚が、少し時間を経て腑に落ちる。

ただ圧倒されて音の渦に巻き込まれていく。

心の琴線が揺れる感覚。

そういった小さな変化を私自身が舞台から聞き取れるような感じに変化していきました。


無伴奏を弾く時はとても孤独に感じます。

一人きりですべての音を表現して伝えていく作業は大きな責任と時に「本当にこれで良いんだろうか?」と悩みが深くなります。そして同時に「私の思った通りに表現すればいい」と開き直ることもあります。私の場合は、最終的には「え~い!どうぞ聞いてください!」という考えにたどり着きます。

 

作曲された作品は、最終的には作曲家の手を離れて成長していくものです。作曲家の意図しなかった解釈も含めて枝葉を広げ、育ち、磨かれて、時代を越えて受け継がれていくものです。その可能性の大きな作品だけが残っていくということなのだと思います。そう思うと、無伴奏曲には壮大な可能性が隠されていることに気づきます。そしてそのことに夢中になって、私は今もなお無伴奏曲に魅かれ続けているのだと思います。




2026/05/05
125「二十四節気 立夏」  
こんにちは。ヴァイオリニストの塚本香央里(つかもとかおり)です。

今日は子どもの日。
そして季節は夏になっていきます。
5月2日に八十八夜をむかえて霜の終わりを告げる農作業の目安もあるとのことです。

立夏(りっか)

春分と夏至のちょうど中間に位置していて、この日から立秋(今年は8月7日)までが夏とされる。新緑のまぶしい季節。さわやかな風が吹いて気持ちの良い時期ですが紫外線にはご注意!

 

みなさま連休はいかがお過ごしでしょうか?お天気が不安定なので、予定通りに上手くいかないことも多いかもしれませんね。気持ちに余裕を持ちながら、小さな隙間時間に美味しいお茶やお菓子を忍ばせて楽しみたいものです。

人混みが苦手な私は自宅に籠っています。今までずっと放っておいたことを、地道に投げ出さずにコツコツと片づけています。PC作業で行き詰っているところを、調べてとにかく手を付けて進めてみる。やった方がいいよなぁ‥と思っていることを実際に行動してみる。最終決定しなくちゃならないことを決める。自分を守るために放棄していたことは間違った行動ではないけれど、自分をなだめて少しだけ動き出すこともできるはず。

人には自分を自分で動かすことができる本能があることを、メンタルオーガナイズで学びました。奥底に眠ってしまっている自分を大切に思っている本能。思い出してみませんか?



 

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